響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~ 作:碧河 蒼空
何度、日を跨ごうとも部の雰囲気が改善される兆しを見せない北宇治の事情などお構い無しに、時は刻一刻と府大会に向けて進んでいく。
今日も今日とてパート練習。今の集中力を欠いた状態では合奏練習をしても意味がないとの判断だ。
今日の俺には特にこれといった仕事もなく、呼び出しがあるまで人影の乏しい校舎の一角で持参した本を読んでいた。
所々、開かれた窓から吹き込む風は、こんな猛暑の中でも涼を運んでくる。そんな風に乗って、外からトランペットの音色が俺の耳に届けられるのを感じ、顔を上げた。
演奏されているのは三日月の舞のソロパート。しかし、この音は高坂のものではない。彼女の音であれば、もっと圧倒的な存在感を放っているはずだ。
俺は本を閉じ、音を辿って窓の外を覗くと、見下ろした先でトランペットを吹いていたのは中世古先輩だった。
『私はもう納得してるから』
夕暮れの公園で盗み聞きした中世古先輩の言葉がリフレインする。
••••••どこが納得してるんだか。
もはや自らが吹く事のないソロパートを一人黙々と練習する中世古先輩の姿は見ていて痛々しく、それでいてどこか精悍だった。
「比企谷?」
窓辺で中世古先輩の演奏を聞いていると、不意に後ろから声を掛けられる。振り向くと、そこには黄前が立っていた。
「よう」
黄前も俺の横にやってくると、中世古先輩に視線を向けた。どうやら、彼女も先輩の演奏に釣られてやって来たようだ。
「中世古先輩?」
「ああ」
黄前は少しの間、黙ってトランペットの音色に耳を傾ける。
「••••••比企谷は麗奈と香織先輩どっちがソロを吹いた方が良いと思う?」
視線は中世古先輩から動かないまま、黄前は俺に尋ねた。
「そんなんどうでも良いよ。俺には関係の無いことだ」
黄前を始め、吹部の部員にとって何が大事なのか。全国出場なら高坂一択だが、部が現状のままだとその全国出場が危ういのもまた事実。顧問への不信感や中世古先輩へのリスペクトといった部員達の感情を優先するのであれば、ソロを吹く実力は十分にある中世古先輩に任せるのも一つの選択肢なのだろう。
まあ、トップの方針がぶれるというのも、それはそれで問題であるが。
「そっか。ま、比企谷はそうだよね」
黄前はまた口を閉じた。
彼女は高坂との関係も良好で、完全に高坂派かと思っていたが、あの中世古先輩を見て何か思う所があるのだろうか?
「見~た~な~」
「ひゃあっ!!••••••あすか先輩!!?」
黄前が突然、悲鳴を上げた。俺も驚いて視線を移すと、田中先輩が水の入ったペットボトルを片手に立っていた。
「二人してサボって逢い引き?二人とも流石だね。良いところ嗅ぎ付ける」
「違いますよ!それに嗅ぎ付けるって、私はたまたま通り掛かっただけです」
田中先輩は黄前の反論を聞き流し、俺達に並んで窓の外を覗く。
「結局、諦めてないって事だね」
俺達なんかよりも中世古先輩の事を知るであろう田中先輩は言う。オーディションに不満はない、ましてや同情して欲しいだなんて少しも思ってない。中世古先輩は自分に納得していない••••••納得したいのだと。
「あすか先輩はどう思ってるんですか?」
「何が?」
「オーディションの事です。香織先輩と麗奈、どっちがソロを吹いた方が良いと思いますか?」
黄前はついさっき俺に投げ掛けたものと同じ問いを田中先輩にぶつけた。
「それは答えられないかな~。一応副部長だし。私的な意見はノーコメーンツ!」
おどけたように田中先輩ははぐらかす。
尤もらしい理由を付け、この人は本心を明かさない。
「じゃあ、ここだけの話で良いんで教えてください」
「何を?」
「あすか先輩の私的な意見」
俺の時とは違い、黄前は食い下がった。彼女が本当に話を聞きたかったのは田中先輩だったのだろう。
田中先輩が内緒に出来るか問うと、黄前は馬鹿正直に“できるだけ”と答えた。
素直だね、と言った後、田中先輩の仮面が少しだけ剥がれたようにも見えた。
「正直言って、心の底からどうでも良いよ。誰がソロとか、そんな下らない事」
田中先輩はそう冷徹に言い放つ。
堅牢な城壁の如く、自らの領域に他者が足を踏み入れる事を許さないその立ち振舞いに、黄前も言葉を失った。
次の瞬間にはいつもの人を食ったような先輩に戻ると、彼女はこの場を去って行った。
「はあぁぁ••••••」
田中先輩の姿が見えなくなると、黄前は大きな溜め息を吐く。よっぽど気を張っていたのか、全身の力を抜き、背中を丸めながら窓から離れた。
「練習もどる」
「あいよ。お疲れさん」
田中先輩に続き、黄前もこの場を後にする。俺は再び中世古先輩のトランペットへ意識を戻した。
ミスをする度に演奏を止めて、その場所を成功するまで吹き直す。
いつまでも陰で聞いているのは悪いと思い、俺もこの場を後にしようとした。
「比企谷君」
俺と入れ替わるように小笠原先輩がやって来た。彼女は胸の前で手を上げて、軽く挨拶をする。
「小笠原先輩も盗み聞きですか?」
俺の問いに小笠原先輩は苦笑する。
「違うわ、あすかを探してるの。入れ違いになっちゃったみたいだけどね」
言葉とは裏腹に、先輩は窓へと視線を向けた。
「••••••やっぱり、少しだけ盗み聞きしていこうかな」
冗談っぽく言って、彼女は窓辺へと向かう。俺は逆方向へ歩きだしたが、しばらくして背後から肌を打つ乾いた音がしたので振り返った。そこでは両頬に手を当てている小笠原先輩が真剣な顔付きで立っている。
「こりゃ一人でやるしかねぇぞ、春香••••••」
自分を鼓舞するように、小さく決意を口にする小笠原先輩を見て、やっぱりここの部長は小笠原先輩なのだと思った。
「小笠原先輩。またおすすめのラーメン教えてください」
二人で話すには既に距離が開いている小笠原先輩に声を掛ける。そんな俺に一瞬目を見張った小笠原先輩は柔らかく微笑んだ。
小笠原先輩が集中力を欠いた部員達を窘めた上で自分が矢面に立つと宣言したのと、滝先生から再オーディションを募る話があったのは、そのすぐ後の事だった。