天下の大宰相・呉鳳明伝   作:蘇芳ありさ

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華麗なる菓子職人・呉鳳明

 

 

 

 ──魏火龍七師第二席。冷酷無慈悲な軍略家・霊鳳。

 

 悪辣な侵略者を国境に押し返す魏国の守護神・呉慶を(たす)けるため。

 

 八万にも及ぶ新たな軍勢を率いて、王都・安邑を出陣する──。

 

 

 ……この一大ニュースは、残念ながら中華をほとんど駆け巡りませんでした。

 

 

 そもそもの話、霊鳳という人物が魏国の王族であり、大将軍の地位にある事は知られていても。

 

 安釐王が一生懸命考えた魏火龍七師という恥ずかしい呼称は、他国の軍関係者にまったく知られていなかったのです……。

 

 

 ですが、よく考えてみれば、これは当然のことかもしれません。

 

 

 何しろここ数年、魏国の軍勢を率いて各地を防衛しているのは呉慶将軍だけなのです。

 

 寡黙で無駄口を好まない彼が、戦場で「我こそは魏火龍七師第一席・呉慶将軍也」と宣伝してくれるわけもありませんから、これは当然のことです。

 

 

 安釐王としては、秦国六大将軍や趙国三大天の威名に対抗する狙いがあったのでしょうが、今のところまったくと言っていいほど機能していません。

 

 頑張ってカッコいい名前を考えたのに可哀想ですね……。

 

 

「……まぁ、こんなもんだろうよ」

 

 

 そのため呉慶将軍の見送りとは異なり、霊鳳の軍が出陣の旗を掲げても安邑の民もほとんど集まってきません。

 

 物珍しさに遠くから眺めてくる者が出てきても、「アレはどこの軍勢だ?」とか「呉慶将軍以外の軍がこの国にあるのか?」だの、霊鳳の自尊心にハナクソをぶつけてくる野次馬しか現れない始末です。

 

 

「……さすがに見過ごせません。不敬を咎めるべきでは?」

 

「言いたいヤツには言わせておけ。こういうのは実績で黙らせるしかないが、俺にはそれがない。咎めても恥を掻くだけだぞ」

 

 

 部下の進言を退ける様子もどこか投げやりと、これはいけません。着々と死亡フラグを積み重ねています。

 

 

 ……しかし救いもあります。

 

 

「霊鳳様ッ!!」

 

「ん?」

 

 

 その声に気付いて愛馬の脚を止めた霊鳳の視界に飛び込んでくるのは、野次馬の間を器用に駆け抜ける鳳明の姿でした。

 

 

「まあっ、鳳明様よ!?」

 

「みんな道を開けろ! 鳳明様のお通りだ!!」

 

「……やれやれ。大した人気ぶりだ」

 

 

 ──自業自得と言っては何だが、大将軍の地位にありながら対外的にはほとんど知られていない自分よりも、よほど民に慕われているではないか。

 

 まぁ、呉慶親子がこの国でしてきたことを思えば、それも当然。俺もこれからは心を入れ替え、せめて謀反を疑われて処刑されない生き方を模索してみるか。

 

 なんせ、途中で死んだらコイツが何をするか、最後まで見届けられないからな──。

 

 

 苦笑した霊鳳は同僚の子息を出迎えるために下馬して、その到着を待ったのでした。

 

 

「わざわざ見送りに来るとは思わなかったが、どうせお前のことだ。何か魂胆があるのだろう、鳳明」

 

「すみません、ですがどうしてもこれをお渡ししたくて……」

 

 

 一方、挨拶がてら邪推された鳳明には何の裏もありませんでした。

 

 おそらくは霊鳳の出陣を知って、自分の屋敷からここまで全力で走って来たのでしょう。

 

 呼吸を整えた鳳明は大事に抱えた麻の巾着を、そっと霊鳳に差し出すのでした。

 

 

「これはいい匂いがするな……中身は焼き菓子か?」

 

「はいっ! 甘いものを食べると頭がスッキリしますよね? 霊鳳様は父と同様、優れた知略で軍を動かして戦うことを得意とする方だとお見受けしました。ですから、どうしてもこれをお渡ししたくって……!!」

 

「そうか……」

 

 

 ……まったく。この賢しげなようでいて、肝心なところが抜けている少年と絡むといつもこれだ。早速頭がクラクラしてきた。

 

 何か嫌味を言ってやろうと思ったが、どうせコイツには一生伝わらないだろうからやめておこう……そう脳内で嘆いた霊鳳の気持ちはよく分かります。

 

 

 なにしろ美しい少女かと思うほど顔立ちの整った少年が頬を赤らめ、おずおず差し出してきた巾着の中身は蜂蜜を塗った焼き菓子なのですから、このラブコメのお約束すら知らない青年が戸惑うのも当然でしょう。

 

 

「まあ、コイツは有り難く受け取っておくが……要件はそれだけか?」

 

「あっ! それともし霊鳳様が先にお戻りになられるようでしたら、ぜひ父から焼き菓子の感想をもらってきてください!!」

 

「なんだと!? お前は呉慶にも同じ事をやったのか!!」

 

 

 とうとう堪らず、霊鳳は腹を抱えて爆笑してしまいました。

 

 

 ──やはりコイツはどうかしている。

 

 一体どんな珍獣を育てればこんな生き物になるのだ?

 

 ああ、傑作だ。これはいよいよ死ねなくなった。

 

 俺は決めたぞ。残りの人生は呉慶親子をいじり倒すために使い切ってやる。

 

 

「ククッ……まぁ見ていろ。一週間でお前の父親を連れ帰ってやる。せいぜい今から歓待の料理を考えておくんだな」

 

「はいっ!! よろしくお願いします……!!」

 

 

 律儀に礼を尽くす鳳明の肩を愉快そうに叩いた霊鳳が踵を返し、乗馬して下知を飛ばしますが、それに応える部下たちの大多数が半笑いだったのはここだけの秘密です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、ほとんど終わっているではないか」

 

 

 そうして翌々日には山陽以西の戦場までたどり着き、両軍の布陣状況を確認した霊鳳は感心したように唸りました。

 

 

「……見せつけてくれるではないか。呉慶め、あの胡傷を相手に大したものだ」

 

 

 さては愛息に持たされた焼き菓子の効果が抜群だったようだな──そう意地悪く口元を歪める霊鳳でしたが、この時は冗談のつもりでした。

 

 だからこそ友軍の本陣に顔を出したとき、残り少ない焼き菓子を大事に齧る呉慶将軍を見て吹き出してしまったのです。

 

 

「……何の用だ」

 

「フヒッ……鳳明にさっさと片付けてお前を連れ帰るように頼まれてな。そら、可愛い可愛いご子息からの贈り物だ。それを食ったら胡傷のヤツを叩きのめすぞ」

 

 

 ドサリと置かれる焼き菓子の袋に呉慶本人は大きな反応を見せませんでしたが、居並ぶ参謀や将軍たちは涎を垂らさんばかりに目の色を変えました。

 

 やはり霊鳳が言ったように、呉鳳明の焼き菓子は頭脳労働を担当する方々の必須アイテムになりそうですね。

 

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

「信陵君の叔父貴と似たようなことを言うが、そんなに不思議か? 答えはお前の息子が気に入ったで十分であろう」

 

「……鳳明はやらんぞ」

 

「……言っておくが、アレは男だからな? そんな、娘を嫁に出す父親のようなことを言われても、寝言は寝てほざけとしか返しようがないわ」

 

「フンッ」

 

 

 不快そうに鼻を鳴らす呉慶将軍でしたが、焼き菓子を口に運ぶ手は止まりません。

 

 それは他の参謀や、白亀西や宮元といった将軍らも同じ──。

 

 

「さて、こちらは早々に仕掛けるぞ。そいつを食い終わったらさっさと合わせてくるがいい」

 

 

 それを最後まで見届ける事なく、霊鳳は本陣を後にしたのでした。

 

 

「よいか者どもッ!!」

 

 

 まさに有言実行──自陣に戻った霊鳳は颯爽と愛馬の背中に跨り、配下の軍に意気揚々と檄を飛ばしました。

 

 

「戦況は見ての通りだ。胡傷の軍は精鋭なれど、呉慶との陣取り合戦で後手に回り苦しい立場よ! そこに我ら霊鳳軍8万が土手っ腹を抑えたのだ!! 勝利は目の前だと思えよ!?」

 

「『おォおおお!!』」

 

「それでは全軍ッ!! 突撃ィイイ!!」

 

 

 ──戦闘の結果はあまりにも一方的なものでした。

 

 いみじくも霊鳳が語ったように、胡傷軍はもともと不利な立場だったのです。

 

 呉慶と霊鳳の連合軍およそ25万は、胡傷率いる秦軍およそ18万を潰走させることに成功します。

 

 

 一週間で呉慶将軍を連れ帰ると豪語した霊鳳の面目はここに保たれましたが、問題はこの想定外の大勝利を魏国の王政府がどう扱うか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やってくれたか」

 

 

 急報が届けられた謁見の間で信陵君は汗ばむ拳を握りしめましたが、勝った勝ったで終わらせてはいけないのです。

 

 むしろここからが本番。信陵君ら文官組の難しい舵取りが始まります……。

 

 

「うむうむ、呉慶も霊鳳もよくやってくれたわ」

 

 

 もともと呉慶には期待していたが、よもやあの(・・)霊鳳が頑張る男の子に触発されて脱ニートしてくれた挙句、ここまでの結果を出してくるとは……これは行き遅れの末妹を嫁がせてもいいかもしれんね。

 

 安釐王は不出来な身内の活躍を我が事のように喜びました。

 

 

「よしっ、英雄たちの帰還を大々的に祝うぞ! 国内にも布告を出せ。国を挙げて呉慶らの勝利を祝福しようではないか!!」

 

 

 ……ですがこれは頂けません。

 

 信陵君がやはりこの兄からは目を離せないと思ったかどうか定かではありませんが、彼はため息がてら挙手すると暴走の気配を見せる大王を宥めにかかるのでした。

 

 

「いえ、それは少々お待ちを」

 

「なんじゃ? 国を守るために戦った者たちを称えずしてどうしようというのだ。さてはそなた、此度の勝利に絡めなかったから妬いておるのではあるまいな……?」

 

「違います」

 

 

 明らかに自分を揶揄う素振りを見せるこの異母兄に、信陵君は慎重に言葉を選びました。

 

 

「祝うのは大変宜しい。奮闘した将兵に正当な恩給を与えるのも当然でしょう。しかし、敗者に過度な屈辱を与えてはいけません。もしそんな事をしたら、あの戦神(いくさがみ)・昭王がどういった反応を見せるか」

 

「…………」

 

 

 そこまで言われれば、さすがの安釐王でも気がつきます。

 

 今回こそ危うげなく勝てましたが、秦は本来、隣接する他国のすべてを圧倒するほどの強大国であり──戦神とまで呼ばれる昭王の手元には白起や王騎、司馬錯や摎といった危険な手札がまだまだ残っているのですから、ここは自重すべきでした。虎の尾は踏むものではありません。

 

 

「……うむ。些か心苦しいが、ここは些細な問題が片付いたという態度でいこう。むろん、呉慶ら将兵らへの恩給は弾むがな」

 

「ご理解いただきありがとうございます」

 

 

 思わずホッとする信陵君でしたが、実は今回の戦後処理以外にも魏国の王政府は深刻な問題を抱えていました。

 

 その一つが後述する食料問題です。

 

 

「ところで大王様」

 

「ん? まだ何かあるのか、蕭阿よ?」

 

「はい。実は信陵君が各地を視察したところ、今年は昨年以上の豊作となることがまず間違いないので、今から備える必要がありましてな」

 

「……不作に備えろと言うならわかるが、まさか豊作に備えろと言われるとは思わなかったぞ」

 

「申し訳ございません。倉はあれからも増やしたのですが、実は去年の収穫物もだいぶ残っておりましてな」

 

「不要な分は商人に払い下げれば良いのではないか?」

 

「そうなると今度は値崩れの問題が生じます。今年も収穫の半数は適正な価格で処分する予定ですから、ここで足元を見られるのも……」

 

「鳳明も言っていたが、難しいものだな。経済の力学というモノは……」

 

「──それなら僕に考えがあります」

 

 

 と、そのタイミングで隣の厨房からエプロン姿の鳳明が顔を覗かせました。

 

 ……どうしてそんな所で会議をしているのかって?

 

 それは勿論、鳳明がお菓子を作っているからですよ。言わせないでください。恥ずかしい。

 

 

「……聞かせてもらえるかな?」

 

 

 とりあえず鳳明が金属製のボウルでシャカシャカ掻き回しているものが気になりながらも、信陵君は努めて冷静にそう尋ねました。

 

 

「はい、お答えします。米や麦といった主食が余って困っているのでしたら、その分だけ生産量を減らして、他の作物を栽培するように指導するのです」

 

「ふむ? 今でも暇を持て余した農村部は、他の野菜を作っているようだが……?」

 

「それも悪くありませんが、どうせ作るのでしたらより市場価値の高い作物です。例えば僕も栽培している苺や葡萄、梨や柿でしたら詳しく指導できますし……あとはやはり何と言っても、懇意の商人が南越まで出向いて仕入れてくれたサトウキビですね。これの栽培に成功したら、国庫がより安定すると思いますよ」

 

「……なるほど」

 

 

 信陵君の明晰な頭脳は、鳳明の献策が魏国をより富ませるだろうとゴーサインを出してきます。

 

 しかし、この違和感はなんでしょうか……。

 

 

「とりあえず、いま余っている分が問題なら家畜用の飼料に回すことをお勧めします。そうして牛や豚、鶏などを増やしていけば、食肉以外にも卵や牛乳などの滋養のある食物が得られますし、僕の菓子作りもはかどります」

 

「うむうむ、良いことばかりではないか。蕭阿はどう思う? 存念を聞かせるがよい」

 

「そうですな。ただでさえ今は遷都に人員を取られておりますから、指導する文官や役人の負担が気になりますが……」

 

「でしたら、僕が家畜の飼育や作物の栽培について、知る限りを記した教本を(したた)めますが」

 

「……それは実行しない方が賢明だな。他国の間者に知られたら、血みどろの争奪戦が繰り広げられるのは間違いないぞ」

 

「そうですか。それでは教本の持ち出しは原則禁止にしておきましょう。ただ屋敷の中庭も手狭になってきたので、そろそろ安邑の近郊に専用の農場を作りたいんですよね。そうしたらお菓子の開発ももっと捗るんですが、さすがにカカオとコーヒーはまだ無理かなぁ? あるとしたらローマまで出向かなきゃいけないけど、北方の遊族民と何かしらの協定を結ばないと、シルクロードを使って送り出すのも怖いんですよね」

 

「…………」

 

 

 ……なんだろう。

 

 あまりに無邪気な鳳明の話を聞いていると、この魏国はおろか、はるか西方の共和国までも彼の試験国家として扱われているような気がしてくる。

 

 得体の知れない恐怖に、信陵君は額の汗を拭うのでした……。

 

 

「……と、こっちはこんなものでいいかな?」

 

「お? そろそろ加甘練乳包(しゅーくりーむ)とやらも完成するかね?」

 

「はいっ! まだまだ試作段階だから多少不出来かもしれませんが、味には自信がありますので、どうか存分にお楽しみください!!」

 

「うむうむ。良き哉、良き哉よ」

 

 

 ……それでも信陵君が疑う気になれないのは、この善良さだ。

 

 弟妹にもっと美味しい物を食べさせてあげたい。苦労人の父親に楽をさせてあげたい。

 

 そこを出発点とするこの少年は、徹頭徹尾誰かの役に立つことを幸福とする。

 

 もし仮に、秦の間者に捕らえられ、昭王の元に送られたとしても、おそらく鳳明は利用されるだけの人生に疑問を抱かないだろう。

 

 

(──だから私たちが守護(まも)らなければならない)

 

 

 同じことを考えていたのでしょう。ほぼ同時に視線を合わせた蕭阿に力強く頷き返した信陵君は、厨房から流れてきた芳ばしい香りに若干の空腹を意識するのでした。

 

 

 

 

 

 なお、鳳明のシュークリームは絶品と表現するしかない味わいだったらしく、うっかりその事を愛娘の綺丹公主に漏らした安釐王は大層嫌われたそうな。

 

 なんでも、「ひどいっ! わたしだって鳳明様のお菓子食べたかったのに!!」と、しばらく口も利いてくれなかったようで。

 

 泣きつかれた鳳明が特別なお茶会を用意する羽目になるのは、またの機会に語ることとしましょう……。

 

 

 

 

 

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