桜を見るといつも気分が滅入る。理由なんかは決まっている。いい思い出がないからだ。転落人生の始まりだったあの日もこんな風に狂い咲きの桜を見上げたのをよく覚えている。
ごうごうと炎を上げる車。アスファルトは融解し、ヒビも入ってしまっている。どう考えても日常風景ではない、明らかにヤバい状況。戦場にでも迷い込んでしまったのだろうかという光景。
極めつけは今の自分の状態だ。ぼろ雑巾のように吹き飛ばされ、地面にたたきつけられた痛みから正直起き上がるのも億劫に感じられた。
そんな中で、ひと際この状況とは不釣り合いな存在が俺へと声をかけてくる。
「さあ儂の手を取れ、そこな小僧」
場違いなほどに鮮やかな桜色の和装を身にまとったその女は、扇を持っていない右手を俺に差し出してくる。整った顔立ちに黒く美しい長髪。服装も相まっていいところのお嬢といった風体をしているくせに、この状況におびえているようなそぶりは一切ない。それどころかこのような鉄火場こそが本来の居場所とでも言いたげな雰囲気さえまとっていた。俺とそう変わらないような年齢に見えるくせに妙に古めかしい言葉遣いは不自然なほどに馴染んでおり違和感をあまり覚えさせない。
そしてその女の金色にも見える琥珀色の瞳はまるでこちらの心境を見透かすかのように向けられている。
死にたくはないのだろう、と。
震える腕に力を込めて起き上がろうとする。確かに今の自分は死に体といっても差支えがないだろう。訳も分からないままによくわからない状況に巻き込まれ、挙句死にかけている。
神様がいるのだったら恨み言の一つや二つ言ってやりたいところだった。確かに己は間違いを犯した身ではあるものの、まだこんな仕打ちを受けなければならないのか。
だが、それを許容し、このまま倒れ伏すというのも俺にとっては受け入れがたい選択であった。
「……ぐっ」
なけなしの反骨精神を糧に立ち上がろうとするが、逆に力が入りきらず顔から崩れそうになる。とっさに手をつきなおすことで何とか倒れないようにこらえる。
瞬間、脳裏によぎる思い出したくもない記憶。
――折れた木刀、力なく倒れている少女。
頭を振っていやなイメージを振り払う。なんだってこんな時に思い出すのか。
…………違うな。こんな時だからこそなんだろう。
こんなクズのような自分がそれでもなお死ねないと、生きなければと思う理由などそのくらいしか思い浮かばなかった。
そうとも。まだ俺は死ぬわけにはいかなかった。
後悔も、償いも。
自分は何一つとして人生の汚点を雪げてはいなかった。こんなことでは死んでも死にきれない。生き恥をさらした理由もわかったものではない。
手足に力を込めて立ち上がる。ぜぇぜぇと息も絶え絶えな自分に嫌気がさす。こんなことなら無意味な棒振りでも続けていたほうが幾分かましだったろうに。
息を整えながら前を見据える。件の女が不敵な笑みを浮かべながらこちらの様子をうかがっていた。試すかのような表情がどことなく俺をいらだたせた。
大きく深呼吸をする。息を整えるというよりは覚悟を決めるために。相変わらず目に映るものすべてが非日常だ。死が、そこまで迫っているように感じる。
まったく、なんて日だ。
やはり桜を見ると気が滅入る。俺にとってこの花は凶兆なのだろう。ろくな目にあったためしがない。
まっすぐに女を、差し出す手を見つめる。
この手を取れば俺は平穏な世界にはいられなくなるだろう。そしてなにより目を背けてきた己の業と向き合わなければならなくなるような、そんな確信めいた予感があった。
しかし――。いや、だからこそ俺は――