響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~ 作:碧河 蒼空
放課後の教室には俺を除き、残っている生徒は一人も居なかった。
俺が椅子に掛ける正面には、二つの机を介して担任の松本先生が座っている。
我が校では試験結果が出揃ったこのタイミングで面談週間を設けており、俺は松本先生との二者面談に臨んでいた。
「どうだ?高校生活は?」
先生は手に持つ二枚の紙に目を落としながら、俺に尋ねた。
「特段変わったことは無いですね。高校ではのんびりするつもりが、いきなり部活に放り込まれるとは思いませんでしたが」
まあ、それももうすぐ終わる。八月上旬の府大会が終われば、元の悠々自適な生活に戻れるのだ。
「残すとこあと三週間だな。最後まで頼んだぞ。次に、将来の希望とかあるのか?」
「専業主婦を志してます」
「将来は未定と。なら、勉強はしっかりやっとくんだな。特に数学は何とかしろ」
あれれ~、おかしいぞ~?俺のキャリアプランが無かったことにされてるぞ。
「吹部の方はどうだ?」
「別に、つつがなく奉仕活動を続けてますよ」
「つつがなく、か。この間もずいぶんと盛大にやらかしてくれたと聞いているが?」
“この間”というのは十中八九、吉川先輩との事だろう。吹部の副顧問である松本先生にも滝先生から報告があって当然だ。
「収まりの良い形に着地させようとしただけですよ」
まあ、それは失敗に終わった訳だが。
「中川が止めなければ、結果、お前の行動で部が纏まっていたかもしれない。だが、素直に褒める気にはならないな」
珍しくあの軍曹先生が難しい顔をしている。
「••••••比企谷、誰かを助けることは、お前自身が傷付いて良い理由にはならないんだ」
「いや、別に傷付く事なんか」
川島といい松本先生といい、どうして俺が傷付くって前提で話すのか。
「例え、お前が痛みに鈍感だとしてもな。そんなお前を見て痛ましく思う人間もいることに、そろそろ気付くべきだ」
思い出されるのは中川先輩の慟哭の如き怒りの声と、滝先生の悲しげな目。そして、川島の寂しそうな顔だった。
「そうだな••••••お前にはもう一つ課題を出そうか」
「••••••課題っすか?」
これ以上の面倒事は勘弁願いたい。今でさえ毎日、放課後に拘束されているんだぞ。
「先日、どうしてお前は中世古と吉川を罵倒する事でみんなの敵意を一身に受けようとしたか、理由を考えろ。他人や回りではなく、お前自身のな」
そんな事、既に川島の前で答えを出している。
「決まってます。それが効率的だったからですよ。部の内部崩壊を避けるためには、俺が共通の敵になるのが手っ取り早いし、後に遺恨を残さないですよね?」
「それは部の状況だ。お前が吹部なんて何とも思っていないのなら、何もしなければ良かったんだ。だが、お前は違った。とうしてだ?」
「••••••」
俺は松本先生の質問に即答できなかった。
「そこに疑いようの無いお前自身がいるはずだ••••••以上だ」
こうして、俺の二者面談は終わった。
俺はもなかの練習する教室へと向かいながら、先程の松本先生の言葉について考える。
シェイクスピア曰く、人生とは選択の連続との事。つまり、俺はあの瞬間も選択をしたわけだ。静観するか、介入するか。これを松本先生の質問に答える形に言い換えるならば、どうでもよかったか、放っておけなかったか。
つまり、俺は放っておけなかったのだ。
••••••何故?
吹部に思い入れがあった?••••••否。集団に対する嫌悪感は未だ健在である。
英雄願望?••••••否。訓練されたボッチはその様な承認欲求は持ち合わせていない。
単なる八つ当たり?••••••否。あの時の俺に憤りは無かった。
動機となり得る事柄が次々と思い浮かんでは否定されていく。
ならば、考え方を変えてみる。“何故”ではなく“何を”に。
吹部に対する思い入れが無いのであれば、その対象は“そこにいる人”?
••••••そんな馬鹿なと考えた所で、目的地に到着した。
二者面談の順番を待っている間に練習自体は始まっていたが、現在はパート練習の真っ只。誰も居ないこの教室で俺は、一人で机を後ろへ下げ始めた。A編成とは違い、少人数で構成されるもなかは使用するスペースも当然少なくなる為、準備も簡易的で済む。拓かれた教室の前半分に椅子を二列で並べた後、俺は一つ余計に残しておいた椅子に座り、持参した文庫本を開いた。
捲ったページを数えるのが億劫になる頃、トランペットの二人がやってきた。
「比企谷お疲れー。いつも準備ありがと」
「ありがとう」
加部先輩と吉沢は俺に声を掛けると椅子に座り、音出しを始める。他のメンバーも続々と教室に入ってきた。
全員が揃った所で俺が指揮台に立ち、チューニングを始める。何回か音を合わせたところで松本先生が入ってきたので、指揮を交代した。
合奏練習が終わり松本先生が教室から出ていくと、一同は一斉に肩の力を抜いた。
A編成と合流する前にここの片付けをする。
「トランペットの雰囲気どう?」
一年生が机を戻していると、二年生が集まっている中で森田先輩が加部先輩にパート内の雰囲気を尋ねた。
「良いと思う?こちとら話題の渦中だよ。中世古先輩は平然と振る舞ってるけど、優子は落ち込んでるし、高坂は誰とも関わろうとしないし」
身内贔屓疑惑が浮上してからというもの、部の雰囲気は目に見えて悪くなっている。滝先生の信用は失墜し、士気が下がった皆は集中力を欠いていた。
「何とかならないのかな?これじゃあ私達がオーディション落ちた意味ないよね」
夏紀先輩のボヤきに一瞬教室が静まる。
「えーっと、比企谷は良いアイデアとかない?」
加藤が持っていた机を置くと、俺に話を振った。
てか、その困った時、俺に話振るの止めない?
「ちょっと、カトちゃん。また比企谷が良からぬ事を企んだらどうするのよ?」
加部先輩が加藤に苦言を呈する。どうやら滝先生だけでなく俺の信用も失墜したようだ。
「それですよ、友恵先輩。また比企谷が仕出かす前に、ここで全部吐かせておくんですよ」
「••••••一理あるわね。よし、比企谷。今ここで白状なさい!」
••••••どうして既に俺が何かする事になってるんですかね。
「方法が無い事も無いです」
「••••••あんた、また企んでた訳?」
俺の答えに中川先輩は湿度たっぷりの視線を向けた。
「いや、企んでませんから」
あの時、頬に受けた衝撃が脳内でリフレインする。
「まあまあ、夏紀。まずは話を聞こうよ。“無いことも無い”なんてハッキリとした事を言わない理由も含めてね」
森田先輩は中川先輩を宥めて、俺に続きを促した。
「高坂と中世古先輩に全員の前でソロを吹かせるんです」
「??そうするとどうなるの?」
加藤の頭の上に疑問符が浮かんでいる。
「前に“滝先生が贔屓した”って話と“中世古先輩にソロを吹かせたい”ってのは根っこが違うって話をしただろ?」
「うん」
「だから、解決できる方を何とかするんだよ。つまり、滝先生の贔屓疑惑を晴らす。少なくとも滝先生の指導者としての信用は取り戻せる。それだけの実力差が二人にはあんだよ」
滝先生と高坂の関係がバレる前だって、中世古先輩に吹いて欲しいという感情はあった。だが、その不満が表面化することは無かったはずだ。
「それでみんな納得する?」
「全員とはいかないかもしれないが、納得せざるを得ねぇよ」
「どうして?」
「全国目指してんだろ?あいつらも、中世古先輩自身も」
一番最初に全員で決めたという、この目標が楔となって、みんなを縛り付ける。
俺の提示した根拠に、誰かの息を飲む音が聞こえた。
「でもそれって••••••」
中世古先輩と同じトランペットパートの吉沢が浮かない顔で言葉を詰まらせる。気付いていても、その先を言えないのだろう。
「ああ。全員の前で中世古先輩を晒し者にする事になる」
この教室にいる全員の表情が強張るのをはっきりと感じた。
次回はアイスブレイク回。