破瓜   作:みのひつじ

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お兄ちゃんインフレーション

 

 

 

 あくる日の早朝の事。

 

 長旅の疲れを実家で癒した神有家長男の柊は、隣で旅籠を営む幼馴染の家へ訪れていた。

 欠伸を一つこぼして薄茶の頭をポリポリと掻く。勝手知ったる隣の家の裏手口から甚平と雪駄と言う普段着で訪問すれば、隣の家で長年勤めている女中長に『これ、楓坊っちゃんにお出しする薬湯です。』とお盆を持たされた。

 

 それは柊が幼少の頃から長年してきた神座家の『お手伝い』の一環だったので、薬湯のお盆を受け取り、歩き慣れた幼馴染の部屋への廊下を進む。

 時刻は鳥が歌い始める早朝とは言え、真面目な幼馴染の事だ。既に起床して身支度を整えているのは見なくとも分かっていた。………幼馴染の体調が良ければ、の話だが。

 

「かえで〜。入るよ〜。」

 一声かけてから障子を開ける。

 部屋の中には柊の予想通り、身支度を整えた幼馴染が既に文机に向かっていた。

 柊よりはやや背が高いが、幼少の頃から身体が弱いせいで色が抜け落ちてしまった枯葉色の髪を緩くひとまとめにして、背筋をピンを張って姿勢良く座っている。

 ――神座楓。神座家が営む旅籠『神座森林庭園』の当主予定……だった青年が、柊の幼馴染だった。

 

「おはよう、楓。今日は体調が良さそうだね。」

「おはよう、柊。ここ最近はね、ずっと身体が軽くなってきたんだ。」

 お互いに挨拶を交わし、柊は女中長から受け取った薬湯のお盆を楓に渡す。一緒に乗っていた小さな茶菓子の包みは楓の手で柊に渡された。

 薬湯の入った湯飲みを両手で持ち、口を付ける楓は思い詰めた視線を湯飲みの中に落としていた。

「……柊。私の話を聞いてくれるかい?」

 薬湯を一口飲んで、柊に目線を流す。

「楓。君の話ならいくらでも。」

 柊は受け取った茶菓子を文机に置き、畳の上に正座をすると楓の話を促した。 

 

 

 ――産まれた時から身体が弱かった。

 幼少期は熱を出してない日の方が珍しく、起き上がれない日があるのなんて自分にとっては普通の事だった。

 鉛のように重い身体。熱に浮かされて霞む思考。自分を看病して疲弊する女中たちの顔。

 父母は自分の為に『見たことのない薬草がある』と聞けば西へ東へ、危険を顧みず狩人を雇い旅をした。

 自分にとってはそれが普通だった。人に囲まれ看病される自分の姿は。

 

 五歳下の弟が生まれ、自分の環境は一変した。

 自分とは違って健康、恵体で産まれた弟は何の憂いも無く健やかに成長した。

 

 黒く艷やかな髪、美しい葡萄酒色の瞳、すらりと長い手足は何処へでも行ける事を証明していて。

 

 羨ましくない訳が無かった。

 呪わしくない訳が無かった。

 

 あぁ、露草。私の可愛い弟。

 太陽の照る外で君と遊べたらどんなに楽しかっただろうかと、幼馴染を羨んだ。

 その度に熱を出し泡を吹いて気を失う、自分の身体の弱さを呪った。

 

 熱に浮かされたある夜、眠りが浅くて目を覚ましたら、父母の密やかな声が聞こえて耳を澄ました。

 『家業を継がせるなら、露草の方が…』

 『あの子は要領も良いし、何より勤勉だ。継がせても問題は無いだろう…』

 

 美しくて可愛い私の大切な弟が、私のせいで家業に縛り付けられる事を知った時は何より脆弱なこの身を恨んだ。――

 

 

「……まぁ、俺が言えた口じゃないけど、楓も相当愛が重いよね。」

「私にとっては可愛い弟なんだ。当たり前だろう?」

「まぁねー。俺も蒼のお兄ちゃんだし、楓の気持ち分かっちゃうもんなぁ。」

 何度も楓から聞いた話だが、柊は静かに耳を傾けた。何故ならこの話に今日は続きがある事を、楓の目が語っていたからだ。

「……それで、楓はどうしたいの?」

「ありがとう柊。分かってくれて。私はね、……露草をハンターにしたいんだ。」

 

 至極まっすぐに楓は柊の目を見て告げた。

 『露草をハンターにしたい』楓の意図するところは、神座森林庭園から露草を独立させるという事で。

 つまりそれは、楓が正式に神座森林庭園を継ぐという宣言だった。

 

「……楓は、それでいいの?」

 柊は文机の上の小さな茶菓子を取り、楓の言葉の続きを待った。

「……あの子は昔から遊びに行きたいのを我慢して、私の見舞いの為に山葡萄を採ってきてくれるような優しい子なんだ。」

「……うん。」

「そんな優しい子を、私はいつまでもこの家に縛り付けておきたくない。」

 それに、と楓は続ける。

「ハンターになれば、色んな世界を見れるんだろう?……柊、いつも君が私に聞かせてくれたみたいに。」

 困ったように笑いながら小さな茶菓子の包み紙を開けて、柊はひとくち齧る。

「…なら、楓の頼みだもの。喜んで引き受けるよ。」

「ありがとう、柊。」

「幼馴染でしょ。もっと頼っていいよ。」

 

 ――それは幼い頃の約束から始まった。

 苦味の強い薬湯を飲んだ後の口直しとして添えられる小さな茶菓子。

『ねぇ、お外の話を聞かせて柊。お菓子ならあげるから。』

『……うん、いいよ楓。あのね、今日はね…………』

 いつしかそれが、長男同士、幼馴染の約束の証になっていた。――

 

 柊は茶菓子を食べ終えると包み紙を楓に返した。いつぞやに楓の部屋の屑籠の中に茶菓子の包み紙が無いと、女中長に一度睨みを効かされた事があるからだ。

 

「……ところで柊。蒼衣くんの左手の調子はどうだい?この間うちから湿布を出したけど、良くなったかい?」

「蒼の左手?んー、本人が言いたがらないけど、まだあまり良くはないみたい。昨日一緒に枇杷を食べたけど、皮剥きづらそうだったし。」

 

 楓から弟の話題を振られた柊は昨日の様子を思い出して、そう言えばと前置きをした。

 蒼衣の左手は軽度の捻挫状態で、柊には『修練中の怪我』と蒼衣から自己申告されていた。

 が、柊には分かっていた。あの四角四面な弟が、修練中に怪我をするなんて異常事態だと言うことを。

「……なんだか弟たち、喧嘩したっぽいのよね。楓、何か知ってる?」

 弟の話題も話したい事の一つだった、と付け加えれば楓は虚を突かれたようでぱちくりと瞬きをしていた。

 

「それは私も初耳だ、…………けど、少し前から薬湯の味が変わっててね。」

「……楓の薬湯って確か、」

「そう、露草が調合を覚えてからは私の薬湯は露草が作ってくれてたんだけど、ここの所、露草が作ってくれた味じゃないんだ。」

 

 楓と柊、二人揃って首を捻った。いくら聡い長男たちと言えども、可愛い弟たちに本気で隠し事をされれば読めない事も出てきてしまうのだ。

「……蒼は『手は上げてない』って言ってたから、殴り合いとかじゃない、みたいなんだけど……。」

「……露は……そうだね、なんだか最近早起きしてるみたいなんだ。」

「早起き。」

「いつもより三時間ほど早いってうちの婆やが。」

 楓の言う婆やとは神座森林庭園の薬膳房に勤める女中長の事だ。小柄な竜人族の彼女は楓や露草が幼い頃から『婆や』だった。

「婆やちゃんが言うなら間違いないか〜。……露はそんな早起きして、何してんのかな?」

「推測でしかない、けど。」

 楓がそう前置きをすると文机の影から小さな包みを出して来た。どこにでもある手拭いで出来た包みを解くと中からは小さな赤い木苺がコロリと転がった。

「露草が昨日昼頃くれた物なんだけどね。」

「木苺だね。」

「うちの薬草園から行ける山で採れる木苺なんだけど、木苺が採れる場所遠いんだ。」

 楓が広げた手拭いには木苺から移った赤い色が、てんてんと斑に染まっていた。

「あー、あそこかぁ。前に蒼にねだられて採りに行った事あったっけ。めっちゃくちゃ遠………あれ?」

「うん。あそこ。すごく遠いだろ?柊の脚でも行って帰ってくるのに一日はかかる。」

 柊の脳裏には可愛い弟に強請られて木苺を採りに行った時の思い出が回想されていたが、その道程はモンスターが出ないとは言え決して楽では無かった。

 

「…………露、朝に出て昼帰ってきたの?」

「うん。三時間ほど早起きはしてるけどね。家の仕事してから出てってるみたいだし、日が出てから山登りしてるみたい。」

 それから、と楓は続けた。

「一昨日は枇杷だったし。」

「あれ、露が採ってきてくれてたんだ。……そういやなんだけど、薬草園の枇杷ってさ、…」

「うん。枇杷も少し採りにくい場所に生えてる。……露草、最近は何かに理由を付けてうちの山を走り回ってるみたいなんだ。」

「…………走り込みかな??」

 

 楓の可愛い弟である露草が走り込みついでに、兄に季節の木の実を採取している。

 その理由が、柊には何となく……何となくだが分かった気がした。 

 

 





第八話です。よろしくお願いします。
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