響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~ 作:碧河 蒼空
祝 総合評価600突破
祝調整平均7突破
みなさん評価や感想ありがとうございます。
パーカッションの先輩が一番大きなマレットを学校に忘れるという前代未聞の失態をやらかし、加藤が走って学校へ引き返している。
その間、他のもなかと俺は先に現地入りしてA編成のサポートに回っていた。
吹奏楽コンクールの京都府予選はここ京都コンサートホールにて行われる。
先行していたトラックから楽器の荷降ろしが終わると、部員達は次々と楽器を持ってホールの中へ入っていく。
俺は一人だけ流れる人の波に逆らって別方向へ向かって足を踏み出した。
「あれ?比企谷、どこに行くの?」
すれ違いざま、俺に声を掛けたのは中川先輩だった。みんなとは別方向へ歩きだした俺を見咎め疑問を口にする。
「まだチケットを買っていないので、当日チケットを買いに行こうかと」
「はあ?アンタは私達と一緒に来て良いに決まってるでしょ」
中川先輩は俺の手首を引いた。
「いや、流石に部員じゃない人間がそこまで着いて行ってはマズいのでは?」
これまで部に関わってきたが、部員ではない以上、公的にみれば俺は無関係者だ。当然、集合場所や控え室などは関係者以外立ち入り禁止である。
「はぁ••••••ちょっと待ってて。先生に聞いてくるから」
振り返った中川先輩は呆れた目を俺に見せて言うと、返事を聞く前に滝先生の元へと小走りで駆けていった。一言二言やり取りをした後、中川先輩は滝先生に軽く頭を下げて戻ってくる。
「お待たせ。着いてきて良いってさ」
中川先輩は俺にそう告げると再びホールへと歩き始めた。俺はその後ろに着いていきながらスマホを取り出して、後からやって来る予定の小町に合流出来ない旨をLINEで伝える。
小町『大丈夫!!もともとそのつもりだったから 小町は友達と行くからお兄ちゃんは私を見かけても他人のフリしてね お兄ちゃんは緑さんたちをしっかりサポートすること!!!!』
••••••どうしよう、お兄ちゃん悲しくて泣いちゃうかもしれない。
「うわっ、どうしたの?急に目の鮮度が落ちたじゃん」
鮮度って••••••俺の目が死んでることは前提なんですね。
「人生の苦さを再認識していた所です」
滝先生、生きるって痛いっす。*1
俺はポケットに入れていたマッ缶のプルタブを開けた。
「意味分かんないから。って、またそれ飲んでるし••••••」
中川先輩が俺の手元のマッ缶を見て引いたような目を向けてくる。
以前、中川先輩は俺がいつも飲んでいる黄色い缶コーヒーに興味を示したことがあったので一本俺のストックを提供したことがあった。ただ、この濃厚な甘さが中川先輩には合わなかった様子。
なお、その時にひょっこりと現れた吉川先輩は一口飲んだマッ缶を大絶賛して目を輝かせていた。俺の中の山田君が中川先輩の座布団を全て吉川先輩に移動させた瞬間だった。
「俺の血はマッ缶で出来ていると言っても過言ではありませんからね」
「••••••そんなのでできるのは贅肉や脂肪肝くらいだって。ほんと気を付けなよ」
何てこと言うんだ!(黒沢ともよに寄せた八幡Voice)
「この際だからこのまま入部しちゃいなよ。それ飲んだ分のカロリーは演奏で消費したら?」
「管楽器の消費カロリーは軽いウォーキングとほぼ同じで、むしろ演奏中は頭をフル回転させるから血糖値が下がるので食欲ばかり増します。中川先輩こそカロリー収支には気を付けた方が良いですよ」
「••••••」
俺は中川先輩に無言でレバーをどつかれた。••••••なんて理不尽な。
俺は悲鳴を上げる肝臓を宥めるように脇腹を押さえながら中川先輩の後ろを着いて歩いた。そうして辿り着いたのは他の参加校もひしめく待機場所だ。北宇治高校一同はここに集合し、自分達の楽器を確認する。
しばらく待機した後、係の人に呼ばれて案内のまま控え室へとやって来た。
控え室の扉が閉められ音出しが許可されると、A編成のメンバー全員が思い思いにチューニングを始める。高校から楽器を始めた一年生の中にはプレッシャーからか中々合わないピッチに不安そうにする者もいるが、上級生や経験者は落ち着いて自分の音に集中している様子が見られた。
張り詰めた空気が空間を満たす。
頃合いを見計らっていた滝先生の合図で音が瞬時に静まった。
全体チューニング。クラリネットの出す基準音から始まり、B♭の音が次々と重なり合い、綺麗に溶けていく。
楽器から発せられる波動が止み室内が静まり返った所で滝先生が口を開いた。
「えっと••••••実はここで何か話そうと思って色々考えてきたのですが、あまり話すことはありません」
みなが怪訝な表情を浮かべる中、滝先生は穏やかで、しかし確かな熱の孕んだ声で言葉を続ける。
春に全国出場の目標を掲げ、向上心を持って努力し音楽を奏でてきたのは、他でもないここにいる生徒達自身。それを誇れと。
「みなさん、会場をあっと言わせる準備は出来ましたか?」
滝先生の目の前に立つ少年少女達は誇らしげに精悍な顔付きを見せた。
「「はいっ!!」」
一切の迷いも感じられない力強い返事が部屋に響いた。
上手いな。滝先生は人心掌握術に長けている。今の言葉で皆の纏う曇天が一気に晴れ渡った。
努力しても夢が叶うとは限らない。むしろ叶わない事の方が多い。だが、彼等がこれまで積み上げてきたものは目の前の険しい道を歩く為の勇気へとなっていた。
例え、夢に破れる日が来たとしても、頑張ったという事実が彼等への慰めになるだろう。
ま、今の北宇治なら地区突破も射程圏内だろうけど。
「では皆さん行きましょう••••••全国に」
その言葉と共に滝先生はステージへと向かう重厚な扉を開いた。
俺はパーカッションの運搬を手伝いながら、部員達と共に舞台袖まで同行する。
舞台袖に足を踏み入れると、そこは僅かな照明のみが浮かぶ薄暗い世界だった。まるで周りから切り離されたかのような風景や、舞台から漏れ聞こえてくる前の学校の演奏は自分達の出番が目の前に迫っている事を否応なしに感じさせる。
「悪い、加藤」
「いえ、大丈夫です。とにかく頑張ってください」
話し声に気付いて視線を向けると、学校からマレットを届けた加藤がパーカッションの先輩達から謝られている姿があった。どうやら加藤のやつは間に合わせたらしい。
加藤は俺と目が合うと、こっちに駆け寄って来た。
「お待たせ」
俺の運んでいたグロッケンの反対側を加藤が持つ。
「お疲れ。大丈夫か?」
「うん••••••ぁ••••••」
加藤の視線の先。そこには黄前と塚本がいた。二人は拳を突き合わせて互いの健闘を祈っていた。
••••••加藤はまだ塚本の事を引きずっているのだろうか。
こんな時、一般的には気の効いた一言を掛けてやるのだろうが、あいにく俺にそんな言葉は持ち合わせていない。だから俺に出来る事といったら、適当に雑談をしてこいつの意識を逸らしてやることくらいだ。
「にしても、あの坂道をよく走って間に合わせたな。流石は元テニス部なだけある、うん」
「ちっちっちー。今の私はチューバ吹きだよ。チューバの肺活量なめないで欲しいな~」
「••••••そうだったな」
ところが加藤の表情に影は落ちていない。胸を張って話す彼女を前に、どうやら俺の杞憂だった事を悟った。
「葉月ちゃん、お疲れ様です」
川島がやって来て加藤を労う。
「うん••••••緑、最高の演奏を頼むよ」
「勿論です」
二人の視線は既にステージへと繋がる扉に向いていた。
「北宇治のみなさん、どうぞ」
スタッフによって開けられた扉の向こう側はここよりも明かりの乏しい暗闇だ。これから、そのステージは目映い輝きで満たされるのだ。