草むらから出ていた奇妙な少女を見て、一瞬呆けてしまった。
「……お前、誰だ?」
思わず疑問が口に出る。しかし少女はどこ吹く風だった。
「あんた、怪我してる。体も冷えてて、良くないよ。怪我、看てあげる」
少女はそう言うと、木や地面を殴って血まみれになっていた俺の手の治療を勝手に始めた。
疲れて体を動かすのも億劫になっていた俺は、されるがままになっていた。
少女は水で俺の手を洗うと、持っていたハンカチで器用に傷口を巻いて見せた。
「私、ルーナ・ラブグッド」
「……あ?」
傷の手当てをしたかと思うと、唐突に名乗った。少しして、俺の問いかけに返事をしたのだと分かった。
「あんたは、ジン・エトウだ。知ってるよ。……ここ、セストラルがたくさんいるから火を焚きたくないなァ。動ける? さっきまであれだけ動いてたから、大丈夫だと思うけど」
「……お前、本当に何なんだよ」
ルーナ・ラブグッドと名乗った少女は俺が暴れまわっていたのを見ていたようだ。その上で俺の手当てをしてくれるようだった。訳が分からなくて拒否しようと体を動かそうとしたが、体が本当に冷えていたのだろう。かじかんで上手く動けず、のろのろと手をあげる事しかできなかった。
ラブグッドはそんな俺をまじまじと見ると、俺を動かすことを諦めたようだ。
「ちょっと待ってて」
そう言うと、持っていた袋からいくつか生肉を取り出す。それを持って何かを誘導するように歩いて行った。
そして遠くの方に生肉を袋ごと置くと、俺の方に引き返してきた。
「お待たせ。でも、あの子たちは火を怖がっちゃうから。うン、これなら多分大丈夫」
ラブグッドが何をしているのか、さっぱりだった。俺には見えない何かを操っているように見えた。俺はここまで奇妙な行動を見せられたお陰で、怒りも忘れて呆然としていた。
ラブグッドは俺の様子なんて気にした様子はなく、どこか夢見がちな表情のまま木の枝をいくつか持ってくると、それを組み立て、魔法で火をつけた。
傍で火を焚かれ、体が体温を取り戻していく。少しして、俺はゆっくりと体を動かせるようになった。体を起こして座り直し、ラブグッドの方に体を向ける。
ラブグッドは、遠くの方に置いてきた袋をぼんやりと眺めていた。
「……お前、ここで何してるんだ?」
傷の手当てをして焚火で体を温めてくれた。ラブグッドの態度から、それらの行動に悪意や打算がないのは確実であった。しかし、何を考えているのかは本当に分からなかった。
ラブグッドは夢見がちな表情で俺の方を見ると、返事をした。
「セストラルに会いに来たの」
「……セストラル?」
「うん。セストラル」
そう言うと、また目線を袋の方へ戻した。俺もそちらの方を見ると、そこには不思議な光景が広がっていた。
誰もいない場所でゴソゴソと袋が漁られており、中から取り上げられた生肉が齧られるようにして消えていった。見えない何かがそこにいるのだ。
「……あそこに、セストラルがいるのか?」
「うん、沢山。あんたは見えないんだね。大丈夫。大人しくていい子達だよ」
セストラルが何なのかは分からなかったが、生肉が透明な何かに齧られて消えていく様子は、奇妙な光景だった。。
ラブグッドにセストラル。どちらも意味が分からない上にだいぶ奇妙な存在だったが、悪い奴らではなさそうだった。俺はいつの間にか肩の力を抜いていた。
思い返せば、息苦しさを感じずに人と話すのは久しぶりだった。それだけ他のインパクトが強すぎる存在だったのだ。
ラブグッドはぼんやりとした口調で話を始めた。
「あんた、随分と苦しそうだね。あれだけ暴れたのに、まだスッキリしてないんだ。それに、凄く寂しそう」
ラブグッドは唐突に俺の急所を抉ってきた。あまりに唐突すぎて怒りを覚えなかったほどだ。俺は自然体で返事をすることができた。
「……知ってるだろ? 俺は、どこ行っても後ろ指さされる。周りは敵だらけ。……どうやったって、スッキリするわけないだろ」
「あァ、あんた、嫌々で代表選手をやってるもんね」
本当に奇妙な奴だった。思わずまじまじとラブグッドの事を見つめる。
着ているローブからレイブンクローの生徒であることは分かった。思わず目につくコルクのネックレスもそうだが、夢見心地でボンヤリとした表情がいかにも変人という雰囲気を醸し出していた。
「……俺が嫌々で代表選手をやってるって、よくそう思ったな。普通はそんなこと思わないだろ?」
「そうかな? あんたの顔を見たら誰だってそう思うよ。みんな、分かってるけど言わないだけだよ」
ラブグッドは、俺が誰かに信じて欲しかったことをあっさりと信じてみせた。そしてそれを、誰もが知っているような当たり前の事実として扱っていた。
気が付けば俺の中にラブグッドへの警戒心はなくなっており、口が軽くなっていた。
「……だとしたら、俺の親友達は俺の顔を見たことがないのかもな。俺が優勝目指してるって、本気で信じてるぞ。……俺が次の試合に出たくないなんて、思ってもいないだろうしな」
「そうなの? それは変だね。あんた、最初の試合で死にかけたのにね」
気持ちのいいくらいの正論が返ってきた。思わず笑ってしまう。笑いながら、自分の中のため込んでいた感情を吐き出した。
「そうだな、変だよな。誰も、俺が死ぬなんて思いもしてないんだ。あれだけ死にかけたのに、誰も疑っちゃいない。俺の親友は誰も、俺が死ぬなんて、思っちゃいないんだ……」
笑ながら言っていて、寂しさが湧いてきた。
そんな俺の言葉を聞いてか、ラブグッドは心なしか優しい口調になっていた。
「でも、あんたの友達はみんな、あんたのことが好きみたいだよ。私、パンジー・パーキンソンは嫌いだけど、彼女があんたにとってはいい人だってことは知ってるもン。他にもあんたのことが好きな人は沢山いるみたいだ。それなのに、あんたは寂しそうにするんだね」
変人という雰囲気とは裏腹に、ラブグッドが話していることはどれも的を射た事実だった。それが一段とラブグッドを奇妙な人間に仕立てていた。
俺が黙ってしまっても、ラブグッドはお構いなしに話し始めた。
「あんた、ずっと寂しそうだ。友達があんたを庇う時、あんたは傷ついたって顔するよね。不思議だなって思ってたけど、今日、あんたを見て分かった気がする」
「……何が、分かったんだ?」
「あんたって、あんまり人を信じないんだね。友達の事すら、信じきれてないんだ」
今までで一番心を抉ってきたセリフであった。しかし何故だか否定をせずにその理由を聞きたくなった。
「随分な言葉だな。なんで、そう思う?」
「だって、あんたは自分が思ってることを友達に言う気はないんだもン。正直に話せないのって、相手を信じきれてないからでしょ? だから、あんたはいつも寂しそう。自分の事を話さないのに、自分の事を分かってもらえてないって思ってるから」
俺は否定ができなかった。その通りだ、とすら思ってしまった。
誰も俺が死ぬなんて思っていない、と俺は言った。それはそうだろう。だって俺は一度も、親友達に死ぬかもしれないなんて話してこなかったのだから。
一度だけ、俺が死ぬかもしれないと心配してくれた親友がいた。
ダフネは、俺が死ぬかもしれないと泣いてくれていた。
そんなダフネに俺は嘘を吐いた。死なないから安心して見ていてくれと。
俺は分かってもらえないことを苦しんでいた。親友達の優しさに勝手に傷ついていた。
一度も本当の事を親友達に話したことがないくせに、だ。
ラブグッドの言い分は直球で俺への気遣いなどなかった。ただ俺の問いかけに事実を返しただけだった。それが逆に、今の俺にとって受け入れやすいものとなっていた。
俺はいつの間にか随分と冷静さを取り戻していた。
そして俺が味わっている苦しみを無くすために必要なことは、金の卵の謎を解く事でも、人込みを避ける事でも、対抗試合を乗り越える事でもないのを悟った。
必要なのは、親友達と正面から向き合うことだ。
ドラコ達に言うのだ。本当は対抗試合に出るのが怖いことを。命が狙われているだろうことを。そして、優勝なんてどうでもよくて、ただ俺が生き抜くことを望んで欲しいと。
俺は親友達の期待を受けて本音を隠し、しかし本音を言わないのに自分の気持ちを分かって欲しいと期待をしていた。随分と無茶なことを、願っていたものだ。
俺が本当に親友達に分かって欲しいと望むなら、俺は包み隠さずに本音を話すべきだった。親友達なら受け入れてくれると、親友達を信じて話すべきだった。
たとえそれが親友達の期待にそぐわなくても、不安にさせるような事であっても、親友達なら受け入れてくれると信じて話すべきだった。たとえ期待を裏切っても俺を一人になんてしないと、親友達を信じるべきだった。
ラブグッドの言葉を受けて、退院してから今までで頭の中が晴れてスッキリとした気持ちになった。自分が何をするべきか、ハッキリと分かったのだ。
しかし、それを初対面のラブグッドに言われて気づくことになったのはおかしな話だと思ってしまった。
「まるで、見てきたかのような言い草だな」
少しからかう様に言う俺に、ラブグッドは変わらぬ口調で話を続けた。
「見てきたよ。あんた、凄い目立つもん。それに、あんたの友達も。……友達があんたが死ぬなんて思ってないって言ってたけど、多分それは勘違いだよ。あんたが死ぬかもって言えないだけ。だって、友達までそんなこと言ったら、あんたを守る人がいなくなっちゃうもン。あんたの友達だけだよ? あんたが優勝するって言い続けてるの」
ラブグッドの夢見心地で、でも少し優し気な口調。それはすんなりと俺の中に入ってきた。
俺は、ドラコとモンタギューの言い争いをしていたところを思い出した。スリザリンですら俺の優勝はないと批判する中で、ドラコは一歩も怯まずに反論をしていた。俺への批判を許さなかった。
そんなドラコに、なにも言わず俺が死ぬかもしれないと分かってくれなどと、よく思えたものだ。
俺は、ラブグッドにわずかの反抗心すら抱かなくなっていた。ただただ、俺を息苦しさから救ってくれた感謝だけがあった。
「……ありがとうな、ラブグッド。お前の話のお陰で、凄いスッキリした。本当に、ありがとう」
ラブグッドはキョトンとした顔で俺の方を向いた。
「そう? 私、結構失礼なこと言ったと思ってたけどな」
「自覚あったんだ……。お前、ほんと凄いな」
最初から最後まで、俺はラブグッドに振り回されていた。俺は目の前の奇妙な少女の事を永遠に理解できないだろう。
でも、彼女は確かに俺の恩人で、俺を救ってくれた。気のふれた俺を正気に戻してくれたのだ。
焚火は随分と小さくなっていたが、体も温まり、俺にはもう必要はなかった。
ラブグッドはセストラルがいるであろう方を向いていた。まだセストラルを眺めていたいようだった。
「ラブグッドは、なんでセストラルを見に来たんだ?」
少し興味が出て聞いてみた。ラブグッドはセストラルの方を見ながら、返事をくれた。
「寂しかったから」
思ったより悲惨な理由が淡々とした口調で返ってきた。少しぎょっとした。
「寂しくなるとね、セストラルに会いたくなるんだ。あの子達、人の気持ちが分かるんだよ。だから誰かが寂しがってると近くに来て慰めてくれるの」
「……何か、あったのか?」
本人に自覚はなくとも、俺にとっては恩人である。何か力になりたいと、純粋にそう思った。
ラブグッドはセストラルの方を向いたまま、変わらず淡々と教えてくれた。
「うん。この間ね、友達だと思ってた子に頭がおかしいって言われたんだ。ルーニー、変な子って。多分、その子は面白がって言ったんだ。気になる男の子をクリスマス・パーティーに誘いたくて、何か気を惹こうって思ったんだと思う。でも、傷ついちゃった」
返事に困った。
俺もラブグッドを変な奴だとは思っている。しかし俺はその変な部分に救われたのだ。ラブグッドの変なところを、悪い部分だとは思ってはいなかった。
だが、ラブグッドは変だと友達に言われ傷ついているのだと言う。
「あんたも私が変だって思ってるよね。顔を見たらわかるよ。みんなそう言うから、慣れっこだよ」
ラブグッドはそう俺の顔を見ずに淡々と言った。声から感情は読めなかったが、なんとなく寂しそうにしているのだと思った。
「……まあ、変な奴だとは思ってるよ。今日の俺を見て、手当てをした上に話までしようなんて、まともな奴のすることじゃないだろ」
俺は、少し言葉を選びながら話をした。ラブグッドには嘘が通じない。それは今までの会話でなんとなく察していた。
「でもお前のその変なところに、俺は今日、助けられたんだ。……お前がいなきゃ、俺は今もずっと苦しんでたはずだよ」
自分の思っていることを正直に話した。親友達と向き合う予行練習のつもりで。
ラブグッドはセストラルの方から俺の方に顔を向けた。
「お前の事、変な奴だとは思う。でも、今日お前が俺に言ったことは何も間違ってなかった。言ってたこと、全部正しい。だから変な奴だとは思うが、頭がおかしいなんて微塵も思わん。それにお前はいい奴だ。それが分からない奴は、だいぶ馬鹿な奴だよ」
ラブグッドはしばらく俺の方を見ていた。それから、ポツリと呟いた。
「あんた、私をいい奴って言うんだね。そんなこと言われたの、初めてだ」
「そうか。なら、お前の周りは馬鹿ばっか。賢きレイブンクローが聞いて呆れるな」
そう返すと、ラブグッドは初めて笑った。少し嬉しそうだった。
「……あんた、優しいね。あんたの友達があんたを守ってた理由、分かったよ」
「そうかい。俺は、そこまで優しいつもりはないがな」
ラブグッドに返事をしながら、近くの薪を魔法で乾かして焚火に加える。火はまた少し大きさを取り戻した。これで暫くは暖を取りながらセストラルを眺められるだろう。
それを見て、ラブグッドはまた少し笑った。
「……セストラルって、どういう生き物なんだ?」
目の前の少女の事を理解することは諦めていたが、もう一つに奇妙な生き物についても少しばかり興味が湧いていた。
ラブグッドはセストラルを眺めながら説明をしてくれた。
「骨ばった馬に翼が生えたような姿だよ。空も飛べるし、馬車だって引ける。賢くて、優しいんだ」
「そうか。なんで、俺には見えないんだろうな……」
「セストラルは、死を見たことがある人だけ見れるようになるんだ。私はお母さんが死ぬのを見たことあるから」
ラブグッドは度々、淡々とした口調で悲惨なことを言う。俺はまた返事に困った。
「……無神経だった、すまない」
「いいよ、気にしてない。もう、昔の事だから。それに、お父さんがいるから寂しくない」
「……いいお父さんなんだな」
「うん、とっても好き。ゲルヌンブリの魔法や、しわしわ角スノーカックの研究をしてるの」
ゲルヌンブリやスノーカックとやらが何なのかは分からなかったが、何か魔法生物なのだろう。それも、セストラルに負けないくらい不思議な魔法生物だとなんとなく分かった。
「私、夏休みになればいつもしわしわ角スノーカックを探しにお父さんと旅行に行くんだ。でも、まだ見つからないの。いつか世界中を旅したいんだ。しわしわ角スノーカックを見つけに」
ラブグッドは不思議な魔法生物や父親の話をする時は、少し楽しげだった。
俺はラブグッドが何を言っているかよく分からなかったが、なんとなく相槌を打つことにした。
「……好きな人と旅をするって、素敵なことだな。いつか、見つかるといいな」
「ありがとう」
ラブグッドは満足げにそう言うと立ち上がった。もうセストラルの方は見ていなかった。
ラブグッドはそのまま帰るそぶりを見せた。
「もう、セストラルはいいのか?」
「うん。もう大丈夫だよ」
ラブグッドの返事を聞いて、俺も金の卵を持って立ち上がった。魔法で体に付いた血を洗い流し、ごみを片付ける。俺も寮に帰るつもりだった。
俺は焚火の後始末をし、ラブグッドが向こうに置いた袋を回収するのを待って、一緒にホグワーツへ帰ることにした。
帰り道でもラブグッドから話しかけられた。
「私、色んな人に変だってからかわれる。でも、変だってことを褒められたのは初めてだなぁ」
「俺も、変だって言いながら人を褒めたのは初めてだ。……案外、お前に変だっていう奴は褒めたつもりになってるのかもな」
「そうかな? パンジー・パーキンソンは私の事、よく頭がおかしいって言うけど、あれは褒めてる?」
「……ごめん。あいつ馬鹿なんだ。馬鹿だから、お前がいい奴だって分かんないんだ」
「そっか。なら、しょうがないね」
ラブグッドは楽し気に会話をしてくれた。
俺も気さくな会話は本当に久しぶりだった。久しぶりにする気さくな会話に、長らく人との話し方を忘れていたような気分になった。
ホグワーツに着けば、お互いの寮に向かうためにすぐに分かれることになった。
俺は別れ際、ラブグッドに手を差し出した。手にはラブグッドのハンカチが巻かれたままだった。
「今日はありがとうな、ラブグッド。いつか、お礼をさせてくれ。このハンカチも、駄目にしちゃったしな」
ラブグッドは、俺の手をまじまじと見てから握り返した、握手はあまりしたことがない様だった。
「ルーナでいいよ。それと、気にしないで。セストラルを見に来ただけだったし、ハンカチなんて大したことないから」
「なら、俺の事はジンって呼んでくれ。お礼はいつかする。必ずだ。その時、このハンカチも返すよ」
「うーん……。分かった。じゃあ、楽しみにしてるよ」
そう言いながら握手を交わす。ルーナは嬉しそうに笑った。
ルーナと別れてから、俺はすぐに寮に戻った。談話室では俺を非難するような視線は変わらずあったが、不思議と全く気にならなかった。それよりも、親友達と話したくてたまらなかった。
自室に戻るとドラコがいた。ドラコは少し早い俺の帰りに驚いたようだった。
「どうしたんだい、ジン。今日は随分と早いな。……休憩したいのなら、何か飲み物でも持ってこようか?」
ドラコはそう俺に気を遣った。
俺はそれに答えず、金の卵をベッドの放り投げると、ドラコの方に向き直った。
ドラコはいつもと様子が違う俺に、少し緊張しているようだった。
「ごめん、ドラコ。俺、お前に嘘を吐いてた」
「急にどうしたんだい? それに嘘って……何があったんだい?」
俺の急な話の切り出しに、ドラコは随分と混乱しているようだった。
そんなドラコに椅子を勧めて座らせる。俺も向かいに座ると、改まって話をした。
俺の本心を、包み隠さずに。
「お前に向かって、優勝するだとか、心配するなだとか、そんなことを言ったと思う。それは俺の本心じゃない。……対抗試合になんて、出たくなかった。死ぬかもしれないって、怖がってる。逃げられるなら今すぐ逃げたい」
ドラコは俺の言葉に固まってしまった。それでも俺はドラコが受け入れてくれることを信じて話を続けた。
「俺の名前を入れたのが、誰なのか分からない。そいつはポッターの名前を入れた奴と同一人物で、俺とポッターの死を望んでる奴だって、本気で思ってる。……だから俺は、対抗試合に出ることは命を狙われていることだって思ってる」
ドラコは何も言わず、じっと俺の話を聞いてくれていた。
「お前達に分かって欲しいんだ。俺の命が狙われているってこと。少なくとも、俺がそう思ってること。……俺、優勝に興味ない。ただ、生きていたい。試合が終わった後も生きていたいんだ。……それ以外何も望んでないってこと、お前達にだけは分かって欲しかった」
俺は言いたいことをまくしたてた。言い切った後に、ドラコが受け入れてくれなかったら、と心配する気持ちも生まれた。
しかし、もう言わずにいるのは堪えられなかった。冗談でなく気がふれたのだ。ルーナがいなかったら、俺はどうなってたか分からないのだ。
不安はあったが後悔はなかった。そんな気持ちで全てを聞き終えたドラコの顔をじっと見つめた。
話が終わってからも、ドラコは固まってそのまま動かなかった。
しばらくしてからやっと、固まった表情のまま、口を開いた。
「……どうして、今まで言ってくれなかったんだい? 君が命を狙われているとか、死ぬかもしれないとか。そんな大事なこと」
「それは……言っても信じてもらえないって、思ってた。言ったら、臆病だとか、頭がおかしいとか、そんなことを思われるって。そしたら、お前らが俺から離れていくって思った。……一人に、なりたくなかったんだ」
俺は、いつになく正直だった。ドラコに対しても、そして自分自身にも。
俺は弱音を吐いてドラコ達に失望されたくなかった。俺を守ってくれている親友達の期待を裏切りたくなかった。そんなことをしてしまえば、ドラコ達から見放され、一人になってしまうと思っていたから。
ドラコは俺のその言葉を聞いて、初めてショックを受けた様な表情になった。
「なあ、ジン。君、それ、本気で言ってるのか?」
俺が返事に窮すると、ドラコの表情に怒りが混じった。
「……君が代表選手に選ばれた時、僕が最初に言ったこと覚えてるかい?」
ドラコの質問の意図が分からず、首を傾げた。
「……おめでとう、君は歴史に名を遺す、だったか?」
「違う。君が自分で立候補したわけではないって、僕は分かってるって言ったんだ!」
そう言えば、と俺は思い出した。代表選手に選ばれた直後、この部屋で、ドラコは俺に最初にそう言った。その後に祝福の言葉をかけられて吹き飛んでしまったが、ドラコ達は俺が立候補したわけではないと理解してくれていた。
ドラコはそんな俺に少し怒りを混ぜて、嫌味っぽく話を続けた。
「なあ、ジン。僕はね、君が試合に出たくないなんて、そんなの分かりきってるよ。僕だけじゃない。他の奴らだってそうさ。そんなの、今更な話じゃないか。でも、だからと言って君が臆病だとか、卑怯だとか、能無しだなんて、かけらも思ってなかった。だから、君をそんな風に罵倒する連中が、心底気に食わなかったんだ! そうだろう? 君が今までどんなことをしてきたかなんて、今更語るまでもないじゃないか!」
俺はドラコに言われるがまま、黙ってその言葉を受け入れていた。ドラコはどんどんヒートアップしていた。
「僕達だけが、君を分かっていた。君が凄い奴だって。君が、罵倒をされるいわれなんてどこにもないって。僕達は君を信じていたんだ! ……なのに君は、僕達を信じてなかったって、そう言うんだね?」
「……ごめん、ドラコ。本当に、ごめん」
俺の口からは思わず謝罪が出た。それも、本心からの謝罪だ。
ドラコは怒っていた。俺がドラコ達を信じていなかったということに。
ドラコは、ドラコ達は、俺が思っている以上に俺の事を分かってくれていた。俺がただ、そのことを分かっていなかったのだ。
ドラコは俺の謝罪を受けてもなお、肩を怒らせていた。しかし、しばらくしたら落ち着いて、今度は少し落ち込んだように話を始めた。
「……いや、分かってるよ。君が僕達に、命を狙われているかもって、言えなかったことくらい。……舞い上がっていたからね、僕達は。君が代表選手に選ばれて。そうさ、嬉しいことだと思ったさ。だって、代表選手だぞ? 喜ばない奴なんて、いるものか」
ドラコはそう不貞腐れたようにブツブツと言った。ドラコは俺に怒りをぶつけた後、直ぐに冷静さを取り戻していた。
「……その時から、君は誰かに命を狙われているって思ってたんだろ? ……ああ、やっと分かったよ。君の浮かない顔の理由。目立つだとか、面倒ごとに巻き込まれたってだけじゃなかったんだな。……通りで、君はどれだけ励まそうが浮かない顔をするわけだ。さぞかし嫌だったろうね、試合に出ることを勧める僕達は。君からすれば、笑いながら処刑台に送るようなものだったんだから。それじゃ、あれかい? 君は自分が死ぬかもしれないって心配して欲しかったのかい? ……普通の試合でさえ死の危険があるって、そんなの僕だって重々承知だったさ。でも、君なら切り抜けられるって本気で思ってた。だってそうだろ? 僕らが信じなきゃ、誰が信じるって言うんだ。……そんな僕が、君が死ぬかもしれないなんて、言うわけないだろ」
ドラコは冷静さを取り戻しながらも、嫌味な口調は抜けなかった。
俺はただただ、ドラコの言葉を受けて肩身を狭くするだけだった。ルーナの言う通り、ドラコ達は俺が死ぬかもしれないと思っていなかったわけではない。言えなかったのだ。俺のためを思って、言えなかったのだ。
俺は勘違いをしていた。ドラコ達が俺を死ぬわけがないと思っていると。優勝を期待していると。俺の事を分かっていないと。そんなことはなかった。
ただドラコ達は俺を信じて、いわれなき中傷から守ろうとしただけだった。ドラコ達は俺を信じていた。俺がドラコ達を信じていなかった。そう言うことだ。
ドラコはひたすらに肩身を狭くする俺を見て、少し怒りの溜飲を下げたようだ。
呆れたようにため息をつきながら、俺に話しかけた。
「……僕らも、まあ、露骨すぎた。君が少しばかり自分に自信を持って、代表選手として胸を張らせたかっただけなんだ。君がふさわしいって、僕らは思ってたから」
ドラコの言葉には少しばかりの申し訳なさがあった。俺を追い詰めた、とも思ってくれているようだった。
「……でもさ、君が優勝しなかったからといって、その、僕らと君の関係には、何も関係ないじゃないか。……二年生の時、そう、君が秘密の部屋の騒動を終わらせた時、僕は言ったじゃないか。……その、僕がやりたいことは、君と大人になってもいい関係を築いていたいって。……今でもそう思ってる」
ドラコはそっぽを向きながらぶっきらぼうにそう言った。よく見ると、ドラコの耳が赤かった。
俺は嬉しくなった。
ドラコが、俺の言ったことを受け入れてくれたこと。そして、俺の本心を知ってもなお、親友として一緒にいてくれると言ってくれることに。
ドラコが言ってくれたことを噛みしめていた。嬉しくて、泣きそうだった。
ドラコは段々と自分の言葉に恥ずかしくなってきたのだろう。顔を赤らめたまま立ち上がると、少し荒い口調で俺に言った。
「僕、他の奴らも呼んでくる。どうせ、誰にもこのことを言ってないんだろ? 言ってたら、パンジーはもっと騒ぐし、ブレーズはもっと真剣だし、ダフネは君を一人にしないだろうね。……いいか、呼んでくるから、逃げるなよ。あと、謝れ。他の奴らに、心の底から。……全く、僕に何を言わせるんだか」
そう言って部屋を出ようとした。
ズカズカとドアの方へと進んでいく。
「……なあ、ドラコ」
そんなドラコに声をかけて引き留めた。
「何だい? まだ、何か言いたいことでも?」
ドラコは少し呆れた顔で俺の方を見た。
俺は、心を込めて言った。
「ありがとう。俺、お前と友達でよかった。お前と親友で、本当に良かった」
ドラコは、一瞬だけ呆けた表情になった。それからどんどん顔を赤らめさせ、俺に怒鳴り返した。
「誤魔化されないからな! 後で、本気で謝ってもらうからな!」
そう叫ぶと、ドアを荒々しく閉めて出ていった。
俺は声を上げて笑った。笑いながら、少し泣いた。人は嬉しくても泣けるのだと、初めて知った。
息苦しさを感じなくなっていた。出て行ったばかりのドラコが帰ってくるのが待ち遠しかった。久しぶりに、心から親友達に会いたいと思えた。