「お前か!カオリをあんな姿にしたのは!カオリを誑かした所業、絶対に許さんぞ!!やっつけてやる!」
王都滞在中、ユエを伴って王宮内を歩いていたハジメを背後から怒鳴りつけたのは、幼い少年の声だった。振り返ると、そこには十歳くらいの金髪碧眼の美少年が立っており、ハジメのことをキッ!と睨みつけている。
その正体は、この国の王子ランデル・S・B・ハイリヒである。彼は握りしめた小さな拳を振り上げると、雄叫びを上げてハジメへと突撃する。
相手は子供に過ぎないため、ハジメは避けることすらしなかった。勇猛果敢なランデルはハジメの腹部を何度も殴りつけたが、ポコポコと擬音が付きそうな程の情けない拳であり、ノーダメージである。
「どうした、やっつけるんじゃなかったのか?」
「う、うるさいっ!!」
「ん、しつこい男」
ユエが魔法で飛ばした小さな風の礫を額に受け、奇怪な悲鳴を上げたランデルは後頭部を床に叩きつけてしまう。二つの痛みに悶えるも、起き上がって再び突進する。
「このっ!このっ!」
しかし、今度は頭を軽く押さえられたことで動きを止められ、両腕がブンブンと空回りし続けるだけの虚しい時間が流れた。
「それでは俺を倒すことすらできないぞ」
「くっ、この手に武器さえあればお前なんて!」
「そうか、武器があればいいのか……なら、渡してやろう」
「え?」
想定外の返答にランデルは固まる。そんな彼にハジメが手渡したのは、一本の安物のナイフだった。それを彼の小さな手に強く握らせると目の前で屈み、ハジメ自身の胸に先端を当てさせた。
「さあ、殿下。これを押し込むだけで心臓が穿たれ、相手は死ぬことになる。簡単なことだ、少し動かすだけでいい」
「そ、そんなことをしたら……!」
「俺を倒すんだろう?さあ、早く!!」
「うぅ、余には……余にはできぬ!!」
ハジメはランデルを急かす。戦闘訓練すら受けておらず、一般人程度のステータスしかない彼の攻撃程度では致命傷にすらならないとはいえ、危険な行為であることに変わりはない。結局、ランデルはナイフを投げ捨ててしまった。
「余に殺しなど……」
「だろうな。ところで、先ほどは香織がどうとか言っていたようだが……」
色々と聞いてみると、やはり突撃してきた原因は香織にあったようだ。
王都の戦いの後、戻ってきた香織の髪がバッサリと短くなり、服装も以前とは似つかぬ程に変わった上、謎の鎧まで身に着けている彼女の姿を見て、それに愕然としたランデルは問い詰めた。
その結果、ハジメなる男の存在が話の中から浮上し、香織がまさに恋する乙女の表情でハジメのことを語ることから、恋敵の存在を悟ったのだ。曲解の末、香織を誑して髪を切らせたり服装を変えさせたりする外道であると判断し、戦いを挑んだのである。
なお、結果は案の定だ。
「勘違いしているようだが、俺が香織に強要したことはない。あれは強くなるために彼女自身が望み、自ら髪を切ることで俺に強要したようなものだ」
「カオリが自ら、あの美しい髪を?」
「彼女は強い。自らの意思を貫き通し、そのためなら何処へでも飛び込む強さを持っている。それに、彼女は守られることを必要としない力を手に入れた。殿下よりもずっと強い力を……」
「余は……何もカオリのことを分かっていなかった。これでは、守られるのは余の方になってしまうではないか……」
膝をついて項垂れるランデル。これまで彼は香織のことを庇護下に置くことだけを考えてきた。しかし、突き付けられた事実は彼女が庇護を必要としない存在となったことだった。
「ハジメよ、余はカオリすら超える力を欲している。お前などに頼むのは恥ずかしい限りだが、余に稽古をつけてくれないか?」
「いいだろう」
「お父様、いいの?」
「あぁ、いいさ」
なお、彼は簡単には諦めない。諦めるどころか香織に匹敵する力を手に入れることで彼女を守ることを目論んだ。相手は子供である上、どうせ彼の願いが叶うことはないため、ハジメは提案に乗ってやることにした。
王宮の中庭で響いていたのは、木剣同士がぶつかり合う音だった。カッ、カッ、という心地よい音がその場を支配する。
そこで対峙しているのはハジメとランデルだ。ハジメの持つ木剣に、小さなサイズの木剣が幾度となく叩きつけられている。その様子を従者や護衛達が心配そうに見守っていた。
また、ハジメの後方にはユエがおり、メイドさんに用意してもらった美味しい茶を啜り、高級お菓子を食べながら観戦している。
「筋はいいな」
「そうだろう?余はこの国を統べる王となる男なのだからな!」
ランデルは上機嫌である。次期国王となる身ということもあって自尊心が高く、まだ幼い子供であるため、煽てるだけでイチコロだ。
なお、ハジメは剣を教えているものの、彼自身は剣術など修めていない。だが、これまで積み重ねた戦闘経験や戦闘センス、香織経由で少しだけ齧った八重樫流、王国の剣士を観察した結果を組み合わせることで教えていた。
「ハジメよ、余は強くなってみせるぞ!カオリが戦わなくともいいようにな!!」
「その心意気は嫌いじゃない」
それは無理があるだろうと思いながらも、ハジメは彼に剣を教える。そんな中、思わぬ来訪者があった。
「あれ?ハジメくんにランデル殿下?何をやっているの?」
「香織、丁度いいところに」
「おお、カオリではないか!?」
それは香織だ。彼女が現れた途端、ランデルは稽古を中断してそちらへと向かった。
「殿下、お疲れ様です。ハジメくんに剣を教えてもらっていたのですか?」
「あぁ、そうだ!見ての通り、余はお前を守れるように強くなろうとしているのだ!」
「フフッ、それは嬉しいですね」
香織が微笑み、それでやられたのかランデルが顔を真っ赤にする。そして、香織はハジメの方へと向き直った。
「ハジメくん、殿下に“手加減”はしてあげてる?殿下はまだ“子供”なんだし、決して苛めちゃだめだよ?」
その香織の発言はランデルの尊厳を傷つけた。好いた女から手加減を前提とされ、彼女と対等ではない子供扱いを受け、虐められる側の存在だと言われたようなものなのだから。彼はウッと呻いて胸を押さえた。
ちなみに、ハジメは彼のことが嫌いではない。ランデルは父の訃報に散々泣き、母や姉に慰められながら立ち直ったばかりなのだ。親しい人が死ぬという悲しみを乗り越えた彼に対して、悪い印象を抱くはずがなかった。
「勿論だ。まあ、殿下に襲撃されたのを撃退したりはしたが……」
「ハジメくんのことだから手加減したのは当たり前だと思うけど、殿下のことを嫌いにならないであげてね。“思い込みが激しく”て“暴走しがち”だけど、根は“いい子”だから……」
追加の子供扱いを受け、ランデルに更なるダメージが。遂にはガクッと両膝を折り、四つん這い状態に崩れ落ちた。満身創痍である。
「殿下、どうされましたか?」
「か、カオリ……カオリは余のことをどう思っているのだ?」
そして、ランデルは思い切って香織に尋ねてみるが……
「殿下のことですか?そうですね……時々、殿下のお姉さんが羨ましくなりますね。私も、殿下みたいなヤンチャな弟が欲しいなぁ~って思います」
「ぐふっ…お、弟……」
投下された爆弾により、ランデルに追加ダメージが与えられる。どうして墓穴を掘るような真似をしているのかと、ハジメやユエ、従者のおじさん、メイドまでもが頭を抱えた。
「で、では……カオリはあの男の方がいいと思っているのか?あんな男の何処がいいと」
「え?な、何ですか殿下、いきなり……もう、恥ずかしいですね。でも……ふふ、そうですよ。あの人は私の大好きな人で、添い遂げる約束をした大切な人ですよ。何処がって言われたら全部、としか……ふふ」
それはランデルに止めを刺すことになった。四つん這いのまま俯き、産まれたての小鹿のように四肢をプルプルとさせる。香織は彼の背中をさすってやるのだが、その手はランデルによって払い除けられる。
そのまま、殿下は猛ダッシュすると王宮内部へと繋がるドアの前で停止し、振り返ると大声で捨て台詞を吐いて走り去ってしまった。
「お前等なんか大っ嫌いだぁぁああああああ!!!」
何処からか泣き声と思わしき絶叫が響き、我に返った従者のおじさん達が慌ててランデルのことを追いかけていった。
「香織、もう少し手心というものをだな……」
「ん、容赦なさ過ぎ……」
「本当のことを言っただけだよ?それに、少しくらいは痛い目を見てもらった方がいいと思って」
この日、ランデルの初恋は粉々に砕け散った。余談ではあるが、彼は姉のリリアーナに泣きついた末に添い寝してもらったとか。