天下の大宰相・呉鳳明伝   作:後世の歴史家

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幕間『それぞれの役割、其の弐』

 

 

 

 開封の王宮にある武官達の離宮に続々と運び込まれるモノがあります。

 

 それは一片を一里(約4km)の想定で、実際の地形を忠実に再現した立体模型の台座です。

 

 かつては開封周辺の四方三里に留まっていたそれが、今ではざっと魏国領内の約三割に。遷都の忙しい時期にこんな物を作っていたら、前宰相の蕭阿に嫌味をいわれますとも。

 

 

 しかし、この場にそのことを責める武官はおりません。

 

 彼らは魏国全土の立体地図を完成させるよう依頼した霊鳳を、心の中でむしろ称賛すらしていました。

 

 製作者である鳳明の負担を(おもんぱか)って、決して口には致しませんが……。

 

 

「これより机上演習を開始する」

 

 

 (まか)り間違っても他国の間者に奪われてはならない国家機密の前で、魏軍最高司令官に就任した呉慶が厳かに言葉を発します。

 

 

「皆も知っての通り、此度の机上演習は龍譚の軍事適性を測るものだ。よって、布陣する戦場の選別は龍譚に委ねる。……焦ることはない。龍譚よ。兄の作った実際の地形をよく見て、お前が有利と思う場所に布陣しなさい」

 

「はい。格別の配慮をありがとうございます、軍司令。ですがもう一つ宜しいですか?」

 

「なんだ?」

 

「季節は雨季の想定でお願いします」

 

「……よかろう」

 

 

 配慮を滲ませる呉慶の言葉に、まだ8歳の子供に過ぎない龍譚はしかし、見事に公私の区別をつけて返答しました。

 

 これには『さすがは呉慶様の御子息。さすがは鳳明様の弟君』という強烈な認知バイアスに囚われた呉慶配下の有力武将を感涙させ、皮肉屋の霊鳳を呆れさせます。

 

 

「……大丈夫かコイツら。わざと負けたら龍譚の適性を測るも何もあったものではないぞ」

 

 

 思わず嘆いてしまった霊鳳ですが、彼と長年の盟友である紫伯には異なる見解があるようでした。

 

 

「いや、その点は大丈夫だろう。龍譚様の仮想敵主はあの男だ」

 

「ああ、あの男か」

 

 

 友に応じた霊鳳が嘲るような視線を向けた先にいるのは、呉慶軍の副将を務める知将宮元(きゅうげん)──。

 

 戦場に軍略以外の要素を持ち込むことを殊更(きら)うこの男ならば、たしかに公私を厳しく峻別して事にあたるでしょう。

 

 

「──軍司令」

 

 

 やがて地形の把握が完了したのでしょう。精巧極まる立体地図から顔を上げた龍譚は、とある山岳地帯を指差してきました。

 

 

「私はこの場所に軍を展開させとうございます」

 

「わかった。ただちに盤面を用意しろ」

 

 

 呉慶の命令により、前時代的な地形が描かれた木板が組み合わされて盤面が作られますが、ここで龍譚から注文が入ります。

 

 

「すみません、もっと広く……こちらの黄河が流れる山々まで再現していただけますか?」

 

「……言われた通りにしてやれ」

 

 

 一度は驚いた武官達もただちに軍司令の指示に従いますが、なるほど……いかな机上演習とて、初陣前に山岳戦。そしてこの広大な盤面。龍譚様は大丈夫だろうかと心配にもなるでしょう。

 

 

「よし、互いの兵力は10万。兵種の選択は自由とする。己の思うままに軍を展開するがいい」

 

「はい、軍司令」

 

 

 父に答えた龍譚は敵手を務める宮元の出方を見定めることなく、次々と兵を配置していきますが、その内容は歴戦の武将達を不安にさせるものでした。

 

 

「これは……」

 

 

 渓谷を見下ろす丘の上に自陣を構えたのはいい。むしろ定石通りです。

 

 山中での機動力を重視してか、歩兵に鎧ではなく盾を持たせたのもいい。弓兵を多めに配置したのもいいでしょう。

 

 しかし2万もの工兵をあんな遠方の山々に配置して何をしようというか。これでは実質8万対10万だぞ──彼らの焦燥はそのようなものでした。

 

 

 これに対して宮元は龍譚に勝たせてやりたいという私情を排して、8万もの重装歩兵を選択。渓谷を挟んで龍譚軍6万の軽装歩兵を威圧します。

 

 

 ……これは早くも決まってしまわれたか。

 

 そんな諦めムードの漂う中、判定役の霊鳳が号令をかけて異例の机上演習は開始されました。

 

 

 そうして始まった机上演習は、語弊を恐れず言ってしまえばターン制戦略シミュレーションのようなものでした。

 

 先手の龍譚がすべての駒を動かし終わったら後手の宮元も駒を進め、互いの手番終了時に駒の隣接が生じていたら、判定役の霊鳳が現実に即した損害を計算します。

 

 

 龍譚の軽装歩兵は果敢に丘を駆け下りて宮元の丘に攻め込みますが、数と防御に勝る重装歩兵に阻まれて苦しい戦況です。

 

 やがて霊鳳からこれ以上の継戦を選択するなら、歩兵の駒を一つ減らすよう選択を迫られた龍譚は後退を選択しますが、宮元は重装歩兵をさらに進めてさらに押し込みます。

 

 そうして宮元の重装歩兵が渓谷一帯を占拠し、止めとばかりに1万の騎兵を動かしたところで、父親に微笑みかけた龍譚が対戦相手に一礼しました。

 

 

「対戦ありがとうございました」

 

 

 やはり及ばなかったか──そう落胆しかけた武官達が次の瞬間に驚愕します。

 

 

「うむ。この対戦は龍譚の勝利だ」

 

「『えっ!?』」

 

 

 狼狽する武官達の姿に、霊鳳はやはり龍譚の意図に気付かなかったかと笑いました。

 

 

「俺も総司令の裁定に同意だ。演習用の盤面ではなく鳳明の作った実際の地形を見てみろ。季節は雨季。そして2万もの工兵が手を加えれば、格段に水位の上がった黄河の流れを渓谷に導くのは容易であろう」

 

「『あっ!?』」

 

 

 その発想はなかったとばかりに頭を叩く同僚達の中で、霊鳳の説明に納得した宮元は潔く敗北を認めました。

 

 

「お見事な勝利です、龍譚様。この宮元、心より感服いたしました」

 

「すみません、こういうのは反則だと思ったのですが、兄様ならこれぐらいやるだろうなって思ったら、つい……」

 

「なんのなんの。実際の戦場に禁じ手などございませんし、龍譚様に鳳明様の自由な発想が受け継がれていると知れたのは格別の喜びです。どうやらこの宮元。いつの間にやら盤面の出来事がすべてと錯覚していたようだと猛省する次第でありますれば。この老耄の蒙を啓いていただき感謝に堪えませんが、次こそはもう少し食い下がってご覧に入れますぞ」

 

 

 ……そうだ、宮元の言う通りだ。我らは何を見ていたのだ。

 

 鳳明様が斯様に見事な地図を完成させようとしておられるのに、我らがその真価を見落とすようでは、あまりにも情けない……。

 

 

 そう悔悟する呉慶配下の有力武将たちを皮肉たっぷりに見やって、「この様子なら今後に期待できるか」と呟いた霊鳳ですが、無論、理解して言っています。今の対局は龍譚がすごかったのです。

 

 

 現実に地形をこうも巧みに活用できる武将は多くなく、そうであるからこそ彼らはこう呼ばれるのです。

 

 

「……名将の器か」

 

「どうかな。机上で上手くいったからって実際にそれができる保証はない。だがお前は鼻が高かろう。龍譚は間違いなく鳳明の弟だ」

 

「…………」

 

 

 呉慶は霊鳳の軽口に付き合いませんでしたが、これは別に自分の子だと言われなかったことに拗ねているわけではありません。彼は感動していたのです。

 

 

 鳳明の台頭によって(ふる)い常識は次々と塗り替えられ、時勢の変化を読み損ねた者は容赦なく淘汰されていった。

 

 それは戦場も例外ではない。今はいいが、自分もやがて淘汰される日を迎えるだろうが、案ずることは何もないのだ。

 

 魏国の若い文官達が意地にかけて食らいついていったように、この龍譚もまた偉大なる兄の背中を見失うまいと日々変わりつつある。

 

 人はそれを成長と呼ぶが、我らとて変わることを恐れねばまだまだ伸びるのだ。

 

 例えば鳳明の人生を見届けんとする霊鳳のように、例えば龍譚に足元を掬われたことを反省する宮元のように──鳳明よ。そなたは戦乱に倦み疲れたこの時代のまさに救い手だ。

 

 

「ところで随分と慌ただしく出立したが、叔父貴と鳳明も今頃は舟の上か」

 

「……いや、風を受けたあの舟は恐ろしく速い。そろそろ斉に到着していてもおかしくない」

 

「これまた常識外な……鳳明も軍事の常識まで塗り替えるのは勘弁してもらいたいものだな。敗者どもの恨み節が聞こえてきそうだ」

 

 

 その鳳明は交渉のため斉に向かっている。

 

 中華の生命線たる黄河とその支流を三国共同で整備して、事実上支配するための大事な交渉だ。

 

 これが成れば軍事の常識はまた塗り替えられる。

 

 我も遅れまいぞ──魏国の武を担う呉慶将軍はそのように決意し、家族のいる魏国を守り抜く決意をあらためて固めるのでした。

 

 

 

 

 

 ……外交儀礼とはなんだったのか。手ずから設計した船に乗り込んだ鳳明はつい昨日の会話を思い出して首を捻っていました。

 

 その隣で黄昏る信陵君にも言い分があります。こんなの予測できるかと。

 

 何しろ斉より派遣された使者が携えた親書には「さっさと来いマヌケ」と書いてあったのです。

 

 

 外交儀礼もへったくれもあったものではありませんが、首脳会談による早期決着を望む鳳明を諌めてきた信陵君としては見事に面目を潰された形です。黄昏もします。

 

 ですが信陵君の評価を見直すという発想を持たない鳳明は、無礼極まる書状を送りつけてきた相手にむしろ好奇心を刺激されたようです。

 

 

 鳳明は自身と父親の恩人を気遣ってだいぶ遠慮していましたが、やがてこう切り出して交渉相手の人柄を尋ねました。

 

 

「信陵君、王建王とはどういった人物なのでしょうか」

 

「……ふぅ。一概には言えんが、そうだな」

 

 

 信陵君も鳳明に遠慮させているのは気付いていたので、その溜め息を最後にいつもの調子で答えました。

 

 

「少なくとも私の常識では測れない人物かな。君とはまた別の意味でね」

 

 

 これは別に当てつけではありません。先の書状で判明したように、王建王は鳳明とは別の意味で何をするか判らない怖さがあると理解したのです。

 

 

「君も歴史を学んでいるだろうから知っているだろうが、斉は燕の楽毅によって滅亡の寸前まで追い込まれたことがある。国内のすべての城を落とされ、当時の王都であった臨淄すら放棄して莒に逃げ込み……王建王はその絶望の中で育てられた」

 

「はい、僕もそのように聞いています」

 

「私は今まで金に汚いだの、奇行持ちだの、そうした風評を耳にして彼を知った気になっていたが……手強い相手だ。心してかかれよ。むろん私も力になる」

 

「はいっ!!」

 

 

 そうだ、それでいい。信陵君は鳳明の屈託のない笑顔に勇気づけられる思いでした。

 

 自分はまんまと先入観に足を掬われてしまったが、この子にその手の偏見はありません。

 

 きっと正しく王建王を見定めてこちらに引き入れてくれると。

 

 

 そう信じてやまない信陵君でしたが、どうやら彼はまだまだ王建王を見誤っていたみたいです。

 

 

「ニュフ。ニョホホ。ようやく来たかマヌケどもめ」

 

 

 なんと黄河を一望する小高い丘の上に陣取って、王建王はその舟を視線で捉えていたのです。

 

 

「だが上出来だ。厳重に管理された開封の港で、人目に付かず建造したアレを持ち出してきたということは、どうやら本気でオレと交渉する気があるようだな」

 

 

 何故か蛇を咥えた王建王は、その端正な顔に浮かんだ邪悪な笑みを一層濃くして振り返りました。

 

 

「目的は果たした。貴様らはあのマヌケどもを港まで迎えに行ってやれ。他の者はオレと帰還だ。歓迎の準備にかかるぞ」

 

 

 

 

 

 秦の王都・咸陽の王宮にある謁見の間にて、玉座におわす昭王が熱心に見つめるのは中華全土が描かれた盤面でした。

 

 数えきれないほどの駒が配置された盤面を睨み、不要な駒を撤去した昭王がやがて自国の不利を認めます。

 

 

「……ふむ。いかんなこいつは。やはり韓を押しきれなかったのが痛かったか」

 

 

 当初の予定では、楚の王都・郢を陥とした白起をさらに東へ進める計画でした。

 

 楚軍総大将の項燕は健気な抵抗を続けていましたが、白起ならば遠からず撃退して惨めな遷都先も陥していたでしょう。

 

 しかし魏の後援を受けた韓が予想以上に抵抗しため、白起の突出に危機感を覚えた昭王はこれを断念。楚の春信君が提案した講和を受け入れ、韓を攻めた王齕ともども白起を退かせました。

 

 王都を陥され国土の半分を奪われた挙句、多額の献金を行なって「白起将軍を退かせてくださって有り難うございます」と言うしかない楚はまことに哀れではありますが、その程度では溜飲が下がらないほどの戦略的後退に、昭王は思案を余儀なくされました。

 

 

 ……ですがいくら考えても妙案は出ず。

 

 困り果てた昭王は腹心に振り返りました。

 

 

「范雎よ、開封の様子はどうだ?」

 

「ハッ、ご報告します」

 

 

 ただちに主君の下問に答える范雎でしたが、もちろん余計な事は言いません。

 

 韓の公子が農業に精を出しているだとか、開封のメシが死ぬほど美味いだとか、日々の生活が快適すぎて帰国したくないだとか、開封の王宮には実際の地形を切り取ったとしか思えない立体地図があるだとか、港に隠された巨大な黒船を見ただとか、そんな真偽不明の報告を上げたところで今の昭王にはノイズにしかなりません。情報の取捨選択も彼の裁量の範囲内です。

 

 だから范雎は簡潔にこれだけを報告しました。

 

 

「これは確認の取れてない報告になりますが、どうやら呉鳳明は信陵君をともなって斉に向かったようです」

 

「斉だと? よもやあの狂王と交渉の席を持つつもりか?」

 

「おそらくは……ただ内容に関してはこれから精査するところで」

 

「ふぅむ? 斉、斉か……」

 

 

 昭王の落ち窪んだ眼窩が、ジッとその場所を見つめます。

 

 開封の立地と、過剰なまでの港湾施設が頭の中で結びつき、昭王は半信半疑といった口調でそれを口にしました。

 

 

「もしや鳳明は、国を挙げて斉との交易を……いや駄目だ。それでは投資に見合わぬ。となると、だ……」

 

 

 (かぶり)を振った昭王はさらに思索を進めます。

 

 民間の商人に任せていた各都市との交易を国家主導で行う。これはいい。

 

 だが斉との間だけでは不十分だ。どうせやるなら趙や韓も巻き込むべきだ。

 

 何しろ中華を蛇行する黄河は数えきれないほどの支流を持っているのだから。

 

 

 ……だが、これをやるには運河の整備が不可欠である。

 

 場合によっては川の流れに手を加える必要もでてくる。

 

 

 しかし、それは危険な試みだ。

 

 あの大河は小賢しい人間どもの思惑など歯牙にも掛けぬ。

 

 些細な慢心から、開封が海の藻屑となることも十分にあり得る……。

 

 

「……なるほどな」

 

 

 ニヤリと快心の笑みを閃かせた昭王は腹心に命じました。

 

 

「決めたぞ范雎。次は趙を攻める」

 

「ハハッ」

 

「まずはその前哨戦よ。王騎と摎に軍を北に進めるように伝えるのだ」

 

 

 昭王の皺だらけの指に掴まれた二つの駒が盤面に投じられます。

 

 置かれた場所は馬陽、そして長平と記されてありました。

 

 自他ともに認める覇権国家である秦と、それを退ける唯一の力を持つ趙との激突はこうして決定されました……。

 

 

 

 

 







なお武神は開封でメシを食ってるので本作には登場しません。

なんで出禁にしたのかって?

そんなの綺麗なお姉さんに揶揄われて赤くなる呉兄弟を描きたいからに決まってますがな。


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