アリアから今後の予定について説明が始まった。
黒板の右端に貼られた小さな紙にその日付が示されていた。
「今後の予定だけど、この一年間に何度か試験がある。最初は四月十三日…」
その日付が告げられると、教室はざわついた。
この学院では、実戦に直結する教育が期待されている──その事情を誰もが無意識に感じ取ったのだ。
「急で、すみません。質問いいですか。アリア先生。」
リアナが手を挙げる。
「はい、どうぞ。」
「それはつまり、明日が一回目ということでしょうか?」
彼女の声は落ち着いていたが、教室中の視線が集まる。
「そうね。明日を一回目として、三か月ごとに一回ずつ実技試験があるわ。クラスで互いの実力を知れる良いタイミングだから、焦らず挑むように。」
アリアは黒板の予定表を指し示す。紙には「適性検査」「実技」「講習」といった項目が小さく並んでいる。
「それから、実戦経験のある騎士たちによる講習や、魔術・剣術の大会も数回予定しているわ。」
小さなざわめきが再び起き、誰かが低く呟いた。
「他国の騎士か……」
教室の端々から、学院が単に教える場ではなく、国の戦力育成の中核として期待されていることが伝わってきた。
アリアは簡潔に説明を終え、次に六年間過ごすことになる寮についての説明を始めた。黒板にもう一つ紙を貼り付けた。
アリアは寮の規則と生活の注意を告げ、黒板の右端に貼られた小さな紙を指差した。
そこには「寮の規則」「門限:22時」「寮持ち物リスト」といった文字が並んでいる。
「寮では共同生活になるわ。夜間の魔術使用は厳禁よ。規律を守ること。何か問題があれば寮監へ報告するように。」
「男子寮・女子寮に分かれてるから、変なことは考えないように。後、六年間の寮生活のうち、一年ごとにルームメイトは変わるからね。」
その一つ一つの言葉が、俺の胸に小さな緊張を積んでいく。共同生活。夜の制約。──ひとつ屋根の下で暮らすという重みが、突然現実感を帯びた。
アリアはそう説明を終え、初日の学校生活は幕を閉じた。
*
夕暮れになって、俺たちは寮へ向かった。石造りの建物は古めかしく、入口の掲示板には小さな紙がいくつか貼られている。
そこには外部講師の名簿や、今週の訓練予定、そして明日の試験の簡単な注意書きが記されていた。
寮内に入ると、紙に一年間一緒に過ごすことになるペアがかかれていた。部屋は二人部屋、一緒に過ごす人は誰だろうと確認する。
「は……?」
そこに書かれていたのは──リーガ・レリーフ。なぜだ。孤児院での記憶が蘇る。
「やあ。また会ったね。」
背後から声がして振り返ると、リーガがそこに立っていた。彼の出現には足音がほとんどなく、ぬっと現れたような印象だった。
「……⁈」
「一年間よろしくね。」
リーガは笑いながら手を差し出す。
俺はぎこちなく手を握り返した。
「ああ…よろしくな。」
そう言い。寮の部屋へと向かう。
寮の扉には一見、違和感はなかった。だが、少しリーガが怪訝な顔をしているのが目に入る。
「どうしたんだ?」
「いや…なんでもないよ。さあ、部屋に入ろう。」
表情は笑顔だが、目だけが笑っていなかった。
「ああ…」
部屋は新しく建てられたばかりようで、ほどよく広く落ち着ける造りだった。ベッドは両端に二つ、学習机も二つ並んでいる。
古い建材の匂いと、まだ新しい木の香りが混ざる空気。荷物を片付ける手がぎこちなく動く。
俺たち二人は、荷物をまとめて寝るベッドを決めた。
先程のリーガの表情がどうにも気になり、リーガへ問いかける。
「どうしたんだ…?さっき、悩んだ表情をしていたけど。この部屋に何かあるのか?」
手のひらの冷たさを感じる。
リーガは言い淀んでいるようだが、数分にしてようやく口を開いた。
「いや……少し気になることがあるんだ。学校や寮、寮の部屋の扉全てに結界が張られているんだ。単なる魔術結界なら良いんだけど。少し歪でね。」
「リーガそんなことがわかるのか?」
単なる好奇心で問いかけた。
「ああ…実は魔眼もちなんだ。それも特殊な魔眼でね。魔見眼と言って、結界などの魔術や目に見えない魔力の流れがわかるんだ。」
リーガの声は抑えめだが、自分の視線は確かだ。
魔見眼──記憶の底に本の断片がひっかかる。可視化できない魔術の“線”を透かして魔力の流れを見る目だ。
極めれば相手の魔力量まで分かるとあった。世界でも数人しか持っていないとされている。
そんな力をひけらかすつもりはないらしく、リーガの顔は真剣そのものだった。
「魔眼持ちだったんだな。それで、歪ってどういうことなんだ?」
口で説明されるより先に、リーガは部屋の扉の縁を指でなぞった。すると、空気の縁に薄い線状の揺らぎが走るように見えた。
俺にはただの気のせいに見えたが、リーガの指先からその揺らぎが少し濃くなり、青白い筋が現れた。
「僕は、その線に触れることで見えないものを可視化することが可能なんだ。ほら、角が立っているでしょ。」
「侵攻前と侵攻後で結界の形は違うんだ。今の国自体や魔術協会にかけてある結界は、丸くドーム状の形をしている。」
「だけど、侵攻前はドーム状ではなく角錐状のような形を採用していたんだ。欠陥があることがわかってね…その形はもう使われていないんだけどね。」
リーガに問いかける。
「つまり……使われていないはずの結界が張られていたってことか?」
自分の胸の鼓動が速くなったのを感じた。
「角錐状の形ならまだ良い。だけど今、寮や学校、部屋に張られている結界は欠陥だらけだよ。まるで結界として機能していないんだ。」
「そんな結界を国が四年間もかけて作った建物に採用するとは考えられない。」
「確かに違和感があるな…」
「少し明日アリア先生に聞いてみるよ。」
彼は小さく言い、腕を抱えるようにしてベッドへと腰を下ろした。夜は早々に深まり、二人とも眠れぬまま時を過ごした。
*
夜が明けた。俺は窓辺に立ち、吐息とともに朝を迎えた。
リーガの顔色が、いつもより明らかに悪く見えた。額には冷や汗がにじみ、瞳はどこか遠くを見ている。
俺は胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
「大丈夫か、リーガ。うなされていたみたいだけど。」
「大丈夫だよ。ただ……昨日、結界に触れてから頭痛が酷くて。」
「試験前に医務室に行ってくるよ。」
リーガの様子は普通ではない。ついて行った方がいいだろう。
「医務室まで着いていくよ。心配だからな。」
「ありが……」
リーガは頷きかけた瞬間、膝が崩れ、そのまま座り込んだ。
「大丈夫か!おい!おい!」
リーガはそのまま気を失い、俺にもたれかかった。
「医務室まで運ぶしかないな…」
寮監に助けを呼ぶか。
リーガを一度ベッドに寝かせ、寮監を呼ぶ。廊下を小走りにかける靴音が反響する。
「すみません!ルームメイトが倒れました。助けをお願いできますか!」
「本当ですか?」
「部屋番号を教えてください。担任の先生に報告しなければなりませんので。」
寮監は、今までにも何度か経験があるらしく、冷静に対応した。
「191です!」
「君は隣の192号室の人と一緒に医務室へ運んでください。すぐに向かいますので。」
隣室の学生と寮監の手を借り、リーガを慎重に担ぎ上げる。医務室は寮棟より少し離れた学院の翼にあり、石造りの廊下を伝って行く間、俺は片手でリーガの頭を支えた。
*
三人でリーガを抱え、医務室へと運んだ。医務室の扉をノックすると、見覚えのある顔がすっと現れた。
「フェイズさん⁈」
出てきたのは、八歳の時に少しお世話になったフェイズさんだった。
「あらジンくんじゃない。ん?その子あまり良くなさそうね…ベッドまで運んでくれる?いろいろ用意するから。」
リーガを三人でベッドへ運び、他二人は帰っていった。
フェイズは白衣の袖をきちんと捲り、落ち着いた目でベッドに横たわるリーガに近づいた。指先に消毒薬の匂いがふわりと漂う。彼女は額に手を当て、微かに眉を寄せた。
「リーガは大丈夫なんですか?」
リーガの様子が心配で俺はフェイズさんに問いかける。
「良くないわね。何かに触れたりでもしたのかしら…リーガくんの身体には、魔術による干渉を受けた痕跡があるわ。」
「どんな系統の魔術か分かりますか?」
「私、医療の知識はあるけど魔術に関しては二流でね。分からないわ。」
「この魔術は何か珍しいタイプのものに感じるわね…」
「少し待っていて。」
フェイズさんは受話器を取り、誰かに電話をかけた。
数分後、誰かが医務室の扉をノックする音が聞こえ、フェイズさんはその人を向かい入れた。
「きたわね。結構王都から遠いはずだけど。もしかして、飛んできたの?」
「そうよ。あなたが呼ぶなんて珍しいんじゃないかしら。急いで来ちゃったわ。」
赤い髪の女性が入ってくる。髪は朝の光にわずかに燃え、外套の裾がひらりと揺れて周囲の空気が引き締まる。外見は威圧的だが、その瞳にはどこか温かさが宿っていた。
フェイズさんと共にリーガがいるベッドへと向かっていった。それに自分もついていく。
「この子かしらね。少し触れるわよ。」
触れた瞬間、小さな火花が走る。だが彼女は動じず、深い溜息のように小さく呟いた。
「精神干渉系の魔術ね。術式は複雑で高度だわ。誰がかけたのかは知らないけど、相当タチの悪いやつね。」
彼女は少し不快そうにしていた。
「そうなの…ありがとう。で、この子の状態はどうなっているの?」
「精神魔術の反動で身心へのダメージが蓄積されているわ。」
「少し処置をするわね。」
彼女はリーガに対し、素早く応急処置を施す。上級治癒魔術の詠唱を唱える。
「白き輝きに宿る癒しの理に命ずる。かの者に癒しを与えよ。」
「
温かな光が全身をなぞり、リーガの表情が和らぐ。その後、軽い鎮静薬を投与して精神の反動を和らげた。
「ある程度治したわ。数時間も経てば反動も治って元気になるはずよ。」
彼女は怪訝な顔をしながら答え、考え込んでいる。
「あれを使えるのは…………」
彼女は何か呟いていたが、何と言っているのか聞き取れなかった。
「どうかしたの?」
「いえ、気にすることじゃないわ」
彼女は俺の視線に気づき、ふっと笑みを消した。
「そうね……気になるなら、明日私が個人的に詳しく調べておくわ。」
俺は小さく頷いた。外に出ると、廊下にはいつものざわめきが戻り、朝の光が窓辺を滑り落ちていった。しかしジンの胸には、冷たい虫のような不安だけが残っていた。