天下の大宰相・呉鳳明伝   作:蘇芳ありさ

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なんか日刊ランキングの4位に本作があるので急遽投下してみました。

皆さんブックマークと高評価ありがとうございます。

感想もそのすべてに返信はできませんがとても励みになります。本当にありがとうございました。





ラブコメ主人公・呉鳳明

 

 

 

 秋の収穫が終わった魏国に一つのニュースが駆け巡りました。

 

 魏火龍七師第三席・太呂慈が叛逆するも、数日も持たずに降伏したという心底しょうもない御触れです。

 

 王族出身の霊鳳でさえ、先の胡傷戦で活躍するまでまったく知られていなかったのですから、この一報を耳にした民衆の反応は「誰だか知らんが情けないヤツだな」と、これに尽きます。

 

 

 ただし彼の支配下にあった人々は涙するほど歓喜したと言います。

 

 もともと太呂慈は美しい娘を見かければその場で妻にすると言われるほど、素行に問題のあった人物です。

 

 その権力が失墜したことは太呂慈の領民達を大いに喜ばせましたが、その他の民衆にしてみれば本当にどうでもいいことでした。

 

 

 それよりも今の魏国には人々の耳目を惹きつけてやまない話題があったのです。

 

 それはもちろん新王都建設と、いま一つの──。

 

 

「おいっ、聞いたかあの話?」

 

「おうっ! 鳳明様と綺丹公主がお見合いしたってんだろ!?」

 

「あらまあ……あの鳳明様が大王様のお嬢様とねえ……」

 

「しかも聞いた話じゃ、鳳明様とお会いした綺丹公主は一目でメロメロだってよ」

 

「あらぁ、やっぱり若いっていいものだわ。これは来年早々にもお二人の赤ちゃんが」

 

 

 ……人の口に戸は立てられませんが、これはさすがに事実誤認も甚だしい。

 

 当人達の名誉のためにも、ここで一度、時計の針を巻き戻すことをお許しください。

 

 

 

 

 

 時期は呉慶将軍が帰還した翌日。場所は例の会議室で、綺丹公主は父親の影に隠れて呉鳳明と初めて会われました。

 

 

「すまんのォ鳳明。娘の丹がどぉ〜〜〜〜してもそなたの菓子を口にしたいと申すでな。連れてきてしまったわ」

 

「お、お父様! 余計なことは言わないでくださいまし!!」

 

 

 精一杯におめかしされて参られたのでしょう。その名の通り綺麗な牡丹を思わせる少女でしたが、この時ばかりは年齢相応の幼さが前に出てしまわれました。

 

 年齢はまだ9歳。女性に免疫のない鳳明をもってしてもピクリとも反応しないお年頃なので、彼も妹の女友達と遊んであげるような心境で人生の一大イベントに臨むことが出来ました。

 

 

「そうですか。お初にお目にかかります綺丹公主。呉慶将軍が嫡男・呉鳳明と申します。どうぞよしなに」

 

「……綺丹と申します、鳳明様。不束者ですが、どうか徒然なるまでよろしくお願いします」

 

 

 おや、今の口上はどうしたことでしょうか?

 

 今の口上をこの時代の常識と照らし合わせると、「いつか私に愛想が尽きて他の女性に目移りしても構いませんから、どうかそれまで側にいることをお許しください」という切なる願いが込められていると解釈できます。

 

 力のある者が複数の妻を持つことを規制する法律のない時代に、国諸共滅ぼされたのならまだマシという戦乱の世に生まれてしまった王族の娘らしい控えめな愛の告白──それを中身は丸ごと現代人の鳳明はスルーしてしまいましたが、さすがに安釐王は聞き逃しませんでした。

 

 

 おかしいですね……今日は安釐王が無理を言って三人だけのお茶会になりましたが、別に見合いの席ではありません。

 

 予定にないアドリブに加えて、恋する娘ならではの色っぽい雰囲気まで醸し出されて、そんなつもりのなかったお父さんが焦り出してきましたよ。

 

 

「と、ところで鳳明よ、今日は何を食わせてくれるのじゃ?」

 

「はい。実はここに来る前に生地が上手く焼けたので、本日は草莓脆饼(いちごのショートケーキ)をお出ししようかと」

 

「草莓脆饼……?」

 

 

 聞きなれない単語に可愛らしく首をひねるお姫様に、鳳明はどこまでも臣下の礼を守って説明しました。

 

 

「ええ、柔らかく焼き上げた蛋糕面糊(ケーキの生地)を、たっぷりの苺と練乳で仕上げた菓子です」

 

「おおっ、それは耳にしただけで涎が垂れそうな菓子じゃな。すぐに出来るのか?」

 

「はい、すぐに紅茶ともどもお持ちできます」

 

「そうかそうか、それは重畳。……ささっ、丹も席に着け。そんな所に立ち尽くしていては鳳明も困るでな」

 

「……はい、お父様」

 

 

 極力これが普通のお茶会であることをアピールする安釐王の懸命さを天が認めたのか、綺丹公主は比較的素直に従いましたが、その視線は厨房に消える鳳明の背中を追いかけ、視線が合うと真っ赤になって俯いてしまいました。

 

 ここまで来ると安釐王も娘が本気であることを認めざるを得ません。

 

 

「…………」

 

 

 どうしたものかと安釐王は頭を抱えてしまいました。

 

 たしかに彼は愛娘を鳳明に娶らせても良いと考えていました。

 

 そう。この二人が夫婦になれば、必然的に呉慶将軍は魏の外戚となります。

 

 下手な者を魏の王室に組み込めば混乱が生じますが、相手は忠義一徹の呉慶将軍とその家族です。

 

 呉慶自身はもちろん彼の子供達が権力を得て増長する姿など、安釐王には想像もできません。

 

 ならばこの婚姻は、心強い味方を家族に迎えた王の立場を飛躍的に高めてくれるでしょう。

 

 安釐王はその胸の内をまだ誰にも明かしていませんが、内々に相談すれば異母弟の信陵君や宰相の蕭阿も歓迎するはずです。それぐらい両家の婚姻は益しかありません。

 

 

 しかし、しかしです。彼はその時期がもっと先だと思っていました。

 

 平均寿命が現代とは比べ物にならないくらい低いこの時代。王族ともなれば10歳での結婚も早すぎるわけではありませんし、日本にも数えで10歳の嫁を毎年休まず孕ませ続けた武将もいますが……綺丹公主はまだ9歳になったばかりで、鳳明も8歳。さすがに早すぎます。

 

 

 故に、せめて後5年。鳳明が成人するまではどうか、どうか待ってくれ。

 

 軽い気持ちで愛娘をこの場に連れてきてしまった安釐王は、祈るような気持ちで両者を一時的に遠ざける方法を模索します。

 

 

(頼むから婚約を発表した時には、すでに鳳明の子がお腹にいるのだけは勘弁してくれよ)

 

 

 そうですね。それは外聞が悪すぎます。

 

 ですが父親は娘が鳳明に一目惚れしてしまったと思っているようですが、本人はどう思っているのでしょうか。

 

 

(あれが鳳明様。この国の守護神・呉慶様の嫡男で、このわたくしがずっと慕ってきた御方なのに、まるで女の子みたいに可愛い男の子だったわ。ちょっと複雑だけど、これはこれで悪くないわよね)

 

 

 実は綺丹公主はこの場で一目惚れしたのではありません。ずっと鳳明を想ってきたのです。

 

 

 何しろこの国は、秦の白起将軍が本気を出したら一瞬で滅びると言われる弱国。だからこそ安釐王もこれに一歩も退かずに戦い続ける呉慶将軍を信頼して、心の支えにしてきたのです。

 

 当然、その影響を綺丹公主も受けてきました。

 

 物心がつく頃から呉慶将軍の活躍に一喜一憂する父親を見て育てば、娘が自身の置かれた状況を理解するようになります。

 

 

 呉慶将軍がお倒れになる日が来たら、その時がこの国の公主として生まれたわたくしの最期。

 

 下手に生き延びても良い事なんて何もない。周囲の大人は亡国の公主がどうなるかなんて教えてくれないけど、それぐらいは察しがつく。

 

 

 そうして父親と同様にいつか来たる最悪の未来に怯えていた公主にとって、忠義の士である呉慶将軍とその嫡男は好きになれこそ嫌いになるのは不可能だったのです。

 

 

 彼女は鳳明が具体的に何をしたのかは理解しきれていませんが、ここ数年の父親は日ごとに鳳明を褒めちぎる言葉が増えているのです。

 

 幼い少女は少しだけ妬きましたが、呉慶将軍の子息だと判るとすぐに彼のことが好きになりました。

 

 伯父である信陵君からもその素朴な人柄を聞けるようになり、鳳明の変革がもたらした事象に触れるたびにその想いが強まっていたところに今日の初対面です。

 

 

 本当は彼と会うつもりはありませんでした。女の我が儘で想い人を困らせるなど、そんなはしたないコトをするつもりはこれっぽっちもありませんでした。

 

 ついこの前拗ねたふりをして父親を困らせたのも、あくまで空気も読まずに鳳明のお菓子を自慢してきたからです。

 

 それが、まさか、こんなコトになるなんて──実は綺丹公主自身も隣で醜態を晒す父親のように、自分も頭を抱えて蹲りたい気分だったのです。

 

 

「──お待たせいたしました」

 

 

 だから厨房から声を掛けられたとき、この二人はまったく似たような行動を取ってしまいました。

 

 安釐王は即座に体を起こしてにこやかな笑顔を。

 

 綺丹公主もまた条件反射で表情筋を操作してうるわしい笑顔に。

 

 臣下の前で相応しい振る舞いを求められる長年の王族生活がもたらした弊害です。

 

 

「どうぞ。こちらがしっとりとした仕上がりの蛋糕面糊(いちごのショートケーキ)と、奶油冻(カスタードクリーム)を挟み込んだ焼き菓子になります」

 

「おっ、おお、見事なものじゃ。早速じゃ。頂戴させてもらうとしようぞ、丹よ」

 

 

 ──そうやって如何にも何かを誤魔化そうとしてくる父親が、この時ばかりは有り難かった。

 

 油断して鳳明様に目を向けてしまったら、先ほどのように醜態を晒してしまうから──。

 

 

「あっ……!!」

 

 

 ……その後の記憶は綺丹公主にはありませんでした。

 

 なまじ鳳明への思慕で頭がパンクしそうだったところに天上の美味に触れ、その素晴らしさを言語化しようとしたために脳が限界を超え、オーバーフローを余儀なくされてしまったのです。

 

 それでも気絶することなく鳳明のお菓子を完食して、受け答えもしっかりしていたというのですから大したものです。

 

 

 自室の寝台に身を投げ出し、ぼやりと天井を見上げた少女は次第に実感を取り戻していきました。

 

 粗相をしでかした自覚はありません。あるのは口の中に残る至福の名残りと、なぜか薔薇の花束を抱えた鳳明の幻影だけです。

 

 

「──藍、わたくし決めましたわ」

 

「はい? 何をお決めになられたのですか公主様?」

 

「わたくしはやはり、鳳明様の妻となるために生まれてきたのよ。だから、あの御方の妻となって、あの御方のやりたい事を支えてあげたい」

 

「それは公主様を鳳明様に嫁がせたいと、大王様が仰せに?」

 

「いいえ、でもお父様もきっとそのおつもりよ」

 

「左様でございますか」

 

「でも今はダメだわ。本当は今すぐ鳳明様の胸に飛び込んで行きたいけど、あの御方はとてもお忙しい。だからあの御方が進めている遷都が完了するまで待ちましょう。そうしたらわたくしも、鳳明様の妻として恥ずかしくない大人になってるでしょうし……」

 

 

 はやる気持ちをグッと堪える少女と、それを温かく見守る侍女でしたが、その日は彼女たちの想像もつかないほど早くやって来ました。

 

 

 ──それから半年あまりも過ぎれば、大粱における王宮の改築と重要インフラの施工が完了して。

 

 

「おお、丹よ。つい先ほど聞いた話によると、2日ほど前に大粱の王宮が完成したようじゃぞ」

 

「えっ、もう完成したのですか!?」

 

「うむうむ。我が異母弟と鳳明が頑張ってくれたらしくてな、そなたも向こうに引っ越す準備を進めるのだぞ」

 

「気が早いですよ兄さん。内装はまだこれからですし、今は新たな市街地となる港湾都市の建設で手がいっぱいです」

 

「なんじゃ、つまらん。この兄にぬか喜びをさせおってからに……」

 

「……ああ、吃驚しましたわ。あまり脅かさないでくださいまし」

 

「まぁ来年の春には首都機能の移転を始めますから、もう少しの辛抱ですよ」

 

「えっ、そんなに早いの……?」

 

 

 思わず絶句した綺丹公主は、この時ほど空気を読まずに歓喜する父親を疎ましく思ったことはないそうな……。

 

 

 それから夏も終わり、史上空前の豊作に魏国全体が慣れ始め、短い冬が終わった頃、綺丹公主は新たなる王都の城門を潜りました。

 

 

「これは──」

 

 

 言葉が無いと言うよりも、それを正確に言い表す言語が中華にはまだ無かったと言うべきでしょう。

 

 綺丹公主はここに来るまでに三つの城門を潜りました。

 

 将来的な拡張を見越して、あらかじめ建造された三重防壁──その内側には、例えば公衆浴場があります。上下水道が完備されています。汚水を黄河に垂れ流さないための下水処理場があります。今まで中華の誰も見たことがない港湾施設があります。木製ながらクレーンのような重機もあります。端から端まで綺麗に舗装された石畳の敷地が広がっています。今はまだ旧・大粱の北側から黄河に隣接する地区に民家はありませんが、ここは丸ごと商業エリアになる予定だそうです。市街地の外側にある一つ目の城壁の向こうにある広大な敷地は、しばらく鳳明の農園に。二つ先は呉慶将軍の管理する軍の駐屯地に。そして丸ごと立て直されたという旧・大粱は──。

 

 

「すごい、すごいわ。なんて素敵なのかしら」

 

 

 鳳明が景観を重視したために遠くから見たら判りませんが、中に入ってしまえば一目瞭然。綺丹公主はかつてこれほどまでに清潔な厠を使用するのは初めてでした。

 

 美しい陶器製の便座に、わざわざこの為に製造されたという、絹も霞みそうなほど柔らかい紙……。

 

 

「……鳳明様」

 

 

 こんなところでも大好きな男の子の人柄を偲んでしまい、涙ぐむ綺丹公主でしたがまだ終わりではありません。

 

 王族などのやんごとのない方々がご利用あそばす浴場は、ちゃんと男女別に用意されており、サウナも完備。さらに贅沢にも専用の氷室には鳳明が指導した発泡酒(ビール)果汁(ジュース)がキンキンに冷やされており、早速ひとっ風呂浴びた安釐王と信陵君は酒杯を片手にゴキゲンでした。

 

 

「かァ〜〜〜〜ッ、いつ飲んでも鳳明酒は美味いが、今夜は格別じゃのぅ。そなたも良くやってくれたわい。儂はもう嬉しゅうて嬉しゅうて……」

 

「感謝は素直に受け取りますが、何でもかんでも鳳明の名前を付けるのは感心しませんよ、兄さん。あの子は奥ゆかしい性格をしてますからね。あまり褒めすぎますと裏に引っ込んでしまいがちで」

 

「相変わらずそなたはよう見とるのぅ。鳳明もなぁ、一時は丹の様子から即座に婚約させねばならんと思ったのに、まるで手を出す様子がないのじゃ。まさかとは思うが、鳳明は女子(おなご)に興味を持たん性質なのかのォ?」

 

「まさか。それにあの子はまだ10歳ですよ」

 

「10になれば十分であろう。儂もあれくらいの時は、年上の娘たちの服の下が気になって気になって……そうそう、いま入って来た娘のように、アレぐらいの成熟が一番の食べ頃だと……」

 

「……あ」

 

 

 そこにお入りあそばれた公主殿下は耳まで真っ赤になられ、迂闊にも愛娘の艶姿だと思わずスケベ面を晒してしまわれた安釐王は、おそらくは数日は消えないであろう紅葉を顔面にこさえてしまわれたそうな。

 

 ですが、間違えて女風呂を利用してしまった御二方を責めるのもあまり適切ではありません。

 

 似たような事例は市街地の公衆浴場でも頻発しているそうなので、これは時代が鳳明に追いついていないのでしょう。

 

 

 

 

 そしてさらに月日が過ぎ──遷都の進捗を知った昭王は、咸陽の王宮を揺るがすほどの怒号を放ちました。

 

 

「なんじゃとッ!? もう魏国の遷都は完了したというのかッッ!!」

 

「……まだすべての工事が終わったわけではないそうです。ただ俄かには信じられませんが、全戸に飲料水が引かれ、糞尿なども地下にある水路に流す設備があり、それらを処理する施設も完成していると」

 

 

 (いか)れる昭王を前に平静ではいられず、腹心の范雎は額の汗を拭いながら自身の知るかぎりの情報を吐き出しました。

 

 

「その辺は眉唾物であろうが、通常の遷都はこんな短期間で完了するものなのか? 白起に追われ、這う這うの体で逃げ出した楚とは違うのだぞ?」

 

「は、はい。臣も最短で5年はかかると見積もっていたのですが、魏は今回の遷都に軍民200万というふざけた数の人夫を動員して……」

 

「……200万だと?」

 

 

 さすがに絶句した昭王に、風向きの変化を感じ取った范雎はさらに畳みかけます。

 

 

「他にも建材を規格化して、現地では組み立てるだけの工法を取り入れただの、とにかくこれまでの常識では考えられない情報ばかり上がってきて、ご報告が遅れたのも裏を取るのに手間取りまして……」

 

「ああ、わかったわかった。儂もそなたが己の不利に働く報告を差し止めていたなどと疑っておらんわ」

 

 

 これは不機嫌というよりも、振り上げた拳の落とし所を間違えたことを恥じておられるのでしょう。ドカリと不機嫌そうに腰を落とした昭王でしたが、范雎に向ける視線は少しだけ申し訳なさそうでした。

 

 

「とにかく、魏の新王都がいまだに未完成ながら実用段階にあるのはわかったが、他の点はどうだ。例えばそれだけの無理をしたのだ。国庫は急な出兵には耐えられないのではないか?」

 

「その点はどうでしょう……昭王もご存知のように、あの国は3年連続で未曾有の豊作でありまして……」

 

「…………」

 

「今年もどうやら例年に漏れず、担当者はもはや偶発的な要因などではなく、それほどまでに鳳明式の農法が画期的だと判断しております」

 

「…………」

 

「さらに昨年辺りから、より市場価値の高い作物を出荷するようになっておりますし、どうやら秘密裏に韓を援助する余裕もあるらしく、とても経済的に苦しいとは」

 

「……そうか。韓の善戦はてっきり洛亜完なる若手の手柄だと思ったが、今の魏にそれだけの余裕があるとなると、ここは王齕を退かせた方が賢明だな」

 

 

 長い沈黙を破った昭王が肺の中を空にするほどの溜め息を吐き、そして短い沈黙の後に確認しました。

 

 

「して、新たなる王都の名は? 今まで通り大粱で良いのか?」

 

「いえ、それが──」

 

 

 

 

 

 そしてさらに冬を越し、遷都の実行から三年目の春に、鳳明たちは廃都となった安邑の住民たちと一緒に新たなる王都の城門を潜ったのです。

 

 

「……うん。僕もこの街を見るのは初めてだけど、やっぱりすごいなこの国の人たちは。限られた道具しかないのにこんな街を作ってしまうなんて」

 

 

 新たな王都を一望した鳳明が口にしたのは紛れもない彼の本心でした。

 

 

 たしかに鳳明はこの街の設計を行いました。しかし警備上の問題があったために建設には関われませんでした。

 

 だから不安でした。本当にちゃんと造れるのかなと。

 

 だが、それらすべては杞憂でした。

 

 呉鳳明は自己の浅はかさを痛感するとともに、深く感動しました。

 

 

 戦国時代の武将たちは驚くほど短期間で築城を行ったといい、江戸幕府は複雑に入り乱れた河川を整備して現在の形にしたといいますが、そうした話を聞くたびに鳳明は感動するのです。

 

 なんの重機もなく、すべてが人力だった時代によくぞそこまで、と……。

 

 

 鳳明に偏見と呼べるものはありません。この時代の人たちを心のどこかで下に見ていたということは絶対にあり得ません。

 

 だがやはり、かつての常識に囚われていたところがあったのでしょう。それが正当な評価の邪魔になりました。

 

 

 ……しかし、今の鳳明は自由です。

 

 彼の元で熱心に学んだ若い文官たち。家族や街の人と触れ合う時間の中で、自然と新しい常識が再構築されていきました。

 

 この国の人々が鳳明から学んだように、鳳明もまたこの国の人たちから学んだのです。

 

 

「本当にすごいわね兄様。龍譚も見て。向こうに花壇もあるわ。桜の木も。なんて素敵なのかしら。こんな街で暮らせるなんて」

 

「ちょっと危ないよ姉様。そんなにフラフラしちゃ通行の邪魔だよ」

 

 

 鳳明も今年で11歳。玲麟も10歳。あんなに小さかった龍譚も7歳になりました。

 

 時の流れを実感した鳳明は大きくなった家族に微笑み、自分の家は何処かと探しに行きそうな妹に声を掛けるのでした。

 

 

「そっちじゃない。父様の新しいお屋敷はもっと向こう。王宮の近くだよ」

 

「えっ!? まだあんなに遠いの……?」

 

「ああもうっ、遊んでないで戻ってきてよ。こんなんじゃ後ろで街の人たちを案内してる爺やに顔向できないよ」

 

「なんでアンタがわたしの引率役なのよ。普通逆でしょ? まったく、日に日に口煩くなってくるんだから……」

 

 

 そして時の流れは平等です。この二年あまりで成長したのは呉家の子供達だけではありません。

 

 

「──鳳明様ッ!!」

 

 

 その声に振り向いて現れるのは侍女を振り切って飛び込んでくる綺丹公主でした。

 

 

「うわっ、危ないよ」

 

 

 鳳明は公主殿下を受け止め損ねるという失態こそ犯しませんでしたが、互いの身体に触れ合うのは避けられませんでした。

 

 鳳明が綺丹公主とお会いするのも半年ぶりならば、彼女の身体に触れるのはこれが初めて。男とは根本的に異なる柔らかな感触を意識してしまって、女性に免疫のない少年は顔が熱くなるのを避けられませんでした。

 

 

「……どちら様?」

 

 

 そんな兄の醜態に機嫌が暴落した玲麟が尖った声を出してしまいましたが、これは鳳明に窘められる前に龍譚によって叱られてしまいます。

 

 

「失礼だよ姉様。お久しぶりです綺丹公主。一瞥以来お変わりなく」

 

「えっ、公主様……って、なんでアンタが知ってんのよ!?」

 

「そりゃ知ってるよ。兄様の手伝いで登城したときに何度かお会いしてるし」

 

「ええ、久しぶりね龍譚。しばらく見ないうちにまた大きくなったわね」

 

「ホントですか、ありがとうございます。僕、早く大きくなってもっと兄様や父様のお役に立ちたいから嬉しいです」

 

「…………」

 

 

 まさか家中を取り仕切っているうちに弟まで籠絡されていようとは……なんとも遣る瀬ない気持ちになった玲麟だが、一部で勃発するかと危惧された女のバトルは、綺丹公主が行き場のない少女に微笑みかけただけで決着しました。

 

「こんにちは」

 

「こ、こんにちは」

 

「いえ、初めましてね玲麟。貴女の話は鳳明様から聞いているわ。……ご機嫌よう。(わたくし)の名前は綺丹公主。この魏国を治める安釐王の娘で、貴女のお兄様である鳳明様の婚約者よ」

 

「えっ!?」

 

「だ、だから丹。その話、僕は誰からも聞いてないって……」

 

「うふふ、そうでしたわね。まだ正式に婚約していないから、せいぜい情婦かしらね?」

 

「じょ、情婦ですって!!」

 

 

 そこで今の話は冗談だとばかりに可愛らしく舌をお出しあそばれた公主様は、鳳明が余計な訂正をする前に心地良い抱擁から抜け出して燕のように身を翻し、ようやく追いついてきた侍女が叱責の言葉を放つのも無視してこう口になされました。

 

 

「さて、いけずな鳳明様を揶揄うのはこれくらいにして……ようこそ魏の新たなる王都。黄河の恵みと人々の運命が交差する街・開封へ」

 

 

 開封──それが新たなる魏国の王都であり、呉鳳明が後世に遺した最大の遺産。

 

 

「今の口上を覚えておいて損はなくってよ? だってこの街の名付け親は鳳明様だもの。きっと私達の名前と一緒に史に刻まれるわ」

 

 

 ……はたして本当にそうなるでしょうか?

 

 少しだけ前屈みになり、漢服の前を直す鳳明の姿に、少しだけ兄を尊敬する気持ちが目減りする玲麟でした……。

 

 

 

 

 

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