魔戦暦592年5月ーー剣術の授業
魔人襲撃から二週間。あの後、魔術協会から派遣された治癒魔術師によってほとんどの教師が学院に復帰したが、まだ傷が癒えきらない者もいる。
学院は表面上の平穏を取り戻しつつあったが、空気には張り詰めた緊張が残っていた。
今日から、剣術の講師が剣術の国ベインヘルドから二ヶ月間の予定で派遣されてくるという。クラス別の対抗実戦大会も行うらしい。
俺とリーガはいつもより少し緊張しながら登校し、教室の扉を開けた。黒板の前に、見知らぬ男が立っている。
茶色の髪、頬には十字の傷。剣を背に携え、たくましい体格は二メートルはあろうかというほどがっしりしていた。立っているだけで威圧感がある。
「リーガ…あれ誰だ?」
俺は困惑した表情を見せる。
「僕も分からない…ただ剣を持っているから、今日このクラスに派遣される講師の人じゃないかな。」
「強そうだな。」
アリアが入ってきて紹介する。
「皆さん座ってください。こちらの方は今日から二ヶ月間お世話になる方です。」
「よろしく頼む。若人たちよ。俺の名前はヘルマン・ランカインだ。剣の道を極めてから早32年になる。お前らに剣の修行をつけられることを俺は光栄に思う。」
低くて通る声。ヘルマンは剣を持つ手つきからそれがただの見せかけではないと示していた。
「まず最初は俺の実力を知ってもらいたい。訓練場へ行くぞ。」
訓練場へ向かう道すがら、ヘルマンは他の剣術師たちとは明らかに違う佇まいを見せた。年の離れた貫禄、刃を扱う無駄のない動作。着くと、彼はクラスを見渡して告げる。
「このクラスで一番剣の腕が立つ者、前に出ろ。」
手を挙げたのはリアナだった。彼女は迷いなく一歩を踏み出す。
「そうか。なら剣を構えろ。三分間、俺に対して切り傷一つ与えることができればお前の勝ちだ。アリア先生、審判と開始の合図を頼む。」
合図が鳴ると、リアナが先制した。だがヘルマンの受けは速く、避けは正確だった。ヘルマンが一度捌いてから放った剣撃は、速度と重量を伴い、リアナは体勢を崩す。
三分の鐘が鳴り、動きが止まると、訓練場は静寂ののちにどよめいた。誰もがヘルマンの“人外”じみた動きに息を呑んだ。
「今、動きを見てみろ。人間の体の使い方とは違うだろう。それには理由がある。誰でも練習で身につけられる。俺の授業ではそれを教える。」
ヘルマンは剣を軽く振って見せる。その刃は残像を残した。
「では、剣を構えろ。」
言われた通りに皆、剣を構えた。ヘルマンの真剣な眼差しにそうするしかなかったのだ。
「魔力を身体に循環させるイメージで剣の持ち手に魔力を集中させろ。魔術を使うとき、全身にかけて魔力が流れるような感覚と同じだと思え。」
魔術を使うとき、当たり前のように魔力を一点だが、循環させるのをやっていた。全身に意識させるとなるとうまくいかない。魔術を使うときのイメージで全身に魔力を流れさせる。
その瞬間力が溢れるような変な感覚が芽生えた。困惑していると、ヘルマンは次の指示を出す。
「次に、剣を構えて呼吸を整えろ。その後、剣を振ってみろ。」
全員が剣を構えた後、前へと振る。それはまるで自分の身体ではないような違和感を覚えた。
全員が試すと、ぎこちなさはあるものの剣がいつもより軽く感じられた。動きに力が乗り、速度が増したように思える。
「これを『魔体強化』という。簡単に言えば、魔力を全身に循環させることで身体能力が飛躍的に向上する強化方法だ。強化量は魔力総量に比例する。これをまずは、無意識下でできるようになってもらいたい。」
「魔体強化は騎士など主に前線に立つ者が使う基本的な訓練だ。これに慣れれば、全身に循環させたまま、一点に魔力を込めることでこのようなことも可能だ。」
ヘルマンが模範を見せると、剣先が風を切って光るように速かった。だが彼は淡々としていて誇示するでもなく、ただ基礎を語る。
「まあ、これ自体できるようになるのは一年かかるがな。応用のようなものだ。まずは基礎的な訓練を明日から積んでもらう。では、一日目の授業を終わる。」
鐘が鳴り、一限目が終わる。廊下へ出ると、俺の手にはまだあの「全身を巡る」感覚が残っていた。剣術を、本格的に学ぼうという決意が胸の奥で静かに燃え始めていた。
*
魔戦暦592年6月──実戦大会
剣術師ヘルマンが来てからおよそ一ヶ月が経とうとしていた。前半は基礎体力の強化、後半は魔力を全身に巡らせる訓練──いわゆる「魔体強化」を無意識で行えるようにする内容だった。
俺は魔体強化を常にできるようになり、今は魔力を一点に込める練習をしている。来週にはクラス別の対抗実戦大会がある。
俺たち1-Bは1-Aと対戦することになっていた。噂では1-Aに剣術の天才がいるらしい。
リアナはヘルマンとの実戦でかすり傷を与え、クラス内では最も目立つ実力を示していた。ほかの生徒の多くは、開始二分で脱落してしまった。
二分持ちこたえられただけでも「マシ」とため息をつく者もいるほど、基準は厳しい。
ヘルマンの言葉が胸に突き刺さる。
「絶対に勝て、勝てなければ基礎体力訓練を最初からやり直す。」
と言われている。基礎体力訓練では気絶した者が出たことのある地獄の訓練なのだ。あれはもう味わいたくない。
*
実戦大会当日だ。一週間前から少しだけ剣が軽く感じる。会場は実技試験を行った場所と同じだ。
俺は十七番目の出番だ。リーガは十八番目、リアナは四十番目で最後の花形を任されている。
「ジン。緊張するね。負けるわけにはいかないよ。あんな訓練もう味わいたくないから…」
リーガの瞳には覚悟があった。
「ああ、そうだな。一ヶ月間死ぬほど鍛えてきたんだ。勝つぞ。」
俺も覚悟を決め、会場に着いた。雰囲気は試験のときよりも張り詰めていた。席に座り、競技委員のルール説明を聞く。
「試合のルールは一試合は十分間、木剣での戦いになります。相手に剣撃を十回当てるか、時間切れの際は当てた回数の多い方が勝ちとなります。」
試合のルールは至って単純。時間も余裕がある。だが、試験のときと違い、戦う相手が人間だ。思考がある分、勝つのが難しくなる。そこをなんとかしなければならない。
初戦が始まり、1-Bは序盤に波があって、八勝八敗の五分で推移する。やがて、俺の番が来た。
相手は大柄な青年。手のひらの擦り傷が練習量を物語る。鼓膜をかすめるような歓声が消え、合図の音が鳴る。
俺は先に動いた。剣を構え、軽く魔力を巡らせる。相手の歩幅、肩の入れ方を確かめながら間合いを詰める。
最初は互角で、剣と剣がぶつかるたびに木剣の交錯する音が派手に響いた。相手の剣撃は重く、押される。
押された瞬間、咄嗟に剣を離してしまう。後方へ飛び、飛んだ剣を受け止める。
俺は全身に流す魔力を剣の持ち手に集中させる。一度もできたことはない。だが、なぜか今はできる気がした。
「頑張れー!」
背後でリアナとリーガが声援を送るのが聞こえる。
(集中だ。集中。魔力を一点に込めろ。)
周囲の音が遠ざかり、世界は相手の呼吸と木剣の振動だけになる。魔力を全身に巡らせたまま、持ち手へ一点、ぎゅっと絞る感覚が訪れた。
今までにない精度で力が一点に収束する。相手が剣の間合いに入った瞬間、斬撃を横一閃に放った。
相手はとっさに受け止めたが、木剣がへし折れ、俺の攻撃が胴を捉えて相手は体勢を崩し、そのまま衝撃で倒れた。相手は起き上がれず、審判が試合続行不可能を宣告する。ジンの勝利だ。
我に返ると、観客席から熱い拍手が降ってきた。ガッツポーズをして席へ戻る。手のひらが震えていた。
続いてリーガの試合。リーガは相手の攻撃を綺麗に受け流し、相手の隙を突いて十回の当てを稼いで勝利する。リーガの表情は誇らしげだ。
「リーガ、凄かったな。剣をあんな簡単に受け流すとは思わなかった。」
「僕、魔体強化が苦手だからね。かわりに剣の技術をここ一ヶ月間磨いてきたんだ。なんとか勝てて良かったよ。」
リーガは嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、ジンも凄かったよ。剣を一点に集中させるのを成功させるとは思わなかったよ。」
「本番ならなぜかできる気がしたんだ。よくわかったな。俺が最後に使ったの。」
「魔見眼があるからね。相手との戦いも魔力の流れも見れば、次どんな行動でくるか予想できるんだ。まあ、対処できないほど剣撃が重かったり早かったりすると無理なんだけどね。」
「だから、ヘルマン先生とか、リアナやジンと戦うってなると勝つのは難しいかな。」
「そんな感じなんだな。」
時間は流れ、次々と試合が終わっていく。現在39戦中20勝19敗、負けることはないが、次の試合でクラスの勝ちが決まる。最後はリアナの試合だ。周りから声が聞こえる。
「ねえ。知ってる?相手の人、剣術の講師の人に勝ったらしいよ。」
「あね。確か名前はエリアルさんだったっけ。有名な騎士の息子らしいよ。」
ジンは噂話を聞き、会場に立つ男を見る。立ち姿は騎士そのもののような雰囲気があり、あれは誰でもわかる。強い。
「凄いな。」
リーガは小さく呟いた。
「どうした?」
俺は気になり、リーガに問いかける。
「彼の魔力は揺らいでいないんだ。ほとんどの人は全身に循環させる際、少し魔力が揺らいで見える。それが一切ないんだ。」
「リアナは勝てると思うか?」
ジンは問いかけた。リーガは難しい顔をしながら答えた。
「分からない……真逆なんだ。リアナは、彼と比べて揺らいでいるけど、魔力を一点に集中させるのが上手いんだ。だから強い。ただ、彼の戦う姿を見たことないから分からないとしか言えないかな。」
リアナとエリアルは剣を構え、試合の合図が鳴った。
先に仕掛けたのはエリアルの方だった。エリアルは剣を投げ、素早く間合いを詰め、飛んできた剣を取り、その動作のままリアナに攻撃する。
リアナは冷静に受け止めてみせた。剣同士が交錯する。
「驚いたな。これを受けるとは……」
エリアルは驚きを隠せないようだ。
「では。私の番ですよ。」
そう言い、リアナは全身に循環させていた魔力を一気に手に込め、エリアルとの間合いを詰める。
「これは、私の家に伝わる流派の技の一つです。受け止めてください。」
エリアルは尋常ではない雰囲気を感じ取り、剣を受ける準備をとる。
「
一撃は木剣を折り、エリアルの顔面へ届く寸前で収まった。審判が勝敗を宣する。会場は歓声と拍手で揺れ、1-Bの勝利で試合は幕を閉じた。
疲労と達成感が混ざる帰路、歓声を胸に抱いて歩いていた。
だが、学院の門をくぐる直前、周囲の空気がふと変わった。視界の端に、黒い人影が見えた。人影はこちらを見ているようで、その目は冷たく光っている。
俺は立ち止まると、リーガの背中を軽くつついた。
「今の見たか?」
リーガは首を振る。人影はもう一度だけこちらを見て、ゆっくりと踵を返した。その背には、見覚えのない紋章が象られていた。
ジンの胸に、冷たい鳥肌が立った。木々がざわめき、夜風が吹き抜ける。
その紋章の影が、次の波乱の予感を運んでいた。