セワシの家に戻ってきたのび太たちは、ようやくひと息ついたものの、部屋にはすぐに重苦しい空気がただよい始めた。
「で、これからどうすんだよ?」
ジャイアンが真剣な顔で問いかける。
「さすがに現代に戻るしかないんじゃ……」
スネ夫がそう言いかけたが、セワシがすぐに首を横に振った。
「ダメだよ。今タイムマシンを使ったら、監視に引っかかっちゃう。下手したら捕まるよ」
「じゃあ、どこでもドアは?」
のび太が期待をこめてドラえもんを振り返ると、ドラえもんも力なく首を振る。
「どこでもドアも……同じなんだ。時空間を移動すれば、すぐに追跡されてしまう」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ……」
ジャイアンとスネ夫は、窓際で頭を抱えた。
みんなでリビングの大きな窓から外を見下ろすと、夜の未来都市のあちこちで、パトカーの青白いライトが不気味にまたたいている。その光景に、のび太もごくりと唾を飲んだ。
「ねぇ、もしかして……わたしたちを探してるのかしら……」
しずかの不安そうな声が静かに部屋にひびいた。
そのとき、リビングの奥から、丸いフォルムの介護ロボットがそろそろと現れた。
「セワシさん、どこへ行っていたんですか? ひいおばあさまの容態が——とても危なかったんですよ」
「えっ……!」
セワシが思わず息をのむ。
「今は落ち着いていらっしゃいますが、いつ急変してもおかしくない状態です」
介護ロボットの声は淡々としていたが、その表情には心配そうな色が浮かんでいた。
「……せっかくだから、みんなでひいおばあさまに会ってもらったら?」
ドラミが小声でセワシにささやく。
「でも……ぼくたち、そんな時に押しかけちゃっていいのかな」
のび太が少ししりごみしていると、セワシがやさしく笑った。
「大丈夫。ひいおばあちゃんは、もともとにぎやかなのが大好きな人だったんだ。みんなの顔を見たら、きっと喜んでくれるよ」
こうしてのび太たちは、そっと足音をしのばせて、奥の静かな部屋へと向かった。
奥の部屋は、静かで温かい空気に包まれていた。
壁一面には、たくさんの写真が飾られている。色あせた古い写真から、セワシが子どもの頃の笑顔、最近の家族写真まで——どれも、みんなで過ごした大切な時間の証だ。
窓際には、なめらかな光沢のベッドがあり、その上には、きちんと身なりを整えられたおばあさんが、静かに横たわっていた。
指の先には、小さな数字が光る機械がそっとつけられている。「85」という数字が淡く点滅していた。
「これ……全部、家族の写真?」
しずかが、そっと壁の写真に目を向ける。
「うん。ひいおばあちゃんは写真が大好きでさ」
セワシがやさしくほほえんだ。
「昔から、みんなで写真を撮るのが楽しみだったんだ」
「この頃のセワシ、小さくて可愛いな!」
スネ夫が指さすと、ジャイアンも「セワシ、今と顔あんま変わんねーじゃん!」とニヤリ。
「……ぼく、この家に来たばかりのころ、ひいおばあさんにオムツの替え方を教わったことがあるんだ」
ドラえもんが、ふと思い出したようにつぶやいた。
「や、やめてよドラえもん! そんな恥ずかしい話、今はいいから!」
セワシが顔を赤くして抗議する。みんなが思わずクスッと笑いかけたその時、セワシはふとベッドで眠るひいおばあさんの方へ視線を向け、声のトーンを落とした。
「……でも、ひいおばあちゃん、すぐ体を壊して、施設で過ごすことが多かったんだ」
セワシの声が、少しだけさびしげにゆれる。
「だから実は、一緒に過ごせた時間はそんなに長くなかった。でも、血がつながった大事な家族だからさ。せめて最後だけは、この家でみんなで過ごしたいって思ったんだ」
そっと近づき、ベッドの側に立つセワシは、ひいおばあさんの手をそっとにぎる。
「……ほら、今日は特別なお客さんが来てくれたんだよ。ぼくの、ひいひいおじいちゃんだよ!」
のび太は不思議そうにセワシとひいおばあさんを見比べた。
「えーっと……セワシのひいおばあちゃんってことは、もしかして……ぼくの娘?」
その場にいたみんなが一瞬ぽかんとする。
「もう、のび太さん、それじゃ息子のノビスケくんがいなくなっちゃうじゃない!」
ドラミが、思わずあきれたようにツッコミを入れた。
「そっか……あれ? ぼく、よくわからないなぁ……」
のび太が頭をポリポリかくと、「バーカ!」とジャイアンが笑い、スネ夫も「さすがのび太だねぇ」と小声でもらした。
セワシは苦笑しながら、「ひいおばあちゃんは、ぼくの母方なんだ。おじいちゃんとは直接関係ないよ」と説明した。
しんと静まった部屋で、穏やかな寝息だけが聞こえている。そのとき、ベッドの脇にひかえていた介護ロボットが、少しだけ声を落として言った。
「……お医者さまのお話では、もうご飯も食べられませんし、残された時間も、あまり長くはないそうです」
セワシは、ベッドで眠る女性の手をそっと撫でた。
「今は……もうぼくたち家族のことも、分かってないかもしれない。でも——本当に、大切な人なんだ」
その言葉に、部屋のみんなも自然と静かになる。写真にかこまれて眠る、ひいおばあさんの穏やかな寝顔を見つめながら、みんな胸の奥がじんわりと温かく、そして少しだけ切なくなった。
そんな静けさの中、ノアが小さな声でぽつりと言った。
「……人間って、こんなにしわくちゃになるんだね」
一瞬みんながはっとしたが、しずかがそっとほほえんでノアの肩に手を置いた。
「ねえ、ノアくん。しわが増えるのは、それだけいっぱいの人と出会って、たくさん笑ったり泣いたりしてきた証拠なのよ。ひいおばあさん、きっとその分だけ、幸せもたくさん重ねてきたんだと思うわ」
ノアは「ふうん……」とふしぎそうにその顔をじっと見つめた。
そのとき——
眠っていたはずのひいおばあさんが、うっすらと目を開けた。細い指がのびて、そばにいたノアの手にそっと重ねられる。
かすれた、けれど温かい声が、ノアの耳もとに届いた。
「……クロ、あなたは……強くて、やさしい子……。きっと、人間とロボット、両方をつなぐ……架け橋に、なれるわ……」
ノアはびっくりして目を丸くした。
けれど、ひいおばあさんはそれきり、また静かに目を閉じて眠りに戻っていった。
セワシがそっとノアに耳打ちする。
「ひいおばあちゃん、昔はAIとロボットの研究をしてたんだ。たくさんのロボットのお世話もしてて……きっと昔のこと、思い出したのかも」
ベッドの横の台に、ふとみんなの視線が集まる。
そこには、古びた写真立てがひとつ。
桜の木の下で、白衣姿の若い女性と、人型のロボットの男の子が並んで写っていた。男の子はどこか不機嫌そうに、そっぽを向いている。
写真の横には、小さくてくすんだ石が、そっと置かれていた……。
その静けさを打ち破るように、部屋のテレビがパッと点灯した。緊急速報の赤い文字がくるくると踊り、画面には例のマイク型レポーターロボットが映し出される。
「ピコピコ緊急情報~! みなさん、聞いてビックリ! 7番街で『超適応度個体ノア』ちゃん、そしてそのお友だちと思われる人間の子どもたち&なぜかたぬき型ロボットさんが、ただいま絶賛逃走中ですっ! 現場は大騒ぎ、警備ロボ隊とパトカーがてんやわんやの追いかけっこ! 付近の住民のみなさん、くれぐれも冷やかしに行かず、おうちで安全第一ですよ~!」
レポーターロボはピコピコ体を揺らしながら、どこかワクワクした調子で事件を伝えていた。
「だ、誰がたぬき型ロボットだ!」
ドラえもんがぷりぷり怒ると、スネ夫が小声で「やっぱりバレてるよ、どうしよう……」と震えた。
のび太はふと、眠っているひいおばあさんと、心配そうなセワシたちを見やった。
「……このままここにいたら、セワシたちまで巻き込んじゃう。行こう、みんな」
「ええ、そうね。セワシさんたちに迷惑はかけられないわ」
しずかは、真剣な表情でのび太にうなずいた。
窓から外をそっとのぞくと、未来都市の夜景の中、パトカーの赤いライトが何台もぐるぐると巡回しているのが見える。追跡の輪が少しずつ近づいている気配に、ジャイアンもさすがに顔をこわばらせた。
パトカーの赤い光が窓に映りこむ中、のび太たちは足早にリビングを抜け、そっと玄関へ向かった。
「おじいちゃん、気をつけて……!」
セワシとドラミも玄関で見送るしかできず、声をひそめて別れを告げる。
ノアは、サッカーボールをぎゅっと抱きしめて顔を上げた。目には迷いのない決意の色。
「……ぼく、もう逃げてばかりじゃいけない気がする。でも、みんなと一緒なら……どんなことがあっても大丈夫だよね」
のび太がノアの肩をそっと叩く。
「絶対に、みんなで乗り越えよう!」
こうして、のび太たちは未来都市の夜の闇へと、再び身をひそめながら飛び出していった——
背後には家族を想うセワシとドラミ、そして眠るひいおばあさんの穏やかな寝顔が残っていた。
*
22世紀の夜は、昼間よりもさらにまぶしかった。ビルの壁は虹色に光り、チューブ道路にはネオンの光が川のように流れている。そんな光の洪水の中を、のび太たちは闇にまぎれ、息をひそめて走った。
パトカーの赤いサーチライトが、ビルの谷間をビュンビュンと行き交い、空にはドローン型の警備ロボットが不気味にホバリングしている。道ばたでは、警官ロボと警察犬型ロボットが絶えずうろついていた。
「や、やばい、こっちを見てる……!」
スネ夫が、街灯の影で青ざめた顔でふるえる。
「ドラえもん、どこか逃げるあてはないの!?」
のび太がすがるように言うが、ドラえもんはあたふたしながら首を振るばかりだ。
「こ、こんなに厳しい警戒態勢の中で、あてなんてあるわけないよぉ!」
「もう腹へった……。逃げるよりメシだろ!」
ジャイアンがうなれば、スネ夫は「ママァ、おうちに帰りたいよぉ……」と半べそをかいている。
ノアはうつむいて、「……ごめんなさい」とぽつりともらした。だが、しずかがその手をそっとにぎり、「ノアくんのせいじゃないわ。みんなで乗りきりましょう」と力強くほほえんだ。
そのとき、ドローンのサーチライトが、すぐ近くの建物をなめるように照らした。
「来るっ!」
スネ夫が叫び、全員がゴミ収集ボックスの物陰にサッと飛びこむ。
ロボット犬のクンクンという鼻をならす音が、じりじりと近づいてくる。
「まずい……見つかる!」
のび太はとっさに、地面に落ちていた空き缶を拾い、ありったけの力で反対側の路地へと投げた。
ガランガラン!
けたたましい音に、警備ロボットたちが一斉にそちらへ向かう。
「今だ、走れ!」
ドラえもんの合図で、みんなが一斉に裏路地を駆け抜けた!
その時——角を曲がったところで、犬の散歩をしていたおばさんと、真正面からばったり出くわしてしまった。
「きゃっ!」「うわぁ!」
おばさんも、犬も、のび太たちも、みんな顔を見合わせてカチンと凍りつく。
ジャイアンが「あ、あのっ!」と口ごもった瞬間、犬がけたたましく吠え始めた!
ワンワンワンワンッ!
「逃げろーっ!」
みんなは来た道を全力で引き返す! おばさんは必死にリードを引っ張りながら、「あらあらあら!?」と大あわてだ。
なんとかその場をやりすごし、息を殺して暗がりに身を隠すのび太たち。遠くで、警備ロボのサイレンの音が鳴りひびいている。みんなの心臓も、ドキドキと大きく鳴り続けていた。
ノアはサッカーボールを胸にぎゅっと抱きしめ、「……みんな、ごめんね」と、また小さくつぶやいた。
「謝るなよ、ノア。今度はオレたちが、おまえを守る番だ!」
ジャイアンが、力強く言った。
しずかも、「もうすぐ夜が明けるわ。きっと大丈夫」と、そっとほほえむ。
ようやく夜が明け始めるころ、息を切らしながらたどり着いたのは、未来都市のはずれに広がる産業エリアだった。
うす明るい空の下、工場群はどれも丸みをおびたドームやカラフルな煙突、ぐるぐるとからみ合ったパイプでできていて、まるで巨大な遊園地のようだ。
その中でひときわ目を引くのが、朝焼けの光の中にうかぶ、大きな建物だった——。 「見て、あれ……!」
しずかが指さした先、巨大なネオンサインがふわりと空中に光っていた。
MATSUSHIBA ROBOT FACTORY
その文字は、工場のまあるいドーム屋根の上で、魔法みたいに青緑色にかがやいている。無数の筒や透明なパイプが虹のようにからみ合い、どこかふしぎで楽しい「おもちゃ箱」のような工場だった。
「わあ……なんだろう、あの工場……」
のび太は、その光景に圧倒されて、思わず口をぽかんと開けた。
すると、工場の丸い大きなゲートが静かに開き、中から黄色い体にピンと立った三角の耳をつけた、ネコ型ロボットたちがぞろぞろと一列になって出てきた。みんなピカピカのボディで、同じ歩幅で楽しそうに長い橋の上を歩いていく。首には黄色い鈴がゆれ、時おりお互いに小さく手を振ったり、首をかしげたりしながら、どこか誇らしげな足どりだった。
のび太は、思わず立ち止まってその行列を見つめた。
「わあ……みんな、そっくりだ。あれ……ドラえもんに似てる?」
ドラえもんは、うれしそうに、そして少し照れたような顔で言った。
「ふふっ、そうだよ。ぼくも昔は、ああやってみんなと並んで、この工場で生まれたんだ。ネコ型ロボットはみんな、ここで作られているんだよ」
ノアは、じっとその行列を見つめ、「ロボットはみんな、『工場』で生まれるんだね……」と、ふしぎそうにつぶやく。
「そうだよ。ここは、ぼくたちロボットにとっては『ふるさと』みたいな場所なんだ」
ドラえもんの声には、どこか誇らしさと、なつかしさが混ざっていた。
朝の光が、工場のパイプやドームをゆっくりと照らし始める。
工場の出口からのびる長い橋——朝もやの中に、かすかな太陽の光が差し始めた、その瞬間だった。
キキィィーーッ!
突然、橋の両端にパトカーと装甲車が急停止し、ギラリと光るサーチライトが、一斉にのび太たちを照らし出した。
「ほら、あの子たちよ! まちがいないわ!」
あの犬を連れたおばさんが、必死に警官に叫んでいる。その犬も「ワンワンワンッ!」と、はげしく吠えたてた。
みんな、びくっと体をこわばらせる。
警官と警備ロボが、わらわらと橋の上に現れ、逃げ道を完全にふさいでいく。その数はどんどん増えていき、まるで黒い波のように、のび太たちへと押し寄せてくる。
「こっちもダメだ、あっちも……!」
スネ夫がうしろを振り返って叫ぶが、橋の両側には、すでに警官ロボたちがずらりと立ちふさがっていた。
「くそっ、完全に包囲されてる……!」
ジャイアンが、低くうなる。
のび太たちはじりじりと後ずさり、気づけば橋のど真ん中、朝もやの中にぽつんと取り残される形になった。後ろにも前にも進めない——まるで広い空の下、みんなで小さな島に立たされているようだった。
「ドラえもん、なにか道具を——!」
のび太がすがるように叫んだ。
だが、ドラえもんが四次元ポケットに手を入れた瞬間、青い火花がバチッと弾け、指が強く跳ね返される。
「だめだ!四次元空間がバリアでロックされてる!」
ドラえもんの声が震えた。絶望的な静けさが、みんなを飲み込む。
警官が拡声器で叫び、兵士ロボと警備ロボが重い足音を響かせながら、じりじりと橋の中央へ向かって詰め寄ってくる。警備ロボの赤いセンサーが不気味に光り、逃げ場はみるみるうちになくなっていった。
「や、やめて!近づかないで!」
のび太が思わず声を張り上げ、ノアの手をしっかりと握る。ノアも、おびえながらも必死にのび太の手を握りしめた。
ジャイアンは「オレたちに手を出すな!」と一歩前に出ようとし、スネ夫も震える声で「ぼ、ぼくたち何もしてないよ!」と叫ぶ。
だが、兵士ロボたちは容赦なく間合いを詰め、無機質な腕がのび太とノアに伸びてきた。二人は、しがみつくようにお互いの手をぎゅっと握りしめ、絶対に離さないよう必死に耐えていた。
「ノア、絶対に……!」
「のびた、ぼくも、ぜったい……!」
しかし、冷たい金属の腕が力任せに二人の体をつかむ。その圧倒的な力に、握りしめていた手がじりじりと引きはがされていく。指と指がどうにか繋がっていたが——
「やめて!」
「離さないで!」
最後の瞬間、二人の手は無情にも引き離され、のび太とノアの叫びが、朝もやの橋の上にひびきわたった。
「ノアああああ!」
「のびたああああ!」
ノアは警備ロボットに羽交い締めにされ、泣き叫びながらのび太に手を伸ばす。のび太も必死に手を伸ばすが、届かない。犬の鳴き声、兵士たちの掛け声、みんなの悲鳴が混ざり合い、まるで世界が一瞬、崩れ落ちるようだった。
——橋の上に、静寂と絶望だけが残された。