――まただ。
胸の奥にざらつくような既視感。
足元に広がるのは見覚えのある校舎の廊下……のはずなのに、俺の知っているアビドスとは違っていた。
「ここ……校舎、だよな?」
天井も壁も確かに学園施設のそれなのに、そこら中に砂が入り込んでいる。窓の隙間から吹き込む砂風が床を薄く覆い、踏みしめるたびにざり、と音を立てた。
おかしい。シロコたちのいたアビドスとは比べ物にならないくらい人がいる。見知らぬ制服の生徒たちが慌ただしく行き交い、かと思えば無人の教室もちらほら……妙に「欠けている」校舎だった。
「ちょっと!どういうことですか!?」
怒鳴り声が耳に刺さった。
反射的に声の方へ向かうと――扉には「生徒会室」の札。胸騒ぎを覚えつつ、俺はそっと隙間から中を覗き込んだ。
そこに広がっていたのは異様な光景だった。
大人たち――教師なのか役人なのかは分からない――が、子供である生徒会役員に頭を下げていたのだ。机の上には山のような書類。その中には「砂漠化対策費用」の文字、そして一枚の紙……「高校廃校のお知らせ」。
「砂漠化を防ぐために尽力しますって決めましたよね!?それなのに……借金が嵩んで破産って!」
「すまない……だがもう我々にはこれしか手がないんだ。ビナーによる砂漠化の拡大は免れない。それに……借金先がカイザーコーポーレーションだ。これ以上はどうにもならない」
「ここが潮時なんだ!わかってくれ!」
「他校への編入の手続きも済ませてある。それで――」
「分かりません!」
少女の声が、教室の空気を震わせた。
机を握りしめ、涙を押し殺すように彼女は叫ぶ。
「私たちは今まで、この街とこの学校で育ってきました! 逃げたい人だけ逃げればいい……少なくとも私は、残ると決めた仲間と一緒に、このアビドス高校を守ります!」
……アビドス。
今、なんて言った? ここがアビドス?
混乱する頭を振り、俺は慌てて校舎の外へと飛び出した。
目に映ったのは――俺の知るアビドスよりも遥かに大きな学舎。威容を誇る巨大な校舎の陰、そのさらに奥に、見覚えのある小さな建物がぽつんと建っている。
「……あれが……今のアビドス……?」
今ではもう、あの小さな校舎しか使えないのか?
そんな考えが胸をよぎった瞬間、背後から地を震わせる咆哮が響いた。
振り返った俺の目に映ったのは、砂嵐を纏い迫り来る巨大な蛇のような怪物。
砂を巻き上げ、咢を開いて――
――はっ!
俺は飛び起きた。
荒い呼吸を整えながら、額に浮かぶ汗を拭う。
「……夢、か……?」
だが胸の奥に残るざわめきは消えない。
あの光景、あの声。まるでただの夢ではない、どこかで確かに起きていた現実を垣間見たような――そんな奇妙な感覚だけが、俺の中に強烈に残っていた。
■
「先生! おはようございます!! 何かありましたか?」
アロナの明るい声に、俺はしばし黙り込んだ。
夢の残滓がまだ胸に絡みついている。砂の匂いと、巨大な学舎と、蛇の咆哮――。
「……何か、変な夢を見た気が……」
言葉にしてしまうと、余計に現実感が薄れる。だが、それを説明できるほど俺は器用じゃない。
「大丈夫ですか? じゃあアヤネさんに今日は来れないとお伝えしておきますが……」
アロナの気遣う声に、俺は即座に首を振った。
休む? 俺が? それはあり得ない。天下の銀河打者が体調不良ごときで椅子に座り込んでいるなんて、そんなつまらない絵面は似合わない。
「困るな。俺は行く」
そう言って立ち上がると、界域アンカーを手に取り、容赦なく発動させる。
視界がぐにゃりと歪み、瞬きの後にはアビドス高校。
空間の継ぎ目をすり抜けるこの移動感覚は、どうにもクセになる。
校門を抜け、砂埃に沈む学園を歩き、彼女たちに挨拶を交わす。
俺の「いつも通り」は、彼女たちの「また妙なことをしている」に聞こえるらしいが、気にしたことは一度もない。
そして――アビドス対策委員会の部室。
アヤネが資料を抱え、真剣な眼差しで俺を見据えた。
「……それでは、アビドス対策委員会の定例会議を始めます。本日は先生にもお越し頂いたので、いつもより真面目な議論をお願いしたいと思います!」
空気がぴんと張る。
俺は思わず背筋を正した。
いつもなら、軽口を叩いてこの堅苦しさを和らげるところだが――相手はアヤネだ。彼女が本気の顔をしている以上、ここは俺も真剣に――
「は~い☆」
ノノミが笑顔で手を上げた。
「期待する」
シロコの短い言葉が、冷静さを崩さないまま場を引き締める。
「何よ、いつもは不真面目みたいじゃない……」
セリカの棘のある声が飛んでくる。
「うへ、よろしくねー、銀河打者くん」
ホシノは肩肘をつき、いつもの飄々とした笑みを浮かべていた。
……前言撤回。
やっぱりここは開拓者らしく傲慢で狂気に満ちた態度で会議にのぞもう。
俺は無言で椅子に腰を下ろし、目の奥だけで笑った。
周囲から見ればきっと、無表情で物静かな青年に見えただろう。だが、俺の胸の内では火花が弾けていた。
ホシノが気怠そうに手をひらひらさせながら口を開く。
「えっと、まずはアヤネちゃんから話があるんだっけ~?」
はい、と小さく頷いたアヤネは、やたらと真剣な声音で切り出した。
「前回の戦闘でも思ったのですが、カタカタヘルメット団は不良集団にしては戦力を持ちすぎています。何台もの車両や弾薬、補給品もそうですが……特に戦車なんて代物、普通そう所有出来るものではありません」
……あんな鉄塊が?と俺は思ったが案外重要なことらしい……
アヤネが端末をテーブルに置き、ドローンで撮影した写真を並べる。
無機質な角度から切り取られた戦車の外装や部品。どれも煙と油の匂いを閉じ込めていそうで、見ているだけで鼻がむず痒くなる。
「それで、前回の戦闘で破損した戦車の外装を調べたんです。結果……彼女たちの使用している戦車は、本来キヴォトスでは使用が禁止されている“違法機種”である事が判明しました」
俺は腕を組みながら、表情は崩さず、ぽつりと口を挟んだ。
「……それはつまり、ズルしたのに負けたってことか?」
全員の視線が一瞬こちらを向く。
冗談半分、いや八割は本気だったのだが、妙に刺さったらしい。
「ん、雑魚は何をやっても雑魚」
シロコが冷ややかに切って捨てる。シロコの口調が乾いているせいで、俺の台詞まで本気度が増してしまった。
アヤネは咳払いをして、やや強い声で続ける。
「……少し論点がズレてますが、各学園が正式採用している戦車には存在しないパーツでした。つまり――“違法改造戦車”です」
セリカが眉を寄せる。
「違法改造くらいなら不良らしいけど……問題はその内部パーツってこと?」
「はい」
アヤネはスライドを切り替える。現れたのは、まるで怪物の臓腑を引きずり出したような写真。複雑に絡み合ったエンジン部。
「これは“ガスタービンエンジン”と呼ばれるものです。本来のFlak41には搭載されていません。燃費が非常に悪く、技術的なハードルが高い。ただし加速性に優れ、軽量で出力に優れる……」
「へぇ。で、そのエンジンは戦車専用?」とセリカ。
「いえ、主に航空機で使用される“ジェットエンジン”です。ただ、定期的なメンテナンスが必須で、コストも時間もかかります。戦車用としては数が少なく、高価。つまり――不良が保持するパーツとしては不適格です」
納得の空気が流れる。
俺は内心で口笛を吹いた。なるほど、つまり奴らは自前で仕入れたんじゃない。後ろ盾がいる。
「燃費が悪いなら燃料費も嵩む。管理の手間を考えると人材も必要。最初からおかしい話」
シロコが理路整然とまとめる。
「はい、まるで燃費を気にしていないかのような選択です」
「怪しいなぁ……」ノノミが頬に指を当てる。
「ってことはつまり、ヘルメット団にはパトロンがいるのね?」セリカが結論を急ぐ。
アヤネは力強く頷いた。
「ええ。その通りです。流通ルートを割り出せば、支援している“誰か”を引き摺り出せます」
その時、俺の胸に小さな火が点いた。
パトロン。背後にいる黒幕。
なるほど――面白くなってきた。
俺は椅子から立ち上がり、拳を握った。
「行くか、ブラザー」
隣のシロコが小さく首を傾げる。
「ん。私はブラザーじゃない。シスター」
「ちょっと! ちょっと! どこに行くのよ!」
セリカが慌てて立ち上がる。
俺は無表情のまま、軽い声で答えた。
「決まってるだろ?」
「カチコミに行く」
シロコが淡々と受け継ぐ。
「うへー……シロコちゃんにとんでもない相棒ができちゃったよぉ~」
ホシノが呆れ半分、楽しそうに笑った。
「二人ともー!!」
アヤネの声が、いつになく強く響く。
やばい。アヤネがキレ出した。
ここは一時撤退して機を待つとしよう。
「……話が脱線し始めたので、ヘルメット団の背後関係についてはここまでにします」
アヤネが端末を切り替え、わずかに咳払いして指を立てた。
「次の議題は――学校の負債をどう返済するか、です」
その瞬間、部室の空気が一気に張り詰めた。
補給だの戦闘だの、いくら騒いだところで結局アビドスを圧し潰している現実はこの“負債”だ。
俺の視線も自然と端末の数字に吸い寄せられる。桁を数えただけで頭が痛い。
「ご意見のある方は挙手を」
アヤネの声に、すかさず椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったのはセリカだった。
「はい!はい!」
「はい、一年の黒見セリカさん、お願いします」
「……なんでフルネーム? なんか変な感じするんだけど」
「まぁ、折角の会議だから……そういう方が気が引き締まるかなって。調子に乗る人もいるし」
「……なるほどねぇ、分かった」
なんで俺の方を見る。
ゴミ仲間よ、お前のどこに“なるほど”があったんだ。
セリカは気を取り直したように一本指を掲げた。
「会計担当として言わせてもらうわ。財政状況は――破産寸前ッ! このままだと廃校よ! 利息だけで毎月七百八十八万円! もう無理、ギリギリよ! 今まで通り小遣い稼ぎじゃどうにもならない! だから、埒をあけるためにでっかく一発狙わないと!」
俺は静かにスマホを取り出し、表示画面を机に伏せて見せた。
「……俺の手持ち五千万あるけど?」
「えッ!? ほんと!?」
セリカの目がギラリと輝いた。部屋の空気が一瞬ざわめく。
信用ポイント。どうやらここでも通じるらしい。
だが、セリカは勢いよく首を振って、俺のスマホを押し返した。
「いやいやいや! アンタのお金使ったら借りをつくったみたいでイヤ! それにそれはアンタが稼いだお金でしょ? 自分のために使いなさいよ!」
なるほど……意外と筋の通ったことを言う。だが次の瞬間、机に叩きつけられたチラシがすべてを台無しにした。
「これよ!」
皆が身を乗り出して覗き込む。印刷の安っぽい光沢紙には、でかでかと文字。
「ゲルマニウム麦飯石ブレスレットで、あなたも一攫千金!」
ホシノがぽつりと読み上げる。部室が静まり返った。
セリカは満面の笑み。
「そうッ! これでガッポガッポ稼ぐのよ!」
……いや、俺でも分かる。
これはどう見ても――詐欺だ。
アヤネの口元が引き攣り、シロコは無言で首を傾け、ホシノはチラシを半眼でつまんでいた。ノノミに至っては心底心配そうな顔。
「この間、街で声を掛けられて説明会に行ったの! 運気が上がるゲルマニウムブレスレットを売ってるんだって! これを三人に売れば、その三人がまた三人に――」
言葉を捲し立てるセリカが、ふと気付いた。
誰も賛同していない。全員が「どうしたものか」と苦虫を噛み潰した顔をしている。
「……みんな、どうしたの?」
「却下~」とホシノ。
「えーっ!? なんでよ!?」
アヤネは眉を寄せ、はっきりと言い切った。
「セリカちゃん、これ……マルチ商法だから」
「そ、そんな……」
シロコが淡々と追い打ちをかける。
「儲かるわけない」
「えええっ!?」
ノノミが優しくとどめを刺す。
「セリカちゃん、騙されちゃったんですね……可愛いです☆」
セリカがカバンから例のブレスレットを取り出した時には、もう表情が曇り切っていた。
――ほんとに。
まったく救いようがない。
俺は表情ひとつ変えずに机を叩き、低く、しかし勢いよく言った。
「石を集めるなら星玉とか青輝石にしてくれ! いつも枯渇してて困ってるんだ!」
「ん? それってなんの話?」とシロコ。
間髪入れず、脳内から電子の声が響いた。
アロナ『先生! 実際のゲームシステムに干渉してくるのでやめてください!!』
いやだ!俺は今回の跳躍ですり抜けて石が足りないんだ!
でも、今ここで文句を言おうと誰も石を与えてくれるわけでもない……仕方ない。ここはアロナの言う通りにしよう。
「全く、セリカちゃんは世間知らずだねぇ。気を付けないと悪い大人に騙されて、人生取り返しのつかない事になっちゃうかもよー?」
ホシノが肩を竦めながら呟いた。
「そ、そんなぁ……そんな風には見えなかったのに。せっかくお昼抜いて貯めたお金で買ったのにぃ」
セリカの頬に涙が滲む。
そこへノノミがふんわりと腕を伸ばした。
「大丈夫ですよセリカちゃん。お昼、一緒に食べましょう? 私が御馳走しますから」
「ぐずッ……ノノミぜんぱぁい……!」
ブレスレットを放り投げるように鞄へ仕舞い込み、セリカはノノミに縋り付いた。泣き顔のまま。
ノノミはその頭を優しく撫で、何事もなかったように微笑んでいる。
セリカが涙を拭きながらノノミに抱きつくのを眺めて、俺は心の中で素直に感心していた。
――ノノミはすごい。まるで鞭と飴を完璧に使い分ける調教師。泣いていたはずのセリカを、気付けば子犬みたいに従わせている。
俺もああいう技術を身に付けたいものだ。……まぁ、俺の場合はつい石とか星とかに話を逸らしてしまうから、無理かもしれない。
場が少し落ち着いたところで、アヤネが改めて問いかける。
「それでは他にご意見のある方……」
真っ先に手を挙げたのは、やはりホシノだった。
三年生で、この委員会のリーダー。ある意味で一番まともに見える――が、その実、最も常識から遠い存在でもある。
「我が校の一番の問題はねぇ、生徒が少なすぎることなんだよ」
ホシノは胸を張り、朗らかに言い放つ。
確かにそうだ、と俺も頷く。生徒数は力そのもの。生徒が増えれば発言権も増えるし、金も集まる。
「なるほど、確かに……」とアヤネも唸るが、方法については困惑気味だった。
だがホシノは迷いなく続けた。
「簡単だよー。他校のスクールバスをジャックすればオッケー!」
……その瞬間、俺の心臓がどくんと跳ねた。
え? ジャック? それってつまり、登校中の生徒を根こそぎ攫って、強制的にアビドスへ連れてくるってことか?
アヤネは慌てて止めようとする。
「ちょ、ちょっと待ってください! そんなこと風紀委員が黙っていませんよ!」
だが、シロコの反応は真逆だった。
一歩前に出て、真顔で言う。
「ターゲットはどこ? トリニティ? ゲヘナ? ミレニアム? 戦略を変える必要がある」
……おお。
俺の胸の奥に、熱が灯る。
まるで試合前のロッカールームで、仲間の目が燃え上がるのを見た時のような高揚感。
「アヤネ、安心して」
シロコがちらりとこちらを見る。
「ここには天下の銀河打者がいる。絶対に成功する」
――その言葉を聞いた瞬間、俺の全身を電流が走った。
「よし!」
思わず立ち上がって拳を突き上げる。
「今度こそ行くか、ブラザー!」
その言葉が俺の中から噴き出したのは、理屈でも計算でもない。
ただ――心の底から、この作戦が面白そうだと思ったからだ。
バスをジャックして、生徒たちを次々と勧誘する。
反撃してくる風紀委員をバットで吹き飛ばしながら、俺は叫ぶだろう。
「ようこそ、アビドスへ!」
……そんな光景が、ありありと脳裏に浮かんでくる。
シロコは武器を構える。
「ん、だから私はブラザーじゃなくてシスター……」
だが、そんな些細なことはどうでもいい。
俺たちはもう、すでに同じチームのバッテリーだ。
スクールバスをスタジアムに変え、敵校を観客席にしてやる。
胸が高鳴る。
これは、絶対に楽しい。
アヤネの眉間に深い皺が刻まれた。
ホシノが軽口を叩き、場の空気を誤魔化そうとしていたが……ダメだ。アヤネの気配は、雷雲のように黒々と膨れ上がっていた。
――残念だ。
せっかく面白いことが起きそうだったのに。
胸の奥に火が灯りかけていた俺の期待も、冷や水を浴びせられたように萎んでいく。
だが、その時だった。
「なら、私に良い考えがある」
低く、しかし確固とした声が響いた。
振り返ると、シロコが立ち上がっていた。まるで砂漠に立つ狼の群れを率いるリーダーのように、鋭い眼差しで。
俺の心臓が跳ねる。
いいぞ! ブラザー、俺たちを新たな開拓の旅に連れて行ってくれ!
しかし――アヤネの顔は苦渋に染まっていた。
「どうせまた変な意見に違いない」
その予感を裏切らないほど、シロコの瞳は眩しく輝いていた。
「銀行を襲うの」
……おお!
思わず心の底から感嘆の声が漏れた。
アヤネが絶叫した。「はいっ!?」
だが俺には分かる。この案は最高だ。
これまでのふざけたアイデアを一段どころか二段、三段も飛び越える迫力。
シロコは堂々と頷き、続けた。
「確実かつ簡単。ターゲットは第一中央銀行。金庫の位置、サーマル、IDキー、警備の動線、通報システムの遮断方法、監視カメラのジャック手段、現金輸送車のルート、逃走経路――全部把握してある」
言葉を聞くたびに、俺の胸が熱を帯びる。
「五分で一億稼げる」
……やるしかない。
前の世界で、どれほど効率よく疑似花萼を周回しても五十万ちょっとしか稼げなかったというのに……!
これは桁違いだ。桁違いのロマンだ!
「はい、これ覆面」
シロコが紙袋を持ち上げ、中から色とりどりの覆面を取り出した瞬間――俺は確信した。
本気だ。
ノノミが緑の覆面をかぶってきゃっきゃとはしゃぎ、ホシノは赤い覆面をかぶってケラケラ笑う。
次々と覆面をかぶっていく仲間たちを見て、俺の胸の奥に眠る血が騒いだ。
「でもごめんね。銀河打者の分は用意してない……」
シロコが申し訳なさそうに言う。
問題ない!
俺はゴミ箱を手に取り、マジックで「6」と書き殴り、頭に被った。
頭番号、6番。銀河打者の覆面ユニフォームだ。
「いつでも行けるぞ! シスター!!」
シロコが小さく笑って「ん!」と応える。
その瞬間、俺の胸は歓喜で弾け飛んだ。
――この高揚感!
俺たちは銀行をスタジアムに変え、金庫をホームランで打ち破る!
通報システムなんて審判の笛にすぎない。観客はざわめき、俺たちはダイヤモンドを駆け抜けるんだ!
「いやー、いいねぇ。人生一発でキメないとねぇ」
ホシノが笑い、俺は全力で頷いた。
だが――現実は残酷だ。
「そんな訳あるか! 却下、却下ッ!」
セリカが絶叫し、アヤネも涙目で首を振る。
「犯罪はいけませんっ!」
「……」
シロコはむくれていた。俺も同じ気持ちだ。
せっかく最高に盛り上がったのに。
せっかく俺たちの心が一つになろうとしたのに。
――却下。
……つまらない。
俺は心の中で深いため息を吐きながら、椅子に沈んだ。
アヤネは頭を抱え、弱々しく呟いた。
「皆さん……もう少し、まともな意見を……」
まともな意見?
そんなものより、もっと面白い未来を追いかけたいのに。
「あのー! はい! 次は私が!」
ノノミが手を挙げた瞬間、アヤネの顔にほんの僅かな希望の色が差した。
――あぁ、やっとだ。まともな意見が聞けるかもしれない。
そんな祈りにも似た気配を俺は感じた。
「はい! 犯罪でもマルチ商法でもない、とってもクリーンかつ確実な方法があります!」
「へぇ、それはどんな~?」
「アイドルです! スクールアイドル!」
アイドル。
突拍子もない言葉に、部室の空気がふわりと宙に浮いた。
ノノミは相変わらずにこにこと温厚な笑みを浮かべ、夢見るように語り出す。
「そうです! アニメで観ました、学校を復興するのに定番の方法はアイドルです! 私達が全員アイドルとしてデビューすれば……」
……だが。
俺の胸に走った感覚は、別のものだった。
インパクトが足りない。
せめて全員でゴミ箱を被りながら踊るのなら話は別だが、ただアイドル活動をするだけでは――。
「却下」
ホシノが即座に切り捨てる。
ノノミは首を傾げて意外そうな顔をしたが、ホシノの答えは冷酷だった。
「こんな貧相な体が好きっていう奴なんて、ないわー」
……そんなことはない。
この世にはロリコンという立派な一族がいる。人類史の中でも確固たる地位を築いているはずだ。
ノノミはなおも諦めきれず、端末を自撮りにしてポーズを決める。
「水着美少女団のクリスティーナで~す♧」
「どういうことなの」
「ちょっと! 水着少女団って名前なの!? 嫌よ、だっさい!」
セリカの辛辣な一撃に、ノノミはがっくりと肩を落とした。
……いや、俺も反対だ。
名前なら「ゴミ箱打者団」とか、最低でも「ゴミ箱」が入らなければ話にならない。
結局、全員の意見は出揃った。
だが残ったのは「何一つ決まっていない」という事実だけ。
「もう銀河打者くんに任せちゃおうよ~。ねぇ、銀河打者くん、これまでの意見の中でやるならどれが良い?」
突然、矛先が俺に向いた。
「えっ、今までの中から選ぶんですか!?」
慌てるアヤネを尻目に、全員が俺を見つめていた。
セリカは必死に念を押す。
「まさかアイドルやれなんて言わないわよね?」
ノノミはキラキラ笑顔で言う。
「アイドルでお願いします☆」
シロコは――無言で覆面を被った。
この瞬間、俺の答えは決まった。
「……ゴミ箱を被るしかない!!
勢いよく頭にゴミ箱をかぶる俺。
それを見たセリカが、悲鳴混じりに叫んだ。
「ちょっ!ちょっと!うそよね!?」
「いや、俺は本気だ」
シロコが隣で静かに頷く。
「ん、さすが私が見込んだだけはある」
あぁ、理解してくれる者がいた。
俺とシロコの魂は、この瞬間ひとつに繋がったのだ。
……だが。
俺たちを見つめていたアヤネの肩が、わずかに震えた。
次の瞬間、手元にあったセリカのチラシを握りしめ――
くしゃり。
紙の悲鳴が響いた。
「い――」
「い?」
「いい加減にして下さいッ!!」
爆ぜるような叫びが部室を揺らした。
その瞬間、アヤネの怒気は雷鳴のように轟き、俺たちは地獄と天国の境目を垣間見た。
ーーーーーーーーーーー
「いやぁー、悪かったってば、アヤネちゃーん。ラーメン奢ってあげるからさ、怒らないで、ねっ?」
「別に、怒っていません」
……怒っている。
目に見えて頬が膨れている。これを怒っていないとするなら、世の中の火山は全部「温泉」だ。
アビドスのラーメン屋――柴関。
広い六人テーブルに集まって、みんな思い思いにラーメンを啜っている。アヤネはその中で未だにむくれ顔のまま。
原因はもちろん、シロコとホシノである。俺じゃない。定例会議でふざけすぎたシロコやホシノのせいで連帯責任として一緒に説教を食らい、長時間の正座の末に足を痺れさせ、最後には全員で床を転げ回るという伝説のオチまでつけてしまった。……
両隣にホシノとノノミがぴったりくっつき、まるで保護者のように世話を焼いている。
「はい、アヤネちゃんこっち向いて、お口拭いてー……はい、良く出来ました☆」
「赤ちゃんじゃありませんからっ!」
光景としては微笑ましいが、当人は明らかに不機嫌。全く、一体誰のせいでこんな目に――
「アンタのせいよ」
「……なんでも良いんだけれどさ、なんでまたウチに来たの」
呆れ声を漏らすのはセリカ。彼女は今まさにバイト中だ。会議後に直行したセリカを追って、俺たち全員でこのラーメン屋に押しかけたわけである。
「いやぁ、部室以外で集まれる場所って此処くらいでしょ? それにお腹も減ってたし~」
ホシノが笑いながら後頭部を掻く。
ノノミがにっこり笑顔で付け足した。
「おまけに銀河打者くんのつくるラーメンが美味しいんだよ〜」
ホシノに褒められて俺は胸を張った。やはりほめられるというのは心地が良い。
俺は機嫌直しのつもりで、アヤネのラーメンにチャーシューをこれでもかと山盛りにしてやった。
「ちょっとアンタ!? こんな所であからさまに許してもらおうとしないでっ! 食材の無駄遣いになるでしょ!!」
「大丈夫だ! ストーリーの進行上、必ず補充されるからな!!」
「もうまた何訳のわからないこと言ってるのよ!!」
俺の正論にセリカ
が声を荒げた、その時。
――カラン。
入店ベルが鳴った。
振り向けば、紫髪の少女が扉を開け、中を覗き込んでいる。どこか挙動不審で、落ち着かない。すぐさまセリカが駆け寄り、笑顔で応対した。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
「こ、ここで一番安いメニューって、お、御幾らですか?」
……値段から入るのか。新しいな。
セリカが丁寧に答えると、背後から次々と人影が現れた。合計四名。少女を含めてのチームだ。
「えへへっ、やっと見つかった、六百円以下のメニュー!」
「ふふふ、ほら、全て想定内だわ」
「さすが社長、やっぱり……」
「はぁ……」
やかましい。
三人は勝ち誇っているが、一人だけ魂が抜けそうな顔でため息をついている。
「四名様ですか? お席にご案内しますね」
「んーん、どうせ一杯しか頼まないし大丈夫」
……一杯?
セリカが怪訝そうに繰り返した瞬間、紫髪の少女の隣のハルカがガバリと頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ! 貧乏ですみません! お金がなくてすみません!」
彼女の声がラーメン屋に響き渡る。俺は思わず箸を止めた。
「お金が無いのは首が無いのも同じ! 生きる資格何てないんです! 虫ケラにも劣る存在なんです!」
「ちょっと声でかいよ」
カヨコが冷たく言い放つが、事態は悪化するばかり。
だが、そのとき――
「違う!」
セリカが彼女の肩をがっしと掴み、目をかっと見開いた。
「お金が無いのは罪じゃないよ! 寧ろ胸を張ってッ!」
……おお。セリカが光り輝いて見える。
ラーメン屋に天使が降りた瞬間だった。
「お金は天下の廻りものだし、まだ学生なんだから! 小銭をかき集めて来てくれた、それだけで立派なんだよ!」
彼女は宣言すると、そのまま厨房へ走り込んできた。
「ちょっといい?」
「どうした?」
「アンタのラーメン、アレンジ出来るって話だったわよね?」
「銀河打者の手にかかれば朝飯前だ!」
胸を張って答えた俺に、セリカは鋭く命令を叩き込んだ。
「じゃあこの一杯に四人分のラーメンを作って!」
「え!?」
彼女の目は本気だった。
「食材は都合良く手に入るんでしょ!? なんとかして! いいわね!!」
……やれやれ。
仕方ない、やってやるしかないか。
ただし、この借りは高いぞ。俺のラーメンは、タダじゃない。
ーーーーーーーーーーー
一方その頃――。
アビドスのラーメン屋「柴関」の隅、近場のテーブル席に腰を下ろした便利屋68の面々は、先程の騒動を眺めてしばし呆然としていた。あの、ラーメン一杯を巡って大騒ぎする生徒たちの姿は、彼女たちの常識から外れている……はずなのに、何故か不思議と自分たちと同類の匂いがして仕方がない。
「……何か、妙な勘違いをされているみたいだけれど?」
紫の髪を揺らしながらアルが口を開く。表情は取り繕った余裕を浮かべていたが、その背中にはどこか小さな影が差している。
「まぁ、私達はいつもそんなに貧乏って訳じゃないんだけれどね。強いて言えば、金遣いの荒いアルちゃんのせいだし」
ムツキが頬杖を突き、飄々とした口調で笑い飛ばす。
「アルちゃんじゃなくて社長でしょ? ムツキ室長、肩書はちゃんと付けて」
「ん? だってもう仕事終わった後じゃん?」
とぼけた返答の後、にやりと唇を歪める。
「ところで、社長の癖に社員にラーメン一杯奢れないって、実際どうなの?」
その一言に、アルは表情を凍り付かせた。胸を張ったまま崩さぬよう努力しているが、頬が引き攣るのは隠せない。
「ぐっ……」
「今日の襲撃任務に投入する人員雇う為に、ほぼ全財産使っちゃったしー」
ムツキは椅子に深くもたれ、勝ち誇ったように笑った。その声音は無邪気にも聞こえるが、実際は仲間の「失敗」を見逃さないしたたかさが滲んでいる。
「ふ、ふふふ……でもこうしてラーメンは口に出来ているでしょう? なんの問題もなし、全て想定内よ」
アルはかろうじて笑みを作る。だがそれは、吹けば飛ぶ砂の城のような虚勢に過ぎなかった。
「たった一杯分じゃん。せめて四杯分はお金確保しておいてよ……」
「ぶっちゃけ、忘れてたんでしょ? ねぇアルちゃん、夕食代取っておくの忘れてたんでしょ? 正直に云いなよ、怒らないから」
「……ふふふ」
問い詰めるムツキとカヨコに対し、アルは微笑で返すのみ。図星を突かれたのだ。彼女は自分の失敗を直視することを拒む――否、直視できない性分だった。意味深な笑みで取り繕う姿は、見慣れた仲間たちにとっては一層滑稽に映る。カヨコは深い溜息を零した。
「はぁ……ま、リスクは減らせた方が良いし、今回のターゲットはヘルメット団みたいな雑魚の手には負えないって点は同意する。でも全財産を叩いて人を雇わなきゃいけない程、アビドスの連中は危険なの?」
核心を突く問いに、アルは一瞬言葉を飲み込んだ。
理由はある。依頼の対象――アビドス高等学校対策委員会。彼女たちの潜在的な危険性は、決して侮れない。情報不足という暗闇が、アルにしては珍しく、過剰な警戒を選ばせていた。
沈黙。ムツキは苦笑し、肩を竦めた。
「多分、アルちゃんも良く分かってないと思うよ。情報もあんまり無かったし。だからビビッて、いっぱい雇ってるんだよ、傭兵」
「誰がビビってるって!? 全部私の想定内!」
虚勢が崩れた瞬間、アルの声が一際高く響いた。両の掌でテーブルを叩き、強気を装う。
「失敗は許されない、今回は特に大口取引なんだから! あらゆるリソースを総動員して臨む! それが我が便利屋68のモットー!」
「初耳だね、そんなモットー」
「今思いついたに決まってるよ~」
ムツキとカヨコが揶揄うように笑えば、アルは顔を赤らめ声を張り上げる。
「うるさい! なら今回の依頼を成功させて報酬が手に入ったら――すき焼きを食べに行きましょう! だから気合を入れなさい、皆!」
その言葉に、カヨコとムツキは顔を見合わせた。呆れと苦笑が入り交じる。
一方で、言葉の意味を理解できなかったハルカが、おずおずと問いかける。
「すっ……すき焼きとは、それは一体なんでしょう?」
「大人の食べ物だね、すごく高価な……」
カヨコが短く答えるや否や、ハルカの目がぱっと輝いた。
「う、うわぁ……私なんかが食べて良い物なのでしょうか? やっぱり、食べた後は腹切りですか?」
「しないで良いわよ!」
慌てて止めるアル。しかし次の瞬間には再び胸を張り、誇らしげに告げる。
「ふふふ、ウチみたいな凄い会社の社員なら、それ位贅沢はしないとね」
「へぇ~やる気満々じゃん、アルちゃん」
「アルちゃんじゃなくて、社長!」
そう言い張る彼女の声が、昼のラーメン屋に響き渡った。
ーーーーーーーーーーーー
「ほら、いっちょ上がりだ!」
俺は両手を広げて、渾身の大盛ラーメンをセリカに渡した。いや、正確には「一杯分を四人前に見せかけろ」って注文だったはずなんだが、気が付けば俺の手元には十人前くらいの怪物が出来上がっていた。ラーメン屋ってのは、時に魔法みたいな現象が起きるもんだ。
「なんか……四人分より多い気がしなくもないけど………やるじゃない! じゃあこれ配膳してくるから」
セリカが鍋ごと持っていく。テーブルにどんと置かれた山盛りのラーメンに、便利屋の四人は声を揃えて驚いていた。
「ひぇ、なにこれ!? ラーメン超大盛じゃん!」
「ざっと十人前はあるね……」
「こ、これはオーダーミスなのでは? こんなの食べるお金、ありませんよぅ……」
「いやいや、これで合ってるんだって、五百八十円の開拓ラーメン並みよね、次期大将!」
わざとらしいセリカのフォローに乗じて、俺は口を開く。
「いや、十人分で五千八百円だ!」
瞬間、赤髪のコートを着た少女――便利屋のリーダー格が悲鳴を上げる。
「な、ななな、何ですって!!!」
俺が胸を張ると、セリカが血相を変えて訂正した。
「ちょっと! もう少し気を使いなさいよ!!」
……どうやら俺は余計なことを口走ったらしい。とはいえ結果的に
「大丈夫、五百八十円で大丈夫だから!」
……結局セリカが場を収めた。
「サービス」ということになったみたいで、便利屋の連中は目を輝かせてラーメンに飛びついた。
その顔。まるで砂漠を歩いてきた旅人が水を見つけたみたいに――いや、もっと単純に、普通の学生が腹を空かせて「飯だ!」と喜んでいる顔だった。
「う、うわぁ……」
「これは、凄いね」
「良く分からないけれど、ラッキー! いただきまーす!」
「……ふふふ、さすがにこれは想定外だったけれど、厚意に応えて、有難く頂かないとね」
リーダーっぽい赤髪の女がそんなことを言う。厚意、だって? 実際にはセリカの頼みだが……まぁ作ったのは俺だし、俺の厚意ってことにしてもいいかもしれない。
湯気に包まれた麺を啜る音が、妙に豪勢に聞こえる。
と、そこで。
「――でしょう、でしょう? 美味しいでしょう?」
横合いから声がした。振り向けば、屈託のない笑顔を浮かべたグラマラスな少女――ノノミが立っていた。後ろには赤い眼鏡の少女、そしてアビドスの面々がぞろぞろと並んでいる。
気付けば便利屋のテーブルに自然とアビドスの連中が加わり、なぜか交流会みたいな空気になっていた。
「きょ、きょ、恐縮です……」
「その制服、ゲヘナ? 遠くから来たんだね」
「私、こういう光景を見た事があります、一杯のラーメン、でしたっけ……」
「うへ~、それは一杯のかけそばじゃなかったっけ?」
会話は妙に噛み合っているようで、全然別の方向にずれている気もする。
俺も思わず口を挟んだ。
「違うだろ、一杯のゴミ箱だろ」
「アンタはもう黙ってて!」
セリカの即ツッコミが飛んできた。
……いや、でもな。目の前でゲヘナとアビドスが肩を並べてラーメン啜ってる光景、これって一体どういう状況なんだ?
敵同士? 味方同士? そもそも「便利屋」とか「襲撃」とか、何やら物騒な単語が漏れ聞こえてた気がするんだが……今はただ、美味そうにラーメンを食っている学生達にしか見えない。
赤髪の女は満面の笑みを浮かべているし、その隣の青白い顔をした子は「すき焼きとは何でしょう」とか突拍子もないことを言ってるし。
ムツキって子はニヤニヤ、カヨコは何か含みのある目でアビドスの制服を見ている。
……ん? 制服?
なんだ? やけに意味ありげな視線を交わしてるように見えるが、俺にはさっぱり分からん。
敵対関係なのか、ただの世間話なのか。
仲良く見えるのか、騙し合ってるのか。
俺に判断がつく訳がない。
ただひとつ分かるのは――目の前のラーメンは俺が作ったもので、今この瞬間は確かに誰もがそれを笑顔で食っているという事実だけだ。
ーーーーーーーーーーーーー
「それじゃあ、気を付けてね!」
「お仕事、上手く行きますように!」
「あははっ、了解! あなた達も学校の復興、頑張ってね! 私も応援しているから! それじゃあ!」
店先に差す夕陽の光が、金色の埃を舞い上げていた。
ラーメン屋・柴関の暖簾を背に、アルは朗らかな笑顔で手を振る。その笑みは、まるで無邪気な少女のように柔らかく、温かなものだった。アビドスの面々もまた、同じように笑い返す。
短い逢瀬ではあったが、互いの心には確かな親愛が芽生えていた。
ノノミが手を振り、アヤネが軽く頭を下げる。その後ろ姿が通りの角を曲がって見えなくなるまで、アルはずっと手を振り続けた。やがてその指先が下ろされると、彼女はほう、と深い息を吐いた。
「ふう……良い人達だったわね」
その呟きは、ほんのりと名残惜しさを滲ませていた。
だが――返ってくる言葉は、あまりにも温度の異なるものだった。
「………」
「………」
無言のまま、カヨコとムツキが彼女を見つめている。
カヨコの瞳は氷のように冷たく、ムツキの唇には面白がるような笑みが浮かんでいた。
カヨコは一拍の沈黙を置き、軽く咳払いをして問う。
「社長、あの子たちの制服……気付いた?」
「えっ、制服? 何のこと?」
アルはきょとんとした表情を見せた。その無防備な顔に、カヨコは呆れたように眉を寄せる。
「アビドスだよ、あいつら」
「………アビドス?」
その名を口にした瞬間、アルの顔色がみるみるうちに変わっていく。
困惑。理解。拒絶。そして――絶叫。
「ななな、なっ、何ですってッーーー!?」
反響する悲鳴に、ムツキは腹を抱えて笑い、カヨコは深々とため息をついた。
「あははは、その反応ウケる~」
「はぁ……本当に全然気づいていなかったのか」
呆れる二人の前で、アルは狼狽の極みだった。彼女の頬からは血の気が引き、唇が震えている。
「……えっ、それって私達のターゲットって事ですよね? わ、私が始末してきましょうか!?」
唐突に立ち上がったハルカが、愛銃を握りしめる。その姿にムツキが小さく笑って首を振った。
「あははは、遅い遅い。どうせもうちょっとしたら攻撃を仕掛けるんだし、その時暴れなよ、ハルカちゃん」
現実がじわじわとアルの中に染み込んでいく。
先ほどまで心を通わせ、笑い合い、互いの未来を応援し合った少女たち――その相手こそが、これから自分たちが襲撃する標的だったのだ。
アルの肩が震えた。口元から漏れるのは、乾いた笑いとも嗚咽ともつかない声。
「う、嘘でしょ……あの子たちがアビドス? う、うぅ、何という運命の悪戯……!?」
膝をつき、地面に崩れ落ちる。
その小さな背中を、カヨコは冷ややかに見下ろし、ムツキは飽きもせず笑みを浮かべたままだ。
「何してんのアルちゃん、仕事するよ? ほら、準備しないと」
「バイトの皆が定位置についたって。後は私達が準備を終え次第命令するだけ」
冷静な声が次々に飛ぶ。だがアルの耳には、まるで遠くの音のようにしか届かない。
彼女の胸を占めているのは、ただ一つの問い。
――本当にやるのか?
彼女たちがくれた笑顔を裏切り、あの温もりを踏みにじるのか?
資金のない自分たちに、あれほど親切にしてくれたというのに?
あの味噌の香り、湯気の温度、優しい笑顔。
全てがまだ、心の奥で湯立っていた。
「そ、それは、そう……そうだけれど……」
唇を噛み、アルは項垂れる。
ゲヘナという場所で育った彼女は、打算と裏切りが常識の世界で生きてきた。
だが――あのアビドスの生徒たちは違った。
彼女にとって、あの短い時間は、まるで別の世界を覗いたような奇跡の瞬間だったのだ。
カヨコが肩を竦め、ぼそりと呟く。
「これ、完全に参ってるね……」
ムツキが小さく笑って頷く。
「まぁ、あれだけ意気投合したらそうなるよ。復興を応援してる~、なんて言ってたし」
「その復興の邪魔をする訳だけれど、やっている事は真逆だね」
「っ、ぐ……うぐぐッ――こ、このままじゃ駄目よ、アル! 一企業として、このままじゃ!」
拳を握りしめ、地面を叩く音が響く。
涙を拭ったアルの瞳に、再び火が宿った。
その光は、迷いと悲哀の混じる、不器用な決意の色だった。
「行くわよ! 皆、準備を!」
彼女の声が夕空に響く。
その瞳の奥で、わずかに揺れ続ける優しさの残滓だけが、戦いの始まりを静かに拒んでいた。
ーーーーーーーーーーーーー
「つまらないな……シスター」
気怠く呟くと、隣のシロコが「ん」とだけ返した。
いつもの、抑揚のない相槌。だが、それだけで場が完成するあたり、俺たちの間柄は本当に不思議だと思う。
俺は愛用のバットを磨き、シロコは銀行強盗の計画書を眺めている。
静かな時間だ。退屈ではあるが、悪くない。
「アンタたち……アレでも懲りないの?」
呆れ声を上げたのはセリカだ。
その視線の奥に、半分は諦め、もう半分は心底の呆れが宿っている。
「もうそれが性分みたいなものなんでしょう」
ノノミが笑う。その声には、少しだけ優しさが滲んでいた。
俺は“それほどでも”と言わんばかりに笑って、後頭部を掻いた。どうも最近、皆にそう見えているらしい。
――たぶん、間違ってはいない。
シロコも同じく無表情のまま、胸を張る。
その様子を見て、ホシノが肩を竦めた。
「二人とも〜、別に褒められてる訳じゃないよ〜」
そんな調子で、ゆるく流れていた空気が一変したのは、アヤネの声だった。
「場所は校舎南五キロメートル地点、数は……十人以上の反応を確認!」
ピリ、と空気が張り詰める。
けれど、俺は――不思議と胸の奥が高鳴っていた。
お、なんか面白そうなことが起きそうだ。
そう感じた瞬間、シロコも同じく目を光らせた。
ほんの僅か、口角が上がっていたように見える。
「まさか、ヘルメット団?」
「うへ、前哨基地は潰したし、もしかして本拠から態々出向いて来た感じー?」
ホシノとセリカの言葉を受け、アヤネが焦ったように首を振る。
眼鏡のディスプレイに映る光を食い入るように見つめながら、彼女は断言した。
「ち、違います! ヘルメット団ではありません! 装備も全くの別物です……これは――傭兵です! 恐らく、日雇いの!」
傭兵、ね。
なるほど、金の匂いがする。
――それにしても、何故か頭の中に奇妙な声が響いた。
『皆さんの歩む道が奇跡があろうとなかろうと! おはよう! 私は皆さんの友人、Mr.ミミ咲(ズク)だ!』
……誰だお前。
頭のどこかが微かに冷えて、同時に少しだけ愉快になる。
Mr.フク郎に似た声だった。
どうやらそいつの解説によれば、傭兵というのは「お金がすべて」な連中で、
仕事を選ぶ分、単価が高いらしい。
安全帽を被りタンクのような役割を果たすようだがーー
そんなことは関係ない。ただぶっ飛ばせばいいだけだ。
「誰かが雇ったってことだよね? 一体誰が――」
セリカの呟きに、部室の空気が重く沈む。
だが、俺の中では違う温度が生まれていた。
――胸の奥で小さく火を灯す。
戦いが怖いと思ったことはない。むしろ、いつもその瞬間を待っていた気がする。
血の匂いよりも、拳がぶつかり合う音よりも――
「何かが始まる」その感覚が、俺を生かしている。
アヤネのタブレットに映る傭兵たちは、まるで工事現場の作業員のように無機質で、だがその装備の隙間から、殺気だけはしっかりと漏れていた。
会話など不要。互いの目的は既に決まっている。
――拳と拳で、話そうじゃないか。
「――考えていても仕方ない、速戦即決だ。シスター!」
俺が立ち上がりながら告げると、シロコが口の端を吊り上げた。
「ん、願ってもない話。」
俺はゴミ箱を取り出し頭に被ってバットを手に取る。
皆がそれぞれの愛銃を手に取り、ホシノは惰眠を破るように伸びをして、アヤネは冷静にデータを確認する。
シロコがいつものマスクを取り出したが、アヤネにあっさり没収され、渋い顔をしていた。
そして俺のゴミ箱も没収されてしまった……だが
退屈が、ようやく終わる。
俺は白い息を吐き、バットのグリップを確かめた。
胸の奥では、静かな熱がゆっくりと膨らんでいく。
「さて――遊びの時間だ」
アヤネの声が通信越しに響く。
『校門前大通りに傭兵集団を確認! 真っ直ぐ此方に向かって来ます、敷地内に入られる前に迎撃を!』
傭兵、か。妙に物騒な朝の挨拶だな。
俺は軽くバットを肩に担ぎながら、セリカたちと共に正門へと向かった。砂埃が立ち上るその向こう――確かに見える。列を成して歩く影。
どこかで見覚えがある。あの、先頭の少女。あの不遜な歩き方とポケットに突っ込んだ手の角度。記憶がぴたりと重なった。
「……あれ? あの恰好、確か柴関で見た気が――」
セリカの声が風に紛れて届く。そうだ。ラーメン屋で会った、ゲヘナの生徒たち。
まさか、彼女らが――。
互いの顔が認識できる距離まで近づいたとき、先頭に立つ少女――アルが、ぎこちない表情でこちらを見据えた。
笑っているような、泣いているような、実に複雑な顔だ。
「ぐ、ぐぐッ……」
『何か、凄い苦悶の表情ですが、一体……?』
アヤネの声が不思議そうに響く中、俺たちと「便利屋68号」が向かい合った。
そして――セリカが怒りを隠さず、真っ先に口火を切った。
「誰かと思えば、あんた達!? 何よ、そんな傭兵を引き連れて何の用!? ラーメンも無料で特盛にしてあげたのに、もしかして私達の学校を襲撃に来たの!? この恩知らず!」
なるほど。恩を売ったつもりだったらしい。
だがアルの表情には一切の悪びれもなく、むしろ軽やかに返してきた。
「あははは、その件はありがと、でもそれはそれ、これはこれ、こっちも仕事でさ」
仕事、ね。なるほど、ビジネスライクに襲撃とは風流なこった。
その横で、ムツキとカヨコも冷めた調子で言葉を添える。
「残念だけれど、公私はハッキリ区別しないと、受けた仕事はきっちりこなす」
「……成程、その仕事っていうのが便利屋だったんだ」
セリカの声が低くなる。怒気が滲む。
俺も頷きながら、ふと口を開いた。
「裏切り者め! 本来のラーメン代58000円分払え食い逃げ犯!!」
セリカが横で突っ込む。
「そうよ!そうよ!ってなんか料金10倍になってない?」
俺は腕を組み、真剣に答えた。
「そうか!少なすぎて払う気が起きないんだな。58万で手を打つ!」
「んな訳ないでしょ!!お金が足りないから払えないのよ!!」
会話が完全に崩壊しているのを感じるが、もう止まらない。
横で、シロコが無表情のままぽつりと言った。
「580万で手を打つ。」
「シロコちゃーんこれは競りじゃないよ〜」
ホシノが呆れ声でツッコむ。いや、これはオークションだ。命の。
俺は笑みを浮かべながら、その場の空気を観察した。どこか滑稽だ。けれど、確かに緊張の糸が張り詰めている。
「何あれ?」
「アハハ〜あの人たちおもしろ〜い」
カヨコとムツキの声が聞こえ、俺はふと笑ってしまう。
その刹那、シロコの指がゆっくりとトリガーに触れた。
銃口の先には、ゲヘナの便利屋と黄色い安全帽を被った傭兵たち。
ノノミが頬を膨らませながらアルに抗議した。
「もう! 学生なら他にもっと健全なアルバイトがあるでしょう? それなのに便利屋だなんて!」
アルが眉を吊り上げ、慌てて言い返す。
「ちょ、アルバイトじゃないわ! れっきとしたビジネスなの! 肩書だってあるんだから!」
言いながら、後ろの三人を指差した。
「私が社長、あっちのムツキが室長で、こっちのカヨコが課長、ハルカは一般社員よ!」
「はぁ……社長、ここでそういう風に云うと余計薄っぺらさが際立つ」
カヨコの呆れ声が聞こえる。肩書の割に威厳がない。
俺は腕を組み、ゆっくりと口を開いた。
「つまり――お前ら無職なのか?」
「アンタ……誰かをディスらないと気が済まないわけ?」
「ほら、言われた……」
セリカとカヨコが同時に溜息をつく中、アルは胸を張った。
「違うわよ! だからビジネスなの! ビ・ジ・ネ・ス!」
……なるほど、これはもう病気だ。
けれど、妙に楽しそうだ。その真っすぐな狂気が、少し羨ましい。
そんな俺の視線の先で、シロコが静かに呟く。
「誰の差し金? いや、答えるはずないか――なら力尽くで口を割らせる」
その声音に、俺の背筋がわずかに粟立った。
アルは不敵に笑い、軽く右腕を掲げた。
「ふふふ、それは勿論企業秘密よ?」
「一丁前に企業秘密なんて言うけど、実際は無職だろ!!」
『もうこれ以上混乱させないでください!』
アヤネの悲鳴が通信越しに飛ぶ。
その瞬間、空気が変わった。
アルが腕を振り下ろす。金属音――安全装置を弾く音が一斉に鳴り響いた。
時間が、きしむように遅く感じた。
「総員、射撃準備――!」
「ッ……!」
「来る――!」
その声を皮切りに、俺たちはほぼ同時に動いた。
反射よりも早く、身体が勝手に跳ね上がる。俺はバットを回転させ、慣れた動作で武器をバットから炎の槍へと替えると、そのまま地へ突き立てた。
低く唸るような共鳴音――まるで呼吸するかのような震動が掌に伝わった。
アヤネが息を呑む気配。
「それはーー」
セリカの驚きが重なる。
「アンタ、槍も使えるの!?」
ノノミが声を張り上げる。
「銀河打者さんその槍は?」
「説明は後! 早く俺の後ろに!」
言いながら、俺は足を滑らせるように前へ出る。
風が鳴り、砂が爆ぜ、世界の輪郭が歪んだ。
傭兵たちの一斉放射。数百の銃口が火を噴き、弾丸が雨のように襲いかかる。
砂埃が舞い、火花が散る。
音が、光が、混じり合う。
だが、その全てが槍を中心に歪む。
槍を突き立てた地面から、白く輝く波紋が広がり、弾丸を逸らしていく。
熱と圧力と衝撃が俺の頬をかすめるが、痛みは一切ない。ただ、心臓が静かに跳ねるだけだ。
「クフフ、派手でいいねぇ」
ムツキの声が遠くで笑う。
「や、やりましたかね……」
ハルカの不安げな声。
「ハルカ……こう時は大抵ーー」
カヨコの言葉が終わる前に、砂煙が割れた。
俺は槍を構えたまま、ニヤリと笑う。
視界の先、便利屋たちの顔が一瞬で固まった。
「倒されてない」
カヨコの声が呟きのように響く。
アルの目が見開かれ、声が震えた。
「な、何よアレ!彼の武器ってバットじゃなかったの!?」
俺は槍を軽く振り上げ、口角を上げた。
「得物に頼って頑なに譲らない奴は三流。一流は状況に応じて武器を変えるものだ!」
「つまりバットじゃ打ち返せないってことよね?」
セリカがすかさず刺す。
……セリカ、それは言わない約束だ。
「うーん、なんかおじさんのポジション取られた感じ〜」
ホシノが呑気に肩をすくめながらも、既に盾を構え、前線へ進み出ていた。
爆炎の中で盾が反射する光が眩しい。
彼女はポンプショットガンを片手で操作し、敵の頭上へと鋭く撃ち上げた。
放たれた弾が炸裂し、傭兵の一団が吹き飛ぶ。
確かにホシノも盾持ってるしポジションは同じだ。
「大丈夫、私はホシノ先輩に守られてる」
ホシノの後ろに隠れていたシロコが淡々と応える。
ドローンが頭上で回転し、青白い閃光を放った。
その照射が敵の照準を乱す間に、彼女はアサルトライフルを構え直し、無駄のない一射を放つ。
金属音が響くたびに、傭兵たちの装甲が剥がれ落ちていく。
冷静沈着、まるで機械のような精密さだ。
アルが苦々しげに唇を噛む。
「あの一斉放射で全くの無傷だなんて……」
「アル様ここは私が……!」
ハルカが一歩踏み出す。
「ハルカ、やめといた方がいい」
「え?」
「アルちゃんどうする? あの芦毛ちゃんの槍、相当硬そうだよ。多分だけど〜私の爆弾でも傷つかないと思う」
ムツキの声音には、楽しげな殺意が混じっていた。
俺は口の端を上げ、肩を竦める。
「喧嘩中におしゃべりとは、今度は俺たちが出ていいってことでいいか?」
その瞬間、俺たちの隊列が一気に動いた。
ホシノが盾を突き出し、弾丸を弾き返す。
反撃のショットガンが地を揺らす。
ノノミがリトルマシンガンを抱え、流れるように掃射する。
連射音が風を切り裂き、傭兵たちを次々と薙ぎ倒していく。
笑顔のまま――しかしその眼だけは、戦士の光を宿していた。
そしてセリカ。
怒りの矛先をまっすぐ前に向けて突き進む。
アサルトライフルを握りしめ、歯を食いしばりながら叫んだ。
「ラーメンを奢ってあげたのに!! 恩を仇で返すなんて最低ッ!!」
その声は爆音よりも鋭く響いた。
銃口が火を噴き、弾丸が光の線を描く。
彼女の感情が、そのまま火薬の匂いと混ざり合って空へ弾けた。
――これがアビドス対策委員会。
俺たちは奇跡でも神でもない。
けれど、この瞬間だけは確かに「戦場の支配者」だった。
アルが歯を食いしばるのが見えた。
傭兵を前衛に立て、守りの姿勢に移る。
……防御か。ならば、こちらは攻めるだけだ。
俺は槍を地面から引き抜き、構え直した。
炎が刃を伝い、周囲の空気が震えた。
口元に、知らず笑みが浮かぶ。
ーーーーーーーーーーー
……囲まれたな。
視界の端で、影がじりじりと動く。
銃口の黒い穴が、俺を中心に円を描いて並んでいく。
まるで精密に設計された捕食の陣形だ。
ふむ……いい手だ。
なるほど、流石は「会社」を名乗るだけのことはある。
敵ながら、理に適っている。
だが――俺を止めようなど、百年早い。
静かに息を吸い込む。
手にした炎の槍を地に突き立てると、金属が地面を裂く音が響いた。
瞬間、地脈が鳴る。
足元を伝って、熱が鼓動のように駆け上がる。
「――大地よ、割れ」
言葉は命令ではない。
ただの呟きだ。
それでも世界は応じる。
轟音。
炎が爆ぜた。
俺を中心に、円を描くように地面が裂け、紅蓮の柱が噴き上がる。
傭兵たちは反応する間もなく火に包まれ、悲鳴が重なった。
視界の中で、人影が次々と転げ、焼けた鉄の匂いが漂う。
その光景を前にしても、不思議と心は静かだった。
恐怖も高揚もない。
ただ――「ああ、これでいい」と思う。
敵が消えることは、予定の一部にすぎない。
炎の熱が頬を撫でた。
呼吸が荒い。だが体はまだ軽い。
俺は槍を引き抜き、再び構え直す。
「さて、残りは――社長だな」
標的はただ一人。
敵の中枢を落とせば、戦は終わる。
それが理屈であり、最短の道筋。
「槍先に火を」
紅蓮が槍身を包む。
炎は生き物のように蠢き、刃先に集まっていく。
へ、そしてわずかな火が焔へ。
熱は限界を越え、音すら歪めた。
俺は一歩踏み出す。
地面が爆ぜ、炎が尾を引く。
その勢いのまま――突撃。
「炎の槍を絶ち切れッ!」
叫びとともに突き出す。
前方に、影が二つ飛び出した。
ムツキの狂笑。
ハルカの叫び。
「させないよ〜!」
「アル様には近づけさせません……死ねぇぇ!」
放たれた爆弾と砲弾が火を切り裂く。
だが、それらは俺の作った“炎の海”に呑まれ、次々と連鎖爆発を起こす。
まるで花火のように空を焼きながら、熱波が背を押した。
次の瞬間にはもう、俺の槍はアルの目前にあった。
焦げた風が二人の間を抜ける。
炎の光が、彼女の顔を照らす。
その目には、恐怖ではなく――意地。
戦場でしか見られない、獣のような輝きだった。
俺は静かに息を吐き、言葉を落とした。
「――王手だ」
――炎の柱が消えた。
赤く灼けた砂が、ゆっくりと冷めていく。
焦げた匂いが風に流れ、代わりに砂漠特有の乾いた空気が戻ってきた。
あれほど騒がしかった戦場が、今は嘘みたいに静かだ。
まるで最初から何もなかったかのように。
その静寂の中、アルが肩を落とし、槍の先を見つめていた。
目尻には、うっすらと涙の光。
「負けたわ……降参よ」
掠れた声だった。
そして、顔を上げた瞬間――彼女は強がるように言葉を吐き捨てる。
「でも――これで終わったと思わないことね!!」
……うん。
涙目で言うセリフじゃない。
俺は槍を地に立て、黙ってその光景を眺めた。
傭兵たちは既に撤退を始め、炎の跡には焦げた銃と装甲片だけが転がっている。
砂塵の向こうで、ムツキがにやりと笑った。
「クフフ、アルちゃん、それこそ三流悪党のセリフだよ」
カヨコは頭を抱え、溜め息を吐く。
「はぁ……」
そして、ハルカが振り返りざまに叫んだ。
「まっ、待ってください!」
その声を最後に、四人は煙のように引いていった。
残されたのは焦げた砂と、呆れ顔のアビドス対策委員会。
セリカが腕を組みながら言う。
「……あっコラァ!!」
声だけは勇ましいが、もう追う気はなさそうだ。
アヤネのドローンが低く漂いながら呟く。
「帰っちゃいましたね……」
ホシノが盾を背負い直して、のほほんと笑う。
「まぁ、いいんじゃない? 後で調べれば出てくるだろうし〜」
ノノミも銃を下げながら苦笑した。
「何というか……悪人だけど、悪人じゃないというか……映画の影響を受けすぎた人って感じでしたね」
その場に一瞬、穏やかな風が流れた。
戦いの後にしては、やけに平和な空気。
皆がようやく息を整え始めた――そのとき。
……いや、まだだ。
胸の奥がざわつく。
あれを言わずに、この戦いを終わらせるわけにはいかない。
俺は一歩前に出て、槍を収めた、
「ちょっと待て。まだ――」
皆がこちらを見る。
砂塵の中で俺は真顔のまま言い放った。
「ラーメン代、返してもらってない!」
シロコが一拍遅れて頷く。
「ん。食い逃げ犯」
「そうだ!ラーメン代の――五千八百万! 返せぇぇぇ!!」
声が砂漠に木霊した。
空の彼方まで響き渡るような勢いで。
セリカが思わず額を押さえる。
「もうラーメンはいいから!!!」
笑い声と風が重なって、砂の上に広がる。
焼け跡の匂いも、煙の跡も、少しずつ遠のいていく。
続く
今回の開拓の旅はひとまずここまで、次回をお楽しみに
Mr.ミミ作のコーナーの今後
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新キャラの方がいい
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ストーリーに関係するキャラがいい