風の音しか聞こえない、静かな河原。
のび太は、小石をそっと積み重ね、その上に黄色い葉っぱをのせた。
その隣には、小さな穴。中には潰れてしまったアリが一匹、静かに横たわっている。
「……ごめんね。ぼく、守れなかった」
そのとき、ふと声がした。
「おはか……つくってるの?」
のび太が振り向くと、いつのまにか近くに、女の子が立っていた。
さっきまでどこにいたのかはわからない。でも、手には小石がひとつ──たぶん、どこかでしゃがんでいたのかもしれない。
のび太より少し幼く見える。たぶん、小学校の低学年。長い黒髪が風に揺れていて、なんだかとても静かな子に見えた。
「どうしてアリのために、そんなことしてるの?」
「だって……踏まれちゃってたから」
「アリなんていっぱいいるのに。ふまれるの、ふつうだよ」
「うん。でも、この子は『今日ここにいた一匹』だから」
のび太は、そっとアリの墓を見つめた。
「ぼくみたいに、トロくて、すぐドジふんじゃう子だったかもしれないけど……生きてたと思うんだ。がんばってたって思うんだよ」
女の子は、のび太のとなりにちょこんと座った。
「……あたし、きょう、いやなことしちゃった」
「ん?」
「学校でね、ちっちゃくて、おとなしい子がいるの。今日、その子がノート落としちゃって……」
少女は小石を指でいじりながら、うつむいてつぶやいた。
「拾ってあげようと思ったのに、なぜか……足で蹴っちゃった」
「え……?」
のび太が顔を上げる。
「まわりの子たちが、その子のこと見て笑ってたの。なんか、『誰かがやってくれる』のを待ってるみたいな雰囲気で……」
少女の声は、小さくなる。
「……あたし、なんとなく、それに応えちゃったの。……そしたら、みんなが笑って……そのときは、ちょっと『助かった』って思っちゃった。でも、あとから、すっごくイヤな気持ちになったの」
「……」
「でも……ほんとは拾いたかったのに。今でも、すっごくイヤな気持ちで……」
のび太は、少しの間、何も言わなかった。
「……ぼくもだよ」
「え?」
「ドラえもんっていうんだけど、いつもそばにいてくれる、すっごく大切な友だち。
ぼく、スマホがほしくて……AIがすごいって思って……そしたら、ドラえもんのこと、バカにしちゃって……」
女の子はじっと聞いていた。
のび太の声は小さく、少し震えていた。
「ぷいって怒って、飛んでっちゃった。……ほんとは、すごく、さみしかったのに。言わなきゃよかったって、今さら思っても、もう……」
女の子はしばらく黙っていたが、ぽつりと言った。
「……でも、あたし、その子のノート、ちゃんと拾えばよかったって、今思ってる」
「だから、きっと、ドラえもんさんも。……きっと」
のび太は顔を上げた。
「やさしさってさ、うつると思うんだ」
「うつる?」
「うん。ぼくがアリにしてあげたことが、君に伝わったみたいに。君の気持ちも、たぶん、その子に……いや、未来のだれかに、伝わると思う」
のび太は、ぽつりとつぶやいた。
「どんなに小さくて弱い命でも、大切にできたら……きっと、みんな仲良くなれると思うんだ」
少女は、のび太の横顔を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「……あたしも、アリさんのおはか、つくってみたい」
のび太は、うれしそうにうなずいた。
「もちろん!」
ふたりは並んで、小石を集め、葉っぱを飾って、お墓を完成させた。
その前で、そっと手を合わせる。
少女は、目を閉じて小さくつぶやいた。
「ありがとう。……やさしい気持ちって、ふしぎだね」
のび太はふと、少女の手に握られていた石に目を留めた。
小さな手の中にそっと握られていた、まるくて白い石。
「……その石、ちょっと貸してくれる?」
少女が差し出すと、のび太はポケットをごそごそと探り、おもむろに黒いマジックペンを取り出した。
「なんか、今日ずっとポケットに入っててさ。……ほら、これで」
のび太は石を軽く持ち直すと、黒いマジックでちょんちょんと顔を描きはじめた。
「……できた!」
少女がのぞきこむと、そこにはのび太らしい、へたっぴな『アリの顔』が描かれていた。
「へたくそだけど、なんか、がんばって生きてる顔でしょ」
のび太は少し照れながら笑った。
「その石、きみにぴったりな気がしてさ。……未来で、だれかが悲しい顔してたら、これ、見せてあげてよ。きっと、やさしい気持ちが思い出せると思うんだ」
少女は思わず、その石を両手で受けとった。
一度、じっと見つめてから、そっと胸に抱く。
「……この石、もらってもいい?」
「もちろん!」
のび太はすぐにうなずいた。
少女はにこっと笑い、小さな身体をちょこんと傾けてぺこりと頭を下げた。
「私、もう一度、ちゃんと謝ってみる。今度こそ、ちゃんと拾ってあげる。……勇気、出してみるね」
その言葉に、のび太はうれしそうにうなずいた。
少女は両手で石を大事に包むと、くるりと背を向けて、小さな背中で歩き出した。
風に吹かれて、長い黒髪がふわっとなびく。
のび太はその背中を、ずっと見つめていた。
やがて少女の姿が見えなくなると、ふぅっと息を吐き、ふと空を見上げた。
「……いいな、あの子。ちゃんと誰かに、勇気を出せるんだもん」
のび太は腰を下ろし、小石をつまんで指ではじくように投げた。
草の間をコロコロ転がって、すぐに止まる。
「……ぼくも、やさしくなりたいって思った。思ったけど……」
のび太は石が止まった方をじっと見つめ、ぽつりとつぶやいた。
「……でもさ、やさしくしたって、バカにされるだけだったら、なんか、むなしいよ」
少し口をとがらせ、ひざを抱えこむ。
「ぼくだって……みんなを見返してやりたいよ。ジャイアンにも、スネ夫にも……ドラえもんにも……」
声は震えていた。
「このままじゃ、ずっと弱いままなのかな……なにか、ぼくだけの力が、あったらな……」
そのときだった。
「……なあ坊主。もしもだ、おまえだけの『世界』を作れるって言ったら——どうする?」
静かすぎて、風と間違うような声が、すぐ後ろから響いた。
「わっ!?」
のび太はびくっとして振り返る。
そこには、真紅のマントを羽織った謎の人物が立っていた。
顔はマントに隠れて見えない。
けれど、胸にはひときわ輝く、星の形のバッジ。
「ぼ、ぼくの……世界……?」
のび太は思わず声をもらす。
その人物は、何かをふところから取り出した。
銀色に輝く、箱のような……でも、どこかおもちゃみたいにも見える。
「こいつはな、おまえにしか渡せねぇ。『特別なブツ』だぜ」
のび太が目をまるくした。
「えっ、特別……!?」
「この中にはな、『どんな生き物でも生み出せるタネみてぇなもん』が詰まってる。おまえが思い描けば、そいつが形になって出てくるってワケだ。相棒が生まれるかもな——とんでもねぇ『最強のヤツ』すら、目を覚ますかもしれねぇぜ」
のび太の顔が、一気にパァッと明るくなる。
「さいきょうのパートナー!? ぼくにも!? ほんとに!?」
「おまえが本気で願えば——どんなヤツでも、生み出せる。ここから先は、おまえだけの世界だ。運命の出会いが、待ってるかもしれねぇぜ」
のび太は、わくわくが止まらないといった顔で、大きくうなずいた。
「やる! やるよ! 絶対やってみる!!」
アイテムを受け取ったのび太は、それを胸にぎゅっと抱きしめた。
まるで、宝物をもらった子どものように。
謎の人物は、少しだけ笑ったような雰囲気を残しながら、静かに言った。
「……けどよ。そいつの力を、どう使うかはおまえ次第だぜ。へたすりゃ——未来だって、ゴロッと変わっちまうかもしれねぇ」
その言葉を最後に、彼はくるりと背を向け、河原の奥へと静かに消えて行った。
のび太は、その背中をぽかんと見つめたまま、自分の手の中の『箱』を見つめて、つぶやいた。
「……運命の、パートナー……」
のび太は、胸の中に生まれたばかりの『何か』を、大切に抱きしめながら、静かに歩き出した。
まだ知らない——運命の出会いへ向かって。
のび太は、胸の前で「謎の銀色の箱」をぎゅっと抱えて、バタバタと階段を駆け上がってきた。
「ドラえもんっ!!」
部屋の隅、机の下に丸まっていた青い背中が、ぴくっと震える。
「……ぼく、ひとりにしてって言ったよね」
ドラえもんは机の脚にアゴを乗せたまま、じとっとした目でそっぽを向いた。
「違うんだ! さっきはごめんね!でも、やっぱり君はすごいやつだよ!」
「はいはい、どうせまた、AIよりはマシって程度でしょ……?」
のび太はパッと両手を広げて、キラキラした目で言った。
「これ! くれたの、ドラえもんでしょ!? すっごいアイテム、ありがとう!」
「……は?」
ドラえもんがちらっと目を向けると、のび太の手には銀色に輝く箱。
「なっ……ななななっ……!!?」
手に持っていたどら焼きを盛大に床に落とした。
「こ、こ、こ、これは……まさか、『わくわく箱庭ランド』!?」
「え? やっぱりドラえもんがくれたんでしょ?」
「ぜんっっぜん違うぅ!!」
どら焼きを拾いながら、ジト目でにらむ。
「のび太くん……きみは、まさか道ばたで怪しい人からもらったとか言わないよね? あーもう、こういうときだけ素直なんだから……」
「えっ!? なにそれ!? ドラえもん、これ知ってるの!?」
「……知ってるに決まってるでしょ。未来じゃ有名な知育玩具だよ、『わくわく箱庭ランド』。3歳児用のね」
「さ、さんさい……!? えええ〜!? そんな赤ちゃん向けの……」
「……まあ、今のきみにピッタリじゃない?」
のび太がムッとするのを見て、ドラえもんはいたずらっぽく口元をゆるめたが、すぐに真顔に戻る。
「でも、これ……本当に持ってたの? 誰が、なんのために……」
「たぶん、運命!? きっとぼくにしか使えない特別な……!」
「バカだなぁ……ほんっとにきみってやつは……」
ドラえもんは箱を慎重に受け取ると、カチャッと開けた。
中を見て、思わず目を見開く。
「……やっぱり。本物だ。未来でも数年待ちの抽選、倍率128倍。ぼくも現物を見るのははじめて……」
「ほんとに!? すごいやつじゃん!!」
「『すごい』けど、『お子さまが暴走しないよう、指導者の監督下で使用してください』って、注意書きがあるけどね」
「はいはーい! 『お子さま』でーす!!」
「はぁ……」
ドラえもんは、またため息をついた。怒っているのか、呆れているのか。
「……もう。こんなときだけ元気なんだから。ほんと、知らないからね。暴走したって」
のび太の目は、ギラギラと輝いていた。
「世界を作れるんだよね!? 森とか川とか、自分だけの生き物も!? やる! 絶対やる!!」
「……ま、見てるだけなら、ちょっとは……面白そうかもね」
最後までツンとした口調のまま、でもどこか気になって仕方がないという顔で、ドラえもんはチラリと箱を見つめていた。
——こうして、ふたりは『わくわく箱庭ランド』へと、最初の一歩を踏み出すことになる。
ただしこのとき、のび太はまだ知らない。
自分が生み出す『最強のパートナー』が、未来を揺るがす存在になることを——。
のび太は、まだ少し頬をふくらませたドラえもんを横目に、部屋の床にそっと箱庭を置いた。
「えーと……どうやって入るのかな……?」
おそるおそる手を差し出した、その瞬間だった。
「わっ!」
まるで吸い込まれるように、のび太の手が箱の中に引き込まれた。バランスを崩したのび太の体も、そのままずるりと吸い込まれていく。
そしてドラえもんもそれに続く。
世界が、真っ白になった。
足元も見えない、上下もわからない空間に、のび太の声だけが響く。
「……ドラえもん? ここ、どこ?」
「たぶん……あの箱の中だね。でも、何にもないな……おーい、誰かいませんかー!」
ぼんやりと霧が晴れるように、視界が開けてくる。地面はまっ平らで、まるでグラウンドみたい。けれど、地面には草ひとつ生えていない。空には、まん丸の人工太陽。ふわふわと漂う雲も、なんだか綿菓子のようで、見てるとちょっとお腹がすいてくる。
のび太がぽつりと言った。
「なんだか……おもちゃみたいな空だね」
「うん、あとで空にお菓子の家でも浮かべようかな……って、あれ?」
ドラえもんが目をこすった、そのとき——
「やっほー! ようこそ、スパークランドへ!!」
ピカッと光とともに、チカチカまばたく妖精のような小さな存在が空からくるくると降ってきた。頭には星柄の三角帽子、背中には羽、眉は妙に濃い。
「オイラはスパーク! この世界の案内人! 創造の案内役であり、マスター・オブ・ワールド・ナビゲーター! 以後お見知りおきを!」
「ス、スパーク……?」
のび太がぽかんと口をあける。
「ようするに、この世界のガイド役ってことかな」
ドラえもんが腕を組んでうなずく。
「そ! この真っ白な世界は、まだ始まったばかり! 今から君が何を作るかで、すべてが変わる!」
「え、ぼくが……?」
「そう! だからまずはこれをどうぞ!」
スパークが渡してきたのは、先っぽに星のついたキラキラ光る杖だった。
「これは……?」
「その名も! 『天地創造スティック』!! うりゃっと一振りすれば、山も谷も池も草原も! なんでも思いのまま!」
「すごい!! ……って、名前ちょっとダサくない?」
「むっ……じゃあ、世界の名前もかっこよく呼んでくれていいんだよ? スパークランドとか!」
「えっ、それはちょっと……」
のび太とドラえもんは無言で視線を交わす。
「……今、スルーしたでしょ!? オイラのスパークランド案、スルーしたよね!? ねえ!?」
「えっと、いくよ、天地創造スティック! まずは……」
のび太はスティックをぐっと天に掲げ、映画のヒーロー気取りで叫んだ。
「山よ、あれっ!!」
大地がドドドッと震え、あたりに砂埃が舞い上がる。
ズゴォォォォン!!
目の前に現れたのは——塔のように鋭く尖った、地面から天に突き刺さるような一本の岩山!
「なっ……なにこれ!?」
「おおぅ……なんかエグい形になったな」とスパークが目を細めてつぶやいた。
「えぇ!? こんなの山じゃないよ!!」
ドラえもんも思わず顔をしかめる。
「これは山じゃないよ……地球に刺さったつまようじだよ……」
「ぼ、ぼくは普通の山を作りたかったのにー!」
「言ったとおりには作るんだよ。どういう山かちゃんと想像しないと……『創造主』の資格なしってことだな、にしし」
のび太はむぅ〜っと唇を尖らせ、今度は谷を作ろうと気合いを入れる。
「じゃあ……谷になれっ!!」
ズゴゴゴゴッ……!!
地面がひび割れ、黒い渦のように崩れ落ちる。できあがったのは——底が見えないほどの巨大な穴!
「えぇぇぇ!? 落ちたら戻ってこれないじゃん!!」
「これが『創造の責任』ってやつだな」スパークはなぜか得意げ。
「のび太くん、あんまり調子に乗ってると、住める場所がなくなるよ……」
ドラえもんは呆れ顔でスティックを見つめる。
「そもそも、ただ『山』とか『谷』って言うだけで通じると思うほうがどうかしてるぜ。せめて『なだらかな丘』とか、『あたたかい谷間』とかさ。表現力、ゼロ」
「うぅ……言い方まで考えなきゃいけないなんて……」
「つまり、『創造』ってのは『わがまま』じゃダメってことだな」
「なに急に哲学っぽいこと言ってるのさ!」
ブツブツ文句を言いながらも、のび太は少しずつ学習していく。
「なだらかな丘になって〜」
「やさしい池ができて〜」
「ひろびろした平原、お願い〜〜!」
スティックから放たれる光が、少しずつ穏やかな風景を形づくっていく。
広がる草原。中央には小さな池。周囲にはコロンとした丘。
「おおっ……おおお〜っ!」
のび太は、自分の作った『世界』に目を輝かせた。
「やるじゃん、のび太」
急にスパークに褒められて、のび太は一瞬キョトンとした。
「ほんと? やっぱりぼく、創造主の才能あるかも!」
「いや、まぁ『創造主補佐見習い』くらいだな。まだまだスパークランドの名前はやらんぞ」
「え、だれもそんな名前呼ばないし」
「むぅぅ……なんで定着しないんだスパークランド……」
ドラえもんは、そのやり取りを背後で聞きながら、なぜか**「スパークランド」と書かれた小さな旗**をそっと背中に隠した。
「……やっぱり、やめとこ」
「えっ、今なにか隠さなかった!? それ旗だったよね!?」
「気のせい気のせい。ていうかスパーク、名前のセンス、ちょっとだけ再考してくれない?」
「なにぃっ!? これでも三日三晩考えたんだぞ! ひらがなにするかカタカナにするかで迷ったんだからな!」
「そこじゃないと思うけど……」
「でもまあ……ここまでのび太くんがちゃんと形にしたの、ちょっと久しぶりかもね」
「えへへ、ぼく、やればできるんだよ!」
「でも……あの『塔みたいな山』は、きっと語り草になるだろうね」
そんなこんなで、ドタバタしながらも、のび太の世界は少しずつ形を持ち始めていた。
次はいよいよ——「いのち」を吹き込む番である!