響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~ 作:碧河 蒼空
「比企谷君があの時、オーディションを中断させてから中川さんの演奏は良くなりました。一見すると良いことのように感じるかもしれませんが、中川さんにだけ仕切り直しの機会が与えられたというのは、他の子達から見たら公平性に欠ける状態です。逆にあの中断で中川さんが調子を狂わされていた可能性だってあるのですよ。貴方はそれを理解していますか?」
オーディション一日目の終了後、案の定、俺は滝先生に呼び出されていた。勿論、中川先輩のオーディションを中断させてしまった件についてだ。
「はい。すみませんでした」
反論しても長くなるだけだし、俺のしたことは本来許されない事であるのも理解している。
「では、明日は気を付けてください」
話はこれで終わり。とっとと家に帰ろうと思ったのだが、話はまだ終わっていなかった。
「話は変わりますが、中川さんは少し前と比べて凄く上手になりました。比企谷君が彼女に教えてくれたんですよね?」
「ええ、まあ」
どうしてそれを。そんな疑問は滝先生によってすぐ解消された。
「同じことを中川さんに言ったら、貴方のお陰と言っていましたよ。あと、自分が不甲斐ない演奏をしたせいで比企谷君に、あんな真似をさせたしまったとも」
「••••••俺はただ、次の指示を仰ぎに行っただけですよ」
「では、そういう事にしておきましょう」
滝先生は釈然としない言い方をする。
「正直に言うと私は最初、生徒指導で貴方をこの部活に受け入れると聞いた時、松本先生の意図が理解できませんでした」
それは無理も無いだろう。当事者の俺でも霧の中にいる気分なのだから。
「ですが、川島さんとの一件や、普段の貴方が私達をサポートしてくれている姿を見ていると、松本先生の目的が単に君に反省を促す事だとは思えないんです」
「••••••先生は松本先生の意図が分かるんですか?」
「いえ。これは飽くまでも私の解釈にすぎませんし、この答えを拾えるのは比企谷君に他なりません」
滝先生の言葉は含みが多すぎて、結局何を言いたいのか全く分からなかった。
「私が今言えることは、そうですね。貴方の演奏した“時代”になぞらえるなら、『今は眩しく輝いていないように感じたとしても、振り返った時に笑って話せるような青春』を過ごして欲しい、という事でしょうか」
••••••聞かれてたのかよ。
加藤のリクエストでユーフォを吹いたのは音楽準備室。誰でも近付ける場所なので、滝先生が通りかかっても不思議ではない。つまりはあの時、高坂の脅迫に屈する必要は無かった訳だ。何ということだ。
滝先生との会談を終え、音楽室を後にする。
「おっ、思ったより早かったね」
扉の向こうでは中川先輩が壁に背を預けて待っていた。
「お疲れ様です」
俺は中川先輩に挨拶すると、その前を横切る。
「ちょっと待った」
中川先輩は持っていた鞄で俺の尻を軽く叩いた。
「••••••何ですか?」
俺は抗議の意味を込めて中川先輩をにらみつける。
俺のにらみつけるは相手のぼうぎょを下げるに留まらず、過去に女の子を泣かせたことすらある。伝説のにらみつけるさんことファイ○ーなど目ではない。
「何って、さっき“また後で”って言ったでしょ?」
しかし、中川先輩にはこうかがないみたいだ••••••。逆に先輩ににらみ返される。八幡のぼうぎょがさがった。
そういえば、そんな事を言われた記憶がうっすらとある。
俺と先輩は共に昇降口へ向け歩き出した。
「さっきはありがとう。少なくとも悔いのない演奏はできたよ」
中川先輩が前を見据えたまま口を開いた。
「先生にも言いましたけど、そんなんじゃないですよ」
「でも、また基礎が疎かになってる事を気付けたのは比企谷のお陰だよ」
中川先輩の横顔を見ると、言葉通り晴れやかな表情をしていた。その瞳が不意にこちらを向く。俺は気まずさから視線を反らせた。
先輩が俺の正面に回り込み、互いに向き合う形となる。
「でもね、比企谷。私のために比企谷が割りを食うことはないんだよ」
中川先輩の人差しによって俺の額がグリグリされる。
「後輩なんだからもっと先輩に可愛がられなさいっ!」
最後にその指が俺を弾いた。
「さて、帰ろっか」
昇降口を出た後も、中川先輩は俺と歩調を合わせて歩いていた。この人と関わるようになってからしばらく経つが、一緒に帰るのはこれが初めてだ。
中川先輩の一歩後ろを着いていく。
「今まで聞いたことなかったけど、比企谷の中学の吹部って強豪だったの?」
「万年県大会止まりの弱小でしたよ。銀賞取れれば上等、駄目金なんて取ろうものならキセキの世代ですね」
ちなみに、俺が中二の時がそのキセキの世代だったりする。俺はというと、存在感が無さすぎて幻の
ついでに言えば、翌年は銅賞という見事な没落っぷりも見せていた。
「そうなんだ。比企谷なら、もっと上でもやれたんじゃない?」
「強豪校に行きたいとは思わなかったですね。俺、中学に上がるまでは独学だったんで」
千葉にいた頃は近所に吹奏楽をできる所が無かった。小学時代は俺も小町も二人だけで音を鳴らす日々を過ごしていたのだ。
「てことは一人で吹いていた時期の方が長かったわけだ。比企谷は市民楽団とかも入らないの?」
「ユーフォは一人でも吹けますから」
ユーフォは吹奏楽において主役となることは珍しいが、尖った音から丸みを帯びた音まで幅広く表現する事ができる。決して脇役に甘んじるばかりの楽器ではない。
「そっか。何かもったいないな」
「何がです?」
「だって、私は比企谷と吹いてみたいなって思うから」
恥ずかしげもなく俺を見据えて中川先輩は言った。
「••••••物好きですね」
俺は中川先輩に向いていた視線を正面に戻し、ただ一言答えるのだ。