響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~   作:碧河 蒼空

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初登校

 比企谷 八幡。千葉生まれ千葉育ち。地元愛に溢れた高校生である。

 入学式から三週間が経った今日、俺は京都府立北宇治高校への初登校を迎えていた。

 なぜ、千葉を愛する俺が京都の高校に••••••、入学から三週間も経ったいるのに初めての登校なのか。その経緯は中学時代という名の黒歴史にまで遡る。

 

 

 

 

 

 男というのは愚かな生き物である。

 かく言う俺も中学生の頃は女子とほんの一言挨拶を交わせば気になるし、メールが行き交えば心がザワつく。電話なんか掛かってきた日には着信履歴を見てつい頬が緩んだもんだ。

 だが、それは彼女の優しさだったのだ。そして、俺に優しい人間は他の人にも優しい。そんなことにすら有頂天になった俺は自分がピエロである事に気付かなかったのだ。

 俺がその子に振られた翌日、俺の告白は所属していた吹奏楽部内に余す所なく知れ渡っていた••••••。

 裏切られたわけではない。何故なら俺が勝手に舞い上がり、勝手に期待し、勝手に自爆しただけなのだから。

 

 親の転勤で千葉から京都へ引っ越すことが決まった時、俺はなんら躊躇いも抵抗も感じなかった。何なら好都合とさえ思った程だ。京都なら俺の過去を知る人間は誰一人としていない。人間関係のリセットするには、これ以上ない理想的な環境だった。

 

 中学を卒業後、京都に引っ越した俺は荷物の片付いた新居でダラダラと春休みを過ごしていた。

 

 入学式を翌日に控えたある日、ふと俺の視界に楽器ケースが入る。

 高校では吹奏楽部に入るつもりなど毛頭無かったが、その鈍い光沢に少しだけ名残惜しさを覚えた事もあり、俺は供養のつもりで楽器ケースを手に外へ出た。

 

 土地勘がまだ無い為、楽器を吹いても迷惑にならなさそうな場所を探し歩き回っていた。

 今、歩いているのは車通りがやや多い通り。車道と歩道は白線でこそ区切られているが、それらを隔てるガードレールなどは存在しなかった。少し先には年の離れた女の子二人が手を繋いで歩いている。姉妹だろうか。

 

 ストーカーと間違われたら堪ったもんじゃない。とっとと二人を追い越してしまおうと歩くスピードを上げたその時、暴力的な横風が吹き抜けた。風にさらわれた小さな帽子が、弧を描いて車道へと転がっていく。

 

 女の子は繋いでいた手を振りほどき、帽子を追って車道へ飛び出した。

 瞬間、轟くクラクション。俺は考えるより先に、手にした楽器ケースを放り出して走り出していた。

 

「琥珀!!?」

 

 背中から悲鳴のような叫び声を感じながら、小さな体を無理やり歩道へと突き飛ばした。

 

 体に走る強烈な衝撃とコントロールを失う視界。遅れてやってくる痛みと共に俺は意識を手放した••••••。

 

 ••••••••••••••••••。

 

 次に目を覚ました時、俺は消毒液の臭いに充たされた部屋のベッドにいた。目の前に広がるのはまだ慣れぬ新居の天井ではなく、絶え間ないエンジン音とサイレンが響く狭い空間に寝かされていた。横に控えていた男が俺の意識が戻った事に気付くと何かを必死で叫んでいる。後で思えば彼は救急隊員で、この車は救急車だったのだろう。その時の俺は脳に靄が掛かっているかのようで、自分の置かれた状況を理解する事が出来なかった。

 

 こうして入院と自宅療養を経ること三週間、同級生たちに遅れて高校生活を始める事となったのだ。

 

 

 

 

 

「比企谷君?どうしたのですか?」

 

 俺が今日に至る経緯を思い出していると、隣を歩いていた川島 緑輝が俺の顔を覗き込んでくる。小柄が故の自然な上目遣いで、ぱっちり目に灯る黄緑色の瞳が俺の腐った目を捕えた。

 

「••••••何でもない。少し上の空になってただけだ」

 

 俺は反射的に視線を逸らして答える。

 

「そうですか。ふふっ、こうして比企谷君が元気になって、みどりは嬉しいです!」

 

 “みどり”というのは川島のことである。

 彼女の下の名前は“緑輝”と書いてサファイアと読む。現代日本が生み出したキラキラネームの犠牲者である彼女はこれが相当なコンプレックスらしく、自身をみどりと称し、他の者にも緑と呼ぶよう求めているのだ。

 

「別に検査しても何もなかったんだ。元々、大したこと無かったんだよ」

「いえ!車に轢かれたのですから、一歩間違えれば取り返しのつかない事になっていたかもです。琥珀だって••••••」

 

 川島はあの時俺が車道から弾き出した女の子の姉であり、あの事故の唯一の目撃者だった。

 彼女は見ず知らずの俺が妹を助けた事に負い目を感じているらしい。律儀にも俺が学校を休んでいる間、土曜日になると学校のプリントを届けたり、今朝もサポートと称して家まで俺を迎えにやって来たのだ。

 

 事故の負い目を抜きにしたとしても、川島緑輝という少女は決定的に“優しい女の子”なのだろう••••••。

 だが、俺は優しい女の子は嫌いだ。

 

 ••••••••••••。

 

 俺は歩くのを止める。

 

「比企谷君?」

 

 俺よりも数歩先で立ち止まった川島は不思議そうにこちらへ振り返った。

 

「••••••俺が川島の妹を助けたのは個人を特定して恩を売った訳じゃない。だから、川島が俺個人を特定して恩を返す必要はないんだよ」

 

 我ながら突き放すような冷たい声だと思う。だが、これは外科手術だ。癒着が始まる前に切り離さなければならない。

 

「それに、あの事故があろうがなかろうが俺、多分ぼっちだろうし。お前が気に病む必要全く無し。変に気にして優しくしてるなら••••••そんなの止めろ」

 

 川島がこうして俺と歩いているのも、それは彼女の優しさなんだろう。

 俺に優しい人間は他の人にも優しくて、その事をつい忘れてしまいそうになる。

 真実は残酷だというのなら、きっと嘘は優しいのだろう。

 だから優しさは嘘だ。いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめた。訓練されたぼっちは二度も同じ手に引っ掛かったりしない。

 だから、優しい女の子は嫌いだ。

 

「••••••そんなんじゃないです」

 

 そう言った川島の眉尻は上がっていた。

 

「比企谷君、琥珀を助けてくれてありがとうございました」

 

 川島は深々と丁寧に頭を下げる。

 

「いや、だからーー」

「これで琥珀を助けてくれたことはチャラにしましょう!」

 

 頭を上げた川島は俺の制止を強引に遮った。

 

「比企谷君は個人を特定して恩を売った訳じゃないと言いました。そんな、打算無しに身を挺して誰かを助けてしまう比企谷君だからこそ、みどりは仲良くしたいと思うんです」

 

 有無を言わさぬ勢いで、彼女の両手が俺の手を包み込む。真っ直ぐな黄緑色の瞳と結ぶ手は俺を逃がさないとばかりに離そうとしなかった。

 

「私と友達になってくれませんか?」

 

 さて、ここで問題だ。

 俺こと比企谷 八幡は女性に対して免疫がない。そんな俺が女の子に手を握られ、至近距離で見つめられたらどうなるだろうか?答えは簡単。

 

「しょっ、しょの件にしゅいては前向きに検討いたしぃましゅ」

 

 ……どもり倒し、挙句に盛大に噛む。そして音速で目を逸らす。ここ、八幡検定に出るからねっ。

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