響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~ 作:碧河 蒼空
再オーディションを希望した中世古先輩と、既にトランペットソロが決まっていた高坂による直接対決が、ホールを貸し切り使用する際に行われる事となった。
部員全員によって審査がされるということで溜飲を下げた部員達は、滝先生の指導を受ける事を受け入れ、練習への集中を取り戻した。
もなかの方は、以前に俺が“晒し者”と表現したことから中世古先輩を皆心配していたが、それでも自分達の練習に支障をきたす事はなかった。
午前練習が終了して昼休憩となり、俺は渡り廊下の屋上でコンビニで買ったパンを齧っている。
いつものベストプレイスではちょうど草刈りが行われていた為、空き教室に向かったのだが、窓の閉められた教室の強烈な熱気に侵入を拒まれ、この場所へとやって来た。
ここは日差しを遮るものこそ無いが、障害物に阻まれることの無い風が吹き抜けていく。臀部からは太陽に炙られたコンクリートの熱がじわりじわりと伝わってくるが、あのまま教室で小籠包になるよりも大分マシだ。
パンにより奪われた口腔の水分を補うために、俺はマッ缶を流し込む。
出入口の開かれる音がしたのでそちらを向くと、高坂がトランペットを手にこちらへとやって来た。
「こんな所で一人で食べていたの?」
「いつもの場所が草刈り中でな。ここで練習するなら場所変えるぞ?」
「別に良いわ。比企谷一人居た所で邪魔にならないし」
そう言うと高坂は手摺の向こう側へ向けトランペットを構える。
ラッパの先端から空気が震えた。暴力的で、それでいて美しい音色は、向こう側へ広がる空のどこまでも届くのではと思わせる。三日月の舞のソロパートの旋律は一切の乱れもなく大空を駆け抜けた。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と言うように、美人はどう立ち振る舞っても絵になるものとされるが、こいつの演奏する姿もまるで高貴な芸術品であるかのような、犯しがたい気品が感じられる。
マウスピースから口を離した高坂が不意に声を掛けた。
「比企谷がいつも飲んでるその黄色いやつ、美味しいの?」
トランペットの音色を纏った彼女に魅入られていた俺はハッと我に返る。
「これか?はっきり言って人生観変わるぞ。千葉の誇るソウルドリンクだ。飲むか?」
俺はパンの入っている袋から新しいマッ缶を取り出して、高坂に差し出した。
「ありがとう」
高坂は受け取ったマッ缶のプルタブを開けると、口許で傾ける。
「甘っ!」
おっと。さっきまで芸術品のようだった高坂が急にコミカルな顔になったぞ。
「これコーヒーよね?どうしてこんなに甘いのよ」
「人生は苦いんだ。コーヒーくらい甘くて良いだろ?」
「何それ?意味分かんない••••••」
出入口の扉が引かれる音がして、俺達はそっちに視線を移す。やって来たのは黄前だった。
「どうしたの?」
「お昼、もう食べたかなって思って」
「うん」
「そっか。一緒に食べようかと思ったんだけど」
「平気。さっき香織先輩達と食べたもん」
「そっか!」
黄前は安心したように声を弾ませた。こいつは渦中の高坂の立場を心配していたのだろう。高坂の発言から察するに、彼女がパート内で不当な扱いを受けていることは無さそうだ。
そもそも、あの中世古先輩が高坂をハブるとは思えないけど。
黄前の視線は高坂の手元に下がった。
「それ、いつも比企谷が飲んでるやつだよね?」
「うん。さっき貰ったの。久美子いる?」
高坂はマッ缶を黄前に差し出す。
「えぇ••••••それ私に押し付けてない?」
••••••相変わらず失礼な奴だな。今ので八幡的ポイントが10ほど下がったぞ。
黄前は受け取ったマッ缶に口を付ける。
「あ、美味しい」
ファンファーレ。八幡的ポイントが100上がった!!
流石は関東っ子。千葉の味が分かるんだな。
「大丈夫?」
マッ缶で手遊びをする黄前は高坂に尋ねた。
「うん。香織先輩、凄く気遣ってくれて。一緒にコンクールで吹くことには変わりないから良い演奏をしよう、って」
「良い人なんだね、香織先輩」
「うん。だからちょっとやりにくい」
「••••••え?」
「何でもない」
黄前は本当に高坂の言葉が聞こえなかったのか、それとも彼女の発言が信じられなかったのか。それを知るタイミングは、高坂が再びトランペットに息を吹き込んだ事でもう訪れる事は無いだろう。
ちなみに、俺は高坂の言葉をばっちり聞いている。まさかこいつにそんな人の心があるとは思いもしなかった。
「それじゃあ私は行くね••••••あー、比企谷も一緒に食べる?」
黄前がパンを食む俺に視線を落とすと、取って付けたように聞いてきた。
「大丈夫だ。変に気を遣わなくて良いぞ」
「••••••別に気なんて遣ってないけど」
すぼむような声で呟くと、黄前は校舎へと戻っていった。
「一緒に食べれば良かったじゃない」
高坂が俺を見下ろしながら言う。
「空気を読まないお前と違って、一般的に人には建前ってやつがあんだよ。仮に俺があそこでYESって言ってみろ。内心、“何本気にしてんだよ、空気読めし”と思われるに違いない」
「誰が空気読まないのよ?」
高坂のやつが不満そうに足で脇腹を小突いてきた。上履きを脱いでいたのは彼女に残っているせめてもの良心だろうか?痛くはないが地味に効くからやめろ。
「あれはそんなんじゃないと思うけど」
そう言うと、高坂は俺の返事を待つこと無く練習に戻った。