青春を開拓する銀河打者   作:現代の弁慶

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Ver2.0 迷える子羊のハーメルン

シャーレの部室は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。しかし、その静寂は平穏なものではなく、どこか張り詰めた、それでいて運命の歯車が噛み合う直前のような、独特な緊張感に満ちている。

黄金裔——かつて「黄金」を冠し、世界の理の外側に座す者たちが、今この狭い一室に集っていた。

 

「金織卿、どうだ?会談の様子は」

 

窓から差し込む西日が、室内を琥珀色に染め上げる。その光を背に受けて、アグライアは優雅に、しかしどこか満足げな笑みを唇に湛えていた。

「ええ、上手くいっていますよ。少しばかしアクシデントもありましたが、彼の性格を考えれば予測できなかったものではありませんでした」

その言葉に、ケリュドラが問いかけるような視線を投げ、ファイノンは快活な笑い声を上げた。

「ハハハ、どのような状況であっても相棒は相棒だったわけだ。むしろ、真面目に振る舞っている時の方が心配になるよ」

ファイノンの軽口は、張り詰めた空気を一時的に緩める。だが、その笑みの裏には、変わらぬ「相棒」への深い信頼と、それゆえの苦笑が混じり合っていた。

 

対照的に、キャストリスの眉間には深い皺が寄っていた。彼女の瞳に映るのは、現在の成功よりも、拭い去れない違和感だ。

「それにしても……穹さんが私たちのことを何一つ覚えていなかったことが、とても気になります」

彼女の呟きは、重い沈黙を連れてきた。かつて共有した時間、刻んできた絆。それらがすべて、今の彼の中には存在しない。その事実は、黄金裔たちの胸に複雑な波紋を広げていく。

その静寂を破ったのは、どこか他人事のような、ひょうひょうとしたサフェルの声だった。

「まぁ、仕方ないんじゃない? だって“あんなこと”があったんだし。そもそもの話だけどさ〜、世界が継続してること自体が奇跡みたいなものなんだから。ねぇ、キュレっち?」

サフェルの視線がキュレネへと向けられる。その言葉は真理を突いていたが、それゆえに鋭い棘を孕んでいた。

 

「え、ああ、そうね……」

促されたキュレネの反応は、いつになく精彩を欠いていた。心ここに在らず、といった様子で虚空を見つめる彼女を、ヒアンシーが心配そうに覗き込む。

「キュレたん? どうかしたんですか? ここに来る前からずっと黙り込んでいますし……」

「……大丈夫よ、ヒアンシー。それよりも、補習授業部の準備をしないといけないんじゃない?」

努めて冷静を装うキュレネ。だが、その声の微かな震えを、アグライアの鋭い眼差しは見逃さなかった。アグライアは無言のまま、静かにキュレネを観察する。その視線は、執筆者が抱える「何か」を暴こうとするかのようだった。

 

「それもそうね。ライアちゃん、生徒さんたちは分かった?」

トリスビアスが場を仕切り直すように問いかける。アグライアは手元にある紙にペンを走らせていた。

「はい、今顔を描いていますから、少し待っていてください」

紙の上で形作られていく「役割」と「容貌」。彼女たちの計画は、着実に次の段階へと移行しようとしていた。

その様子を見届け、アナクサゴラスが静かに立ち上がる。彼の動作には、一分の無駄も、一切の迷いもない。

「では、私は一足先に教材研究にでも出かけて来ます。用が済み次第、連絡をお願いしますよ」

 

「どうせ、我々の指に金糸を結んでいるのでしょう?」

 その問いかけに対し、アグライアは否定の言葉を紡ぐことはなかった。ただ、口元に艶やかで、どこか悪戯めいた笑みを浮かべるのみ。それは、運命という名の糸を操る裁縫師だけが許される、絶対的な自信の表れだった。

「……そういうわけですから、後は頼みましたよ」

 言い残すと同時、空間が歪んだ。

 シュンッ、と空気が弾ける音が室内に響く。界域アンカーが起動したのだ。光の粒子が舞い散る中、その姿は蜃気楼のように掻き消え、あとには静寂だけが残された。

「行ってしまいました……」

 呆気にとられたように呟くキャストリスの声が、静まり返った部屋に溶ける。

 ファイノンは肩をすくめ、やれやれといった体で苦笑した。

「ま、先生らしいといえばらしいけど……」

 主無き部屋に取り残されたオンパロスの面々。しかし、そこに停滞の空気はない。アグライアが手元の石版(タブレット)を操作し、画面を彼らに向けた。

「皆さん、出来ましたよ」

 液晶画面に映し出されたのは、特徴を捉えた数枚の似顔絵。電子のペンでさらさらと描かれたそれは、これから彼らが探すべき対象――この学園都市で迷える子羊たちの姿だった。

「これが……灰色の小魚が受けもった小魚たちか?」

 セイレンスが画面を覗き込み、興味深そうに目を細める。

 アグライアは静かに頷き、その場にいる全員を見渡した。

「そうです。皆さんにはこの方たちを見つけて、連れて来てください。……迷子にならないように、ね」

 その号令が、新たな遊戯の始まりを告げる合図となった。

「OK〜任せといて〜!」

 真っ先に声を上げたのはサフェルだった。彼女は弾むような足取りでキャストリスの背後に回り込むと、その華奢な肩をガシッと掴んだ。

「じゃあ一緒に行こうか? 引きこもり姫」

「え、わ、私とですか?」

 キャストリスがビクリと身を震わせる。突然の指名に、彼女の瞳には明らかな動揺と拒絶の色が浮かんでいた。だが、サフェルはお構いなしに言葉を続ける。

「そうだよ~。だって私が誘わなかったら、絶対新しい住処に向かってそのまま部屋に引きこもるじゃん! 少しは外に出ないと~」

 図星を突かれたのか、キャストリスが言葉を詰まらせる。サフェルは石版に表示された一人の少女――おどおどとした瞳の似顔絵――を指差した。

「それに見て、この子。私一人だと絶対に怖がられるの確定。どこか雰囲気が似てる引きこもり姫こそが適任なわけ。ねぇ、良いでしょ?」

 論理的と言えば論理的だが、勢いで押し切られた感は否めない。キャストリスは観念したように溜息をつき、小さく頷いた。

「は、はい……分かりました。サフェル様」

 一方、部屋の反対側では、別の火花が散っていた。

「さて、じゃあ僕らも探しに行こうか、モーディス?」

 ファイノンが優雅に声をかける。だが、呼びかけられたモーディスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「フン! 何を一緒に探しに行くことを前提で話を進めている」

 拒絶の言葉。しかし、ファイノンはそれを予想していたかのように、口角を吊り上げた。

「あー、そうだね。確かにそれじゃつまらない」

 彼は挑発的な光を瞳に宿し、提案を投げかける。

「だったら、どっちが先に生徒を見つけて連れ出すか……勝負をしよう、モーディス」

「何?」

 モーディスの眉がピクリと跳ねる。

「前回は、君の故郷であるクレムノスで、どちらが多くの敵を倒したかを勝負した。あの時は君に土地鑑があって有利な状態で引き分け……。つまり、公平な条件下である今回は、僕の勝ちだと思うんだ」

 サラリと、しかし確実に相手のプライドを逆撫でする言葉。モーディスの瞳に闘争心の炎が灯る。

「ハッ! 何をいうかと思えば……貴様が引き分けに持ち込めたのは、アイツが一緒だったからだ。今回は俺の勝ちに決まっている」

「ということは、勝負を受けたってことで良いのかな?」

「当然だろ。クレムノスの辞書に『撤退』という文字はない」

 バチバチと視線が交錯する。男たちの単純明快な競争原理が動き出した。

 その喧騒の傍らで、静かな問いかけが響く。

「カイザー、私は行っても良いだろうか? 少し気になる小魚がいて」

 セイレンスが、部屋の主であるかのように佇むケリュドラに伺いを立てる。彼女の視線は、石版にある一人の少女――どこか謎めいた雰囲気を持つ生徒――に注がれていた。

 ケリュドラは鷹揚に頷く。

「良いだろう。皆の働きに期待している」

 許可が下りるや否や、サフェルが待ちきれないとばかりに声を張り上げた。

「よ〜し! 出発!!」

「ちょ、サフェル、金糸がまだーー」

 アグライアが制止する間もなく、サフェルはキャストリスを引きずりながら部屋を飛び出していった。台風のような去り際に、その場に残された者たちは苦笑するしかない。

「まんまと逃げられちゃったわね、ライアちゃん?」

 トリスビアスが面白そうにクスクスと笑う。

 アグライアは短く息を吐くと、緩んだ金糸の先を見つめながら、柔らかく目を細めた。

「まぁ、良いです。彼女は縛るより自由にさせた方が動きやすいでしょうから……」

 そう呟くと、彼女は最後に残った静かな影へと視線を向けた。

「ね、セファリア」

 

白亜の回廊を抜けたその先に広がっていたのは、視界を灼くような極彩色の「平和」だった。

 手入れの行き届いた庭園には、計算され尽くした自然の調和があり、歴史の重厚さを纏った煉瓦造りの校舎群が、威風堂々と鎮座している。

 天井のステンドグラスを透過した陽光は、地面に七色のモザイクを落とし、まるでこの空間そのものを祝福しているかのようだ。風に乗って鼻腔をくすぐるのは、古びた羊皮紙の匂いと、高級な茶葉の甘やかな香り。

「へぇー……ここがトリニティって名前のお嬢様学校か〜」

 ファイノンは足を止め、眩しげに目を細めて周囲を見渡した。

 彼の視界を行き交うのは、純白の制服に身を包み、背に天使の翼を負った少女たち。

 その光景は、硝煙と鉄錆、そして冷徹な実利のみが支配していた彼らの故郷――クレムノスやオンパロスでの日常とは、あまりにもかけ離れていた。あまりに無防備で、あまりに鮮烈な「聖域」。

「僕たちが通っていた学校とは全く違うな〜」

 口から漏れたのは、感嘆とも、呆れともつかない溜息だった。

 かつて彼らが学び、競い、削り合った学び舎は、もっと無機質で冷たい機能美の塊だった。それに比べれば、ここはまるで絵本の中から切り取られた楽園だ。砂糖菓子のように甘く、脆く、それゆえに美しい。

「それにしても、本当に女子しかいない。穹のいう通り、ここには女子生徒しかいないみたいだ」

 ファイノンは顎に手を当て、興味深げに頷く。

 視界を埋め尽くすのは、花のような年頃の少女たちばかり。男の影など微塵もない純潔の園。そんな無菌室のような空間に、異質な存在――それも、明らかにカタギの空気ではない二人の男が放り込まれたのだ。

 当然、反応は劇的だった。

「……きゃっ」

「誰、あの人たち……?」

「見たことない制服……それに、男の人?」

 さざ波のように広がる囁き声。遠巻きに向けられる視線には、未知への警戒と、それを上回る好奇心、そして隠しきれない熱が混じっていた。

 まるで檻のない動物園に迷い込んだ珍獣を見るような、あるいは物語の王子を盗み見るような、湿度を帯びた視線の集中砲火。

「それになんだか、すごく見られている気が……」

 ファイノンが苦笑し、大仰に肩をすくめた、その時だった。

 甘い空気を切り裂くように、鋭利な声が背後から飛んできた。

「おい、ぼーっとしてるな! 俺との勝負に勝つ余裕があるのか!?」

 モーディスだ。

 彼は周囲から降り注ぐ好奇の視線など意にも介さず、ただ一点、獲物を狙う猛禽のような眼光でファイノンを睨みつけていた。

 その手には、ターゲットの顔が映し出された石版(スマホ)が、ひび割れんばかりに強く握りしめられている。

「この美しい景観に目を奪われるのは勝手だが、俺たちの目的は生徒の確保だ。貴様が道草を食っている間に、俺が先に見つけ出させてもらうぞ」

 モーディスの言葉には、一切の妥協がない。

 その全身から立ち上る闘志は、平和な学園にはあまりに不釣り合いなほど苛烈だった。彼はクレムノスでの雪辱を晴らすべく、この「生徒探し」すらも戦場と定義しているのだ。

 ファイノンは、そんな相棒の猪突猛進ぶりに、やれやれと首を振る。

「はいはい、分かってるよ。まったく、君はいつも余裕がないなぁ……。せっかくの異世界、少しは楽しめばいいのに」

「楽しむ? 勝負に私情を挟むな」

 吐き捨てるように言い放ち、モーディスはズカズカと歩き出した。

 その殺気立った歩調に、周囲の生徒たちが慌てて道を空ける。まるでモーゼが海を割るかのように、人混みが左右へと退いていく。

「あーあ、怖がらせちゃって……。ま、僕も負けるつもりはないけどね」

 遠ざかる背中を見送りながら、ファイノンもまた、手元の石版に視線を落とす。

 そこに描かれているのは、アグライアの手による特徴的な似顔絵だ。

(さて、この広い学園で、どうやって彼女たちを見つけるか……)

 モーディスのように直感と脚力でしらみ潰しに探すのも一つの手だ。だが、それでは芸がない。

 ファイノンは一瞬思案し、そして人懐っこい、計算された「愛想の良い笑み」を浮かべて、近くにいた一人の生徒に狙いを定めた。

「やあ、そこの可愛らしいお嬢さん。少し道をお尋ねしてもいいかな?」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 声をかけられた生徒――図書委員のような大人しそうな少女――は、顔を真っ赤にしてその場で飛び上がった。

 突然、異国の物語から抜け出してきたような美丈夫に声をかけられたのだ。彼女の心臓が早鐘を打つ音が、ここまで聞こえてきそうだった。

「僕たちは……そうだな、新任の教師の助手みたいなものなんだけど。この絵の子たちがいる場所を知らないかな? 彼女たちに用があるんだけど……」

 ファイノンがスマートな所作で端末の画面を見せる。少女は湯気を吹き出しそうな顔で画面とおずおずと交互に見比べ、震える指先をある方向へと向けた。

「あ、あっちの……旧校舎の方だと思いますぅ……!」

「ありがとう。君のような親切な子に会えてよかったよ」

 ファイノンが極上の微笑みと共に礼を述べると、少女は限界を迎えたのか、その場にふにゃりとへたり込んでしまった。

 その様子を横目で確認しつつ、ファイノンは涼しい顔で歩き出す。罪作りな男の足取りは軽い。

「……旧校舎、か」

 視線の先、モーディスはすでに野生の勘だけで突き進んでいるが、驚いたことに方向はあながち間違っていないようだ。あの男の嗅覚は侮れない。

 ファイノンは軽く準備運動をするように首を鳴らすと、地面を蹴った。

「悪いけどモーディス、情報は僕が先に貰ったよ――!」

 風を纏うような速度で、ファイノンが駆け出す。

 トリニティの優雅な午後に、二つの流星が走り抜けた。

 目指すは、学園の掃き溜めにして最期の砦――旧校舎。

 勝利の女神がどちらに微笑むか、レースの幕は切って落とされた。

 

「彼女の話によるとこの辺りのはずなんだけど……あっ、もしかしてあの子かな?」

 木漏れ日が揺れる並木道の先に、ファイノンは探していた姿を見つけた。

 豪奢な装飾や目立つ特徴があるわけではない。むしろ、このトリニティという絢爛な箱庭においては、風景の一部として埋没してしまいそうなほどに「普通」の少女。

 肩にかけたトートバッグには、どこか間の抜けた表情をした鳥のキャラクターバッジが揺れている。

(彼女は確か……ヒフミって子だっけ?)

 ファイノンは足を止め、興味深そうに観察する。

 あの会議の場――アグライアが似顔絵を示した際、相棒(穹)が見せた反応。あれは間違いなく、深い縁のある相手に対するものだった。

 しかし、遠目に見る彼女からは、これといって強大なオーラを放っているわけでも、特異な気配を纏っているわけでもない。あの破天荒で、銀河をバット一本で渡り歩く穹と縁があるようには到底見えないが――。

(人は見かけによらないということか。あるいは、この「普通さ」こそが彼女の特異性なのかも……)

 嵐の目を無自覚に歩く台風のような存在。そんな予感を抱きつつ、ファイノンは口元に愛想の良い笑みを浮かべた。

「さて、と」

 彼は軽く襟元を正し、あくまで紳士的に、そして警戒させないような柔らかな足取りで彼女へと近づいた。

 木々の影から日向へと踏み出し、爽やかな風と共に声をかける。

「やあ、こんにちは。少し時間を貰ってもいいかな?」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 声をかけた瞬間、少女――阿慈谷ヒフミは、まるで背後から爆発音でも聞いたかのように肩を跳ねさせた。

 反射的に抱えていたトートバッグをギュッと抱きしめ、恐る恐る振り返る。その動きは小動物そのもので、瞳には突然現れた見知らぬ男性(それも浮世離れした美丈夫)に対する困惑と、隠しきれない恐怖が入り混じっていた。

「あ、あの……えっと、私に何か……?」

「驚かせてしまってごめんね。怪しいものじゃないんだ……と言っても、この状況じゃ説得力がないか」

 ファイノンは苦笑しながら、両手を軽く挙げて敵意がないことを示す。彼が纏うのは威圧感ではなく、春風のような親しみやすさだ。

「僕はファイノン。相ぼーーじゃなくて、シャーレの先生、銀河打者に頼まれてここに来たんだ」

 つい口をついて出そうになった「相棒」という言葉を飲み込み、この世界での彼の通り名を告げる。

 すると、ヒフミの瞳から警戒の色が少しだけ抜け落ちた。

「ぎ、銀河打者って……穹さんのことですか?」

「そう。実はーー」

 彼が事情を説明しようと口を開きかけた、その時だった。

 ヒフミの表情が、一瞬にして曇った。まるで世界の終わりを告げられたかのように、彼女は肩を落とし、諦念に近い溜息を漏らす。

「ほ、補習授業部の件ですよね?」

 ファイノンは目を丸くした。まだ何も言っていないのに、彼女の方から核心を突いてくるとは。

「……おや、察しがいいね。どうして分かったんだい?」

「うぅ……やっぱりそうなんですね……」

 ヒフミはがっくりと項垂れた。その背中からは、世界の理不尽を一身に背負ったかのような哀愁すら漂っている。

「まぁ、今時私みたいな普通の生徒を訪ねてくるような理由なんて、それぐらいしかありませんから」

「へぇ〜、でも普通の生徒は補習授業部なんて部に入れられることなんてないと思うけど?」

 ファイノンが首を傾げると、ヒフミはさらに身を小さくした。トートバッグを盾にするように抱え直し、上目遣いで訴える。

「あぅ……あ、あの、そんな目で見ないで下さい、これにはその、やむを得ない事情がありまして」

「――聞こうか」

 ファイノンは穏やかに促した。

 学園の闇か、あるいは不可抗力の事故か。どんな深刻な事情があるのかと身構える。

 ヒフミは言い淀み、視線を泳がせ、意を決したように小さな口を開いた。

「えぇと、こうなったやむを得ない事情というのは、ですね……」

「うん」

「その、ペロロ様のゲリラ公演に参加する為に、テストをサボってしまいまして……」

 …………。

 世界から音が消えた。

 ファイノンの笑顔が、一瞬だけ硬直する。

「………」

「………」

 木々のざわめきだけが、気まずい沈黙を埋めていく。

 テストをサボる。病気でも、事故でも、世界を救う戦いでもなく。

 ゲリラ公演。

 ファイノンの視線が、彼女が命がけで守っているトートバッグへと吸い寄せられた。そこには、黄色くて丸い、なんとも言えない表情をした鳥のキャラクターが揺れている。

「ペロロって、そのバッグとかのキャラクターのことかな?」

「は、はい! 私のお気に入りなんです!!」

 それまでの消え入りそうな声が嘘のように、ヒフミが弾かれたように顔を上げた。

 瞳には星が宿り、頬は紅潮している。推しを語るオタク特有の、爆発的な熱量がそこにはあった。

「あの愛くるしいフォルム! つぶらな瞳! 見ているだけで心が浄化されるような尊さ……! その限定ゲリラ公演となれば、これはもう運命なんです! 行かないという選択肢は、私の人生において存在し得ないんです!」

 一気にまくし立てるヒフミ。

 ファイノンは瞬きを数回繰り返し、そして堪えきれないように噴き出した。

「ふッ……あはははは!」

「えっ、あ、わ、笑わないでください!」

「いや、ごめんごめん。あまりにも予想外でさ」

 ファイノンは目尻に浮かんだ涙を拭い、改めて目の前の少女を見た。

 普通? いや、とんでもない。

 自身の欲望(推し活)のために社会的信用(テスト)を天秤にかけ、迷わず前者を選ぶその豪胆さ。

 なるほど、穹が気にかけるわけだ。

「やむを得ない理由、だよね?」

 ファイノンはニヤリと笑い、確認するように問うた。

「は、はい。やむを得ない理由、です」

 ヒフミは恥ずかしさで耳まで赤くしながらも、そこだけは譲れないとばかりに力強く頷いた。

 その瞳の輝きを見て、ファイノンは確信する。

 この「普通」の少女は、きっと面白い物語を見せてくれるだろうと。

「分かった。その情熱に免じて、僕も君をエスコートするよ。さあ、行こうか。補習授業部へ」

「うぅ……連行されるような言い方はやめてくださいぃ……」

 ファイノンは歩き出す。その後ろを、とぼとぼと、しかし大切なバッグを抱きしめたヒフミがついていく。

 トリニティの片隅で、奇妙な二人組が動き出した。

 

並木道を歩く二人の間に流れる空気は、穏やかでありながら、どこか奇妙な緊張感を孕んでいた。

 ファイノンは手元の資料に視線を落とし、ふと思い出したように口を開く。

「そういえば、ヒフミさん。ここに『補習授業部の部長』だって書いてあったんだけど、何か理由でもあるのかい?」

 何気ない問いかけだった。しかし、その言葉が耳に届いた瞬間、隣を歩くヒフミの肩がびくりと跳ねた。

 彼女はトートバッグの紐をぎゅっと握りしめ、視線を忙しなく彷徨わせる。

「え、えっと……それは〜その〜……」

 言葉に詰まり、冷や汗を滲ませるその姿は、単なる謙遜とは違う。もっと切迫した、触れられたくない事情を抱えている者の反応だ。

 ファイノンはすぐに察した。この「部長」という肩書きは、彼女が望んで手に入れたものではなく、何らかの意図――おそらくはあのティーパーティーの思惑によって押し付けられたものであると。

「言えないことなら良いんだ。ただ、急造の部活なのに事前に役職が決められているって、何かあるのかなと不思議に思っただけなんだ」

 彼は努めて軽やかに、追求する意思がないことを示すように微笑んだ。

 ヒフミは安堵と罪悪感が入り混じったような表情で、深く頭を下げる。

「すみません……」

 謝る必要などないのに。そう言いかけたファイノンの視界の端に、見慣れた、しかしこの場には不釣り合いな影が映り込んだ。

「あれ? あの二人はーー」

 視線の先、手入れされた植え込みの陰から、ひらりと姿を現した人物がいる。

「おや〜? 救世の坊や(※引退済み)じゃん! こんなとこで会うなんて奇遇だねぇ」

 鈴を転がすような、それでいてどこか人を食ったような声。

 サフェルだ。彼女は面白くて仕方がないといった様子で、ファイノンを指差してケラケラと笑う。

 ファイノンは眉間を押さえ、深い溜息を吐き出した。

「サフェルさん、その言い方……生徒さんの前ではやめてくれないか?」

 かつての称号。今の彼にとっては古傷のような、あるいは若気の至りのようなその呼び名を、初対面の生徒の前で晒されるのは流石に居心地が悪い。

 案の定、ヒフミが目を丸くして首を傾げている。

「え、救世の……坊や? なんの話をしているんですか?」

 純粋な疑問。それが余計にファイノンの心を抉る。

「ほら、部長さんも困ってるじゃないか……」

「えぇ〜? 別に良いじゃん。もう引退済みなんだし〜、過去の栄光ってやつ?」

 サフェルは悪びれる様子もなく肩をすくめ、興味の対象をヒフミへと移した。猫が新しい玩具を見つけたような、無邪気で残酷な瞳。

「へぇ〜、じゃあこの子が補習授業部の部長さん!? こんにちは〜私はサフェル。で、隣で静かにしてるのが引きこもり姫」

 彼女が親指で背後を示す。そこには、サフェルとは対照的に、自身の存在を世界から切り離そうとするかのように佇む少女の姿があった。

「キャストリスです。……よろしくお願いします」

 消え入りそうな声で挨拶をし、丁寧にお辞儀をするキャストリス。その姿は、陽の光を恐れる深海の住人のようだ。

 ヒフミも慌てて居住まいを正し、ペコリと頭を下げる。

「こ、こちらこそ宜しくお願いします」

 奇妙な顔合わせが済み、ファイノンは改めて二人を見やった。

 サフェルとキャストリス。水と油のようなコンビだが、任務は忘れていないはずだ。

「二人とも、のんびりとしているけど……生徒さんは見つけたのかい?」

「もちろんだよ! 見つけたのは私で、連れ出したのは引きこもり姫だけどね」

 サフェルが胸を張る。しかし、ファイノンが周囲を見渡しても、それらしい生徒の姿はない。

「でも、どこにも生徒さんの姿が見えない。一体どこに隠しているんだ?」

 ファイノンの問いに、サフェルは大袈裟に心外だという顔を作ってみせた。

「失礼だねぇ。私が可愛い生徒まで隠すような悪い猫に見える?」

 彼女はにやりと笑い、キャストリスの背後――そのわずかな死角を指差した。

「隠してるんじゃなくて、隠れてるの! ほら、早く出ておいで。この人たちは私たちの仲間だから」

 サフェルに促され、キャストリスも困ったように、けれど優しく背後を振り返る。

「安心してください。怖い人じゃありませんから……大丈夫ですよ」

 同類ゆえの共感か、キャストリスの声には相手を安心させる響きがあった。

 その言葉に背中を押されるようにして、キャストリスの背中から、おずおずと小さな影が滲み出てくる。

 怯えた小動物のように震えながら、その少女は蚊の鳴くような声で名乗った。

「………ま、マイアです」

 

 ファイノンは、キャストリスの背後からおずおずと顔を覗かせている少女――マイアに向け、安心させるように膝を折って目線を合わせた。

「マイアさんだね。僕はファイノン。これからよろしく」

 彼は春風のような微笑みを浮かべ、友好的に手を差し伸べる。

 しかし――。

 ササッ。

 風切音すら聞こえそうな速度で、マイアは再びキャストリスの背中へと姿を消した。完全に拒絶である。キャストリスの影から、震える動物のような気配だけが伝わってくる。

「おっと……どうやら、かなりの恥ずかしがり屋さんみたいだ」

 ファイノンは行き場を失った手を苦笑いと共に収め、傍らでニヤニヤと笑っているサフェルへと視線を向けた。

「そうなんだよ。見つけるまでは良かったんだけど、連れ出すまでが大変でさ〜」

 サフェルは大袈裟に肩をすくめ、やれやれといった体で語り出す。

「引きこもり姫がいなかったらどれだけ時間がかかったことか……。あまりに動かないから、いっそのこと『詭術』の力を使って、運んでやろうかとまで思ったほどだよ」

「ヒッ……」

 その物騒な単語に反応し、キャストリスの背後から短い悲鳴が漏れた。

 マイアにとって、サフェルの底知れない笑顔は冗談に聞こえないのだろう。さらに小さく縮こまる気配を感じ、キャストリスは困ったように、けれど優しく背後の少女に声をかけた。

「大丈夫ですよ、ただの冗談ですから……怖がらないで」

「サフェルさん、そういうのは本人の前であまり言うべきではないと思うよ」

 ファイノンが柔らかく、しかし明確に窘める。

 サフェルは悪びれる様子もなく、ひらひらと手を振った。

「ご、ごめんって〜。ちょっとしたジョークだよ」

「はぁ……。まぁいい、こうして無事に集まったんだ」

 ファイノンは気を取り直し、周囲を見渡した。

 自身の確保したヒフミ、そしてサフェルたちが連れてきたマイア。これで二名。

「後は海の歌い手、セイレンスさんと……モーディスだけかな」

「そういえばファイノン様は、モーディス様と勝負をしていましたね」

 キャストリスが静かな声で思い出したように告げる。

「ああ、どっちが先に生徒さんを連れて行くかって勝負をね」

 ファイノンは余裕の笑みを浮かべた。

 現状、自分はヒフミを確保済み。サフェルたちも合流した。一方、モーディスからの連絡はない。

「モーディスのやつ、これじゃあ二人くらい見つけていないと、この勝負勝てないぞ」

「ほんと、アンタたち飽きないね〜。男の子ってどうしてこう、無駄に競いたがるんだか……」

 サフェルが呆れたように茶化す。

 その時だった。

「ん? ここで集まる予定だったか?」

 不意に、凛とした涼やかな声が場に割り込んだ。

 音もなく現れたのは、セイレンスだ。彼女は相変わらず、周囲の空気さえも浄化するような静謐なオーラを纏っている。

「セイレンスさん! いや別に、偶々ここで出会っただけさ……」

「そうか、それは良かった……」

 セイレンスは短く頷くと、どこか事務的な調子で続けた。

「ちょうど良い。皆にも手伝ってほしいことがあったんだ」

「手伝ってほしいことってーー」

 ファイノンが首を傾げる。

 彼女が助けを求めるなど珍しい。迷子の案内か、それとも重い荷物でも持っているのか。

 しかし、セイレンスが無表情で指差した「それ」を見た瞬間、ファイノンたちの表情が凍りついた。

「これだ」

 彼女の指差す先。

 そこには、黒い制服に赤い腕章をつけた生徒たち――正義実現委員会のモブたちが、累々と折り重なるようにして倒れていた。

 気絶しているのか、ピクリとも動かない「死屍累々」の山。

 平和な学園の片隅に、突如として出現したバイオレンスな光景に、ヒフミが「ひゃっ」と息を呑む音が響いた。

 

「あちゃ〜……こりゃまた、派手にやったねー」

 サフェルが口笛を吹くような軽い調子で呟いた。

 彼女の視線の先には、積み木崩しのように折り重なって倒れる黒い制服の集団――正義実現委員会のモブたちが、ピクリとも動かずに転がっている。あたかも嵐が過ぎ去った後の海岸に打ち上げられた流木のようだ。

 平和な学園の風景を切り裂く暴力の爪痕に、ファイノンは頬を引きつらせながら、隣で震えるヒフミに尋ねた。

「えっと……ヒフミさん。この倒れている人たちは、一体誰なのかな?」

「こ、この人たちは『正義実現委員会』と言って……このトリニティにおける治安維持組織の方々です」

 ヒフミの声が裏返る。彼女にとって、正義実現委員会は泣く子も黙る武力組織。それがこうも容易く、しかも大量に無力化されている光景は、悪夢以外の何物でもなかった。

 キャストリスもまた、惨状を目の当たりにして不安げに眉を寄せる。

「セイレンス様、これは一体どういう……」

「何、別にーー」

 問われたセイレンスは、衣服についた埃を払う程度の無頓着さで答えようとした。

 だが、その言葉を遮るように、低い、無機質な声が瓦礫の陰から響いた。

「襲ってきたから対処したまで。自己防衛だ」

 ぬっと姿を現したのは、顔全体を覆う無骨なガスマスクを装着した小柄な少女だった。その手には使い込まれたアサルトライフルが握られており、全身から漂う硝煙の匂いは、ここが戦場であったことを雄弁に物語っている。

 そのあまりに簡潔すぎる説明に、ヒフミが悲鳴のようなツッコミを入れた。

「自己防衛って、敵さんもれなく全滅してますけど!?」

 過剰防衛という言葉すら生温い。これは一方的な殲滅だ。

 しかし、当の本人たちは涼しい顔をしている。サフェルは興味深そうにガスマスクの少女を覗き込んだ。

「で、そこの妙に似てる子が生徒さん?」

「そうだ。彼女は、白髪のウツボ……」

 セイレンスが淡々と紹介する。

 ウツボ。

 その奇妙な呼び名に、ガスマスクの奥から不満げな声が漏れた。

「……ウツボじゃない。アズサだ」

「……らしい」

 訂正されても尚、セイレンスの表情はピクリとも動かない。

 そのあまりの適当さに、ヒフミは呆れを通り越して戦慄した。

「いや、『らしい』って……一緒に戦ったんですよね? 名前も知らずに共闘してたんですか?」

「私は『生徒を連れて行く』という目的を優先するため、彼女を助けたに過ぎない。名前など些末な問題だ」

 セイレンスにとって、重要なのは結果のみ。過程における交流など二の次なのだ。

 だが、助けられた側のアズサもまた、常識の枠外にいる存在だった。彼女はセイレンスに対し、怒るどころか感心したような視線を向けている。

「それにしても驚いた。あの大勢を一瞬にして打ち負かす大波……あのような戦い方もあるんだな。覚えておこう」

「白髪のウツボ、気にする事はない。一人であれだけの数を相手に粘ったその姿勢、素晴らしいものだった」

 戦士と戦士。

 互いの技量を認め合う武人の空気が、二人の間に流れている。言葉は少なくとも、そこには確かなリスペクトが存在していた。

 その奇妙な親和性を感じ取ったのか、キャストリスが小声でファイノンに耳打ちする。

「あの、ファイノン様……あの二人、気が合うのでしょうか?」

「そうだね。戦士として何か通ずるところがあるんだと思う。」

 ファイノンは苦笑交じりに頷いた。

 さて、状況は把握した。生徒も確保した。

 だが、このまま彼女たちを放置して立ち去るわけにはいかない。学園の治安維持部隊を全滅させて放置など、明日には国際問題になりかねない。

「まぁ、とりあえず……」

 ファイノンは視線を巡らせ、最も適任な人物――サフェルに狙いを定めた。

「サフェルさん、ここで倒れてる人たち全員、運んでくれないかな?」

「えぇ〜!? なんで私が」

 サフェルが露骨に嫌そうな顔をする。面倒ごとは御免だという意思表示だ。

 しかし、ファイノンは彼女の性格を熟知している。彼はあくまで爽やかに、そして逃げ道を塞ぐように告げた。

「だって、サフェルさんの『詭術』の力さえあれば、一気に運ぶなんてこと、赤子を捻るようなものだろう? 君にしか頼めないんだ」

 

「もう、仕方ないなぁ……高くつくよ!」

 サフェルはこれ見よがしに大きな溜息をつくと、悪戯っぽい瞳を輝かせて、虚空に向かい手を叩いた。

 パンッ、という乾いた音が響くのと同時に、彼女の足元の影が不自然に揺らめき、空間そのものが口を開けるように歪み始めた。

「おーい、バトッち! 出ておいで!! お仕事の時間だよ〜」

 その呼びかけに応えるように、影の底から軽薄で明るい声が飛び出した。

「はいはーい!」

 影から勢いよく飛び出してきたのは、紫色の球体をベースにした奇妙な機械人形――「シーフ」バトルズだ。彼は宙に浮かびながらクルリと一回転し、愛嬌のある身振りで登場を決めて見せた。

 あまりに唐突な出現現象に、一般常識の範疇で生きる少女たちの反応は劇的だった。

「フェッ!?」

「ヒッ!」

 ヒフミは素っ頓狂な悲鳴を上げてその場に凍りつき、マイアはキャストリスの背中にしがみついてさらに小さくなる。

 一方で、戦場に生きるアズサの反応は鋭かった。

「敵か?」

 瞬時にガスマスクの奥の瞳を細め、アサルトライフルの銃口をバトルズへと向ける。その指はすでに引き金にかかっていた。

 しかし、その殺気をセイレンスが片手で制する。

「違う。あれはネコサメの仕事仲間だ」

「……ネコサメ?」

 アズサが怪訝そうに銃を下ろす。

 そんな殺伐とした空気など何処吹く風で、召喚されたバトルズは大きな目玉のような頭部をキョロキョロと動かし、辺りを見回していた。

「おいおい、呼び出しておいてなんだよ、その態度は……っていうかここは? オイラの来たことない場所だなぁ。なんかこう、キラキラしてて落ち着かないんだけど」

 彼は白亜の校舎と手入れされた庭園を見て、場違い感に首をかしげるような動作をする。

 サフェルはそんな彼の困惑を手でひらひらと払い除けた。

「はいはい、バトっち。無駄話はそこまでにして。あそこでぶっ倒れてる子たち、連れて行くからよろしくね」

 彼女が顎でしゃくった先には、死屍累々と転がる正義実現委員会のモブたち。

 バトルズは目を丸くし(ているように見え)、そして抗議の声を上げた。

「おい! 全然話が見えないぞ!! いきなり呼び出されて死体運びかよ!?」

 文句を言いつつも、彼は逆らえないことを悟っているのか、渋々と倒れている生徒たちの方へと浮遊していった。サフェルは満足げに頷き、そしてファイノンの方へと向き直る。

 さて、運搬手は確保した。あとは行き先だ。

「大丈夫大丈夫、道はえっと……」

 サフェルが困ったように首を傾げ、視線を彷徨わせる。そして、その視線はトートバッグを抱えて硬直している少女へと定まった。

「ひ、ヒフミです!」

 名を問われたわけでもないのに、ロックオンされた恐怖からか、ヒフミは反射的に名乗りを上げてしまった。

 サフェルは「それだ!」とばかりに手を打ち、満面の笑みを浮かべて彼女の肩をバンと叩いた。

「そうそう、フミッちが案内してくれるから」

「ふ、フミッち……?」

 変なあだ名をつけられたことに戸惑う暇もなく、サフェルは強引にヒフミの背中を押した。

「そういうわけでフミッち! 部長として最初の仕事だよ〜行ってみよ〜!」

 部長。その重く、そして逃れられない肩書きが、再び彼女にのしかかる。

 ヒフミはこの状況の理不尽さと、これから始まるであろう波乱の予感に、ただただ情けない声を漏らすことしかできなかった。

「あ、あぅぅ……」

 

手入れの行き届いた芝生と、整然と並ぶ街路樹。

 トリニティの優雅な景観の中を、世にも奇妙な一行が進んでいく。

 先頭を歩くのは、怯えた様子の「部長」ヒフミ。続いて、涼しい顔のファイノンと無表情のセイレンス、どこか楽しげなサフェル。そして、影のような機械人形が気絶した生徒の山を運搬し、最後尾にはガスマスクの少女と、おどおどした少女を背に隠した女性が続く。

 その奇妙な行進の最中、最後尾を歩いていたアズサがふと足を止め、ガスマスク越しに視線を巡らせた。

「ん?」

 その微かな違和感に、鋭敏な聴覚を持つセイレンスがいち早く反応する。

「どうした、白髪のウツボ」

 振り返りざま、感情の読めない瞳で問いかける。アズサはその問いには答えず、キャストリスの背後――その影に同化するように隠れている小柄な少女へと視線を固定した。

「……マイアもここに来てたのか?」

 名を呼ばれた少女、マイアはビクリと肩を震わせた。

 キャストリスの袖を握りしめたまま、恐る恐る顔半分だけを覗かせる。

「あ、アズサ先輩……どうも」

 消え入りそうな挨拶。だが、そこには初対面の相手に対する警戒心とは違う、どこか既知の空気が流れていた。

 その様子を見て、ファイノンが興味深そうに口を挟む。

「おや? 二人は知り合いだったりするのかな?」

 アズサは短く頷き、淡々と事実を告げた。

「私とマイアは……転校生なんだ」

「あまり話したことありませんけど……見かけることがあったぐらい……です」

 マイアが俯きがちに言葉を継ぎ足す。

 同じ「外」から来た者同士という共通点。けれど、戦場に身を置くアズサと、影に潜むマイアの間には、これまで交わることのない距離があったのだろう。

 そんな二人の様子を眺めていたセイレンスは、ふむ、と一つ頷き、独り言のように呟いた。

「白髪のウツボに、小さなチンアナゴ……ふむ。悪くない取り合わせだ」

 チンアナゴ。

 砂から顔を出してはすぐに引っ込める、あの臆病で愛らしい生物。

 キャストリスの背中から顔を出したり引っ込めたりしているマイアの姿は、確かに言い得て妙だったが、当の本人は困惑の色を隠せない。

「あ、あの……セイレンスさんって、人のことを魚に例えるのって……」

 何か深い意味があるのだろうか。それとも、遠回しな揶揄なのだろうか。

 不安げに上目遣いをするマイアに対し、彼女の盾となっていたキャストリスが、困ったような、それでいて慣れ親しんだ微笑みでフォローを入れた。

「セイレンス様は昔から人を魚に例えて呼びます。別に意味があるわけではないので、気にしないで大丈夫ですよ……。ただの、口癖のようなものですから」

「は、はい……」

 マイアはほっとしたように息を吐き、再びキャストリスの背中へと身を寄せる。その安心しきった姿は、親鳥に寄り添う雛のようだ。

「ハハハ、完全にキャストリスさんに懐いてるね」

 ファイノンが朗らかに笑う。

 殺伐とした話題や不穏な空気が漂う一行の中で、そこだけは奇妙な温かさが生まれていた。

 だが、その和やかな空気は、先頭を歩く少女の切迫した声によって引き締められた。

「みなさん、もう少しで正義実現委員会の本拠地ですよ……!」

 ヒフミが指差す先。

 並木道の向こうに、周囲の校舎とは一線を画す、威圧的で重厚な石造りの建物が姿を現した。

 トリニティの治安を守る要塞――正義実現委員会本部。

 そこから漂うピリついた空気が、肌をチリチリと刺すようだった。

サフェルは芝生から見上げるようにして、目の前にそびえ立つ重厚な石造りの建物を眺めた。

「はえぇ〜……すっごく立派な建物だねぇ〜」

 感心したような、けれどどこか他人事のような口調。

 威圧感たっぷりのファサードは、ここが単なる学び舎ではなく、武力を管理する要塞であることを無言で主張している。

「当然ですよ。トリニティの治安維持の全てをここが担っているんですから」

 ヒフミが少しだけ誇らしげに、しかしそれ以上に緊張で声を震わせながら答える。

 彼女は一度深呼吸をして、後ろに続く問題児二人――セイレンスとアズサに向き直った。

「セイレンスさんに、アズサちゃん。……ちゃんと謝ってくださいよ? いいですね?」

 まるで保護者のような剣幕。

 平和的な解決を望む彼女にとって、ここでの第一印象は死活問題だ。

「了解した」

 セイレンスは短く頷く。その表情に罪悪感の色はないが、約束は守るつもりらしい。

「分かった……」

 アズサもガスマスク越しに小さく答える。彼女にとって戦いは日常だが、謝罪という行為は戦術マニュアルのどこにも載っていない未知の領域のようだ。

「それじゃあ、失礼します………」

 ヒフミがおずおずと重厚な扉を押し開ける。

 冷房の効いた涼しい空気と共に、ピリリとした緊張感が肌を刺した。

 受付カウンターに座っていた正義実現委員会の生徒が、顔を上げて業務的な笑みを向ける。

「ようこそ、正義実現委員会へ。今回はどういったご用件で?」

 丁寧だが、隙のない対応。

 ヒフミは背筋を伸ばし、必死に言葉を探した。

「え、えっと……実はーー」

 言い淀むヒフミの横から、サフェルがひょいと顔を出した。

「まぁ、見てもらった方が早いかなぁ」

 彼女は悪戯っぽく微笑むと、背後の空間に向かって指をパチンと鳴らす。

「バトっち。もう出して良いよ」

 虚空から、軽薄な声が響く。

「あいあい、わかったよ。姉御ぉ」

 次の瞬間、ドンガラガッシャーン!! という派手な音がロビーに轟いた。

 「シーフ」バトルズが影の中から吐き出したのは、うず高く積まれた正義実現委員会の生徒たちの山。

 気絶したまま折り重なる黒い制服の群れが、磨き上げられた床の上に無造作に転がされる。

「きゃあああああっ!?」

 受付の生徒が悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちそうになった。

「な、な、なっ!? 敵襲!? それともテロですか!?」

 警報ベルに手が伸びる。

 ヒフミは顔面蒼白になり、両手をブンブンと振って絶叫した。

「ち、違いますぅぅぅ!! あ、あの、これはその、お届け物というか、返品というか……!!」

 カオスと化したロビーの中心で、セイレンスだけが涼しい顔で一歩前に出た。

「すまない。少々やりすぎた」

「……悪かった」

 アズサもボソリと付け加える。

 そのあまりに簡潔すぎる謝罪が、火に油を注ぐことになるとは、彼女たちはまだ気づいていなかった。

 

「敵襲ーーッ!!」

 受付の生徒が裏返った声で叫び、カウンターの下にあった赤いボタンを力任せに叩いた。

 途端、ビーッ! ビーッ! という無機質な警報音がロビーを支配し、深紅のパトランプが回転を始める。

 壁に反射する赤い明滅は、まるで平和的解決を望んでいたヒフミの心臓を直接握り潰すかのような圧迫感を与えた。彼女の願いは、サフェルの悪戯心とアズサたちの不器用さによって、木っ端微塵に砕け散ったのだ。

「わ、わわわっ! 違います、違うんですぅぅぅ!!」

 ヒフミが両手を振り回し、必死に弁明しようとする。だが、興奮状態に陥った正義実現委員会の生徒たちには届かない。奥の通路から、ドカドカと重厚なブーツの音が押し寄せてくる。

 武装した委員たちが雪崩れ込み、瞬く間に一行を包囲した。

「侵入者確保!」

「抵抗するなら発砲します!」

 無数の銃口が向けられる。張り詰めた殺気。

 その殺伐とした空気の中、当の「犯人」たちは驚くほど冷静――いや、無頓着だった。

「おやおや、熱烈な歓迎だねぇ」

 サフェルは飄々と肩をすくめ、楽しげに周囲を見回す。その瞳には恐怖など微塵もなく、むしろこの混沌を喜んでいる節さえある。

「数は多いが、連携は未熟だ。……突破は可能」

 アズサは冷徹に敵の戦力を分析し、遮蔽物までのルートを目線で確保している。彼女にとって、これは単なる戦術的課題の一つに過ぎない。

「なんだ、またやるのか? 私は構わないが」

 セイレンスに至っては、面倒くさそうに首を鳴らす始末だ。彼女の周りだけ空気が凪いでいるのが、逆に異質さを際立たせている。

「だ、ダメですぅぅ! ここで戦ったら本当に戦争になっちゃいますぅ!」

 ヒフミの悲鳴が、警報音にかき消されそうになる。

 このままでは、トリニティの内戦が勃発しかねない。

「やれやれ……」

 ファイノンは天を仰いだ。

 相変わらずのトラブルメーカーたちに頭痛を覚えつつ、彼は静かに、しかしよく通る声で告げた。

「そこまで!」

 

「双方武器を下ろしてくれないか?」

 その一言には、不思議な重みがあった。

 ファイノンはゆっくりと両手を挙げ、敵意がないことを示しながら、一歩前へと進み出た。その所作は洗練されており、殺気立った委員たちの視線を自然と集める。

「君たちを混乱させてしまったことを謝罪するよ。だが、どうか落ち着いて聞いてほしい。僕たちは敵じゃない」

 彼は穏やかな笑みを崩さず、しかし毅然とした態度で続ける。

「僕たちはシャーレの先生の助手で関係者なんだ。決して怪しい者じゃない」

 「なんなら、後でシャーレに連絡をとってくれても構わないよ」

 ざわめきが広がる。張り詰めていた糸が、わずかに緩んだ。

 その隙を逃さず、ファイノンは言葉を継ぐ。

「そこの彼女――サフェルと、あの人外がやったことは、確かに褒められた方法じゃなかった。だが、信じてほしい。あれは『宣戦布告』じゃなくて『搬送』だったんだ」

「は、搬送……ですか?」

「ああ。校内で倒れている彼女たちを見つけたんだ。そのまま放置するわけにもいかないだろう? だから、一番安全なここへ送り届けたんだよ。……少々、手荒な配送サービスになってしまったけれどね」

 ファイノンは困ったように眉を下げ、サフェルの方をちらりと見た。

 その言葉には、「うちの身内が常識知らずですまない」というニュアンスが含まれており、それが逆にリアリティを持たせた。

 委員たちは顔を見合わせる。

 確かに、倒れている生徒たちに新たな外傷は見当たらない。ただ気絶しているだけだ。もし敵襲なら、ここまで無傷で運んでくる理由がない。

「そ、そうだったんですか……。てっきり、カチコミかと……」

「誤解を招くような真似をして申し訳なかった。彼女たちは悪気があってやったわけじゃないんだ。ただ少し、不器用なだけでね」

 ファイノンの見事な弁舌と、ヒフミの必死な頷きによって、ようやく委員たちの銃口が下ろされた。

 ロビーに漂っていた爆発寸前の緊張感が、急速に霧散していく。

 だが、事態が収束に向かう中で、一人の委員長格の生徒が鋭い視線を投げかけた。

「……事情は分かりました。貴方たちが敵ではないことは信じましょう。ですが――」

 彼女は、床に転がる気絶した仲間たちを指差した。

「彼女たちをここまで『した』のは誰ですか? 搬送してくれたのは感謝しますが、その原因を作った人物については、事情を聴取する必要があります」

 当然の疑問だった。

 ファイノンが口を開く前に、二つの影が前に出た。

「私だ」

「……私も、関わっている」

 セイレンスとアズサだ。

 嘘をつくという概念がないのか、あるいは隠す必要を感じていないのか。二人は躊躇なく名乗り出た。

「襲ってきたから迎撃した。それだけだ」

「自己防衛の範疇。……過剰だったかもしれないが」

 そのあまりに堂々とした自供に、委員たちは一瞬呆気にとられたが、すぐに職務意識を取り戻した。

「……なるほど。正当防衛の主張があるにせよ、これだけの人数を無力化した事実は重いです。詳しい話を聞かせてもらいます」

「重要参考人として、同行を願います」

 数名の委員が、セイレンスとアズサを取り囲む。

 手錠こそかけられなかったが、それは明らかな連行の合図だった。

 ヒフミが不安げに声を上げる。

「あ、あの! すぐ戻って来れますよね!?」

「事情聴取が終われば、解放します。……内容次第ですが」

 委員の言葉に、セイレンスはつまらなそうに肩をすくめた。

「構わない。私の行動にやましいことはない」

「……分かった。協力する」

 アズサも短く応じ、抵抗の意志がないことを示す。

 こうして、誤解は解けたものの、その代償として二人の最強戦力は、正義実現委員会の奥へと連行されていくことになった。

「あぁ……前途多難ですぅ……」

 ヒフミの深い溜息が、静けさを取り戻したロビーに虚しく響いた。

 

「はぁ〜……なんか、どっと疲れたな」

 重厚な扉が閉まり、ようやく正義実現委員会のピリついた空気から解放された瞬間、ファイノンは深く、長い溜息を吐き出した。

 肩の荷が下りたというよりは、精神的な摩耗が身体にのしかかってくる感覚だ。彼は壁に背を預け、天を仰ぐ。

「お疲れ様でした、ファイノン様」

 傍らで、キャストリスが労うように頭を下げる。彼女の静かな声だけが、ささくれ立った神経を少しだけ癒やしてくれるようだった。

「やるじゃん! 『救世の坊や(※引退済み)』、助かったよ~」

 そんな感傷をぶち壊すように、サフェルがニシシと笑いながらファイノンの背中をバシバシと叩いた。

 この混沌の元凶である彼女には、反省の色など微塵もない。ファイノンは恨めしげな視線を向けた。

「サフェルさん……もう少し説明してから出すようにしてほしい。寿命が縮むかと思ったよ」

「はいはーい。善処するよ、たぶんね」

 サフェルは適当に返事をすると、宙に浮かぶ紫色の球体――「シーフ」バトルズへと向き直り、手をひらひらと振った。

「あ、バトっちはもう帰ってもいいよ?」

「えぇ!? オイラの出番これで終わり!? 扱いが雑過ぎないか、姉御ぉ!」

 バトルズが大きな一つ目を瞬かせ(るような動作をし)、抗議の声を上げる。呼び出されて死体を運び、用が済んだら即退場。あまりの待遇に、彼でさえ不満を露わにした。

 だが、サフェルは悪魔的な囁きで彼を丸め込みにかかる。

「そんなこと言っても、もうアンタに居てもらうことなんてないし〜。好きにここら辺でも回ってきなよ。ほら、ここは由緒正しきお嬢様学校だって言うし? 誰も見たことのないような『お宝』があるかもしれないよ?」

「お、お宝!?」

 その単語が出た瞬間、バトルズの雰囲気が一変した。単純な思考回路に、欲望の電流が走る。

「ありがとう姉御!! オイラが先にぜーんぶ頂くぜ!!」

 彼はくるりと回転すると、ジェット噴射のような音を残して、学園の奥へと猛スピードで飛び去っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、ファイノンは眉をひそめる。

「良いのかい? あんなこと言って……。ここトリニティには、すでにアグライアの『金糸』が張り巡らされている。下手に動けば捕まるだけじゃ済まないぞ」

「良いの良いの。どうせ見つかることもないって〜」

 サフェルはケラケラと笑う。バトルズが宝を見つけるか、あるいは罠にかかるか。彼女にとってはどちらも余興に過ぎないのだろう。

 一息ついたところで、ファイノンはふと周囲を見渡し、ある違和感に気づいた。

「それより、あの『不死身の王子様』はどうしたの? さっきから全然見かけないけど……」

 そういえば、ここに来るまでの道中でも、あの騒動の中でも、彼の姿を見ていない。

 モーディス。

 ファイノンとどちらが先に生徒を見つけるか競っていたはずの、あの血気盛んな男が、これほど静かなのは不自然だ。

「そういえばそうだね。一体どこで何をしてるんだ?」

 ファイノンが顎に手を当て、思考を巡らせようとした、その時だった。

「いい加減にしろ!!」

 遠くから、空気を震わせるほどの怒号が響いてきた。

 聞き間違えるはずもない、地を這うような低い声。だが、そこには普段の冷静な殺気とは違う、どこか焦燥の色が混じっていた。

 キャストリスがハッと顔を上げ、声のした方角を見つめる。

「この声は……モーディス様の」

 

ーーーーーーーーーーー

 

「いい加減にしろ!!」

 その怒号は、静謐であるはずのトリニティの回廊を、物理的な衝撃波のごとくビリビリと震わせた。

 ファイノンたちが慌てて角を曲がった先、そこに広がっていたのは、この学園の常識を根底から覆す奇妙な構図だった。

 回廊の中央で仁王立ちする、巨岩のような男――モーディス。

 その圧倒的な威圧感と、肌を刺すような殺気を前にして、一歩も引かず――いや、顔を茹で上がった蛸のように真っ赤に染め上げ、何かを喚き散らしている小柄な少女がいた。

 下江コハルだ。彼女は震える指先でモーディスの鼻先を突き、金切り声を上げていた。

「だ、だから寄るなと言っているの! このハレンチ男!!」

「ハレンチ……だと?」

 モーディスの眉間に、深い渓谷のような皺が刻まれる。

 彼にしてみれば理不尽極まりない言いがかりだ。任務通りに「生徒の確保」を遂行しようとしただけ。目の前の騒がしい少女がリストにあるターゲットの一人だと認識し、声をかけた。それだけのことで、なぜこれほど拒絶されねばならないのか。

 だが、コハルにとってモーディスの存在は、刺激物以外の何物でもなかった。

「な、なによその格好は!! 前がはだけすぎ! 筋肉を見せつけるな! ここは神聖な学び舎なのよ、そんな公序良俗に反する格好でウロウロするなんて……ふ、不潔! エッチ!」

 コハルが糾弾したのは、モーディスが誇る戦装束だった。

 機能性を極限まで追求し、鍛え上げられた胸板や腹筋の一部を露出させたそのデザイン。クレムノスの戦場においては「勇猛さ」の象徴であり、敵を威圧する鎧である。だが、ここトリニティの風紀(自称)委員にとっては、それは歩くR18に等しかった。

「貴様……誇り高き装束を愚弄するか」

「誇りとか知らない! とにかく服を着て! 」

 噛み合わない歯車。平行線を辿る口論。

 そこへ、火に油を――いや、爆薬を投下するような、ねっとりと甘い声が掛かった。

「あらあら、随分と賑やかですねぇ」

 校舎の陰から、ゆらりと姿を現したもう一人の影。

 長い髪を艶やかに波打たせ、聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべる少女――浦和ハナコ。

 だが、その姿を見た瞬間、コハルの思考回路は完全に焼き切れた。

 彼女は、制服を着ていなかった。

 白昼堂々、神聖なる学び舎の回廊。だというのに、彼女がその肢体に纏っていたのは――面積の極端に少ない、競泳水着(ハイレグ)のみ。

 肌色の比率が圧倒的に多いその姿は、歩く公然猥褻そのものだった。

「え、は、何で!? あ、あんたどうやって牢屋から出たの!? ちゃんと鍵は閉めたのに……!?」

「いえ、鍵は掛かっていませんでしたよ? 私の事を話されている様な声が聞こえたので、こちらに来てみました。……ふふ、何か御用でしたか?」

「ちょうど良い、貴様にも用があって来たんだ。二人ともオレと共に来てもらうぞ」

 モーディスが低い声で割り込む。

 コハルはモーディスの隆起した胸元と、ハナコの大胆すぎる水着姿を交互に見比べ、許容量を超えた脳がついに暴走を始めた。顔から「プシューッ」という音が聞こえそうなほど蒸気を噴き出し、彼女は絶叫した。

「な、ななな、なんなのよ二人ともーーッ!!」

 彼女は震える両手で、目の前の「男の裸」と「女の裸」をまとめて指差した。

「学校の中で水着なんてありえない! それにそっちの男も、露出狂もいいところよ! どいつもこいつも頭の中がピンク色なの!? エッチなのはダメ!死刑! 死罪ーーッ!!」

 回廊に響き渡る「死刑」の宣告。

 あまりの剣幕と理不尽な断罪に、遠巻きに見ていたファイノンも苦笑するしかない。

 だが、当のモーディスは違った。

 彼はコハルの罵倒を柳に風と受け流し、むしろ獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべたのだ。

 目の前には、リストにあるターゲットが二人。

 片や、やかましい風紀の守護者。片や、露出狂の痴女(と彼は認識した)。

(……手間が省けた)

 モーディスは、勝利を確信したように口角を吊り上げた。

 あちらはおそらく一人確保済みで、もう一人はこれからといったところか。だが、自分はこの場で二人同時に確保できる。

 すなわち、この勝負――俺の勝ちだ。と

「おい、そこの桃髪の二人!」

 モーディスは有無を言わせぬ低い声で告げ、二人の少女の腕を無造作に掴もうと、その剛腕を伸ばした。

「ひゃあっ!」

「あら、強引」

 コハルが短い悲鳴を上げ、ハナコが頬を染めて身をよじる。

 だが、モーディスの鋼鉄のような指は、逃げることを許さなかった。

 

「かなり苦戦しているみたいだね、モーディス」

 その混沌としたピンク色の嵐の中に、一陣の涼風のような声が割り込んだ。

 ファイノンだ。彼は腕を組み、呆れと面白さが半々に混じったような笑みを浮かべて、回廊の真ん中で立ち尽くす相棒を見下ろしている。

「……救世主か。邪魔をするな」

 モーディスが低い唸り声を上げる。その額には、数多の戦場を駆け抜けてきた彼でさえ決して流すことのなかった種類の、脂汗が滲んでいた。

 物理的な暴力なら、彼は誰にも引けを取らない。銃弾の嵐も、怪物の爪牙も、彼の鋼の肉体と精神の前では無意味だ。だが、目の前で繰り広げられる「羞恥心」と「露出」、そして「理不尽な断罪」という概念戦争に対し、彼の武力はあまりにも無力だった。

「それにしても……君はよりによって、かなりクセの強い生徒さんを引き当てたようだね」

 ファイノンが視線を巡らせる。

 片や、顔を真っ赤にして「死刑」を連呼し、羞恥で爆発寸前の小動物のような少女。

 片や、聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、白昼堂々ハイレグ水着で優雅に佇む少女。

 どちらも、常識の枠には到底収まらない逸材だ。

「全く……これほどの曲者、アイツ(穹)以外にいたとはな……」

 モーディスは深く、重い溜息を吐き出した。

 彼の脳裏に浮かぶのは、ゴミ箱を漁り、バットを振り回す銀河打者の姿。あの予測不能な男こそが混沌の頂点だと思っていたが、どうやらこの世界は広く、底が知れないらしい。

「あはははっ! なにこれ最高じゃん!」

 そこへ、空気など読む気もない遠慮のない哄笑が響いた。サフェルだ。

 彼女はファイノンの後ろからひょっこりと顔を出し、瞳をキラキラと輝かせてハナコの水着姿を指差した。

「学校で水着とか、斬新すぎない!? ねぇねぇ、それってここの正装なの? それとも趣味?」

「あら、可愛い猫さんですねぇ。ふふ、趣味と言いますか……暑かったので、少し涼んでいただけでして」

「なっ、なによアンタたちも! その変な格好の男の仲間なの!?」

 新たな乱入者に、コハルが再び牙を剥く。

 彼女の視界には、すでに「敵(エッチな人)」と「敵(それを容認する人)」しか映っていないようだ。その警戒心は、もはや野生動物のそれに近い。

 そんなカオスな状況を、一歩引いた場所から眺めていたヒフミは、顔を青ざめさせていた。

(あ、あの水着の人も……あんな大声で叫んでいる人も……補習授業部のメンバー、なんですよね……?)

 ヒフミは二人とは面識がない。だが、この状況から察するに、これから同じ部活で活動することになる仲間なのだろう。

 一人は露出狂。一人はヒステリックな風紀委員(仮)。そして自分は、ペロロ様推しのテストサボり魔。

 さらに言えば、運んできた正義実現委員会の重要参考人として連行された二人もいる。

(……前途多難すぎますぅ……)

 ヒフミは頭を抱え、その場にうずくまりたくなった。胃が痛い。

 その傍らでは、事態を飲み込めていない純粋な視線があった。

 マイアが、キャストリスの袖をちょいちょいと引く。

「あ、あのキャストリスさん……一体何がーー」

 マイアがハナコの方を見ようとした瞬間、キャストリスが慌ててその視界を手で覆った。

「……マイアさんにはまだ早いです///」

 キャストリス自身も頬を赤らめ、刺激の強すぎる光景から「妹分」を守ろうとする。その姿は、微笑ましくも必死だった。

 そんな周囲の混乱などお構いなしに、コハルの怒りは頂点に達していた。

「というか! なんで私にこんな構うわけ!? 私は正義実現委員会として忙しいの!! 邪魔をするなら帰って!!!」

 彼女は地団駄を踏み、全身で拒絶を示す。

 その必死すぎる抵抗に、ファイノンは首を傾げた。

「アレ? 君は全然身に覚えがないってことかな?」

「当然よ! 私はエリートなんだから!!」

 コハルは胸を張り、高らかに宣言する。その瞳に迷いはない。自分は選ばれたエリートであり、補習などという不名誉なものとは無縁であると、本気で信じているのだ。

 だが、現実は非情な音を立てて近づいてきた。

 カツ、カツ、と。

 規律正しい足音が回廊に響き、その場を一瞬で支配するような冷厳な空気が流れ込んだ。

「――これは一体どういうことですか?」

 凜とした、しかし絶対的な威厳を含んだ声。

 その声を聞いた瞬間、コハルの動きがピタリと止まった。まるで蛇に睨まれた蛙のように、ぎぎぎ、と首を回す。

 そこに立っていたのは、長身に漆黒の翼を背負った、正義実現委員会の幹部。

「は、ハスミ先輩!!」

 コハルの悲鳴にも似た声が、回廊に虚しく木霊した。

 

「ハ、ハスミ先輩! 聞いてください! こいつらが学校でハレンチな格好をして暴れ回っているんです! 私が正義の鉄槌を下そうとしたところで、この男が抵抗してきて……!」

 コハルは救世主の到来とばかりに、ハスミの元へ駆け寄り、モーディスとハナコを交互に指差しながらまくし立てた。

 その必死な訴えを聞きながら、ハスミは冷静に――いや、少しだけ頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、混沌とした現場を見渡した。

 水着姿の女生徒。半裸の戦士。そして怯えるヒフミと、困ったように微笑む青年。

 正義実現委員会の副委員長として、この状況を「異常」と断じるには十分すぎる光景だ。

「……コハル、少し落ち着きなさい。状況が飲み込めません」

「だ、だからぁ! この不審者たちが……!」

「静粛に」

 ハスミの一言で、場の空気がピリリと凍りつく。

 彼女は鋭い眼光を、この場で唯一話が通じそうな人物――ファイノンへと向けた。

 その視線には、明確な警戒色と、説明を求める無言の圧力が込められている。

「貴方たちは部外者ですね。トリニティの敷地内で、一体何の騒ぎですか?」

 巨大な黒翼を広げ、威圧感を放つハスミ。

 モーディスが即座に反応し、一歩前に出ようとするが、ファイノンはそれを片手で制した。

 彼は争う意思がないことを示すように両手を広げ、人好きのする笑みを浮かべたまま、ゆっくりと口を開く。

「やあ、騒がせてしまって申し訳ない。決して怪しい者じゃないんだ……と言っても、この相棒の格好じゃ説得力に欠けるかな?」

「……質問に答えてください」

「失礼。僕たちは、ある方からの依頼でここに来たんだ。君もよく知る人物だよ」

 ファイノンは懐から、シャーレの紋章が入ったタブレットを取り出し、ハスミに見えるように掲げた。

「僕たちはシャーレの先生の助手みたいなものなんだ。」

「シャーレの……」

「少し話せるかな?」

 

それからややあって――。

 粗方の事情を話し終え、穹の現状の立場や新しく設立される補習授業部に関しての情報を呑み込んだハスミは、正義実現委員会の副委員長として酷く無念そうに呟いた。

 

「……成程、お話は理解しました、銀河打者さんが補習授業部の担任の先生になられて、あなた方はその助手であると」

 

「残念です、出来ればお手伝いをしたかったのですが」

「気持ちだけでも嬉しいよ……という訳で、あの二人を預かっても良いかな?」

「はぁ!? ダメに決まっているでしょ!?」

 

 ファイノンの言葉に食って掛かったのは、隣で話を聞いていたコハル。

 彼女は未だに横合いで水着のままニコニコとしているハナコを指差し喚いている。

 

「コハル、彼らはシャーレとして、ティーパーティーから依頼を受けて此方にいらっしゃったのです、規定上は何の問題もありません、補習授業部の顧問、担任の先生になるのですから」

「え、えぇ、でも――……ま、まぁ、先輩がそう云うなら……」

 

 最初は絶対拒否すると意気込んでいたコハルだが、先輩としても正義実現委員会のメンバーとしても尊敬しているハスミの言葉に、渋々と意見を呑み込む。しかし、彼女は何を想ったのか目の前に立つヒフミとハナコを見下すと、鼻を鳴らして明らかな嘲笑を零した。

 

 

「ふ、ふん! でも良い様よ! こっちはこんな凶悪犯たちと一緒にいなくて済むし、そもそも補習授業部だなんて、恥ずかしい! そう、そうよ! あははっ、良いんじゃない、悪党と変態の組み合わせ! そこに馬鹿の称号だなんて、私なら一緒にいるだけで羞恥心で死んじゃいそう!」

 勝ち誇ったように胸を張り、高笑いを上げるコハル。

 自分はあちら側(落ちこぼれ)ではないという絶対的な自信。それが彼女を増長させていた。

 だが、その様子を見ていた周囲の反応は、彼女が期待したものとは大きく異なっていた。

 呆れたような、それでいて最高の喜劇(コメディ)を見るような声。

 サフェルだ。彼女はニシシと口元を歪め、憐れむような視線をコハルに向けていた。

「『羞恥心で死んじゃいそう』だってさ。ねぇ引きこもり姫、今の聞いた? これって所謂『特大ブーメラン』ってやつじゃない?」

「……サフェル様、あまり煽るのは良くないと思います」

 傍らに控えるキャストリスが、気まずそうに目を伏せる。彼女の手には、先ほどファイノンから見せられた『補習授業部名簿』の写しが握られており、そこには明確な事実が記されていたのだ。

 しかし、舞い上がっているコハルには二人の会話の意味が理解できない。

「な、なによ部外者が! 何をごちゃごちゃ言ってるのよ!」

 

「ふぅ……コハル?」

 

 ハスミは額を指先で抑えながら彼女の名前を呼ぶ。しかし、そんな彼女に残念なお知らせがあった。ヒフミは手に持った名簿とコハルを交互に見つめながら、おずおずと口を開く。

 

「えっと、その……非常に口にし辛いのですが」

 

 ファイノンは言いにくそうに頬を掻き、そして手に持っていたタブレットを彼女の方へと向けた。

「実は、補習授業部の対象生徒は『五名』なんだ。ヒフミさん、ハナコさん、マイアさん、先ほど連行されたアズサさん……そして、もう一人」

「はぁ? だから何よ。また別の馬鹿が増えるだけでしょ? ホント、トリニティの恥だわ!」

「……その、もう一人の名前なんだけどね」

 ファイノンが口を開くより先に、サフェルが割り込んだ。

 彼女は意地悪な猫のように目を細め、軽やかにその名を告げた。

「『下江コハル』――って書いてあるよ? 赤字で、デカデカとね」

「…………は?」

 コハルの動きが、完全に停止した。

 時が止まったような静寂の中、キャストリスが申し訳なさそうに、けれど淡々と事実を補足する。

「ここには……これまでのテストの点数が記載されています。『赤点』と……」

「えっ、あ、えっ……?」

 コハルの顔から、先ほどまでの勢いが急速に失われていく。代わりに広がるのは、蒼白な絶望の色。

 彼女はギギギと錆びついた人形のような動きで、敬愛する先輩の方を振り返った。

「ハ、ハスミ先輩……? う、嘘ですよね? 私が、補習なんて……そんな間違い……」

 縋るような視線。

 だが、ハスミは冷徹に懐から一枚の書類を取り出した。それは、ティーパーティーから正式に通達された、補習授業部への辞令書だった。

「……残念ながら事実です、コハル」

 ハスミは沈痛な面持ちで、しかしハッキリと宣告した。

 

「う、うそ……うそだぁ」

 

書類を取り落とし、膝から崩れ落ちるコハル。先ほどまでの威勢はどこへやら、その顔は絶望に染まり、真っ白に燃え尽きている。

 

「あはははっ! ようこそエリートさん! いやー、ブーメランが見事に突き刺さったねぇ!」

 サフェルが手を叩いて爆笑する。

 

「……可哀想に。まだ現実を受け入れられないようです」

 キャストリスがそっと目を逸らす。

 

 ハスミは気まずそうに咳払いをし、ファイノンへと向き直った。

 

「……という訳です。お恥ずかしい話ですが、うちのコハルも……どうか、宜しくお願いします」

「ああ、任せてくれ。賑やかになりそうで何よりだよ」

 

 ファイノンは苦笑しながら頷き、放心状態のコハルを含めた「補習授業部」のメンバーを見渡した。

 これで全員、確保完了だ。

 

 

「――さて、と」

 

 騒動が一段落し、生徒たちが移動の準備を始める中。

 ファイノンは、未だ腕を組んで不機嫌そうに佇む相棒へと近づいた。

 

「これで全員揃ったね。……どうだいモーディス? 今回の勝負」

「……何が言いたい」

「いやなに、結果の確認さ。僕が見つけたのはヒフミさん。サフェルたちがマイアさん。セイレンスさんがアズサさん。そして君がハナコさんとコハルさんを見つけた……数だけで言えば君の勝ちに見える。」

 

 ファイノンは口元に挑戦的な笑みを浮かべる。

 

「でも、君が見つけた時、君は彼女たちに『変質者』扱いされて口論になっていただけ、連れ出すどころか、通報寸前だったじゃないか」

「貴様……!」

 

 モーディスのこめかみに青筋が浮かぶ。図星を突かれた苛立ちと、あのピンク色の空間での敗北感が蘇ったのだろう。

 だが、彼はすぐに不敵な笑みで切り返した。

 

「フン、結果が全てだ。俺は一度に二名の対象と接触した。その過程がどうあれ、ターゲットをこの場に留めていたのは事実。……貴様のように、たった一人を見つけて満足している軟弱者とは違う」

「へぇ、言うねぇ。じゃあ、あの場で僕が助け船を出さなかったらどうなってたかな? 今頃『死刑』になってたんじゃないかい?」

「ハッ! あの程度の少女に後れを取る俺ではない。あれは……そう、戦術的膠着状態だ」

「それを世間では『言い訳』って言うんだよ、モーディス」

 

 バチバチと視線を交錯させる二人。

 しかし、その表情はどこか楽しげで、互いの健闘を認め合う戦友のそれだった。

 

「ま、引き分けってことにしておいてあげるよ。今回はね」

「寝言は寝て言え。……次は完勝してやる」

 

そんな男たちのやり取りを、取り調べ室から戻り遠目に見つめる影があった。

「白髪のウツボ……これはどういう状況だ?」

 セイレンスが首を傾げる。

「何が起きたか分からない……だが、一悶着起きたことは確かだ」

 アズサがガスマスクの奥で呟く。

 トリニティの夕暮れの下。

 カオスと騒乱、そして奇妙な縁で結ばれた補習授業部の結成を告げる鐘の音が、遠く鳴り響いていた。

 

 

 

 

Mr.ミミ作のコーナーの今後

  • 新キャラの方がいい
  • ストーリーに関係するキャラがいい
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