青春を開拓する銀河打者   作:現代の弁慶

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Ver1.4 枯れた大地がホシの輝きを掻き消そうとも

空気が重かった。
まるで、砂漠の夜に沈む月の下みたいに。
誰も笑わない、誰も冗談を言わない。
アビドス対策委員会の部室が、こんなにも静まり返るのを俺は初めて見た。

机の上には書類が散らばっている。
借金の計算書、利息の再通知、そして「支払い最終通告」と書かれた真っ赤な印。
紙の束ひとつひとつが、まるで絞首台の縄のように見えてくる。

ホシノがため息をつき、軽く背伸びをしながら言った。


 

「……それじゃ、取り敢えず手元の情報を纏めようか」

その瞬間、部室の空気がピンと張り詰めた。
まるで誰かが見えないスイッチを押したように。
いつもの脱力したホシノの声とは違う。
“委員長の声”だった。

アヤネ、ノノミ、セリカ、シロコ――皆、姿勢を正してホシノの言葉を待つ。
俺も椅子の背から身体を起こし、無意識に息を整えた。

 

「結局、カイザー・コーポレーションがあそこで何を企んでいるのかは分からなかった」


 

「確か、宝物を探している……と云っていましたが」
「でもあの砂漠には何も無い筈です。恐らくデタラメかと」

 

アヤネが静かに首を振った。
その仕草に、彼女の中の確信が見えた。
彼女はどんな時でも、適当に言葉を選ばない。

「石油や鉱石、ガスなど、お金になりそうな天然・地下資源は何一つ残っていません。
 アビドスが天災対策で金策に走った時、その辺りは徹底的に調べられた――そう記録が残っているんです」

 

つまり、何もない。
金にも、力にも、ならない土地。
……なのに、奴らはそこに基地を建てようとしている。

俺の脳裏に、あの夢の光景がよぎる。
砂の底で蠢く、蛇のような影。
あの時、確かに見た――いや、感じた。
けれど、言葉にした途端、彼女たちの信頼を壊してしまう気がして、唇を噛む。

(……いや、やめておこう)
夢なんて曖昧な話を今出しても、余計に混乱するだけだ。

すると、沈黙を破るようにセリカが机を指で叩いた。
乾いた音が、狭い部屋の空気を切り裂く。

「いやいや、今はそれよりも借金の方でしょう? 確か、三千%とか云っていなかった?」

その言葉に、全員が現実に引き戻された。
ああ、そうだ。
この問題の根っこは、そこにある。

「確かに連中の思惑とかも気になるけど、現実問題この借金を何とかしないと、本当に学校が差し押さえられちゃうよ!」


 

「利息分だけで九千万円……でしたよね?」


 

「しかも保証金も要求してきて……あと一週間で、三億円――」


 

「……ヘヴィだねぇ」

 

ホシノが苦笑いを浮かべたけれど、その目は笑っていなかった。
その金額の重みを、誰もが理解していた。
七日間で三億。
笑い話にもならない数字。

頭の中で、何度も計算してみる。
バイトで? 無理。
援助? ありえない。
どんな方法を取っても、この時間じゃ到底追いつけない。

そんな沈黙を破るように、ギシ、と椅子の音が鳴った。
シロコが立ち上がっていた。

彼女の手が、無意識にガンラックの方へ伸びる。
愛銃を手に取り、砂のこびりついたスライドを指でなぞる。

「……借金はもう、真っ当なやり方じゃ返せない。なら、真っ当じゃない手段で用意する」

その言葉に、俺の心臓が一瞬止まった。
彼女の背中から漂う空気が違う。
まるで、戦場に戻る覚悟を固めた兵士のような――そんな静かな決意。

「だ、駄目ですよ! それではまた同じことを繰り返すことになります!それに彼らは言ったんですよね?払えなかった時は勝負を受け入れて勝ったら帳消しにするってーー」

アヤネの声が震えていた。
けれど、彼女の叫びをかき消すように、別の声が重なった。

「――私はシロコ先輩に賛成」

セリカだった。
その表情は普段の彼女とは違っていた。
焦燥と怒りが入り混じった、追い詰められた者の顔。

「三億とか九千万とか……どう考えても真っ当な手段で用意出来る金額じゃないでしょう!?

確かに奴らは払えなかった時は勝負を受け入れるって言ったけど流石にあの兵力は無理!
 学校が無くなったら全部終わりなんだから、もう形振り構っていられない!」

 

その声には、怒りと、恐怖と、そして涙が混ざっていた。
綺麗事なんて通じない。
その現実を、セリカは誰よりも実感している。

 

「相手が真っ当な手で来るならまだ良いよッ! でも、相手がこんな卑怯な手を使ってくるのに、何で私達が馬鹿正直に真っ当な方法で返さなきゃいけないの!?」

 

「そ、そんな……!」

 

「セリカちゃん待って! そんな事したら、あの時と同じだよ!?」    

 

ノノミがセリカの形相に言葉を失えば、アヤネが席を立ち、その方法は駄目だと呼び止める。セリカも席を立つと、二人は顔を付き合わせながらお互いに主義主張を声高に叫んだ。  

 

「あの時、ホシノ先輩が止めてくれたのに、自分から進んで犯罪者になるの!?」

 

「じゃあ、どうしろって云うのよッ!? このまま学校が無くなるのを指咥えて見てろって云うの!?」


 

「そうじゃないよッ! 私はただ、そんな行為に手を染めて学校を守っても――」


 

「だからその綺麗事を守れる時間は過ぎたのッ!」

 

怒鳴り声がぶつかり合う。
それは互いの想いが強いからこその衝突だった。

だが――

パンッ。

乾いた音が響いた。
二人の声が止まる。

「ほら、二人共熱くなりすぎ。一旦落ち着いて~」

ホシノが軽く手を叩き、いつもの調子で笑った。
けれど、その笑みの奥にあるのは優しさじゃない。
彼女なりの“覚悟”の光だった。

「……ごめんなさい、ホシノ先輩」

 


「……ごめん、先輩」

 

「うん、分かっているよ。皆が学校のことを想ってるって事は、良~くね」

その声に、俺は息を吐いた。
言葉一つで空気を戻すあたり、さすがは委員長だ。

だが、ここで俺も黙っているわけにはいかなかった。

「……俺も今回は銀行強盗とかするのはやめた方がいいと思う」

俺がそう言うと、シロコが静かに目を細めた。

「それは――先生として?」

その問いに、少しだけ考える。
教師として、ではない。
人として、でもない。

――開拓をしてきた経験者として、だ。

「いいや、あのガラクタ野郎の立場になって考えれば分かる事だ。小賢しくて悪い大人の考えそうな事と言い換えても良いな」

彼女たちの視線が集まる。
ゆっくりと、言葉を繋ぐ。

「借金の金額を吊り上げて、到底返せない額を吹っ掛ける。そうすれば、どうなると思う?」

アヤネが息を呑み、ノノミが呟いた。

「……私達が、犯罪に手を染める様、誘導している……って事ですか?」

「その通りだ」

沈黙が、落ちた。
それは砂漠の夜よりも冷たい沈黙だった。

「前回の銀行強盗の件で、各地の銀行は警戒してる。そんな中で強盗に成功する確率なんてほぼゼロだ。
 

もし失敗して全員捕まれば、向こうは堂々とアビドスを潰せる。
 

対策委員会が不在になれば、自治区そのものを奪える。
 

――つまり、これが奴らの狙いだ」

俺の声が、部屋に沈んだ。
誰も何も言わなかった。
ただ、その“罠”の深さに全員が気付いたのだ。

「……強盗は駄目って事?」

シロコが絞り出すように言う。
俺は頷いた。

「ああ。少なくとも、あの連中の思惑通りに動くのはごめんだ」

戦うことしか知らない奴らの思考回路を、俺は知っている。
彼らは自分たちの仕掛けた罠に気付かないまま、敵を誘い込むのを楽しむ。


だからこそ――俺たちは、乗ってはいけない。

 

「……まっ、取り敢えず今日はこの辺にしておこうか~」

力の抜けた声。けれど、その中に優しさがあった。

「今日は砂漠に遠征して疲れたし、皆気持ちが先走ってるんだと思うよ。まだ期限までは一週間あるし、一度頭を冷やして、また明日集まろう。これは委員長命令ね!」

手を叩くホシノの笑顔に、皆は少しずつ頷いた。

俺も静かに頷く。
会議室を包んでいた重苦しさが、少しだけ和らいだ気がした。

――でも、それでも。
胸の奥に残ったこの不安は、消えなかった。

期限まであと七日。
アビドスを救う手段は、未だ見つかっていない。

それでも、俺たちは動くしかない。
止まったら、砂に埋もれて終わるだけだ。


 俺も椅子に深く腰を下ろし、頭を掻く。
 窓の外、沈みかけた陽が砂丘を真っ赤に染めていた。
 

その色は、まるでこの街の命が燃え尽きる寸前のようにも見えた。
 


 

――俺はただ、ため息を一つ落とした。

 


 誰にも聞こえないように、静かに。

 

部室の空気がようやく緩んだ頃には、もう夕陽が傾き始めていた。

 


 対策委員会のメンバーはそれぞれ帰宅し、残ったのは俺とホシノ、そしてシロコだけ。
 

誰もが疲れていたが、三人とも何かを飲み込んだまま言葉を探している、そんな沈黙だった。

「ん~? シロコちゃん、まだ何かやる事がある感じ?」


 ホシノは銃のスライドを外しながら、いつも通りの調子で声をかけた。


 彼女の手元では分解されたパーツが机の上に並び、夕陽を受けて鈍く光っている。
 


「……先輩、ちょっと良い?」


 シロコの声は低く、しかし揺らぎがなかった。
 

ホシノは一瞬だけ顔を上げたが、また視線を銃に戻した。

「うへ、おじさんと話したい事があるの? 照れるなぁ」
 

軽口を叩きながらも、どこかその声音には疲れが滲んでいた。


 
 ホシノは手早くパーツを組み上げ、スライドを引いて動作確認をする。

カチリという音が小さく響き、やがて彼女はぽつりと呟いた。

 

「……でもさ、今日は疲れたし、色んな事があったじゃん? また明日話そう。大体どんな話かは分かってるから」
 


 

「……ん、分かった。先輩がそう云うなら」

 

 シロコは短く頷いた。その一瞬、伏せられた瞳が、何かを決意した人間のそれに見えた。
 彼女はガンラックの脇を通り抜けると、俺の前で立ち止まり――小さな包みを差し出した。

「――銀河打者、コレ」

 

「あとはお願い」

 

 手渡された瞬間、掌に伝わる重さで直感した。
 それは単なる“モノ”ではなかった。
 

何かを断ち切る覚悟、あるいは繋ぎ止めるための最後の信頼――そんなものが詰まっている気がした。

 声には出さず、俺は小さく頷く。
 

その反応を見て、シロコの肩の力がわずかに抜けた。
 

安堵と寂寞が混じった表情――そして、彼女は扉の向こうへ消えていった。

「……それじゃあ、また明日」


「またね、シロコちゃん~」


「帰り道、気を付けろよ」

 俺たちの声を背に、シロコはもう振り返らなかった。
 部室の扉が閉まり、砂のような静けさが再び落ちてくる。

 残ったのは、ホシノと俺の二人だけ。
 彼女は銃をラックに掛けると、こちらに視線を向けた。

「……うへ、銀河打者くんやるねぇ。私の可愛いシロコちゃんと、目と目で意思疎通できるまで仲になるなんてさ」
 

 


「当然だろ? 俺は主役だぞ。メインヒロイン枠と仲良くなれなくてどうするんだ」
 

 


「うへ、やっぱり銀河打者くん変わってるね」

 

 軽口を交わす俺たちの間に、砂塵混じりの空気が揺らめく。
 けれどその笑いには、どこか影があった。
 


「ホシノ、聞きたいことがあるんだ」


「ん~? 何かな?」


「――退部届の話だ」

 俺は懐から紙を取り出す。
 皺の走ったその書類を見た瞬間、ホシノの笑みが止まった。

「うへ~……これ、シロコちゃんから?」


「ああ、さっき渡された」


 

「……全く、幾ら何でも先輩の鞄を漁るのはダメでしょ~」

 

 ホシノはそう言いながら、紙を指先で撫でる。


 その指の動きが、まるで“諦めきれない何か”を探しているように見えた。
 


「銀河打者くん、これは先生としてちゃんと叱っておかないとダメだよ? あのままじゃ本当に大悪党になっちゃうかもしれないから」

 


「えぇ〜、あれがシロコのアイデンティティだろ。それを消すのは気が引けるな。……ま、今重要なのは、ホシノがアビドス対策委員会を抜けようとしてるってことだ」

 

「……そっかぁ」

 ホシノは二度、三度と頷いて、俺を見上げた。
 その瞳の奥に、何かを決めたような色が宿っていた。
 


「うーん、逃がしてくれそうには……ないよね~?」


 

「当然」

 


「……はぁ、仕方ないなぁ」

 

 小さく息を漏らすホシノ。
 その笑顔は、泣く直前の誰かが必死に作るそれに似ていた。

 

「面と向かってっていうのも何だし……銀河打者くん、ちょっと場所を変えよっか?」

 

 そう言って彼女は扉を押し開けた。
 砂を踏みしめる音が、廊下に溶けていく。

 

 夕陽の残滓が差し込む廊下を歩きながら、ホシノが小さく咳き込んだ。


「けほっ、けほっ……うわぁ、ここも砂だらけじゃ~ん」

 

 確かに、靴底の下でザラザラと音がする。
 校舎の中にまで砂が入り込んでいる。
 五人しかいない学校で、清掃まで手が回らないのは当然だ。

 

「ま、仕方ないんだけどね。掃除をしようにも、そもそも人数に対して建物が大きすぎて……」

 

「ホシノの言うとおりだな」

 


 
「……あっ、銀河打者くんはゴミ集めが趣味なんだっけ?」

 


「どう? アビドスの砂、今なら無料で取り放題だよ?」

 

「あまいな」
 

俺は笑いながら言った。

 


「俺は確かにゴミが好きだが、何でもいいわけじゃない。ゴミ箱に捨てられて、心が少しでも動いたモノだけがコレクターされる価値を持つんだ」

「うわ~、コレは結構手厳しいや」

 ホシノは笑い、髪についた砂を払った。
 その笑顔が、いつもより少し柔らかく見えた。

「うへ~、折角の高校生活が全部砂色だなんて、ちょっとやるせないと思わない?」

「でも、好きなんだろ? ここが。アビドスって場所が」

「……今の話の流れで、本当にそう思う?」

 ホシノの声は冗談めいていたが、その奥に沈む影を俺は見逃さなかった。
 夢の中で見た彼女の過去が脳裏を掠める。
 けれど、それを口に出すのは違う気がした。
 彼女にとって、その過去は“触れてはいけない砂”なのだ。

 だから代わりに、静かに言葉を選ぶ。

「お前があのガラクタの言葉に怒りを覚えたこと。そして、その怒りに呑まれず仲間を優先した。それだけで十分、お前の意志が強いことがわかる」

 ホシノは少しだけ目を見開き、それから、ふっと笑った。
 夕陽の残り火のような、柔らかな笑みだった。

「やっぱり銀河打者くんには敵わないなぁ……」

 その声は、いつもの軽口よりも、少しだけ優しかった。
 砂の舞う廊下の向こうで、彼女の笑みが、ゆっくりと夜の色に溶けていった。

「……正直に話すよ」

 廊下の端に並べられた、もう誰も使わなくなった机。その一つに、ホシノは軽々と腰を掛けた。足をぶらぶらと揺らし、天井を仰ぐ。
 淡い照明の光が髪を縁取って、砂を被った机の上に彼女の影を落としていた。
 この場所が、今夜の“終着点”なんだと俺は直感する。

「私はね、二年前から変な奴らに声を掛けられてたの」

 ホシノは遠くを見ながらそう言った。
 

カイザー・コーポレーション――その名を出した瞬間、彼女の声色にほんの僅かな苦みが混ざる。
 

アビドスに入学した時から、スカウトのような「提案」を何度も受けていたらしい。


 何度も、何度も。まるで、諦めの悪い網が何重にも彼女を捕まえようとしていたかのように。

 それほどまでに、ホシノは“強かった”のだ。
 でも、俺には理解できなかった。――なぜカイザーが、彼女というひとりの少女にそこまで執着するのか。

 ホシノは、ゆっくりと息を吐いた。


「……あの風紀委員会が、柴関ラーメンを壊した日、覚えてる?」


 

「ああ」


 

「あの日ね、私が遅れて来たのは……“提案”を受けてたからなんだ」

 

 寝てたんじゃなかったのか――そう喉まで出かかった言葉を、俺は笑いに変えて飲み込んだ。
 ……まぁ、次また遅刻したらバットで起こすことに変わりはないけどな。

 彼女が目を伏せながら呟いた言葉を、俺の脳裏にそのまま映像が流れるように浮かんだ。
 黒服の男。
 冷たい声。
 そして、提案。

 

 ──アビドス高校を退学し、私の研究に参加していただければ、アビドスの借金の半分をこちらで負担しましょう。
 

 

──さあ、答えを。もし“イエス”ならば、こちらにサインを。

あっ、別に嫌ならばサインなさらず結構です。

強要でもしてあなたがさらに深みに進んでしまっては元も子もありませんから

 それは悪魔の囁きそのものだった。

「……ま、断ったんだけどね」
 

ホシノは少し笑った。けれどその笑みは、砂の上に描いた線のように、すぐに崩れた。


 

「破格の条件だった。誰だって揺れると思う。けどね、私がいなくなったらアビドスはもう立ち上がれないって、そう思ってたから。だから、断った」

 

 彼女の指先が膝の上で小さく動く。
 ほんのわずかな震え。
 それが、どれだけの重さを抱えてきたかを物語っていた。

 俺は黙って聞いていた。
 ただ、砂の匂いがする廊下に、彼女の声だけが響いていた。

「……あいつら、PMCで使える人材を集めてるみたい」


 言葉の切り替え方が少し無理をしているように聞こえた。
 

彼女はきっと、これ以上“弱さ”を見せたくなかったのだ。

 

「さっきの提案をしたのは誰だ?」


 

「分からない。……私は“黒服”って呼んでる」


 

「黒服」

 人でもなく、機械でもなく。
 記憶域ミーム、メモスナッチャー――そんな単語が脳裏を過ったが、確証はなかった。


 

 ただ、ホシノの語る“黒服”は、どこかこの世界の理から外れた存在のように感じられた。

 

「理事とは仲良くない。むしろ、扱いが乱暴だって文句を言ってたくらい。……だから、たぶん協力関係なんだろうね」

 

 ホシノは自嘲気味に笑い、ポケットに手を突っ込んだ。
 そして――皺の入った、一枚の紙を取り出した。

 月明かりの下で、白い紙面に浮かぶ文字が目に刺さる。
 『退部届』。

「……一ミリも悩まなかったって言ったらウソだよ。ほんのちょっと、迷ったんだ」

 ホシノは紙を月に翳し、じっと見つめた。
 その横顔は、照明に照らされるよりも、夜の闇の中で見た方がずっと“らしい”気がした。

 やがて彼女は、ふっと笑い、紙の端を両手で掴んだ。


「――棄てちゃおっか」

 音を立てて、紙が裂ける。
 その断片がホシノの掌に散らばり、次の瞬間、開け放たれた窓から夜風に乗って流れていった。
 白い破片が闇夜に溶けていく。まるで、彼女の迷いそのものが消えていくみたいに。

「……ごめんね。余計な誤解を招いちゃって。こんなの、皆に話しても心配かけるだけだし」
 

ホシノは俺の方を振り返り、片目を瞑った。


「でもまぁ、隠し事って好きじゃないし。明日、皆にちゃんと話すよ。困らせちゃうかもだけど……ね?」

 

 その声には、もう迷いの影はなかった。
 俺は、ただ頷いた。

 彼女は冗談めかして笑いながら続ける。


 

「借金の返し方なんてさ、未だに見当もつかないんだけどね……ほんと、どうしようかって」

 

 その言葉に、俺は息を吸い込み、言った。

 


「大丈夫だ。あいつが言ってた。――払えなくなった時は、砂漠で戦おうって。俺たちが勝てば、借金もチャラだ」


 

「……ふふっ、自信に満ちていていかにも君らしいや」

 

 それでもホシノの目に、ほんの少しだけ光が戻った。

「ねぇ、開拓者」
 

 

ホシノが月の方を見ながら呟いた。


 

「もし、もしだよ? 私がいなくなっても……アビドスを“開拓”してくれる?」

 

 その問いに、即答だった。

 


「もちろんだ。けどその時はお前も見つけ出す。“開拓”は仲間を見捨てない」

 

 ホシノは小さく笑い、頷いた。

 


「そっか……それを聞けて、安心した」

 

 夜風が吹き抜け、砂が足元で鳴った。


 

「ありがとうね」

 

「ああ、じゃあまた明日な」

 


「うん、また明日……」

 

 彼女の声が夜に溶けていく。
 それを見送った。

ーーーーーーーーーー

 『アビドス対策委員会のみんなへ――』

 

 『まずは、こうやって手紙でお別れの挨拶をする事になったこと、許して欲しい、おじさんにはこういう、古いやり方が性にあっていてさ』


 『皆には、ずっと話していなかった事があって――実は私、昔からずっとスカウトを受けていたんだ~、カイザーPMCの傭兵として働く、その代わりにアビドスが背負っている借金の大半を肩代わりする……そういう話でね?』
 

『うへ~、中々良い条件だと思わない? おじさんこう見えて、実は結構能力を買われていてさ~、凄いでしょ?』
 

『借金の事は、私がどうにかする、直ぐに全部を解決は出来ないけれど、まずはこれでそれなりに負担が減ると思う――ブラックマーケットでは急に生意気なことを云っちゃったけれど、あの言葉を私が守れなくてごめんね』


 『でも、これで対策委員会も少しは楽になる筈だから』


 

 『アビドス高校からも、キヴォトスからも離れる事になったけれど、私の事は気にしないで――勝手な事をしてごめんね』
 

 

『でもこれは全部、私が責任を取るべき事……私は、アビドス最後の生徒会だから』
 

『だから、此処でお別れ――じゃあね』

 

 『開拓者くんへ――』
 

『実は私、ただ優しい言葉を並べる人が大嫌いだった、あんまり信じてなかった』
 

『シロコちゃんが君をおんぶして来たあの時だって、なんか駄目な人が来たなって思ったくらいだし?』
 

『でも、君みたいな人と最後に出会えて、私は……いや、照れくさい言葉はもう良いよね』
 

『開拓者くん、最後に我儘を云って悪いんだけれど、お願い、シロコちゃんは良い子だけれど、横で誰かが支えていないと、どうなっちゃうか分からない子だから、悪い道に逸れちゃったりしないように、支えてあげて欲しい悪ノリして一緒に遊んじゃダメだよ。』
 

 

『まぁ君のことだから最後は止めてくれるんだろうけど』

 

 『シロコちゃん、ノノミちゃん、アヤネちゃん、セリカちゃん』
 

 

『お願い、私達の学校を守って欲しい、砂だらけのこんな場所だけれど……私に残された、唯一意味のある場所だから』

 


 『それから、もしこの先どこかで万が一、敵として相対する事になったら』
 

 

『その時は、私のヘイローを壊して』

 

 『――よろしくね』

 ……。

 早朝。
 まだ誰も来ていない、対策委員会の部室。
 

 

窓から差し込む光は弱く、夜と朝の境を見失ったような色をしていた。
 冷たい空気が、砂の匂いと共に肺に沈んでいく。
 

 

あのアビドスの砂漠が、夜の間にまた薄く積もったのだろう。足元がざらつく。

 

 机の上には、整然と並べられた退部届と、一通の手紙。

 


 それらが置かれているだけで、部室は“空っぽ”のように感じられた。
 いつもホシノが座っていた椅子は、きちんと引かれたまま、微妙に斜めを向いている。
 

まるで、そこに居た痕跡をわざと残すように。

 俺は机に近づき、彼女の丸みを帯びた文字を見つめた。


 丁寧に、けれどどこか不器用な筆跡。
 最後まで、ホシノらしい手紙だった。

 息を吸う。


 胸の奥に冷たい何かが沈む。
 

喉が詰まり、言葉にならない。

 ……穏やかに笑っていた彼女の姿が、ふと浮かんだ。

 


 “また明日”――そう言った昨夜の声が、脳裏で反響する。

 

 その「明日」が、来なかった。

 

 けれど、だからこそ。

 

 俺は、机の上の手紙を静かに取り上げた。
 

 

封を開けた指先が微かに震える。冷えのせいじゃない。

 

 紙の感触を確かめるように、拳の中でゆっくりと握り締めた。


 胸の奥で、何かが、はっきりと“音を立てた”。

 俺は顔を上げる。
 静かな部室の中、窓の外にはまだ淡い朝靄。
 その向こうに続く砂漠が、かすかに光を帯び始めていた。

「……叩き起こしに行こう。」

 声が自然に漏れた。
 小さく、けれど確かな響きを持って。

 どんなに遠くに行こうと、砂の果てに沈もうと――
 ホシノを、ただ黙って見送るつもりはない。

 俺は、もう一度だけ彼女に会う。
 この手で、叩き起こすために。




続く

今回の開拓の旅はひとまずここまで、次回をお楽しみに

Mr.ミミ作のコーナーの今後

  • 新キャラの方がいい
  • ストーリーに関係するキャラがいい
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