響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~ 作:碧河 蒼空
今日は府大会に備え、本番の会場を想定してホールを貸し切り練習を行う。
本番で使うホールよりも小規模だが、音楽室と比べるのが失礼と感じさせる程の空間が広がっていた。
楽器を乗せたトラックが到着した事が知らされると、男子は全員荷降ろしの作業に駆り出される。
肉体労働は男の仕事。吹奏楽部男子に人権など無いのだ。
そんな吹奏楽部男子に混ざり、俺も荷降ろし作業を手伝っている。トラックの荷台に乗り、下にいる者に積んである荷物を渡していく。
「比企谷、これ降ろすの手伝ってくれ」
一緒に荷台に上がっているトロンボーン一年の塚本がティンパニを指差して言った。
塚本の呼び掛けに答えて、俺も奥へと入っていく。既にティンパニの片側に手を掛けていた塚本とは反対側に回り、途中で指が外れないようしっかりと指を掛けた。
「いくぞ。せーのっ••••••」
塚本の掛け声に合わせてティンパニを持ち上げると、指から肩にかけてティンパニの重量がずっしりとのし掛かる。
二人でティンパニを慎重に荷台の端まで持っていくと、下で待つ二人にゆっくりと引き渡す。下で受け取る二人がティンパニを支えきる所まで慎重にアシストをしてから手を離した。
「サンキュー。あとちょっとだし、気合い入れてやるか」
大仕事を一つ終え、二人して汗を拭うと、塚本は気合いを入れ直して作業を再開する。彼は奥に詰められたチューバを持ち上げた。
俺も次の荷物を運ぼうと荷台の奥に行こうとしたその時。
「比企谷!中は戦力過剰だっていうから、こっちを手伝いに来たよ」
加藤がこっちに手を振りながら歩いてきた。
「「あ••••••」」
奥からチューバを持ってきた塚本と加藤の声がハモる。
そういや、あがた祭りで加藤を振ったのがこの塚本だったっけか。
「それ、私が持ってくよ」
「あ、えっと、もっと軽いの持って来ようか?」
「大丈夫だって。私、いつもそれ吹いてるんだよ?」
どこか遠慮がちな塚本に対し、加藤の方は一見すると普段通りのようにも見える。
「俺が持ってくよ。もう荷降ろしは一人で大丈夫だろ?」
中に残る荷物はもう残りわずかだ。俺がいなくても問題ないだろう。
「お、おう」
「加藤、下で受け取るの手伝ってくれ」
俺は荷台から降り、加藤と共に塚本からチューバの入ったケースを受け取った。
「本当に大丈夫なのに••••••」
俺は加藤の言葉を聞き流し、楽器ケースを背負う。女子が運ぶには過ぎたであろう重量を背に受け、ホール内へと足を進めた。
舞台裏にチューバを降ろす。
ここに来るまでに女子何人かとすれ違った。加藤と同じように搬入へ回されたのだろう。あれだけの人数がいればもう俺は必要ないか。
舞台に上がり、ホールを見渡す。
五感を満たすのは、この空間を漂うコンサートホール特有の空気。音を奏でるために管理されたこの場所で、これから中世古先輩と高坂による再オーディションが行われる。
俺の脳裏に今朝の出来事が思い出される。
集合場所の音楽室に向かっていると、教室の中をこそこそ覗き込む黄前を目にした。
「何やってんだよ」
「わぁっ••••••しーっ!」
俺が声をかけると、彼女は小声で驚くという器用な芸当を見せる。
「お願いします!!」
中から聞こえたのは吉川先輩の声。俺も中を覗くと、教卓の手前に立つ高坂に吉川先輩が頭を下げていた。
話を聞いていると、吉川先輩は高坂に今日のオーディションでわざと中世古先輩に負けるよう頼み込んでいるようだ。
去年、中世古先輩は部内で最もトランペットが上手かった。サボりが蔓延していた中でも周りの空気に流されず、一心に練習に取り組んでいたならば、何ら不思議ではない。
しかし、当時の北宇治は年功序列。ソロは全然練習していない上級生が吹いた。
これは俺の想像だが、人気の高いトランペットの事だ。栄えるパートも上級生がかっ攫っていったのだろう。
そうして残ったA編成末席の椅子すら、中世古先輩は当時の一年生の退部を引き留めるために譲ろうとしていたと、吉川先輩は語る。
高坂は自分には関係無いと言うが、彼女にはまだ来年と再来年が残っている。対して中世古先輩はもう今年が最後。
「だからっ••••••」
吉川先輩は再び深く頭を下げた。
「やめてください••••••••••••失礼します」
いつまでも頭を上げない吉川先輩をしばらく見つめた後、しびれを切らしたように高坂は教室の扉へと向かい歩きだす。
このままだと高坂と鉢合わせするっ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
TIME:2 seconds.
このまま高坂と鉢合わせる。
→ 近くの踊り場に身を潜める。
遅刻 遅刻~と叫びながら高坂に体当たり。
高坂と入れ替りで後ろから教室内へ入る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺と黄前は慌てて踊り場の隅に身を潜めた。
高坂の足音がだんだん大きくなっていく。その足音は一定のテンポを崩すこと無く、やがて遠ざかっていった。
「はぁ~••••••」
緊張の糸が切れた俺は大きく溜め息を吐く。
「えーっと••••••比企谷?」
俺の正面やや下から蚊の鳴くような声が聞こえてきた。視線を下げると、黄前が顔を赤くして縮こまっている。
俺の腕は黄前を囲うように壁に添えられており、いわゆる壁ドンってやつだ。
「っ!?悪ぃっ」
俺は慌てて飛び退いた。
「ううん、大丈夫だから••••••」
黄前の言葉とは裏腹に、しばらく気まずい空気が続いた事をここに書き記しておく。
••••••っ。余計なことまで思い出さなくて良いだろっ、俺。
「よう、比企谷。お疲れ」
雑念を頭から振り払っていると、トラックの荷台で荷降ろしをしていた塚本が声を掛けてきた。
「どうした?そんな所で黄昏て。未練でも湧いてきたか?」
「まさか。たまたまここにいただけだよ」
「無意識に
吹奏楽において、低音の楽器は
「そりゃ、まだ引退してから一年も経ってないんだ」
「それもそうか。••••••比企谷は本当に府大会が終わったら抜けるのか?」
「そういう話だからな」
「このまま入部したらどうだ?肩身の狭い男子同士、歓迎するぞ?」
勧誘する言葉としてはどうなんだ、それ。女子社会である吹奏楽部における最大のウィークポイントじゃないか。ブラック企業が終電を越えるサービス残業や終わりの見えない大型連勤をアピールするようなもんだぞ。
「遠慮しとく」
「そっか。気が変わるのを気長に待ってるよ」
そう言うと、塚本はステージから降りてどこかへ行った。
「そろそろオーディションを始めます。中世古さんと高坂さんはステージへ。それ以外の人はこの辺りに集まってください」
滝先生の合図で全員が動き出す。俺はホールの後ろの方で見ていようと、客席の階段を一段一段登っていく。
途中ですれ違った吉川先輩の目が赤くなっていたのに、俺は気付かない振りをした。
部員は先生が指定したエリアに、俺は一番後方の列に着席する。
「お前も前に行って良いんだぞ?」
俺のすぐ横にやって来た松本先生がそう俺に声を掛けた。
「いや、どう考えても俺は場違いですよ」
「そうか。お前がそう言うならここで聞くか」
松本先生は俺の横から動かない。
「松本先生こそ前に行かなくて良いんですか?」
「大丈夫だ。向こうには滝先生がいるからな」
つまりは、用があるのは俺か。
「それで、この前の課題は答えが出たか?」
二者面談の時に松本先生が俺に投げ掛けた問い。俺が吉川先輩に悪意をぶつけた理由の事だろう。
「期限の無い課題なんですから、そう答えを急ぐことも無いでしょう」
俺の答えを聞いた松本先生は呆れたように目を細めた。
「まだ答えが出ていないならそう言え。それとも、気付かない振りをしているのか、はたまた認めたくないのか」
松本先生の言葉の後、滝先生による号令が掛かる。
「では、これよりトランペットソロパートのオーディションを行います。両者が吹き終わった後、全員の拍手によって決めましょう」
最初に演奏するのは中世古先輩。滝先生に促されるとトランペットを構えた。少しだけ時間を置いてから、先端の小さなベルより放たれる音色はホール全体へと響き渡る。高音部分も、滑らかに吹くのが難しい音と音の繋ぎ目部分も、どこもミス無く曲は進んでいった。これといった欠点はなく、繊細な音色で柔らかな音楽は以前に中世古先輩が吹いていたものよりも確実に昇華されている。彼女がソロに選ばれたとしても何ら問題はないだろう。
••••••だが、これでは足りない。
「ありがとうございました」
演奏を終えた中世古先輩は深く頭を垂れた。
部員達からは次々と拍手が送られる。
続いて高坂の番。彼女も滝先生に促されて演奏を始めた。
一音目から明確に感じ取れる差異。その圧倒的な音色は一階席の最後列に座る俺の耳にも突き抜け、脳に衝撃を与えていた。旋律は美しい響きを損なうこと無く空間を満たし、支配している。
••••••まるで公開処刑だ。
高坂のトランペットから放たれる高音の揺らす空気は、電気椅子の様に一番近くに立つ中世古先輩の肌を痺れさせていることだろう。
「ありがとうございました」
演奏を終えた高坂が頭を下げる。
中世古先輩の時のように拍手は起こらなかった。きっとそれは高坂を酷評しているわけではなく、あまりの衝撃に身動きを取れなかったのではないか。
「では、これよりソロを決定したいと思います。中世古さんが良いと思う人••••••」
吉川先輩が立ち上がり、拍手をする。それに少し遅れる形で小笠原先輩も手を叩いた。
二人••••••これまでの中世古先輩を支持する声を考えれば、あまりに少なすぎる。
中世古先輩の表情は儚くも真っ直ぐ二人の事を見詰めた。
「はい。••••••では、高坂さんが良いと思う人••••••」
力強い拍手。黄前も間髪いれずに立ち上がって手を叩く。続いて加藤も高坂支持を表明した。
「はい••••••」
滝先生が止めるまでに鳴った拍手はこちらも二人分。
他の部員達は手を叩く事すら出来ないでいた。
結果は二対二の同点。
「中世古さん••••••」
「はい••••••」
「あなたがソロを吹きますか?」
滝先生の問いかけの後、長い沈黙が続く。
この再オーディションは滝先生の決定への不満により行われたものであり、部員達自身がソリストを決めることで文句の無い結果を出すのが目的だ。
票数が同じである今、決定票を騒動の最も中心にいて、敗北者であるはずの中世古先輩に委ねるのは最も合理的である。
合理的であると同時に、なんて残酷な選択なのだろうか。
「吹かないです••••••吹けないです。ソロは高坂さんが吹くべきだと思います」
中世古先輩は自らソロを辞退した。
そんな中世古先輩の姿に、吉川先輩は声をあげて涙を流した。周囲に居た者が吉川先輩の体を支える。彼女達も吉川先輩の気持ちは痛いほど分かるのだろう。
「高坂さん。あなたがソロです。中世古さんではなく、あなたがソロを吹く。良いですか?」
「••••••はい!」
滝先生の言葉に、高坂は力強く返事をした。
俺は目の前で繰り広げられている光景を冷めた目で見詰めている。
「••••••これが先生の言う、嘘でも悪でもない青春ですか?」
「その答えを持っているのは私じゃないよ」
腐敗した吹部の中でも中世古先輩は真摯に音楽と向き合ってきた。去年の一斉退部の時だって、自ら犠牲になろうとしてまで部に尽くしてきた。そんな彼女も、年功序列の体制の下ではその実力に見合った椅子は用意されなかった。
しかし。中世古先輩も本来であれば今年こそ一番の晴れ舞台に立つはずだったのだ。それが、顧問の交代と、新顧問の改革により梯子を外され、ぽっと出の一年生にトランペットソロの座を奪われる形となった。
中世古先輩はただ納得したいだけだと、田中先輩は言っていた。本当はソロを吹きたいはずなのに、本音を押し殺し、そうやって妥協して出した納得という最後の願いすらも、このような形でしか叶えられないのか。
終いには腹を切るように自らソロを手放す選択を迫られた。
こんなものが青春だと言うのならば、やはり青春は嘘であり悪である。
そして嘘と悪で塗り固められた曲は、次の楽章へと進んでいく。
黄前ルートに入ったら秀一は葉月とくっつくか?
それはさておき、ようやく一山越えた。そしてストックが尽きた。