――微睡み覚めて 夢をみる
すすき野原に 君が居た夢――
カムラの里近く、大社跡に夜の帳が下りて、風が湿気を含む頃。
黒い影は高い高い岩山の上で静かな寝息を立てていた。ゆったりと上下する柔らかな腹は、その眠りが健やかな物だと示している。
だが、微睡みの中であっても風にそよぐ耳が、不躾なざわめきを拾い上げた。
風を孕むばさりばさりと不愉快な羽ばたきの音が、黒い影の眠りを妨げていた。
………薄く目を開け、影はのそり、と気怠そうに身体を起こす。
黒い影の視線の先にいるのは、まだ若く赤い雄火竜だった。
どうやら繁殖期を迎えた番を招くための環境として、黒い影の陣取る高い高い岩山の上の褥を選んだのだろう。果敢にも強敵である黒い影に挑もうとしている。
身の程知らない若い雄火竜に黒い影は苛ついて、美しい黒い毛並みを逆立てた。体毛のように見えるソレは、実は鱗の一枚一枚が鋭く変化したものだと言う。
――――ついこの間も、叩きのめしてやったばかりだと言うのに。
その時は勝てない相手だと悟り、尻尾を巻いて逃げ出した筈だのに、性懲りも無く再び此処に舞い戻って来た若い雄火竜。
若い雄火竜は中空から黒い影を認めると緊張を漲らせ口元に焔を灯し、決意に満ちた咆哮を高らかに上げた。
雄として退けぬ戦いがあるのだと意気込んで吼える若い雄火竜に、黒い影は金切り声にも似た咆哮で応え、地を蹴った。怒りに満ちた赤い眼光が暗闇に一筋の尾を引いている。
――良いだろう。争いなら乗ってやるとも若造め。己に負ける程度では、お前の雌に卵を抱かせてやる事は出来ないと思え。
黒い影はこの大社跡の『主』だった。
いつかの大嵐の時から大社跡に現れ、住処とし縄張りとして闊歩する。
日が暮れる『暮れ六』から夜が明ける『明け六』までの禍津時を我が物とするその姿から、カムラの里の者達からはこう呼ばれていた。
――――六ツ時の大御神。『むつのかみ』である。
「…………むつのかみ、ですか?」
訝しむ様に声を上げたのはハンターズギルドからカムラの里を調査しに来た派遣員、セラヴィであった。
ここはカムラの里の集会所、建設予定地。
まだ石材や木材が積まれている広場の真ん中にある大桜を前にセラヴィは首を傾げた。
「左様。」
セラヴィと話をしているのはカムラの里の相談役、福々しい姿の竜人族のハンター、ゴコクである。
大桜の根元の木材に腰を掛け、困った様子で長く伸びた顎髭を擦っていた。
「このカムラに滞在して、既に気が付いて居られると思うが、この里周辺の大社跡には『むつのかみ』と言うモンスターが住み着いておるでゲコ。」
「里の人達が言っていた『六ツ時』……と言うやつですか。」
ハンターズギルドから派遣されて来たセラヴィとリデルには調査と共にもう一つの仕事があった。
それが、カムラの里とハンターズギルドを繋ぐ『集会所』の設営を要請する事である。
カムラの里に五十年に一度訪れると言う大災害――百竜夜行のせいもあってか、数多のハンターが立ち寄れる集会所の設営要請については災禍を体験した纏め役達からの後押しもあってすんなりと通ったが、新たな問題が浮上していた。
それが、大社跡を根城にしていると言う『むつのかみ』である。
「…………特殊個体、とか言う線は、」
「無い、とは言い切れん。ワシらの調査不足もある。何より、里の住人の安全が第一でゲコ。」
「うーん……まぁ、たしかに。」
「災禍からの復興とは言え、里を一から作り直すような物だったからの、人手は幾らあっても足りなくてな。……また、むつのかみは六ツ時にしか現れないと言う事が分かってからは無闇に刺激するような事は控えておったゲコ。」
「狩猟にでて迂闊に資源や戦力が減っても里にとっては手痛い打撃でしょうし、最適解かと。」
現実問題を擦り合わせ、いち早く集会所を設営したいハンターズギルド側としては助力を惜しまないつもりであった。
もちろんセラヴィもカムラの里に問題があれば、出来るだけそれを排除するつもりで訪れていた。…………だが。
「その、むつのかみ…………今までに誰も狩猟出来てないんですよね?」
カムラの里のハンターであるゴコク、フゲンの名はセラヴィでも知ってる程の猛者だった。この両名を抱える里のハンターが他に居たとして、弱い筈がない。
実際に、里のルーキーハンターである筈の蒼衣はセラヴィの知ってる中堅ハンターと比べてもなんら遜色は無かった。
「何度か小競り合いはあったでゲコ。…………兎に角速い、の一言に尽きる。何度か罠を仕掛けて見た事もあるが……掛かり切る前に躱されておるでゲコ。」
「……そう、ですか……。」
カムラの里の猛者達を手玉に渡り合う『むつのかみ』と言う名を戴くモンスター。
ギルドから派遣されて来たハンターであるセラヴィとは言え、迂闊に手出し出来る物では無かった。
純粋な戦力不足。セラヴィもリデルも決して弱い部類では無いのだが。
ハンターズギルドの見解としては確実に狩れると言う確証が無い以上、出撃は出来なかった。
「……とりあえず、ギルドに増援を要請します。」
「うむ。ご助力感謝するでゲコ。こちらも里の戦力を呼び戻しておくでゲコ。」
セラヴィは書簡を出す為に、ゴコクに改めて聞き取り調査をする。
「……で、とりあえず、要点を絞る為と確認の為にもう一度お聞きしますが………『むつのかみ』の特徴って、その……」
ゴコクから聞いた特徴に間違いがなければ、セラヴィの脳裏には一体のモンスターが該当していた。
「うむ。……月下に煌めく白刃に黒い体躯。一度激昂すれば爛々と光る赤い目に、何よりも高い機動力を持つモンスター。」
「迅竜、ナルガクルガで間違いないゲコ。」
若い雄火竜が空中から攻勢に転じ、強靭な脚で黒い毛並みの体躯に襲い掛かる。
勢いは良かったが狙いの定まって居ない雄火竜の蹴撃は、大きく強靭な迅竜の体躯を掴み切れずに弾き飛ばされた。
若い雄火竜の身体は天と地がごろりと一回転し、ふらつきながら起き上がる。闘志に漲る雄火竜の両眼が見たものは、眼前に既に肉薄するしなやかで長大な迅竜の尾――――
空に逃げる間も無く迅竜の太い尾に強かに叩き付けられ土煙が上がり、大社跡の縄張りの主を決める小競り合いに決着が付いた。
迅竜は猛攻の手を休め、若い雄火竜が起き上がり、弱々しく羽ばたいて夜の空に逃げて行くのを鋭い目付きで見届けた。
その姿が星の一粒程に小さくなったのを確認してから気が抜けた様に大きな欠伸を一つ溢した。
――――まだ若い雄雛を見逃してやるのも、成熟した雄の度量の内である。
若い雄火竜の遠く後ろに、同じく若い雌が居たのも迅竜は知っていた。雌の火竜は迅竜の事をチラチラと警戒しながら傷付いた雄の後を追って飛んで行った。
若い雌火竜が選んだ雄は弱かったが、己と戦う気骨はあったなと迅竜は刃翼の手入れをしながらぼんやりと思った。
――――別に羨ましくなんか無いぞ。己にだって番は居たのだ。…………居たはずなのだが、……
……はて、己の雌は何処に行ったのだろうか。
己は一体、何時から此処で待ち惚けていたのだろうか。
可愛い番。己の嫁。身体が大きく、黒く深く美しい刃翼を擁した、嵐にも負けなかった気丈な雌。
『よぉし!!気炎万丈だ!!今日こそ狩るからねー!!』
それから、迅竜の記憶に朧気に居座る、あの喧しい雌は一体何処に行ったのだろうか?
己の可愛い番と同じく美しい二枚の刃翼を振り回して居た、二本足の雌。
すすき野原を何度探しても、探しても、可愛い番もあの雌も、影も形も見つからないのだ。ならば、と迅竜は思う。
己がこの場所を何度も何度も探してやらねばなるまい、と。
それまでは。……嗚呼、それまでは。
何者にも、この場所を開け放つ事など迅竜には出来なかった。
もうすぐ明けの六ツ時が来る。白んで明けて行く空を見ながら、迅竜はもう一つ大きな欠伸をした。
若い雄火竜の相手をしていたら、すっかりと寝不足だった。迅竜は朝の光から逃れられる木陰を探して大きく跳躍をする。
やがて迅竜はお気に入りの寝床に着くと、大きな体躯をくるりと丸めて小さな寝息を立て始めるのだった。
第六話です。よろしくお願いします。