響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~   作:碧河 蒼空

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誰も透明になりません。ご安心ください


冷た○熱帯魚

 先生に連れられて空き教室にやって来た俺達三人。一人ずつ話があるらしく、吉川先輩が一番目に中へ通された。

 

 教室の外で待つ俺と中川先輩の間で交わされる言葉は無い。それどころか彼女は俺の方を一切見ようとせず、不機嫌そうに教室とは反対側の壁に寄り掛かっていた。

 

 正直、めちゃくちゃ気まずい。さっき叩かれた左頬が今も尚、熱を主張している。こんな状況で中川先輩に声を掛ける勇気などなく、俺も彼女から少し離れた所で壁に寄り掛かっていた。

 

 永遠とも感じる時間を過ごしていると、教室の扉が静かに開いて吉川先輩が出てきた。入れ替わるように中川先輩が中から呼ばれる。

 今度は俺と吉川先輩が教室の外に取り残された。吉川教室を出て数歩の所で足を止めたまま俯いている。

 

「••••••高坂さんが上手なのは私だって分かってるわ」

 

 吉川先輩は俺と目を合わせないまま声を漏らす。

 

「それでも私は香織先輩がソロを吹くべきだと思ってるから」

 

 そう言い残して彼女はこの場を去った。

 

 一人になった俺はようやく肩の力を抜く。

 中川先輩と滝先生の間で何が話されているのか、俺の耳には届く事はなかった。ただ、周囲の喧騒のみが俺の鼓膜を揺らす。

 

 そう時間の経たない内に中川先輩は教室から出てきた。吉川先輩に比べるとだいぶ短い時間だ。彼女は俺を一瞥するとすぐに俺の視界から外れていった。規則正しく床を鳴らす音が聞こえなくなると、廊下は静寂を取り戻す。

 

 俺は肺の奥の空気を全て出し尽くすくらい大きく息を吐いた。

 

「簡単だと思ったんだけどな••••••誰も傷付かない世界なんて」

 

 俺の一人呟いた言葉は誰もいない廊下に虚しく散っていく。

 

「比企谷君、中へ入ってください」

 

 教室の扉が開き、その向こうにいた滝先生から教室内へ招かれた。中では一番後ろの真ん中の二席だけが向かい合わせるように動かされている。滝先生は手前の椅子に座るよう、俺に促した。

 

「さて、比企谷君の先程の言葉の真意を教えていただけますか?」

 

 二つの机を挟んで向かい合わせに座る滝先生はまず俺にそう問う。

 

「真意も何も言葉通りの意味ですよ。場を乱していた吉川先輩に事実を突き付けただけです」

 

 何も嘘は言っていない。事実と感情は一致しない。俺は一側面からみた事実をそのまま話している。

 

「確かに吉川さんのあの場での発言は褒められたものではありませんでした。誓って私が高坂さんを贔屓したと言う事実はありません。ですが、貴方が吉川さんを批難した事で小さくない騒ぎが起こりました」

「既に賽は投げられてたんじゃないですか?吉川先輩が納得したとも思えませんし、高坂だって爆発寸前でした」

 

 放っておけば部全体を巻き込んだ騒動はより大きくなりかねない事案だった。騒ぎと言うならこちらの方が問題は大きかっただろう。

 

「••••••事実として、比企谷君のお陰で中世古さんが渦中に晒されることはなくなりました。あの場で一番惨めな思いをするのは実力で破れた彼女でしょうから。きっとそれに気付いた吉川さんも心に傷を負うでしょう。私と高坂さんへ向かうはずだった不信感も比企谷君が敵意を集めることで有耶無耶になっていたかもしれません」

 

 そこまで言うと、滝先生は悲しげな目を俺に向けた。

 

「それが比企谷君の言う誰も傷付かない世界ですか?」

 

 うわぁ••••••俺の中二発言を聞かれていたのか••••••。

 全力でこの教室から逃げたい衝動に駆られるのを全身に力を入れることで何とか堪える。体の内側から擽られるような感覚を無理やり押さえ込む。

 

「比企谷君。どうして中川さんは貴方を叩いたか分かりますか?」

「••••••先輩は俺のやり方が気に入らなかったんじゃないですか?中川先輩が言ってた通りかと」

 

 どこまでも冷めたトーンで他人事のように答えた。

 

「間違ってはいませんが、それは本質ではありません。••••••中川さんは傷付いたんです。比企谷君の作ろうとした世界に。そこにいる貴方を想って」

 

 ••••••俺を想って中川先輩が傷付く必要などない。元々輪の外にいる俺がどう見られようと何も変わらないのだから。中川先輩個人がどう思おうと、俺が吹部の部員で無いという事実は揺らぎようがない。

 

「俺の生徒指導ももうすぐ終わりですし、中川先輩も俺の事なんかすぐに気にしなくなりますよ」

「それは違います」

 

 その滝先生の言葉は今日聞いた中で一番強く、有無をいわさない圧力があった。

 

「人の繋がりというのはどんなに希薄になろうと、繋がっていた事実は無くなることはありません。その時の記憶や想いもです。比企谷君と中川さんの繋がりも、そこにあった心の痛みも同じです」

 

 その声音は変わらずも、それは祈りのようにも感じた。

 

「生きるというのは痛いんです。ですが、その痛みを貴方が一身に背負おうとする必要は無いんですよ」

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