青春を開拓する銀河打者   作:現代の弁慶

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難しいよ〜登場人物多すぎるし、

大きな展開は決まってるのに細かいところが難しいよ〜

すみません、ペースを上げられるよう頑張ります。


ver2.0 思惑に沈む黄金の火

白亜の黒板を叩くチョークの音が、静かな教室にリズミカルに響き渡る。

 教壇に立つのは、オンパロスから招かれた学者――アナクサゴラス。彼の瞳は、愛してやまない「大地獣」の魅力を語る熱情によって、らんらんと輝いていた。

「結論として、大地獣は愚かで無知ですが、それでも長所はそれなりにあるのです。落ち着きがあり、静かで穏やか、そして大食いという長所が……」

 彼は誇らしげに胸を張り、生徒たちの感嘆の声を期待して教室内を見渡した。

 深淵、巨大生物のロマン。当然、この崇高な学びの場にいる者たちは、目を輝かせて自分の話に聞き入っているはずだ――。

「……生徒の皆さん、聞いていますか?」

 ――チーン。

 どこからともなく、仏具の鈴を鳴らしたような、見事なまでの静寂と虚無の音が聞こえた気がした。

 アナクサゴラスの熱弁は、誰の心にも届いていなかったのだ。

 最前列の窓際。浦和ハナコは、頬杖をつきながら妖艶な笑みを浮かべていた。

「ふふふ♡」

 その視線は黒板の図解ではなく、もっと別の何か(あるいは誰か)の曲線をなぞっているようで、微塵も学業に向き合っている気配がない。

 その隣で、下江コハルの脳内は完全にショートしていた。

「タイタン……ブラキオ……土……」

 虚ろな瞳で宙を見つめ、ブツブツと単語の切れ端を反芻する姿は、情報過多でフリーズした旧式の機械のようだ。彼女にとって、未知の歴史と生物学は「エッチな雑誌」以上に理解不能な刺激だったらしい。

 一方、真面目に聞いていたはずの白洲アズサは、斜め上の方向へと解釈を飛躍させていた。

「アナクサゴラス先生。それだけ大きな体を持つ生き物を利用していては、戦場においてはただの巨大な的(マト)にされるのでは?」

 ペンを回しながら、極めて実践的かつ冷徹な戦術論をぶつける。彼女の脳内ではすでに、大地獣をどうやって爆破するかのシミュレーションが始まっていた。

 そんな殺伐とした空気に怯えつつ、後ろの席でひっそりと身を縮めているマイアは、ポツリとこぼす。

「大地獣……乗れるなら、乗ってみたい……かも……」

 大きな獣の背中に揺られる光景を想像したのだろう。彼女の瞳には、少しだけ現実逃避のロマンが宿っていた。

 だが、カオスはそれだけでは終わらない。

「丹恒、見てる? 俺、ちゃんと勉強してるよ!」

 教室の後方で、星穹列車の開拓者――穹が、手元の端末(あるいは虚空)に向かって誇らしげにピースサインを決めていた。完全に授業参観のノリである。彼がノートに描いているのは、大地獣ではなく、なぜか美化されたゴミ箱のスケッチだった。

 そして、その傍らでは、オンパロスの客人たちが我が物顔でくつろいでいた。

「ハハハ、こうしてまた『アナイクス』先生の授業を受けられるなんて、思ってみなかったよ」

 ファイノンが懐かしそうに目を細め、爽やかに笑う。

 しかし、彼がさらりと口にした「アナイクス」という呼び名――それはアナクサゴラスが最も嫌悪する地雷の呼称だった。教壇のアナクサゴラスの眉間がピクリと引きつる。

 さらにその横では、スースーと規則正しい寝息が立てられていた。

「ふぁーあ……いい寝心地〜……」

 机に突っ伏し、完全に夢の世界へと旅立っているサフェル。彼女にとって、アナクサゴラスの心地よい(単調な)バリトンボイスは、最高の子守唄に過ぎなかった。

「サ、サフェル様、おきてください……まだ講義は終わっていませんよ……っ」

 キャストリスがサフェルの肩を揺するが、眠り猫はピクリとも動かない。

 露出狂、思考停止、戦場狂、現実逃避、授業参観、地雷を踏み抜くOB、そして熟睡する自由人。

 これが、トリニティ総合学園が誇る(?)補習授業部と、異界の客人たちが織りなす地獄の釜の底だった。

「うぅ……どうしてこんなことに……」

 教室の真ん中で、ただ一人常識という名の重力を保ち続けている阿慈谷ヒフミが、ペロロ様のペンケースを抱きしめながら深く、深く絶望の溜息を吐き出した。

 どうしてこうなってしまったのか。

 事の始まり――カオスに満ちた初授業の幕開けから、時は少しだけ遡る。

 ファイノンたちがトリニティの生徒確保を終え、先に到着していたアグライアたちと合流を果たした直後のことだ。

 急造の拠点としてあてがわれた教室には、怯える「補習授業部」の少女たちと、常識の枠に収まりきらない異界の客人たちが一堂に会していた。

 短い協議が交わされた後、室内の空気を一変させるような、重く威厳に満ちた声が響き渡った。

「皆の者、よく集まった。これより補習授業部改め、『黄金学舎』の教員紹介、及び自己紹介を行う」

 声の主はケリュドラ。その堂々たる佇まいは、一介の教師というよりも、玉座から下知を下す覇王のそれである。彼が「では右から――」と視線で促すと、まずは爽やかな風を纏う青年が一歩前に出た。

「僕はファイノン。一応、戦術体育の科目を担当することになったから、よろしく。で、隣が――」

 人当たりの良い笑みを浮かべるファイノンの紹介を引き継ぐように、隣に立つ巨漢が一瞥をくれる。モーディスだ。

「モーディスだ。俺のことを知りたければ、コイツと共に訓練に参加するか、戦えば分かるだろう」

 挨拶という名の宣戦布告。その全身から立ち上る隠しきれない闘気と殺気に、コハルやヒフミが思わず身をすくませる。ここは戦場ではなく教室なのだが、彼にその区別はないらしい。

 重苦しい空気を切り裂くように、今度は軽薄な声が弾んだ。

「はいはーい! 私はサフェル。疾風より速い盗賊の名に恥じぬよう、試験の問題用紙を盗む術を伝授――」

「彼女はあなたたちと同じく、生徒として授業を受けることになっていますので、どうぞよろしくお願いいたします」

 サフェルが誇らしげに胸を張って言い切る前に、涼やかで絶対的な圧力を持った声がその言葉を綺麗に切り捨てた。

 艶やかな笑みを浮かべた裁縫師、アグライアだ。

「ちょっと裁縫女! 何、保護者面して挨拶してくれちゃってるの!?」

「私はアグライア」

「無視!?」

 サフェルの抗議を涼しい顔で受け流し――いや、完全に無いものとして扱い、アグライアはヒフミたちに向かって優雅に一礼した。

「主にスケジュール管理や、試験監督などを担当します。どうぞ、そこの盗賊さんの手を借りて不正をしようなんて考えないように」

 にっこりと微笑むその瞳の奥には、どんな些細な不正も許さないという冷徹な光が宿っている。サフェルがチッと舌打ちをする横で、アグライアはさらに言葉を続けた。

「ちなみに、キャストリスとキュレネさんもあなた方同様に、生徒として授業を受けますので」

「皆さん、よろしくお願いします……」

 キャストリスが消え入りそうな声で、おずおずと頭を下げる。その隣では、対照的に明るいオーラを放つ少女が大きく手を振った。

「はいはーいキュレネよ! 皆で楽しく青春の記憶を刻みましょう♪」

 キュレネの屈託のない笑顔に、ヒフミたちがようやく少しだけ安堵の息を漏らす。ようやく「普通」に近い感覚の持ち主が現れたからだ。

 だが、その安堵も束の間だった。

「コホン。……そろそろ、授業担当の我々の紹介ですね」

 勿体ぶった咳払いと共に進み出たのは、厳格さを絵に描いたような学者、アナクサゴラスだ。彼は背筋をピンと伸ばし、誇り高く宣言した。

「私はアナクサゴラス。神悟の樹庭の七賢人の一人にして、『知種学派』の創始者です。私は全ての教科を担当します」

 そこまで言うと、彼は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、生徒たちをねめつけながら釘を刺した。

「言うまでもありませんが……第一に、私を『アナイクス』と呼ばないでください。第二に、私の話を遮らないでください――『沈黙は金なり』、と言うでしょう?」

 あまりの気難しさに、教室の温度が数度下がった気がした。

 しかし、その冷たい空気をふんわりと溶かすように、柔和な笑みを浮かべた女性が隣に並び立つ。

「もう……アナちゃん。また難しい事話して。自己紹介まで堅苦しくしなくていいんじゃない?」

「むっ……」

「ごめんなさいね。私はトリスビアスよ。担当するのは彼、アナちゃんの授業の補助みたいな感じだから。分からないことがあったら私に聞いてね」

 トリスビアスがウインクを飛ばすと、アナクサゴラスは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、それ以上は何も言わなかった。

 続いて、衣を翻しながら前に出たのは、一風変わった空気を纏う医師だ。

「私は黄金学舎の医師、ヒアンシーとして皆さんの勉学を全力でサポートします! そしてこの子は、わたしの助手であり仲間――ペーガソスの『イカルン』と言います」

 彼女の腕に抱かれていたのは、もっちりとした不思議な生き物だった。ヒアンシーはそれを惜しげもなく生徒たちの方へ突き出す。

「揉んでみますか? 思う存分どうぞ~! もみもみされるの大好きなので~」

 未知の生物を前に、ヒフミとコハルが顔を見合わせて困惑する中、いよいよ最後の大御所が口を開いた。

「ふむ、一通り終わったな」

 ケリュドラが一歩前に出ると、それだけで空間の重力が増したような錯覚に陥る。彼は傲岸不遜な笑みを浮かべ、両手を広げた。

「『炎冠』、『独裁官』、『女皇』、『総帥』、『カイザー』……私にはさまざまな異名があるが、お前たちは『校長』と呼ぶがいい」

 その言葉のスケールの大きさに、トリニティの生徒たちはただただ圧倒されるしかない。スケールが学園の部活動というレベルを遥かに超越しているのだ。

 さらにケリュドラは、自身の背後に影のように控える無口な騎士を示した。

「隣の剣旗卿は、主に私の右腕として活躍している。たまにお前たちを、戦術の面で指導することもあるだろう」

 静かに会釈をする剣旗卿。その動作一つにも、洗練された剣士の覇気が漂っていた。

 こうして、あまりにも個性が強すぎる「黄金学舎」の面々の紹介が終わった。

 それぞれが自分の役割を主張し、教室には満足げな空気が流れている。

 ……しかし。

 ふと、周囲を見渡したファイノンが、ある重大な欠落に気がついた。

「あれ?」

 彼は不思議そうに首を傾げ、誰もいない空間を指差す。

「相棒(穹)は――?」

 この混沌の中心にいるべきはずの、あの銀河打者の姿が、どこにも見当たらなかったのだ。

「そういえば、グレーたんがいませんね」

 その言葉が引き金だったのか。あるいは、ただの最悪なタイミングだったのか。

 ――ドォォン!!

 耳を劈くような凄まじい轟音と共に、教室の重厚な扉が蝶番ごとへし折られ、内側へと豪快に吹き飛んだ。

「ひぃ! な、なんですか!?」

 突然の爆発音に、マイアが悲鳴を上げてキャストリスの背中へと隠れる。

 対照的に、戦場の空気を嗅ぎ取ったアズサは瞬時にガスマスクの奥の瞳を鋭く細め、いつでも発砲できるようアサルトライフルを構えた。

「敵襲か?」

「皆さん落ち着いて……! あうぅ……」

 ヒフミが必死に場を鎮めようと両手を振るが、彼女自身の声が一番震えている。

 濛々と立ち込める粉塵と木の破片。そんなカオスと化した状況の中で、キュレネだけは頬に手を当て、どこか芝居がかった手つきで楽しげに微笑んでいた。

「あらあら、これまたド派手な登場ね」

 煙が晴れていく。

 その奥から姿を現したのは、黄金に輝くバットを肩に担いだ、灰色の髪の青年だった。

 彼はまるで特撮ヒーローの主人公のような、無駄に洗練されたポーズを決めると、不敵な笑みを浮かべて高らかに宣言した。

「呼ばれて飛び出て、銀河打者!」

 そして、壊れた扉の残骸を踏み越えながら、悪びれる様子もなく首を傾げる。

「待った?」

 待った、ではない。

 扉を物理的に粉砕しての不法侵入。常識と風紀の守護者(自称)であるコハルが、顔を真っ赤にして噛み付いた。

「だ、誰よ! 彼! 突然ドアを吹き飛ばして入ってくるなんて!!」

 正論である。これには弁明の余地もない。

 ファイノンは額に冷や汗を浮かべ、ひきつった笑顔でコハルたちに手のひらを向けた。

「いや、彼がその……君たちの担任というか……」

 その絶望的な事実の告知に、補習授業部の生徒たちの顔がサァッと青ざめていく。

 だが、事態をさらに悪化させたのは、青年の背後から冷ややかな視線を突き刺すアグライアだった。

 彼女の氷のような眼光は、穹の服のあちこちに付着した見慣れぬ汚れや、得体の知れないガラクタ――明らかに『ゴミ箱をダイブした痕跡』――を正確に射抜いていた。

「穹さん。またゴミを集めていたんですね?」

 絶対零度の声が、教室の温度を急激に下げる。

「集合時間は、とうの昔に過ぎていますよ」

 アグライアの静かな怒り。それは、手のかかる子供の奇行に頭を抱える保護者のそれに近かった。

 しかし、咎められた穹は反省するどころか、使命感に燃えるような、無駄にキラキラとした瞳で胸を張ったのだ。

「トリニティーのゴミに呼ばれたんだ!」

 学園の景観を損ねるダストボックス。そこに秘められた宇宙の真理。彼にとって、それは無視できない星からの呼び声だったのだ。

 到底理解し難いその言い分に、なぜか深く共感を示す者が一人。

「分かる〜分かるよ〜グレっち」

 サフェルがウンウンと深く頷きながら、穹の肩をポンと叩く。

「呼ばれた時にはもう、行くしかないよね〜。本能には逆らえないってやつ!」

 扉を破壊する担任と、ゴミ箱を漁る使命感、そしてそれを肯定する盗賊。

 あまりにも狂気に満ちた「黄金学舎」の全貌が、ついに補習授業部の少女たちの前に明らかとなった瞬間だった。

浦和ハナコが、ド派手な登場を果たしたばかりの「銀河打者」こと穹へと、流れるような足取りで歩み寄る。彼女は聖母のような慈愛の笑みに、ほんの数滴の猛毒を混ぜ込んだような妖艶な声で囁いた。

「銀河打者さんと言いましたか? ゴミを漁っていたということは……そこには、ピーな下着や、ディープなプレイが書かれた本なんかも落ちていたり……?」

 探るような、それでいて相手の反応を面白がるような視線。

 対する穹は、一切の動揺を見せずに真顔を保っていた。だが、彼の脳内データベースは即座に自身の「探索履歴」を検索し、あるビジュアルを引き当てていた。

(……余ったゴミ箱置き場には、確かそんなのがあった気がする)

 銀河のあらゆるゴミ箱を網羅せんとする開拓者の直感。そこに羞恥心はない。あるのは純粋な「探索(トレジャー)」への探求心のみだ。

 穹はポンと手を打ち、ひどく納得したように頷いた。

「俺はそんなもの拾ってないけど……よし、お前は下着とか危ない本が欲しいんだな。今度俺とトレジャーしに行こう」

「はい。では今夜、誰もが寝静まった夜にーー」

 ハナコが艶やかな笑みを深め、二人の間に甘やかな密約が結ばれようとした、その刹那。

「ダメッ!!」

 教室の空気を切り裂くような金切り声が、二人の間に割って入った。下江コハルである。

 彼女は顔を茹で上がった蛸のように真っ赤に染め上げ、親の仇でも見るかのような鋭い眼差しで穹とハナコを指差した。

「男と女が! 二人で夜に出かけるなんて! Hなのはダメ! 死刑!!」

 全身をワナワナと震わせながら放たれた、渾身の死刑宣告。彼女の脳内ではすでに、深夜の密会から始まるR指定な展開が猛スピードでシミュレーションされ、危険水域を突破していたに違いない。

 だが、息巻くコハルに対し、穹は心底不思議そうに首を傾げた。

「誰も『二人で』なんて言ってないけど……?」

 ゴミ箱漁り(トレジャー)は大人数でやった方が効率が良い。穹の思考はただそれだけだった。

 その純粋すぎる(そして少しズレた)事実の指摘に、コハルの動きが文字通りピタリと停止した。

「ハッ」

 短く息を呑む音。自身の早とちりと、それに伴って暴走した妄想の数々がブーメランとなって自身の羞恥心を抉る。

 完全に墓穴を掘った風紀の守護者。その絶好の隙を、百戦錬磨の曲者たちが見逃すはずがなかった。

「あら?」

 ハナコが口元を隠し、ねっとりとした視線をコハルへと絡めとる。

「コハルちゃんは、夜に二人で『ナニ』をすると思っていたんですかぁ?」

「もしかしてだけど〜?」

 そこにサフェルがひょっこりと顔を出し、意地悪な猫のようにニヤニヤと笑いながら追い打ちをかける。

「勝手に色んなこと、想像しちゃったりしてる感じ〜?」

 両サイドから浴びせられる、からかいの集中砲火。コハルの顔面温度は限界を突破し、今にも頭頂部から蒸気を吹き出しそうな寸前だった。

 パンッ、パンッ!

 そのピンク色の空気を一刀両断するように、乾いた柏手が教室に響き渡った。

 教壇に立つアナクサゴラスだ。彼は呆れと厳格さが入り混じった表情で、手元のプリントの束をトントンと机で揃え、生徒たちを冷徹に見下ろした。

「皆さん、雑談はここまでです。ここからは各自席について、この『試験』を受けてもらいます」

 試験。

 その二文字が響いた瞬間、先ほどまでのピンク色の妄想から一転、コハルの顔から急速に血の気が引いていく。

 倫理的危機の次は、学力的危機。休む暇もなく突きつけられた冷酷な現実に、コハルは今日一番の悲鳴を上げた。

「いやよ!!」

教壇に立つアナクサゴラスは、手元の書類をペラリと捲り、理知的な――しかし逃げ場を許さない冷徹な声で問いかけた。

「なぜ断るんですか?」

 その視線の先で、下江コハルがビクリと肩を跳ねさせる。

「貴方は自己紹介文にこう書いていますね。『自分は間違って三年の試験を受け、不合格になった』と。これはティーパーティーから配布された正式なテストです。確かにコハルさんのテスト用紙は一学年のもので、これを合格すればこの学舎から卒業することは出来ずとも、授業免除は認められる。……その機会を、自ら捨てると?」

「ぐっ……」

 正論という名の鋭い刃を突きつけられ、コハルは言葉に詰まる。痛いところを突かれた彼女の顔は、見る見るうちに赤く染まっていった。

 そんな張り詰めた空気の中、教室の後方ではひそひそと場違いな密談が交わされていた。

「間違って三年のテストを受ける……?」

 穹が顎に手を当て、真剣な顔で呟く。

「もしかして、俺たちに会いたくてわざと留年しようとしたのか?」

 斜め上のポジティブすぎる推論である。その隣で、サフェルが面白そうにニシシと笑った。

「自分まで偽ろうなんて、あの子結構才能あるよ。これを機に『ムッツリ盗賊』としてウチでデビューさせてやろっかな〜」

 外野の無責任な囁きが聞こえたのか定かではないが、コハルはついに限界を迎えた。羞恥とプライドが臨界点を突破し、彼女は半ば自暴自棄に叫び声を上げた。

「嫌なものは嫌なの! 受けるなら個別で受けるわ! そう、個別!」

 彼女は教室内をぐるりと指差し、その小さな体をいっぱいに使って拒絶の意思を爆発させる。

「考えられない! こんなヘンテコな奴らと一緒に勉強するなんて!! ここにくるくらいなんだから、皆バカなんでしょ! アンタも! アンタも! アンタも!」

 怒りに震える指先が、次々と生徒や教員たちを射抜いていく。

「俺も?」

 とん、と自分の胸を指差して首を傾げる穹。

「こ、コハルちゃん、みんなをそんな風に言っちゃ……」

 トリスビアスがオロオロと宥めようとするが、火のついたコハルには届かない。

 だが、この状況を最も悪化させたのは、他でもない教壇の上の歴史学者だった。

「ふむ……確かに、貴方のいう通りかもしれません」

「……は?」

 アナクサゴラスが、ふっと肩の力を抜いて目を伏せた。

「私も先生などと名乗っておきながらなんですが、一介の文弱な学者の一人にすぎません。貴方の言う通り、至らない点も多いでしょう……」

 その哀愁漂う自虐モードを見た瞬間、ファイノンの顔からサァッと血の気が引いた。

「まずい、アナクサゴラス先生の『謙遜』が始まった……!」

 かつての恩師の悪癖を熟知しているファイノンは内心で頭を抱えた。この面倒くさい自己卑下が始まると長いのだ。このままだと、コハルは本当に愛想を尽かして教室を出て行ってしまう。

 同じく事態の悪化を察知した穹は、腕を組み、静かに思考を巡らせていた。

(確かに、このままこの『ムッツリスケベ』を放って帰らせるのも手だろう。面倒事は減る)

 だが、と穹は自らの内なる熱源――開拓の意志と、この世界で背負った「先生」という肩書きを思い返す。

(ここでの俺は、銀河打者であると同時に先生だ。生徒が成長する機会を、みすみす無くすわけにはいかない)

 ピンと、穹の脳内に電球が灯る音がした。

(あっ、良いことを思いついた!)

 穹はすぐさま、精神の奥底で繋がる『アグライアの金糸』を弾いた。

『アグライア。アナクサゴラス先生に、こう伝えて欲しい』

『………分かりました』

 少しの間の後、アグライアからの呆れ混じりの、しかし確かな承諾の念話が返ってくる。

 次の瞬間。

「…………なるほど」

 うつむいていたアナクサゴラスの顔が、バッと勢いよく上がった。

「な、何よ………」

 気圧されたコハルが一歩後ずさる。

 アナクサゴラスの瞳の奥には、先ほどまでの文弱な学者の影など微塵もなかった。そこにあるのは、自らの探求する真理を冒涜された狂信者のような、らんらんとした光。

「貴方は、『大地獣』についてもバカであると、そう言ったんですか?」

「え、大地獣……? 何それ」

 全く身に覚えのない単語に、コハルは目を白黒させる。だが、理不尽なスイッチの入った学者に弁明など無意味だった。

「良いでしょう……! テストを受ける前に、貴方たちには私の講義をみっちりと受けてもらいます。全員席に着き、ペンを握りなさい!」

 チョークを握りしめ、教壇をバンッと叩くアナクサゴラス。その絶対的な気迫に、反抗を試みていたコハルでさえビクッと身をすくませて硬直した。

「ファイノン。貴方もです」

「……え、僕も?」

 とばっちりを受け、ファイノンが間抜けな声を漏らす。

「貴方は先ほど、私を『アナイクス先生』と呼びましたね? 罰として、この子達と共に講義を受けることとします。良いですね?」

「は、ハハハ……。光栄だなぁ、今一度先生の講義を受けられるなんて……」

 逃げ道を完全に塞がれ、ファイノンは引きつった笑いを浮かべるしかなかった。

「では、早速講義を始めましょう。記念すべき第一回はーー」

 アナクサゴラスは黒板に力強く白墨を走らせ、振り返りざまに高らかに宣言した。

「大地獣について!」

 こうして、本来の目的であるはずの補習テストはそっちのけで、誰も望んでいない異世界の巨大生物学講座が強引に幕を開けたのだった。

――そして、時は現在へと回帰する。

 白亜の教室を支配していたのは、黒板をリズミカルに叩く硬質なチョークの音と、アナクサゴラスの熱を帯びた――しかし誰の心にも届いていない――重厚なバリトンボイスだけだった。

 無限とも思える「大地獣」の生態講義が始まってから、すでに数十分。

 彼が黒板に巨大な獣の図解を描き終え、満足げにチョークを置き、重いため息を吐き出そうとしたその時だった。

 教室の隅に静かに控えていたアグライアが、コツン、と冷たいヒールの音を響かせて一歩前に出た。

「素晴らしい講義でした。大地獣の偉大さ……彼女たちの心にも、さぞ深く刻まれたことでしょう」

 微塵も思っていないであろう美辞麗句を、氷のように完璧な微笑みと共に並べ立てる。

 そして、アグライアは流れるような優雅な所作で、抱えていたバインダーを開いた。

「ですが、そろそろ『本来の目的』に移るべき時間です。ティーパーティーより預かった、現在の学力を測るための試験。……始めてもよろしいですね?」

 有無を言わさぬ絶対零度の圧に、アナクサゴラスは渋々と顎を引いた。

「……どうぞ、好きにしてください。初めの試験は『意識改革』として使おうと、私は反対しません。それに指定されているのでしょう?その試験自体。」

 アナクサゴラスが教壇を降りた瞬間、「試験」というひどく現実的な単語が教室に反響した。その音に弾かれたように、コハルの虚ろだった瞳にようやく理性の光が戻ってくる。

「はっ!? し、試験!? 大地獣は!?」

「おはようございます、コハルさん。大地獣の講義は終わりました。ここからは貴方たちの戦いです」

 アグライアの冷徹な合図によって、分厚い問題用紙の束が一番前の席から後ろへと回され始めた。

 バサリ、バサリと、無機質な紙の音が教室に連鎖していく。

 その規則正しい音は、補習授業部の少女たちにとって、断頭台へと向かう死神の足音に等しかった。

「うぅ……いよいよなんですね……」

 ヒフミが、ペロロ様の描かれたシャープペンシルを十字架のように両手で強く握りしめ、祈るように目を伏せる。

「……トラップの類は仕掛けられていないようだな」

 アズサは配られた問題用紙を受け取るなり、裏表を素早く確認し、蛍光灯の光にかざして透かし文字や毒の塗布がないかを真剣な顔でチェックしている。戦場に生きる彼女にとって、未知の紙切れはまず疑うべき対象だ。

「ふふっ、どんな刺激的な問題が書かれているのでしょうか……」

 ハナコはどこか楽しげに頬杖をついたまま、問題用紙の縁を指先でなまめかしくなぞった。彼女だけは、この絶望の淵にあっても余裕を崩さない。

 そして――。

(ヒッ……な、何よこれ! こんなの習ってない! というか、これって呪文!?)

 問題文を一瞥したコハルが、早くも心の中で悲鳴を上げた。

 彼女の目の前に立ちはだかるのは、無数の数字と幾何学的な記号、そして難解な長文がびっしりと羅列された、容赦のない「現実」。エリートを自称し、補習など無縁だと信じて疑わなかった彼女のちっぽけなプライドは、たった一枚の紙切れによって無惨にも粉砕されようとしていた。

「サフェル様、起きてください。テストが始まりますよ……っ」

「んみゃ……? あー……これ、名前だけ書けばいいやつ……?」

 後ろの席では、キャストリスに揺り起こされたサフェルが、寝ぼけ眼を擦りながら、配られたばかりの問題用紙を丸めてゴミ箱に投げ捨てようとしていた。

 そんな生徒たちの阿鼻叫喚を傍観していたはずの異界の客人たちにも、冷酷な刃は容赦なく向けられていた。

 自分の机の上にも置かれた問題用紙を見て、穹が目を丸くする。

「俺たちも受けるのか?」

「先生として活動していくなら、ある程度の教養ぐらいないと困りますよ?」

 アグライアの正論が、鋭く胸を抉る。

「ぐっ……お、俺は『開拓の精神』を教える先生として、机上の空論よりも実践を重んじる主義でーー」

 必死に逃げ道を模索し、もっともらしい言い訳を口にする銀河打者。だが、その隣でペンを回していたファイノンが、苦笑混じりにその肩を叩いた。

「相棒、潔く覚悟を決めよう……。彼女が言い出した以上、逃げられない」

「相棒……!」

 穹はすがるような目でファイノンを見つめた。

「かつての『救世主』として、俺たちのテストを丸ごと引き受けて、世界を救ってくれたりーー」

「まぁまぁ、良いじゃない!」

 情けない懇願を遮ったのは、花が咲いたような明るい声だった。

 キュレネだ。彼女は配られた問題用紙を嬉しそうに両手で持ち上げ、瞳をキラキラと輝かせている。

「記念すべきテストだよ? 私もこういうの“初めて”だから、一緒に青春を楽しみましょう♪」

 純粋な好奇心とポジティブなエネルギー。

 対照的に、どんよりと沈み込む補習授業部と、逃げ場を失った開拓者。

 そんな混沌と絶望が入り混じる教室の空気を、アグライアの研ぎ澄まされた一言が一刀両断した。

「――それでは、試験始め」

 運命の歯車が、カリカリと鉛筆を走らせる音と共に回り始めた。

カリカリ、カリカリ。

 静まり返った教室に、無機質な黒鉛が紙を引っ掻く音だけが響き渡る。

 開拓者――穹は、手元の難解な問題用紙に目を落としながら、鉛筆を遊ばせる手を止めて静かに思考の海へと潜っていた。

(……俺に担任を任せておいて、初日に対面したその当日にテストを配布、か)

 彼は鋭い眼差しで、教壇に立つアグライアの完璧な横顔を盗み見た。

 このテストで、集められた生徒たちの実力――いわゆるベースラインを測れということなのだろうか。補習授業部という名目上、それは理にかなっている。

 だが、長年星々を巡り、数多の陰謀や裏の意図を嗅ぎ取ってきた彼の直感が、警鐘を鳴らしていた。

 ふと、穹は斜め前の席でウンウンと唸っているヒフミへと視線を移す。

 ペロロ様のシャープペンシルを握りしめ、問題と格闘する彼女の背中からは、悲壮感と同時にある種の「違和感」が漂っていた。

(いや、単純な学力測定というわけでもなさそうだ)

 穹は再び手元の用紙に目を落とす。

 そもそも、俺たち「客人(異邦人)」が生徒に混じってこの問題を解くことに、何の意味がある?

 おそらく、自分やファイノンたちに配られたこの用紙は、アグライアかトリスビアスの計らいによって密かに複製されたものだろう。彼女たちが無意味な行動を起こすとは思えない。この文字の羅列の裏には、もっと別の「仕掛け」が隠されているはずだ。

 思考を巡らせる穹をよそに、無情にも試験終了の時刻は訪れ――そして、即座に冷酷な「結果」が突きつけられた。

「採点が終了しました。結果をお返しします」

 アグライアの淡々とした声と共に、赤ペンで容赦なく彩られた答案が各自の机に返却されていく。

 ハナコ、不合格。

 マイア、不合格。

 アズサ、不合格。

 コハル、不合格。

 

回答が返された瞬間から阿鼻叫喚の地獄絵図、その中でただ一人。

「あ、あうぅ……よ、よかったですぅ……いや、全然よくないし、意味ないんですけど……」

 ヒフミだけが、胸を撫で下ろして安堵の息を吐いていた。彼女の用紙には、唯一『合格』の文字が躍っている。

 悲喜こもごもの結果が貼り出される中、ファイノンが苦笑しながら教壇のアグライアに歩み寄った。

「厳しいね。……それでアグライア、僕たちの採点はどうな感じなのかな?」

「必要ありませんよ……」

 アグライアは、集めた穹たちの答案用紙を一瞥すらせず、冷たい微笑を浮かべたまま言い切った。

「え?」

 ファイノンが間の抜けた声を漏らす。解かせたのに採点すらしないという矛盾。

 その疑問に答えるように、腕を組んで壁際に寄りかかっていたアナクサゴラスが、独眼の奥の瞳を鋭く光らせて口を開いた。

「皆さん……不思議に思いませんでしたか? この『試験』について」

 学者の低く響く声が、教室の空気を一段と重く、冷ややかに染め上げた。

          ◇

 同じ頃。

 喧騒から遠く離れた、トリニティ総合学園の中枢――ティーパーティーの優雅な一室。

 磨き上げられたアンティークのテーブルには、芳醇な香りを漂わせる最高級のダージリンが注がれていた。

「おや……今日はもう、来客の予定など入っていないと記憶していましたが」

 ティーカップを口元へ運ぼうとしていたナギサは、その優雅な所作を止め、静かに扉の方へと視線を向けた。

 ノックもなく、まるで自室にでも入るかのような傲慢な足取りで踏み込んできた影。

 警備の生徒たちをどうやって掻き潜ったのか。その男は、部屋の空気を一瞬にして自身の「領土」へと塗り替えるほどの、底知れぬ覇気と威圧感を纏っていた。

「ほう。この学園の『王』とやらは、わざわざ来訪の知らせを送った者としか面会しないのか?」

 男――ケリュドラは、美しい調度品を品定めするように見回し、そして鼻で嗤った。

「とんだ臆病な王だ」

 その不遜極まりない暴言に、ナギサの瞳の奥で微かな警戒の光が瞬く。だが、彼女は表情一つ崩さず、あくまでトリニティのホストとしての気品を保ったまま問い返した。

「……随分と無作法な方ですね。貴方は?」

 ナギサの問いかけに、ケリュドラはこれ以上ないほど傲岸不遜な笑みを口元に刻んだ。

 彼は一歩前へ踏み出し、王座に君臨する覇王のごとき威厳をもって、その名を宣告する。

「僕の名を知るか……。そうだな、ここは『校長』と呼んでもらおうか」

 ケリュドラは目を細め、ナギサのテーブルにあるティーセットを見下ろした。

「――紅茶卿?」

 その挑発的で、相手を完全に格下と見なす尊大な響きが、静寂に包まれたティーパーティーの部屋に重く、鋭く突き刺さった。

 

 




【おまけ】
 無数の星々が流れる宇宙の海を、星穹列車は静かに進んでいく。
 普段は穏やかな車両だが、今の空気はひどく張り詰めていた。テーブルを囲むナナシビトたちの表情は一様に硬く、持ち込まれた未知の情報が、彼らの常識を大きく揺さぶっていた。
「つまり、穹は『キヴォトス』と呼ばれる学園都市に降り立っていた」
 ヴェルトが手元の端末から視線を上げ、重々しい声で沈黙を破った。彼の眉間には深い皺が刻まれ、推測の域を出ない現状に思考を巡らせていることが窺える。
「ええ。不可解なのはそれだけじゃないわ」
 姫子が、冷めかけたコーヒーの入ったカップをソーサーにコトリと置き、物憂げに言葉を継いだ。
「その学園都市は女子生徒しか存在していないだけじゃなくて、彼女たち自らが統治しているというの。まるで外界との繋がりを絶たれた、完全な閉鎖環境のように」
 その言葉に、静かに話を聞いていたサンデーが目を伏せ、思案するような声色で問いかけた。
「オンパロス同様に、星神や外界についての知識が全くない……本当なんですか?」
 宇宙の真理たる星神の存在を知らない世界。それは、彼らの常識からすればあまりに特異すぎる箱庭だ。サンデーの僅かな疑念を晴らすように、腕を組んで壁にもたれかかっていた丹恒が、短く、しかし確信を持って頷く。
「ああ、間違いない。送られてきたデータと彼の証言がそれを示している」
「それだけじゃないよ!」
 たまらずといった様子で身を乗り出したのは三月なのかだった。彼女の瞳には、大切な仲間を心配する焦燥の色が色濃く浮かんでいる。
「あの子、記憶失ってんだよ!? 旅の出来事のことも曖昧になってるのに……おまけに、『新しい星神に会った』なんて言ってたし!」
 三月の悲鳴にも似た訴えが、車内に重く響き渡る。
 新たな星神の誕生。それは、宇宙の運命を左右し、星海の理を書き換えるほどの大事件である。
「……どういう事かしら?」
 姫子が柳眉をひそめ、窓の外に広がる広大な銀河を見つめた。
「星神が新しく誕生している。……これだけの大きな出来事が、世界に全く知られていないなんて……そんなことが、本当にあり得るの?」
 星神の誕生は、必ず宇宙全体に巨大な波紋をもたらす。それが誰にも感知されず、歴史の片隅でひっそりと行われるなど、物理的にも概念的にも不可能なはずだった。
 皆がその巨大な矛盾に口を閉ざした、その時。
「………あり得ない話でも、ないかもしれないわよ?」
 ふわりと、車内に甘くミステリアスな香りが漂い、どこからともなく幻影のように一人の女性が姿を現した。
 『記憶を歩む者』――ブラックスワンだ。
 彼女はタロットカードを指先で弄びながら、妖艶で、どこか背筋の凍るような微笑みを浮かべている。
「ブラックスワン……それは、どういう意味だ?」
 ヴェルトが眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、彼女の言葉の真意を測ろうと声を低くした。
 ブラックスワンはゆっくりと瞬きをし、まるで恐ろしい童話を読み聞かせるように、静かに唇を紡ぐ。
「もし、私たち――いや、世界の人々すべてが、『星神誕生の瞬間』の記憶を失っているとしたら?」
 ――記憶の、喪失。
 その言葉が落ちた瞬間、車内の温度が急激に下がったかのような錯覚に陥った。
 宇宙全土の記憶が改竄され、あるいは奪い去られているのだとしたら。彼らが「知らされていない」のではなく、「忘れさせられている」のだとしたら。
 ゾッとするような沈黙が、車両を支配する。
 彼らは目前の不可解な謎に気を取られ、列車の外――宇宙の深淵から忍び寄る「それ」に気付いていなかった。
 ピキリ、ピキリ……。
 真空の宇宙空間において、本来ならば響くはずのない音。
 それは、空間そのものが凍りつき、星の海が絶対零度の氷に閉ざされていく、ひどく美しくて残酷な音。
 記憶を凍てつかせるようなその透明な響きは、窓ガラスのすぐ外まで迫りながら、誰の耳にも届くことなく、ただ静かに宇宙を侵食していた。

Mr.ミミ作のコーナーの今後

  • 新キャラの方がいい
  • ストーリーに関係するキャラがいい
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