響け!八幡~北宇治での青春ラブコメはまちがっているのか?~ 作:碧河 蒼空
ファミレスで食事を取った後、途中の乗換駅まで何とか前さんと加藤と行動を共にした。
比企谷家と最寄駅を共にする川島は自宅の目と鼻の先まで一緒だった。その間、小町と川島の間では話題が尽きなかった模様。三人揃わなくても女子は姦しいのだ。
別れ際に小町が川島に“また後で”と声を掛けていたが、帰ってからまたスマホで話すつもりか?
まあ、俺には関係の無いことだ。
自室のベッドで、ようやく手に入れた「一人きりの静寂」を享受していた俺だったが、その平穏はノックもなしに開けられた扉によって無惨に瓦解する。
「おにーちゃーん!!ユーフォ持って出掛けるよ!」
朝以上に元気いっぱいとなった小町が昼間の約束を催促しにきた。
時刻は十六時過ぎ。夜になってから楽器を吹くのは流石に迷惑だろう。
俺は重い腰を上げると、部屋の隅に鎮座する楽器ケースを掴み、小町と共に家を出た。
伏見稲荷駅を西へ10分弱ほど歩いた所に鴨川が流れている。橋を渡り、河川敷の土手の傾斜に腰を下ろした。ハードケースから、あの親父に騙されたユーフォニアムを取り出しす。貰った当時と違い、俺が念入りに手入れを重ねているユーフォニアムは沈み掛けの太陽を反射して輝いていた。
マウスピースを填めて息を吹き込む。管を呼気が駆け抜け、音となって先端のベルから飛び出した。丸みを帯びた柔らかな中低音が辺りの空気を揺らす。
自分のイメージする理想の音と、実際にユーフォニアムが奏でる音とのギャップを埋めるように数音鳴らしてから、俺は演奏を始めた。
ゆったりとしたテンポでメロディを奏でる。ユーフォの柔らかな音色を損なわないよう繊細な息遣いと指運びを心掛け、頭の中の楽譜をなぞった。
この曲には出会い、別れ、感謝など、その時々の様々な思いを大切な人へ贈るというメッセージを込められている。なんともまあ、捻くれた俺には似合わない曲だろう。ただ、今この演奏を聞いているのは小町だけだ。そんな事は気にしなくても良い。
ふと横を見れば、小町が目を閉じて俺の演奏に耳を傾けていた。川を吹き抜ける風が小町の髪を揺らしている。
曲は終盤、転調を迎え、ドラマチックなエンディングへと向かっていく。最後の音が夕暮れの空に溶けるのを見届けて、俺はマウスピースから口を離した。
「スーー••••••ぉっ!?」
呼吸を整えようと息を吸った瞬間に、背中に柔らかな衝撃が走った。振り向くと、金髪の幼女が俺の背中にしがみついていた。幼女が視線を見上げると、振り返っていた俺の視線が交差する。彼女は川島同様、京都に来てすぐに知り合った女の子だった。
背中の衝撃の正体を俺が暴いた時、土手の上から拍手が聞こえてくる。そこには背中の幼女を大きくしたような少女がこちらを見下ろしていた。
「川島?なんでここに?」
「私が呼んだんだよ!」
川島への問いは小町が答え、それを土手から降りてきた川島が引き継ぐ。
「はい。緑も比企谷君のユーフォ聞きたくて来ちゃいました。琥珀もずっと比企谷君に会いたがっていたので」
背中の幼女は川島琥珀。土手の上にいる川島緑輝の妹であり、俺が事故にあった時に助けた女の子である。俺が入院中には川島と一緒に何度か面会に来ており、どうやらこの幼女、俺に対して過剰なほどの懐きを見せているらしい。
川島姉は俺の左隣にやってくると、静かに腰を下ろす。
「今の曲は“ユーフォ・フォー・ユー”ですね。力強く、それでいてとても繊細な音色でした。比企谷君すごいです!」
前のめりに語る彼女の瞳が、至近距離で俺を射抜いた。
「••••••ぼっちは自由に使える時間が多いからな。ユーフォに費やす時間がたくさんあっただけだよ」
俺は照れ隠しを自虐で塗り潰し、小町の方へ体を避けた。
「それでも、一つの事に熱中できるというのは、それ事態が凄いことだと緑は思います」
多分、彼女の言葉には一点の曇りもない。打算も、皮肉もない。真っ直ぐで純粋な称賛。
「比企谷君は今でも音楽が好きですか?」
「••••••そう簡単に嫌いにはならねぇよ」
「そうですか。良かったです。緑も音楽大好きです」
川島は心底嬉しそうにそう笑った。
彼女は分かってしているのか、俺が踏み込んで欲しくないラインを決して越えてこない。
川島は優しい女の子だ。川島の誰にでも優しくて、それは俺への特別ではない。
病室に川島が何度も訪れた時や、学校でにこやかに話しかけられた時、その事をつい忘れてしまいそうになった事もあった。
だが、訓練されたぼっちは同じ過ちを繰り返すことはない。いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめたから。
百戦錬磨の強者。負けることに関しては俺が最強。
真実は残酷だというのなら、きっと嘘は優しいのだろう。だから優しさは嘘だ。だから、優しい女の子は嫌いだ。
ただ、こいつがこの距離感を保つのであれば、まあ小町と一緒に曲の一つや二つ、聞かせてやるくらい構わないだろう。
俺は次の曲を吹くために息を吸い込んだ••••••。
こうして5月の連休中日の日曜日が終わりを迎える。
そして、次の曲が始まろうとしていた。