筆が輝いて、《神筆使い》と《キャスト》をつなぐ架け橋を描きだす。しばし結ばれたのち、光の糸はほどけてきらきらと空中に溶けていった。
場にいて線で繋がっていたのは三人。
接続されていた間も目を閉じてリラックスしていた、森羅の守護者メイド・マリアンが口を開く。
「マスターの認識と同調することで、知識や言語のズレを減らす……便利なもんだねえ」
「使える物は使えばよい。流した汗の量など少ないに越したことはないからな」
魔神ランプの使い手マリクは最低限の準備を済ませたらすぐに踵を返してしまった。
「余は行くぞ」
「ちょっと王様! 先に行かないでおくれよ」
追加の準備として《変幻の栞》も使って、いつもの『青肌ダークエルフ』の姿から『薄だいだいの肌に茶髪のヒト』への変身もしている。これを使うとロビンが微妙な顔をするのであまり好きでないが、今日は必要なのだ。
――はい、スマホとメモ。地図アプリはこれで、クレジットカードとICカードも貸すから、お金には困らないでしょ。
――マリクは言うこと聞かないからお守り、頼みましたぞ。
「はいはいはいはい! 何その変な口調! 行ってくるわね」
ふたりを描く《神筆使い》は、現実世界へ繋がる扉をくぐっていく背中を見送った。
【1.中京区西ノ京南原町】
出発地点は日ノ本風の小さな部屋からだった。外からは自動車の音が聞こえてくる。
マリクにとってもマリアンにとってもあまり馴染みのない畳だが、吉備津彦らがこういう様式の部屋で過ごしている様子は何度も見ているし、この旅に向けてあらかじめ《神筆使い》と認知の共有も行っていた。縁取りされたヘリを踏まないように座る。
外出許可をくれたマメールの計らいにより、どちらもこの街の観光客のよう景色に馴染む服装だ。マリアンは短いホットパンツにジャケットの組み合わせでいつもの衣装との違和感は小さい――たまに《変幻の栞》で着せ替えさせられる『必中雑技団』のがスースーして慣れないくらいだ――が、一方でマリクは平時でアラビアンナイト風の衣装だから現実世界風の衣服との落差が大きく、誰なのか迷うくらいだった。線の細いズボンに履き替えさせられ、顔を隠すヴェールは紙マスクで代替されている。
「今日の行程はどうなっている、森の兵隊」
「急かさないでよっと……最初にここで食事していけって、そして王様の行きたがっている場所には三十分ほどだってさ」
スタート地点から出て階段を慎重に降りていくと、一階は小さな店だった。小さな鉱石や細工物が並べられている。『クマムシの卵』などと札のついた透明な置物など物珍しい。しかし庶民にも手の届く大きさと価格がほとんどで、ゆえに世界中から財宝を集めるのが趣味のマリクの興味は引かなかったらしくほとんど通り抜けるように出ていってしまった。
外に出て引き戸を閉じてから、腕組と尊大なポーズを決めて一言。
「あれくらい余の宝物庫に行けばいくらでもある」
「それ人前で言ったら……」
「当然だ。人の機嫌を意味なく損なう真似はせぬ」
食事ができる方の店舗はというと、宿および雑貨屋の扉を出たそのまま隣だった。開店直前で数人の客が並んでいる。背も高い美男美女のペアに、特にマリクの側へ女性客からの視線が向けられた。
当のマリクに至っては、王が他人から見られるのは当然と思っている節がある。
(無視される方がむしろダメージ負ったりするのかしら)
マリアンはお姫様扱いされる方が好きでないが、マリクは自分が平民と同等の扱いをされたら怒りそうだ。
ほどなく中へ案内された。手前にある大きなガラステーブルの席だと赤の他人とも相席になりそうだったので、奥の方の二人席を希望する。なるべく現実世界になじむようマメールや《神筆使い》が手配してくれたとはいえ、不容易に接触してトラブルを起こすのは避けるべきだ。他の客たちはガラステーブル席を利用して、奥の方を選んだふたりはほどよく距離がとれる結果になった。
メニュー表を確認してまず目に飛びこんできたのは、ある料理。
「カレーがあるってさ、王様」
「……余の《変幻の栞》に給仕人の格好はあるが、余がカレー好きだというのは心外だ」
「すっかりアリスなんかにはカレーのお兄さんと思われているからねぇ。で、どうすんの」
「他にないのか」
「甘いモノばっかりだよ」
本当はもうひとつランチメニューもあるが、大半がスイーツだし「甘いモノばっかり」は嘘も言ってない。今日一日お守りをするのなら、カレーを食べるマリクの姿を面白として見物させてもらう役得くらい許してもらいたい。
睨みつけられながらメニュー表を奪われた。
「寄越せ」
「最初からそうすればよかったのに」
カレー以外のランチを伏せたことがバレる。
「腹の底で企んでいる顔をしていなければ、わざわざ確認しなかったさ」
一通りチェックした上で気に入るものが他になかったらしく、改めて『赤の鉱物カレー』を注文した。マリアンは面白そうだった『ラピスラズリのオペラ』を頼む。
「騙しをするならもっと上手くやれ。平時の誠実さを武器にするからこそ違和感を悟らせるな」
「なんで説教されてるのさー」
「余を謀ろうとした罰としては安いものだぞ」
交渉ごとは好きでないが、マリクに説教されたテクニックでやり返したら愉快痛快かも……そう考えているうちに注文の品がテーブルに届いた。
ケーキとしては珍しいことに青と白で彩られている。上から金箔もほんの少しだけまぶされて、夜空のような輝きをアクセントとしてつけていた周りには細かな青粒でさざれ石に見立てて囲んでる。マリアンのやってきた『ロビン・フッド』の世界ではチョコレートのケーキなんてお姫様だろうが手に入らず、《図書館》でのおやつとしてやっと口にできる品だ。
フォークを入れようとしたところ、マリクが信じられないものを見る目で睨んでいた。
「……本当に菓子か」
「見た目は石みたいだけど、ほら」
この『ラピスラズリのオペラ』のモデルとなった石そのものもキッチンの前に飾られていた。時代と地域によっては黄金に匹敵する価値もあった美しい石だ。食べ物を青で染めるというのも、石を菓子で表現するコンセプトだからこそ。
遅れて届いた『赤の鉱物カレー』も、米の部分は食べ物らしさが残っていたがルビーの原石のような見た目を再現すべく工夫がされていた。石のようごろごろした酢漬けが乗ったドライカレーはバナジン鉛鉱をを見立てている。言葉で説明するならズッキーニで紫キャベツの欠片を巻いたもの、潰したポテトの塊に赤いゼリーを乗せるという副菜なのに、こちらもトルマリンとざくろ石を再現しているということだ。――このあたりの説明はメニューに書かれたそのままのことであるが、マリアンやマリクたちと同じく言葉で《物語》を与えているという点では似たような側面を持っている。
マリクに止められたので話の腰が折れてしまっていた。改めてフォークを入れると、スッと通る。断面も綺麗な層をなしていて、天然のラピスラズリと遜色ない。本体は重ねて使われているホワイトチョコレートの甘さ、さざれ石に見立てた小粒の方はアクセントになる酸味がある。
「うん、味もいいわ」
「世辞を言うような器でないな。それをもって毒見に代えよう」
マリアンが食べるのを待ってからマリクも手を付けだした。本当に毒見をさせるならマリクのカレーを食べさせなければなるまいが、本気でそう思っているのでなく、普段からの習慣として他人が先に食べ始めないと落ち着かないのだろう。
カレーの方もお眼鏡に叶い、「余のピンクダイヤを模した料理を出す名誉を与えよう」などと彼なりの褒め言葉と思われるコメントを付けていた。上品に口元を紙ナプキンで拭う。
しかしスタッフや店長に直接命じることはしなかったのは、彼なりの現実世界との線引きなのだろう――そう思えた。
【東山区東小物座町】
地下をくぐって駅から地上に出る。道がY字になっていて別れていたが、人の流れは片方の道に偏っていた。それに倣って行くと、道の向こう側に目的のモノが見えてくる。
「ああ、あれじゃない? 階段と線路が一緒になっているよ」
「……ここか」
インクライン――斜面にレールを敷き、動力で台車を走らせて船舶や荷物などを運ぶ装置。三十メートルもある高低差のある水路同士を行き来するために、人間たちが築き上げた知恵。
かつて都だった地だが、時代の変化という大波と戦に巻きこまれて人も物も権威も失った。それを再興するため、(王ではないが)知事や技術者、労働者たちが尽くした結晶だ。
今は役割を終えておりレール周りは水で満たされてはない。
遊歩道の真ん中に立っても、他に観光客も多く歩いているので不審がられることもない。かつては大きな荷を動かすための機構だったから道は十分広くてみんな迷惑がる様子もなく自然に避けてくれる。
「確かにあんたは砂漠の王様だけど、あたしたちって本当の本当に息をしているわけでも政治しているわけでもない。それでも、真剣なのね」
ここに来るまでだって、描写の外では地下鉄に乗っていたはずだし幹線道路に沿って歩いたりもしていた。だがそれらはこの《物語》として描写する必要がないから書かれていない。それと同じようにマリクだって有能な王様という設定はあるし、人を顎で使う性格、それでいて無闇に反感を買う行為を回避する慎重さ、そして統治に活かせることを求め続ける勤勉さも与えられ、描かれる。
だが――本当に生きた人間たちの国を治めているわけでない。紙の上、空想のお話。どれだけ熱心に吸収しようと、描写されなければただの無駄な鍛錬にしかならない。自分たちはあくまで《闇》と戦うための作り物の戦士だという自覚は、強い弱いの差はあれどもみな持っている。
「感情は容易に御せぬもの。そして理解されようとも思わぬ。まして駒として在ろうとする者には尚更な」
諦めたのか満足したのか、マスクで半分覆われた顔から読み取ることは困難だった。またマリアンより先へ先へ歩こうとする。どこへ行くかなどマリアンに任せきりに見えて、実際のところ予め頭に入れてあるのだ。
「いくぞ、兵隊」
「もうっ! そうやって呼ぶのやめてよね?」
「かつて貴様が自分で言っただろう。『森の兵隊だ、皐月の女王じゃない』と」
確かに言った、まだ初対面かそれくらいの頃に言った。もう覚えている者なんてほとんどいないと思っていた。
傲慢で、でもそれに見合った有能さというマリクの設定は、小さな欠片も見落とさない記憶力にも繋げられている。
「忘れたのか? なら――」
「いい、もういい、もういってば」
「『あたしを雇ってみないか』と売りこんだのも忘れたと」
「覚えているわよ!」
覚えられているのが気恥ずかしい。優秀な戦術眼のある人物の下で働くのはマリアンにとって心地よいことなので、気に入った相手へ称賛の意味をこめてそういうことを言っていたのだ。ある強い《キャスト》がいたとして、その《キャスト》と《神筆使い》のどちらが優秀なのかはまた個別の話になるとか、この称賛を言ってしまうと次の模擬戦でロビンが異様に気合が入って大活躍しすぎるか逆にその気合が空回りするかでクレームが入るとか、そういう事情もあってだいぶ前からもう言わなくなった。
「この旅はお前を使ういい機会だと思ったから、そうするよう下僕に示しておいたのだが」
マリクは自分以外の誰もを下僕呼びする。それは自分たちの《神筆使い》も例外でなく。
【左京区岡崎法勝寺町】
ただいまの天候は快晴。首の高いキリンなる黄色い草食動物と目が合う、ニ階建ての遊歩道に並んでいた。すぐ下では子供用の遊具で遊ぶ声がしている。のどかだ。ちょっと獣臭いのも、この現実世界はニオイが全体的にしなさすぎるのでむしろちょうどいい。寝そべっているキリンがモーと鳴いた。平和だ。
そして手すりに寄りかかり退屈を極めた王は暴君モードに入っていた。
「余は象もキリンも飽きている」
「怒らないでよー、マスターが行程経過に入れてくれていたんだよ」
マリアンは鹿やいのししといった森に住まう動物は見慣れているし食べ慣れてもいるが、開けた草原に住まう種類の生き物は物珍しくてそれなりに楽しんでいる。黄色く独特の模様がある皮は珍しがられるだろうがエルフたちが使うには派手すぎるかな、などと考えながらスマホを操作。
(キリン、鍋、検索っと……)
こちら現実世界にぼたん鍋なるいのしし料理がある、という知識はマスターとの知識共有でインプットされている。ならば今そこでまったりと過ごしている草食動物だって、どこか食用で扱っているとマリアンが考えるのはそこまで突飛な話ではない。彼女にとって獣は狩って、食べて、毛皮や角や脂まで使えるところは使い切るのが当たり前なのだ。鑑賞して終わりではない。
「王様ー、麒麟園とかあるってー」
検索画面を見せてアピール。王様のお眼鏡に叶えば行ってみたいところに寄り道も許されるはずだ。食事処だし余分な支出もきっと許される。
カフェでの出来事もあってか、不利な情報がないかしっかり確認されている。しばしの間があったあと、マリクによる裁定が下された。
「激辛料理でいいのか」
「マジで」
キリン(giraffe)と麒麟(qilin)は別。日本語を扱うマスターの下にいるから日本語を扱うが、かぐややツクヨミが発する外来語がたどたどしいのと同じよう、マリアンもほんのりと言葉の扱いと思考に枷がかけられていた。
誰かのせいにしたいが自分のせい、しいていえばそういう描きかたをしている《神筆使い》せいに責任転嫁してやるか。顔が熱くなりながらもスマホを片付けてなかったことにする。
「ならもう一回だけ余に提案するチャンスを与えてやる。そこが終わったら帰るぞ。つまらん物を出してきたらそれまでだ」
マリク自身もどこか場所を変えたい暴君モードだから改めて提案させているのか、『もう一回』を設けることでマリアンのしょうもないミスを『前の一回』にしてしまうことで水に流す機会をわざわざ提供してくれているのか。そのどちらであってもこの命令に飛びつかない理由はなかった。
動物園の中でも外でもいい、どうせならマリアン自身も行ってみたくて、この娯楽に飢えている王様を満足させられる何か。
「じゃあここは?」
ある生き物の展示エリアを指差す。歩いて数分だから失敗してもリスクは少ないというのも良い。
*
「……なかなか可愛いじゃない」
「……これは見たことがないな」
幼い子供ほどの黒い生き物が大きなプールを泳いでいた。一時的なご褒美でなく、いつもこの大きな水たまりで生活しているのが使い込まれ具合がよく語っている。汚れ、傷みとも言い換えられるが、そこでずっと暮らす証拠だ。
どちらもマスターと知識の共有はされているから、それがペンギンという鳥の一種で、海を越えた先で集団で暮らして、もっと先の果てでは氷で閉ざされた極寒の地でもっとでっかい同類もいると知っている。ただマリクの《物語》の砂漠世界にも、マリアンの《物語》の森にも、《図書館》にもペンギンがいなかったので、興味が掻き立てられてしまう。
なかなか長い時間見入ってしまってから、顔を見合わせてマリクが一言。
「あれを一羽買ってこい、下僕」
「……知識共有システムに改善の余地ありってマメールに報告しなきゃねえ」
「冗談だ」
この〝どうぶつえん〟という施設では動物の販売はしていない。キリン鍋を検索したマリアンの言えた立場ではないが、常識の共有はもう少し精度を上げてもらわないと、こんなしょうもないコントになるのは当人にしたらたまらない。
やれやれと肩をすくめて「王様のキャラじゃジョークか分かりにくいのよ」とせめてツッコミ役に回るのが精一杯であった。
【中京区恵比須町】
盤上にて相対するは自陣敵陣それぞれの白い駒たち。駒の背中には赤もしくは青のしるし。自軍の赤いしるしの駒をわざと相手にすべて取らせるか、敵軍の青いしるしの駒をすべて奪ったら勝ち。
マリクが駒を動かし、一体取る。それはマリアン側で最後の一体になった青いしるしの駒。
「あーもーっ負けたっ」
「余に軍略で勝とうなど思わないことだな」
負けず嫌いともまた違う、容赦のないマリクにギリギリのところで毎度連戦連敗だ。魔神を使ったズルなしでこの結果だ。
今は旅の終着点として指定された店で遊びながら時間を潰していた。この店の外は常に歩行者でいっぱいで、いい感じに人混みに紛れて消えることで《図書館》へ帰還する手筈になっている。
ボードゲームでいっぱいのお店で、次から次へと箱を取っ換え引っ換え遊ばせてもらっていた。どのゲームも何かしらの物語があって、そのたびマリクが開拓者になったけど盗賊に毎度襲われてキレてたり、マリアンが気に入らない人物を選挙候補から引きずり落としたりしている。
ふと、今度は宝石商になっているマリアンが手を止めた。
「……なんかさ、マスターとあたしたちの関係みたいね」
ゲーム盤にいる商人の駒は全力で生きて、お金を稼いで交易しているが、実のところマリアンたちの遊戯だ。
マリアンは『ロビン・フッド』の世界で、マリクは『千夜一夜物語』の世界でそれぞれ全力で生きて今もここに在るが、実のところ物語を作った創聖や《神筆使い》の掌の上、紙の上だ。
「だからなんだ? 自分は傀儡だからこれからは手を抜くとでも?」
「あんたはそういうタイプだったわ」
何を学び取ろうが描写されなければなかったことになるのに、遥々〝視察〟のため一日がかりの旅を希望した。ご指名されて振り回されたマリアンだったが、これはこれでなかなか刺激的な一日と満足している。たぶん恋人のロビンがこの外出を知ったら、嫉妬に荒れ狂いながら十キル決めることだろう。でもそれは余談であって、このお話で描写はされない。
「此度の行程だって元は下僕が描いたもの。欲望のない〝民〟《モブ》、豊かな物資、生死のやりとりもない他愛もない世界への旅物語……これを余が自分の世界へ持ち帰るまでが物語だ」
「それ王様違いの、『華胥の夢』でしょう? 図書館にあったわ」
「フッ……では、余と兵隊はそろそろ夢から目覚めるとするか。ゆくぞ」
「貴様も、このページを閉じて電源を落とすことだな。何を持ち帰るのかは貴様の心次第だ」