——星の入りにて 君を待つ
すすきのはらに 風が吹く頃——
月が昇り、星が瞬く夜。
大社跡の広い芒野原に一頭のモンスターの亡骸があった。これは先ほどカムラの里のハンター志望の青年に討ち取られたアケノシルムであり、致命傷である喉元の穿たれた傷からはまだ温かい鮮血が静かに染み出している。
その周りではカムラの里から素材の回収の為に派遣された運搬アイルーたちが、事切れたモンスターの身体に縄を掛け、古びた空の荷台に引き揚げようとニャア、ニャアと掛け声を上げながら作業に励んでいた。
――その時、大社跡の芒野原に、強い一陣の風が吹いた。
餌を探しに草むらから出て来ていた狸獣たちは強い風に脚を取られ、転がり弾んでいく。
転んだ拍子に身体に溜め込んでいた狸獣の引火液が揮発し、あちこちで鬼火のように続け様に小さな爆発が起きた。
狸獣と共生している野生のアイルーたちは、狸獣の爆発に驚き、手に入れたばかりのつやつやの団栗を取り落とし一目散に草むらの中へ隠れて行った。
運搬アイルーたちは強風に煽られ、モンスターに掛けた縄が解けて体勢を崩し、ぽてぽてと尻もちをつき、打ち付けた尻を肉球で擦りながら立ち上がる。
——風が、禍々しくあった。
じっとりと湿った生暖かい風に、運搬アイルーたちはぷるりと身震いをし、再び作業に取り掛かろうとした。
荷台に固定するための縄を再び手にしてモンスターの亡骸を振り返ったそこには、黒い影を纏い、首をもたげ、事切れた虚ろな目で運搬アイルーたちを睨めつけるアケノシルムの頭が、宙に浮いていた。
『でっ、出たニャーーーーッッッ!!!!』
運搬アイルーたちは道具も仕事も放り出し、一目散に逃げ出していく。
やがて静かになった芒野原では宙に浮いていたアケノシルムの頭がゆらりゆらりと揺れ、やがてものすごい速度でその場から飛び去っていった。
――カムラの里には前回の百竜夜行で甚大な被害を受けて以後、厳しく定められた掟があった。
曰く『ハンター許可証の無い里の者は、暮れ六から明け六までは大社跡に降り立ってはいけない。』と言うものだった。
それは大人から子供まで、里に住む者なら全ての者に言い聞かせる鉄の掟。
日暮れである『暮れ六』から夜明けである『明け六』までの時間帯は、災いが蔓延る禍ツ時だからだ。
大社跡に、強い風が吹き荒れていた。
ごうごうと唸る強風の中に、黒い影は居る。
芒野原を飛び去り、砂利道を駆け、のたのた歩く狸を蹴飛ばし、泥の水溜りを踏み越えた。
一足飛びで岩山の上に到着すると、赤い鶏冠の付いた頭を降ろし牙でゆっくりと噛み砕き始める。
——腹が減っていた。
どうしようもなく空腹だった。
今までは角の生えた小さな獣でも腹は満たせていたが、それももう限界だった。
どうしようもなく腹が減り、幾度となく大きな獣を狩る。狩られたくない獣は抵抗するが、捻じ伏せる。
そんな命のやり取りをして少しだけ、腹とナニカが満たされる。
……この『頭』は、里の者が狩った。黒い影はそれを見ていた。けれども里の者は獣をその場に置いて行った。
勿体ないから少しだけ頂いたのだ。大きな身体の方は残してやった。きっと問題無いだろう。
骨を噛み砕き、皮を食い千切る。腹に収めてほんの少し満たされる。
食後の手入れとして丹念に肉球を舐め、自慢の刃を整える。
これで良し。いつでも大丈夫。
……でも何が、大丈夫なんだったかは忘れてしまって、久しかった。
腹が満ちれば眠気がやって来るのは生き物としての道理と言うもの。黒い影は微睡みつつ、大きな嵐以前の事を少しだけ思い出す事にする。
———むかしむかし、この地を大きな、それは大きな嵐が襲った。
まるで生きている狂飆は豊かだったこの地を無惨にも引き千切り、嘲笑う様に大地を掻き混ぜた。天と地が引っ繰り返る程に。
天と地が引っ繰り返された事はあるか?あれは最悪だ。翼が無ければ地面に叩き付けられるし、翼が合ってもごちゃごちゃに掻き混ぜられた岩だの木だのが翼膜をボロボロにしてくれる。
この地に住まう獣達は大きい小さいに関わらず、生きた嵐に恐れをなして、一匹残らず狂った様に逃げ出して、
己だけが、此処に残った。
己だけと言うのは実のところ正しくは無い。
己の他にもこの地に残った生き物が居たからだ。
それが、近くに『里』と言う巣を作り住み着いた人間達だ。
嵐を生き延びた人間達は新たに武器を手に取り立ち上がった。人間達をも蹂躙した生きた嵐はもう此処には居ないと言うのに、なんともご苦労な事だった。
そして空っぽになったこの地に、逃げ出して行った獣たちが少しずつ戻って来るのに、そんなに時間はかからなかった。
………あぁ、空が白む。夜が明ける。己の眠気も既に限界だ。
身体を伏せて大きな欠伸を一つした黒い影は、そのまま頭を前肢に乗せて寝息を立て始めた。
禍々しかった風は静かに、黒い影を優しく撫でるように吹いていた。
——そよぐ風は、芒野原の夜露を揺らし大社跡に日の出を告げた。
アケノシルムの生首に驚いて仕事を放り出してしまったカムラの里の運搬アイルーは、朝を待ってから武装した屈強な里守を伴いおっかなびっくりしながら空っぽの荷車を押して再びやって来た。
「ほ、ほら!僕らの言った通りにゃ!アケノシルムの頭が無いニャ!」
「……こいつは驚いた…。お前たちを疑う訳じゃねぇが、ここまで見事に頭が盗まれてるとはな…。」
運搬アイルー達はオロオロしながら、里守の衣服の裾を握り締め、険しい表情を見上げている。
「……ど、どうするニャ?」
「…それでも仕事はせにゃならん。これは神有の次男坊の獲物だろ?取りあえずは残っている素材が使えるように持って帰るぞ。」
「合点ニャ。」
里守の指示に従って、運搬アイルー達は再びニャアニャアと掛け声を合わせて首の無くなったアケノシルムの亡骸に縄を掛けて行く。
「…………よりにもよって神有の次男坊の獲物だったか…。」
里守の一人が失態を悔やむ様にポツリと零し、それを聞いていた他の里守も痛ましい顔をして項垂れた。
「神有の次男坊の…」
「あぁ、困ったな。……あの一族、『初めて狩猟したモンスター』で装備を作って成人の儀をするって言ってるんだろう?」
アケノシルムの頭部が無いと言うことは、使用できる素材が制限されると言うことだ。
「成人の儀が終わらなければ里の防衛にも手を貸さないって向こうの言い分を、フゲン様も認めてらっしゃる…。」
「『子供を里の戦力として投入して迷惑があってはいけないから』だっけ。………それはそうなんだけどなぁ…。」
「そんな呑気な事を言ってられる場合かよ。」
里守達は口々に不満を吐き出し、がっくりと肩を落とした。
「仕方ねぇさ。なんせ、今のカムラの里は神座のお膝元だ。一族同士の関わりが強い神有を粗末には出来んだろ。」
「……コイツで次男坊の装備が全部作れれば良いんだけどな。」
「それはそう。……手ェ動かすか。」
ニャアニャアを掛け声を合わせる運搬アイルーに混じって、里守達も作業に励んだ。
――カムラの里には『神』の一字を字名に持つ一族があった。一つを『神有』もう一つを『神座』
元はと言えばこの両家が、百竜夜行に襲われたカムラの里の住人に自前の土地の大部分を提供した。
『自分たちにも身を守る術が欲しいから』と先の百竜夜行を敗走した今の里長フゲンと里の者達を技術提供をしてもらうと言う名目で被災者達を受け入れたのだ。
これが今から約二十と数年前の話。
当時の両家当主の代が変われども、その頃のよそよそしい空気感はまだ薄れてはいなかった。
神有、神座の両家の血筋は里の中でほんの少し、本当にほんの少しだけ、浮いて居た。
「……そういや神有の次男坊の得物ってなんだっけ?」
「…確か、大盾じゃなかったか?」
「あぁー……。本当にコレで間に合うかな…。」
里守達は口々に心配そうに呟いた。神有、神座の血筋が嫌いなのでは無い。
どう接していいか、分からないだけなのだ。
神有と神座の次男坊達は、どういう訳かカムラの里守に対して線を引いている様に感じてしまう。
だからお互いに、接し方が分かっていない。
それでも、同じ里で育った従兄弟や兄弟のように思っているのだ。
せっかく狩猟した獲物がこんな無惨な姿では、きっと神有の次男坊もがっかりしてしまうだろう、と里守達も自分の事の様に心を曇らせていた。
第三話です。よろしくお願いします。