「月が綺麗ですね」
「え?そうなの?」
女がぽつりと呟いた言葉に対して、隣の男は何とも風情の無い言葉を返したものだ。
「いやその、そうじゃなくて……」
「だって月が綺麗かどうかなんて、ここからじゃ分かんないじゃないか」
「だからそれは……はぁ、もう良いや」
「え、どうしたのさ?」
「もう良いもん!知らない!」
「ちょっと、どこ行くんだよ!おい——」
男の様子にほとほと呆れた女は怒りからか、或いは羞恥からかそっぽを向いて走り去り、乙女心の分からない男は戸惑いながらもそれを追いかけて行く。傍から見ればちょっとした喜劇だ。
だがしかし、男の反応はある意味仕方ない事だ。男にとって月は鑑賞の対象ではない。それは勿論女の方もそうで、ただ彼女の方が彼より少し物を知っていたと言うだけ。
かの文豪が愛の告白を『月が綺麗ですね』と訳した、とは有名な俗説だが、こと現代においてその事象を拝むのは稀な事となり、その文字列だけが時折別の意味を含んで使われる事となった。
そう二人にとって……いや、今を生きる人類にとって、月とは見るものではない。
何故なら彼らが住まうここ。この大地こそ、地球の周囲を公転する衛星。即ち月であるからである。人類にとって月とは観るものではなく、棲むものに変わったのだ。
この世界における人類最大の罪、それは自らの母星を破壊してしまった事と言えるだろう。
大気汚染。オゾン層の破壊。過度の森林伐採。水質汚染。分解されない物質の不法投棄。これらを始めとしたあらゆる分野、方法でかつての人類は自らの住まう地球を汚し続けた。その汚染は止まる所を知らず、遂に地球は、およそ生物の居住可能な星とは言えなくなってしまった。
当然人類は生存の道を模索した。そして出した結論は今いる地球を捨て、かねてより計画していた月への移住計画を惑星単位で行う事だった。かつて人々が新天地を求め海に出たのと同じ様に、星の海を渡った大航海は無事に成功。母星を離れる事を選んだ人類は、ほんの小さな衛星である月へと皆移り住んだ。これが現在からおよそ200年前、2064年の事である。
それからの200年、人類は地球にしたのと同じ様に月を開拓した。月面を覆う保護膜を作り上げた人類はその中を地球のものを再現した大気で充満させ、自らの住処を築き上げた。不毛の地であった月を、人類の住みよい環境へと整えていった。
こうした先人達の涙ぐましい努力によって、今も人類は生存を許されている。棲む場所が違えど、相も変わらず人類は限りある資源を搾取し繁栄を持続させようとしている。
果たしてそれは、許される事なのか。
『自分』は暗闇の中にいた。
心地良い冷たさの中で、『自分』は確かに息づいていた。水の中にいる様な、いやそれとは少し違う気もする様な、柔らかな停滞に『自分』の存在が感じられた。
だがそれはもう僅かな間の話で、もうすぐ目覚めないといけない。
『自分』にはやるべき事がある、と分かっている。そのために『自分』は産まれたし、『自分』もそうするべきだと思う。それは必ず、この世界に必要な事なのだから。
あれ。
それって何だっけ。
『自分』は何をしなければいけなかったんだろう?と言うか、ここはどこなんだろう?さっきまでちゃんと覚えていたはずなのに、急に思い出せなくなる。
『自分』は一体なにで、何のために産まれたのだっけ。
何で急に忘れてしまったのだろう。
あれ。
『自分』はさっきまで何を考えていたんだっけ。
何か大事な事を考えていたはずなのに、何だったか思い出せない。
『自分』と外が曖昧になって、『自分』が『自分』じゃなくなる様な、妙な感覚がする。『自分』と言う意識が薄れていって、暗闇に溶けていく様な……。
そして光が差して——。
停滞は終わり、針は動き始める。
既に『あの子』の姿は無く、しかし私は分かっている。『あの子』ならきっと、ちゃんと役目を果たしてくると。
その時『あの子』が何を思うか、今から楽しみだ。
この星には、本当の昼は無い。
私達人類は空気が無いと生きていけない。昔の月にはそんなもの無かったらしいから、昔の人達は地面に柱を幾つも建てて、それを支えに月を丸ごとドームで覆ってしまった。空気が充満したそのドームの中で、私達は生活している。
さっき言った通り、私達の頭上は常にドームで覆われている。ドームの向こう側はいつでも星空で、でもちゃんとこの世界には朝も昼も夕方もある。それらは全部、ドームに映された幻でしかない。しかし夜の時間帯に見えるこの星空だけは、ドーム越しではあるけど本物だって聞いた。
この本物の輝きが、私は好きだ。
星が瞬くこんな夜。祈れば願いが叶いそうな夜に、一人で街を出る。本物の星空を見るためには、街の光は邪魔過ぎるのだ。『獣』が出るから危ないと言われるかもしれないけど、そんな事言われたって『獣』が出て危ないのは街でも同じだし多少のリスクがなんだ。そんな事気にするくらいなら今時望遠鏡なんて古臭いもの買ってない。
今日もそれを背負って、小高い山にある広場までえっちらおっちら歩いてきた。
お気に入りのポイントに望遠鏡を立てて、覗き込む。別に天文部に入ってたり記録を取ったりしている訳ではないので位置は大体だ。そして今日も何を観るよりも早く、一番お気に入りの星を見つける。青く輝くそれは眩しいけど、他の何よりも遠くに見える気がする。
私はこの星の名前を知らない。少なくとも学校では習わなかった。勿論今時調べればすぐ専門的な事まで分かるんだろうけど、でも知らないままでも良いかなと思っている。知ってしまうと星に感じている神秘的な何かが消えてしまう様な気がする。要は風情と言うやつだ。
あれは何の星座に入った何と言う星なんだろう。そもそも星座の一部なのだろうか。そう言った人の考えた肩書きは知らないけど、でもこの輝きは確かに本物だから、私はそれを見ている。
今日もいつも通り、綺麗だった。
1時間半くらい見て満足した私はいつも通り、街灯も無い暗い細道を一人歩いていた。そして帰って、お風呂入って、ご飯食べて、宿題せずにだらだらして寝る。そう言ういつも通りの一日を過ごす。
はずだったんだけどなぁ……。
「何あれ……?」
茶色と緑と黒で構成されている世界に、急に白が混じった。目を凝らして見るとどうやら布の様だった。その白い布が、丁度成人男性くらいの何かを覆っていて、と言うかどう見ても人が倒れている様にしか見えないと言うか……。
って。
「人じゃん……」
上下白い服を着た人が道のど真ん中に倒れていた。白い髪が流れる頭は向こうを向いていて顔つきは分からない。体つきからして男なんだろうなと思うけど。
で、どうする?
いやいや、どうするも何も。
「触らぬ神にーってやつ?」
明らかに不審だし、不可解だし、アンタッチャブりたい。て言うかそうする方が絶対良い。
この辺幅狭いから車通れないし、ほっといても大丈夫でしょ……。関わったらめんどくさそうだし。
「失礼しまーす……」
気持ち良さそうに(顔は見えていないが)倒れている横を、抜き足差し足で通る。なるべく音を立てずに歩こうとしたけど、斜面に生えた草に望遠鏡が触れてかさかさと音を立てた。そしたら後ろでばさばさと羽音がして、カラスの声が木霊した。
その時だった。
「うひっ!?」
急に左足首を掴まれて、その強さと冷たさで思わず変な声が出た。
私の足首を掴んだものの正体は幽霊でも妖怪でもなければ一つしかなくて。
恐る恐る見下ろしてみれば、その正体は血色だけはやたらと良い手だった。倒れていた男が私の足をがっちり掴んで放さない。
そしてばっちり開いた黄色い目が私をガン見していた。
「ひいいいいいっ!?」
幽霊なのか人間なのか、もしくはそれ以外なのか。そんな事どうでも良い、いや考える余裕が無いくらい怖くて、下半身に力が入らなくなって尻もちをついた。私は小鹿みたいに震えて、それを見た男が顔を上げる。端正なのにどこか冷たさを覚える、そんな顔つきだった。
「あの……」
かすれた、低い声がした。私に呼び掛けている様だった。
「は、はいぃ……!」
「くすぐったいです」
「はいぃ……は?」
「くすぐったいです、手」
「……は?」
「く、くすぐったい……?じゃあ放してくれれば良いんじゃないですか!?ねえ、ねえ!?」
「あ、そっか……」
訴えられた通りに手を放す。女の子は半泣きになりながら、自分の体を抱き寄せた。
「あの……」
「は、はい!?まだ何か!?」
「えと……あなた、誰ですか?」
「私!?そ、それが人にものを聞く態度ですか!?自分から名乗るのがマナーじゃないんですか!?」
「そうなんだ……ええと」
まなー、とやららしいので、言われた通りにこちらから名乗る事にした、のだが。
出てこない。
口を開いても出すべき音が見つからない。
「え、なに?名前分かんないの?」
名前、もそうだ。名前は分からない。だけどその前に、『自分』を指し示す言葉が見つからないのだ。何度も胸を指差して言葉を紡ごうとするけど、何かが喉につっかえた様な音しか出てこない。
「なに?最初から言ってみる?僕の名前は?俺の名前は?それとも私の名前は?」
「ぼく……お、れ……」
おれ、じゃない。
僕だ。
「僕の、名前は……」
「ふんふん」
「……分からない」
「……ほんとに分かんない事あるんだ」
僕は僕だ。
だが僕は誰なんだ?何と言う名前なんだ?
と言うか……。
「ここは、どこ?」
「ミキマ山だけど……もしかして酔っ払い?」
「ヨッパライ?」
「名前まで分かんないのはちょっとなぁ……えー警察呼ぶ?でもなぁー……」
女の子が何を逡巡しているのかは分からないけど、少なくとも僕が彼女を困らせているのは分かった。
「ごめんなさい」
「え、何急に」
「だって、あなたが困ってるから」
「あー、まあ……ああー調子狂うー!」
女の子は突然大声を上げて頭を掻きむしったかと思うと、ぴたっと止まってため息をついた。
「な、なに……」
「もう……ほら立って、行くよ」
「え、どこへ?」
「私の家。取り敢えずね!……あ!言っとくけど、変な事したら承知しないからね!」
「変な事って……どんな事?」
「それはその、あんな事やこんな事や……って言わせんな馬鹿!」
「いてっ」
頭を叩かれた。痛い。
「兎に角、今日一晩くらいは泊めてあげるから。付いて来て」
ざくざくと落ち葉を踏み鳴らしながら歩き始めた彼女に置いて行かれないよう、立ち上がって歩く。
「泊めるって……寝泊まりするって事?」
「そう言う事。野宿じゃ寒いでしょ、感謝しなさい」
「ありがとう……あの」
「ん?」
「あなたの、名前なに?」
「あ、そう言や言ってなかった……
ミオか。ゲンエキバリバリノジェーケーと言うのは意味分からなかったけど、多分名前じゃない。
「ありがとう、ミオ」
「……いきなり呼び捨てとか、馴れ馴れし」
「え、ヨビステ……駄目だった?」
「別にぃー?」
そっぽを向いてしまったミオの顔は、良く見えなかったけど。
機嫌を悪くしている様には見えなかった。
月に建造された街。それらはかつて大陸や海が国を分け隔てていた様に、防壁によって区切られそれぞれが国家として独立している。
そんな世界に存在する、かつての日本人達が集まる日本ブロックにはこんな噂がある。
月で生まれた得体の知れない『獣』が、人々を襲う、と。
勿論、与太話だと一蹴する者が過半数だ。実際出回っている目撃情報の大部分は捏造であり、被害等は報道されたりしていないのだから。
しかし、極少数の情報が真実なのも、また事実なのである。
これまでに出た目撃情報や被害を政府はあの手この手で隠蔽してきたが、近々限界が来るらしい。最近『獣』達の活動が活発になっていて、早急に対策が必要なのだとか。
故に、天才科学者であるところのこの私が時間に追われてあくせく開発に勤しんでいる訳なのだが。
「ライト、例のものが完成したと聞いたが」
デスクに向かってキーボードを叩いていると、後ろからぶっきらぼうな声がかけられてげんなりしつつ振り返る。
「今日それを聞いてきたのは貴方で3人目よ」
「で、どうなんだ?」
「まだよ、完成したのはスーツだけで武装はゼロ。こんなので実戦配備するのは心許ないわ」
「だがスーツにも最低限の機能は——」
「それと、人にものを聞く時はもう少し敬意を払っていただきたいわ、ミスター・大宮?」
「む……」
防衛班のリーダーであるこの男、
「スーツにも最低限の機能はあるんだろう?ミス・ライト」
「そうね。でもそれだけじゃ、ムーンモンスターに対抗できるとは限らないのよ?」
「いいやできるさ、俺の部下ならな」
「随分自信がおありの様で」
「そりゃ勿論、俺が育てたんだからな」
自信満々と大宮は笑うが、私の見解は違う。多種多様な『獣』……ムーンモンスターと命名されたそれらに対抗するには、各種装備の力も必要となるだろう。
「それに、君は自分が創った装備では勝てないと、そう言いたいのかな?」
「馬鹿言わないで。そんな訳無いでしょ」
再びデスクに向かうがモニターではなくその向こう、ポットの中に格納されたスーツを見る。薄い紫のインナーの上に白銀に輝く鎧を纏う戦士……と言う触れ込み。
それは正しく。
「これは私達の、希望の光なんだから」
「……そうだな」
同意と同時に、大宮の端末にコールがあった。
「どうした……何だと!」
珍しく大宮が声を荒げている。それが何か良くない兆候である事を私は知っている。
「すぐに出動させろ!松村は俺が装備を持っていくまで待機だ!」
「持っていくって?まさか……」
「ライトさんよ、早速だが装備を持っていくぞ!」
通話を切った大宮は勝手に私の端末を操作する。ポットの中にあったスーツは消え、扉が開くと同時に大宮は中にあったベルト状の端末を掴む。
「ちょっと!まだ試運転もしていないのに!」
「そんなのぶっつけでやるしかないんだよ!良いな?持っていくからな?」
「ああもう、こっちに拒否権無いんでしょ!?」
「そう言うこった!じゃあまたな!」
慌ただしく出ていった大宮の背中を見て、私はため息をつく。
「頼むわよ、もう……」
「ほら、もうちょっと」
ミオに付いて山道を下って暫く、遂に光溢れる街が見え始めた。
「ここは……」
「ハナメグ区。覚えてない?」
「うーん……」
「覚えてないか。もしかしたら違う街から来たのかもね」
「他にも街があるの?」
「当ったり前じゃん、そんな事も忘れちゃったの?」
ほら行くよ、と手を引かれる。単なる肌の触れ合いじゃない、手と手が繋がる柔らかくて暖かい感覚に、痺れる様な衝撃を受ける。
草と土で覆われた柔らかい道は舗装された硬いそれに変わり、同時に周囲は『街』に一変する。さっきまで静かだったのが嘘みたいに騒々しく、眩しくてせわしない。情報の洪水だ。
「どうしたー?大丈夫?」
「気持ち悪い……」
「えー?やっぱ酔っ払いかなぁ」
「ちょっと、うるさくて」
「ふーん?人酔いとか?まあとっとと帰れって事ね」
手を引かれるままに、歩き出す。
だけど。
「っ……?」
頭が痛い。きーんと鳴っている。
「ちょっ、ほんとに大丈夫?」
「何か……」
「え?」
そして、確信する。
「何か、来る……!」
僕の視線の先で、衝撃が走る。
道路のど真ん中に、何か大きな灰色の丸い塊が落ちていた。突如降ってきたそれに、人々は騒めいて、逃げようともせずにそれを眺めている。
「駄目だ、早く——」
「ちょっと、どうしたのって——」
「逃げないと!危ない!」
「え……」
ミオが呆然とする向こうで、塊が動き始めていた。ひび割れたそれに腕と脚が現れ、そしてのっぺりとした、しかし眼だけは赤く獰猛に光る頭部が露わになる。それはまるで、人型の岩。
通行人達が呆然とそれを見る中、岩人間は咆哮した。恐ろしい猛々しさを孕んだ、獣の咆哮だった。
「不味い……」
これは、呼び声だ。
「逃げないと、早く!」
「え、ちょっと……」
ミオの手を引いて逃げようとする。しかし向かおうとした山の方から、幾つもの遠吠えが聞こえてくる。
「こっちだ!」
方向転換して街の方へと逃げる。予想通り山の方からは良くない気配が幾つも降りてきている。逃げる途中で振り返ると、岩人間と同じ眼をした獣がぞろぞろと山から来て、その場にいた人間を襲い始める所だった。
「何、あれ……」
「良いから、走るんだ!」
ミオは立ち止まってしまった。最初に会った時みたいに震えている。
仕方が無いから抱えて走り出す。ちらりと見たミオの目は、ずっと後ろの惨状を見ているようだった。
街は混乱していた。逃げ惑う人達で道はごった返して、乗り物もすっかり動かない。更に不味い事に、さっきの岩人間はこちらに向かって移動しているみたいだった。炎が立ち昇って、空から水が降り注いでいた。
「くっ……」
咄嗟に路地裏に隠れて息を殺す。しがみつくミオを放さないよう、力一杯に抱きしめる。
「頼む……」
お願いだから通り過ぎてくれ。
そんな願いも虚しく、頭上が揺れる。建物が崩れ、僕達のいる方に倒れてきている。
「いやあああああっ!」
悲鳴を上げるミオを抱えて間一髪で道に這い出る。さっきまで僕達がいた所が瓦礫に埋もれているのを見て呆然としていたが、地響きで我に返る。
岩人間は、すぐそこにいた。
それまで考えていた事が全部吹っ飛んで、そいつの息遣いだとか足踏みだとかにしか目が行かなくなって、弾ける水滴が全部見えるようで……。
突如、轟音が響いた。
たじろぐ岩人間と僕達の間に、誰かが割り込む。
それは人型の何かだった。薄紫の肌の上に銀の鎧を着けて、鈍い黒の細い筒の様な物を岩人間に向けている。
「銀の……人?」
「こちら松村、対象を確認。これより交戦に入る」
何事か呟いた銀の人が構えた筒の先端が火を噴く。そこから出た小さな何かが岩人間を撃っている様だ。でも岩人間は一つ吠えると、銀の人に向かって走り出した。
「効かないか……なら!」
銀の人は筒を捨て、構える。振り下ろされる拳をいなして、その勢いを使って岩人間を遠く投げ飛ばした。地面を弾むそれを追いかけ、立ち上がらぬ間に拳や蹴りを次々と撃つ。余りに速い動きで、目元と腰の白い光が線を描いていた。
岩人間が吹き飛ばされ、攻撃が止む。その瞬間に立ち上がった岩人間は強く地面を叩いた。僕達のいる所にまで伝わってくる程の大きな揺れが広がり、辺りの建物を揺らす。
そして揺れに耐えきれなくなった建物が根本から崩れ落ちる。運の悪い事に、僕達の真正面にある建物だった。
瓦礫の波が、物凄い速さで迫ってくる。
「危ない!」
逃げられないと思って目を瞑ると、声と共に強く抱き寄せられる。
轟音と衝撃が流れていった。不思議と痛みは感じない。
目を開けると、銀の人が僕達を見ていた。
「大丈夫か?」
銀の人が瓦礫から僕達を守ってくれたんだ。悟った僕は頷く。
ふぅと息を吐いた銀の人が立ち上がって。
そのお腹を、灰色の岩が貫いた。
「え……?」
引き抜かれたそれは、岩人間が伸ばした腕だった。
ゆっくりと倒れる銀の人。そのお腹から赤い水が……血が流れ出していく。銀の人が光ったかと思うと、その姿が青い服を着た男の人に変わった。口の端から血が垂れていて、荒い息を吐いている。
「あ……だ、だい……」
大丈夫じゃない。そんなの見て分かる。なんて声をかけたら良いのか分からなくて、僕は何も言えなかった。目元が熱い。流れるこれは、何?
そんな僕を、男の人はかっと目を開いて見た。
「男が……泣くんじゃねえよ……」
「え?」
「泣いてる暇があったら……その子連れて逃げろ……」
岩人間の唸り声が、どこかぼやけて聞こえる。
「逃げられないか……なら……戦え」
「たた、かう……?」
男の人は自分の腰に着いていた何かを外し、僕に差し出す。黒い光沢を放つベルトが、僕に選択を迫る。
「こいつを……
「ヘンシン?」
「いいか」
男の人が僕の肩を掴む。血に塗れた手が、水で洗い流されていく。
「お前がこの子を守るんだ……男なら、女の子の一人くらい守ってみせろ」
「それが、男?」
僕が聞き返すと、男の人は満足そうに笑った。
「それが分かってれば……良い……」
僕の肩に置かれていた手が、力を失くした。男の人は動かなくなってしまった。
降り注いでいた水が止んだ。僕の隣で、濡れそぼったミオの頬に、涙が流れていた。
この子を、守る。守らないと。
それが
立ち上がった男は前に進み出て、託されたベルトを腰に押し当てる。後ろで接続され、腰に固定されたそれの中心が、白く光り輝いた。
『月華 スタンバイ』
機械的な女性の声が響く。そしてベルトが、エネルギーの高まりと共に胎動する。
一度岩人間を見据えた男は目を瞑り、胸の前で拳を強く握る。息を吐き、そして覚悟を決めた。
「変身!」
男が光に手をかざし、放つ。
男がなぞったベルトに青いラインが現れ、白い光が黄に染まる。それは現代の人類がおよそ見る事の無い、満月の様な輝き。
『ジェネレート!』
音声が鳴ると同時に男の体をホログラムが覆う。青く輝いたそれは徐々に実体を持ち、月の鉱石で造られた鎧に姿を変える。
男の全身に薄紫のスーツが纏われ。
その上に白銀に輝く鎧が装着された。
青いラインが全身を走り、そして目元のバイザーも、男の目と同じ黄に発光する。
「これが……月華」
自分の腕を見て呟いた男の全身に力が漲る。新たな脅威を感知した岩人間が吠え、両腕を突き出す。先程一人を貫いたそれを、月華は跳んで躱す。伸ばされた腕の上を駆け、岩人間に跳び蹴りを喰らわす。
立ち上がった岩人間を衝撃が襲う。投げ棄てられたライフルを月華が拾い、岩人間に向かって発射する。だがダメージは微々たるもので、迫る岩人間の拳に対して月華は咄嗟にライフルで防御する。ひしゃげ、ねじ切られたライフルの先端が飛んで行く。
月華は蹴りを放って距離を取り、使い物にならなくなったライフルを投擲する。腕で防いだ岩人間は、視線を戻した時に視界から月華がいなくなっている事に気付く。そして一瞬の内に背後に回り込んだ月華の蹴りが、岩人間を横に薙ぐ。
体勢を立て直した岩人間が地面を叩く。隆起した岩の塊が月華に迫り、月華はそれを前に飛び越える。
「っ……!」
だが飛び越えた先に岩人間が待ち構えている。岩人間は腕を伸ばし、再び月華を貫こうとする。月華は空中で身体を捻り、寸での所でそれを躱す。体勢を整え、そのまま岩人間の頭部に脚で組み付いた。
「っ……たあっ!」
そして後ろに倒れる勢いのまま、後方に岩人間を蹴り飛ばす。吹き飛んだ岩人間が呻きながら立ち上がる間に、月華はベルトの光に手をかざし、スライドする。
『チャージ キック』
音声が鳴り、ベルトに蓄えられていたエネルギーが月華の右脚に集中する。
右脚を引き、助走をつけた月華は高く跳ぶ。空中で一回転し、右脚を突き出す。
「はああああっ!」
裂帛の気合と共に繰り出されたキックが、岩人間の胴を正面から撃った。
吹き飛ばされた岩人間は火花を散らし、そして爆発した。
炎が舞う中、月華の放つ光が一層暗闇を照らしていたのだった。
「ねえ、名前考えたんだけど」
岩人間を倒した後、僕はミオを背負って歩いていた。ミオの家は騒ぎのあった所から離れているから、多分無事だろうとの事だった。
「何の?」
「君の名前、だっていちいち『あなた』とか『君』って呼びづらいでしょ」
「そうなのかな……」
その感覚はいまいち分からない。だけど自分の名前を考えてくれた事が、何故だか嬉しく感じた。
「それで……なんて言う名前」
「ミツキ」
「みつき?」
「満ちる月って書いてミツキ。あなたの目、昔の満月みたいに綺麗だから……」
「そうなんだ……」
僕は誰?
僕はミツキ。ミオに名前を付けてもらった。
なんだか、にやけてしまう。
「ありがとう、ミオ」
「ま、まあ……どうも」
「ねえミオ」
「なに?」
「お腹空いた……」
「お腹……なんか食べに行くかー。お金ある?」
「オカネ……?」
「金知らんまじか……」
笑いながら、帰り道を歩く二人。
これは月で出会った、二人が描く物語。
最後まで見届けた時、彼がどんな答えを出すか。
今から楽しみでしょうがない。