響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~ 作:碧河 蒼空
昼休み、人気の無い校舎裏。日当たり良好で風の通りも抜群、夏になれば程好い木陰を提供してくれるであろう一本の木が佇むこの場所こそ我が聖域。一人で飯を食う相手もいない俺にとって、通学路のコンビニで買ったパンを齧るには、ここ以上のベストプレイスはない。
これから梅雨の時期に入ると別の場所を見つけないとならないが、今は心地よい日差しのもと吹き抜ける風を肌で感じながら食後の一時を過ごしていた。
そんな静寂の中、ふとユーフォの音が聞こえてくるのに気付く。そういえば中川先輩が個人練習を行っているのもこの辺りだったか。もしや昼休みにも練習をしているのだろうか?
音色を辿れば案の定、やはりいつもの場所で楽器を構える先輩の姿があった。
彼女のの練習を見るようになって一週間程。まだまだぎこちなさは残るものの、その音色には着実な変化の兆しが見て取れた。
先輩がマウスピースから口を離し、一息付いたタイミングで視線がぶつかる。手招きされるまま、俺は彼女の元へと歩み寄った。
「どうしたの?こんな所で」
「いや、いつも向こうで飯食べてるんで」
「そうなんだ。今一人?」
「ええ。一緒に食べるような奇特な相手もいないので」
「••••••本当にあの子達が言ってた通りなんだね」
あの子達とは十中八九、川島達の事だろう。あいつら俺のこと一体どう紹介してやがるんだと、誤魔化すように笑う先輩を見て思った。
「ねえ、どうせ一人ならお昼も私の練習を見てよ。比企谷は普通にご飯食べてて良いから」
「•••••それは同情かなんかですか?」
もし憐れみだというなら即座に拒否させてもらう。俺は自分の意志でぼっちという孤高の道を選択しているのだから。
「違うよ。ただちょっとでも上手くなりたいだけ。私ね、最近まで本当にやる気なくてさ。部活に出てもサボってばかりだったんだ」
違和感はあった。
中川先輩は練習こそ真剣に取り組んでいるが、その実力は経験に対して不相応に低い。一年間、真面目に吹奏楽部に身を置いていたなら得体の知れない俺なんかに教えを乞う必要はない。もっとはっきり言ってしまうなら、彼女は下手だった。
「今年卒業した代がまあ不真面目でね。“みんなで楽しく吹ければそれでいい”とか言って全然練習しないの。私と同期でやる気のあった生徒はほとんど退部しちゃった。私、良くも悪くも流される性格だから、今までサボってたツケが回って、今になっては滝先生や黄前ちゃんみたいな子に刺激されて焦ってるわけ」
先輩は自嘲するように語る。
「どう?軽蔑した?」
「長いものに巻かれるのは立派な処世術の一つですよ。非難される筋合いはありません」
「そんなんじゃないんだよなぁ」
そう言って手遊びを始める先輩が次の言葉を発するのを待っていると、その空白の一年の理由をポツリポツリと話し始めた。
退部した元部員の中には中川先輩が吹部に入る切っ掛けとなった人物がいたという。他の部員がどうなろうとさほど気にしていなかった先輩だったが、その人が三年生との確執に苦しんでいる姿には我慢することができ無かった。
「それで言っちゃったんだよね。“言っても無駄だよ、そいつら性格ブスだから”って」
その先輩の一言が引き金となり、やる気のある一年生と三年生の争いの余波を低音パートに巻き込むことたなってしまった。中川先輩は今でも低音パートのみんなに迷惑を掛けたと負い目を感じているのだそうだ。
「中川先輩は部活辞めようとは思わなかったんですか?」
上級生に目をつけられ、更に同じパートの人達も巻き込んでしまった先輩はさぞ部に居づらくなった事だろう。だが、先輩は今ここにいる。やる気が無かったにも関わらず、上級生に睨まれても、周囲に負い目を感じながらも部活に残り続けた。逃げたって良かったはずだ。なのに、それをしなかった。なにがこの人を繋ぎ止めたのか。
「そりゃ考えた事は一度や二度じゃなかったよ。でも、あの子に憧れた私を無くしたくなかった。それに、先輩なんて卒業しちゃえばそれっきりだし。たから部活に残ったんだ。こんなんでも私、音楽好きだから」
そう言った中川先輩の顔にはもう陰りはない。
••••••強いな。この人は既に乗り越えたのだ。
逃げることは簡単だったはずだ。なんなら、大抵の者はそうするだろう。だが、中川先輩は自分の思いに嘘をつかなかった。
酷く心がざわつく。何故、俺の心は一体何に揺さぶられているんだ?
俺の自問自答遮るように、中川先輩は再び楽器を構えた。
「指や息遣いが譜面を追い掛けるのに必死になりすぎて基礎が疎かになっています。首と肩の力を抜いて、どんな時も正しい姿勢と呼吸を意識してください」
先輩はハッとしたように座り直し、余計な力を逃がす。再び吹き込まれた音は温かく柔らかな優しい響きを帯びていた。
それからも俺は彼女の演奏している姿を眺め、時折短い助言を飛ばした。
昼休みの残り時間も少なくなり、練習を切り上げた先輩はユーフォを片付ける。音楽準備室へ運ぶため、俺が当然のようにユーフォのケースを持ち上げると、彼女はは意外そうな顔で俺を見た。
「ふ~ん」
「••••••何すか?」
「比企谷ってそうゆう気遣いもできる人なんだなって」
中川先輩は俺が持つユーフォのケースを指差す。
「別に••••••仕事の範疇ですよ」
俺は先輩に背を向け歩きだした。
「そ。ありがとね」
先輩も俺の後を追い掛ける。
音楽準備室へ向かう道すがら、先輩の他愛ない話に俺が相槌を打つ。
音楽準備室に到着した俺はユーフォを棚に入れる前に一度、楽器ケースを下に置いた。一つ息を吐くと、先輩が俺を呼び、手招きをする。
「ねえ比企谷、何か吹いてみてよ」
彼女は棚からマウスピースを取り出し、俺に差す。
「どうしてですか?」
「単純に比企谷のユーフォを聞いてみたいと思って。凄く上手って聞いてるよ?」
あのお喋りさんめ••••••。
こっちに来てユーフォを聞かせたのは小町を除けば川島姉妹だけ。俺の演奏について話したのは川島で確定だろう。
ーーこんなんでも私、音楽好きだから。
部活という集団に対する忌避感は消えない。けれどこの楽器が、この音が好きなこともまた、否定できない事実だった。
俺は中川先輩からマウスピースを受け取り、誰も使っていないユーフォを棚から出すと、受け取ったマウスピースをはめた。
俺も中川先輩は一言も喋らない。けれども生徒達の声や風に揺れる葉、ここでは色々な音が聞こえるのが分かる。だけど、あいつらの声は聞こえない。
息を吸い、ユーフォに空気を巡らせる。音を出してこいつの特徴を把握すると、改めて金管に息を吹き込み、ミディアムテンポのメロディを奏でた。
曲は
理想を求めすぎるあまり完璧ではない世界に絶望し、それでも“本物”を求めてしまう。そんな愚かな歌だ。
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私には愛が必要なんだって分かっている。
時間を無駄にしすぎだって分かっている。
不完全な世界に完璧を求めている事も分かっている。
そして、それが見つかるって思うほど愚かなんだ。
(サビを日本語訳したもの)
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