WEB再録本「繋縛」(全年齢部分)   作:ユウキ テル

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その一 勝海舟の場合 「恋情の輪郭」より

「おかえりなさい」

 その言葉が日々の挨拶になってからどのくらい経つだろうか。今では屋敷で待っていることが当然であり、一時期彼女を苦しめた精神的な病も面影を見ることがなくなった。完治はないです、と言われているので心配の種は無くなりはしないが、二度とあんな思いはさせないと責務に邁進する勝の原動力にもなっている。

 現在もまだ勝海舟邸に滞在している隠し刀と呼ばれた女の名は梵といった。今は、とも言ったので本当の名前は別にあるのかもしれない。だがそれも、討幕だ佐幕だと血生臭い時代に刀を手に人を斬ることで生きていた頃の話だ。誰も斬らないで生きていける時代には必要のない名前である。

「明日も早いの?」

「そうだな。やらなきゃならんことが山積みだ」

 誰も斬らないで生きていける時代、とは言うが理想が高ければ高いほど現実との溝は深い。動乱の最中でも味わったその溝はさらに深くなっているかもしれない。積まれる一方の責務を目の前にすると嫌でも実感するのだ。

「何か手伝えることがあればいいのだが……」

「おまえさんが元気でいてくれるのが一番だよ」

「でも、すごい疲れているみたいだから……その……」

 梵の言い淀み方が気になって勝は足を止めて振り返る。以前にも増して多忙を極める勝の身を案じているのは間違いないのだが、なにやら言いづらそうに俯き気味に言葉を探している様子に全てを察した。

「最近は時間が取れなくて悪いな。俺もつらいんだよ」

 そう言いながら抱き寄せる手は自然に腰に伸びている。近頃、梵の腰は以前より肉付きが良くなった気がする。大年増が近づく年頃のせいか、刀を握らなくなってから久しいからか、あるいは屋敷で出される食事により栄養状態が改善したのか。触り心地を確かめるように蠢く指先を不満げな顔つきで受けれてる。

「だいぶ〝女っぽく〟なったな」

「以前より身体が重い。このままでは……」

「いいじゃねえか。抱き心地が良い方が俺は好きだ」

「……そうか?」

 疑い混じりの視線を向けはするが満更でもない様子の梵を目の前にして、何も出来ぬ我が身の多忙さと老いに恨み言が口をつきかけるがグッと飲み込んだ。

「後で腰を揉んでくれるか? 座りっぱなしは案外きつくてな」

 情けなさそうに笑った勝からの久しぶりの誘いに梵は嬉しそうに笑って頷いた。

 

 

 一刻ほど過ぎた頃、寝所の床の上でうつ伏せに寝た勝は途切れ途切れに吐息漏らしていた。背中には梵が跨がっている。梵の体重が女の細い指先から背中に伝わり、凝り固まっている筋肉をほぐしていく心地良さに声すら漏れた。

「おまえさんは上手いなぁ……」

「黒州では必要な技の一つとして教えられたからな。片割れと互いによく揉んでいたんだ」

「そうか」

 梵の口から出た言葉に勝はヒヤリとする。動乱の中で片割れを斬らせたことが心を病んだ原因だったからだ。酷い時は今生にいないはずの片割れの幻覚すら見ていた梵を側で見てきたのだ。

「もう大丈夫」

「何がだ?」

「あいつのことだ。何をしたのか今は納得している。勝さんがちゃんと弔ってくれたことも知ってる」

「俺にはそのぐらいしかできねえからな」

「ちゃんと弔われて墓に入るなんて、隠し刀としては身に余る死に方だ。わたしもあいつもどこかで野垂れ死ぬと思ってたから」

「……そうか」

「ありがとう」

 感謝されることなど何もない、と言いかけてやめた。隅田川に大輪の花火が咲く中、屋形船で敵対者として出会って以来、隠し刀は利用する対象でしかなかった。倒幕派に回して敵対したい相手ではなかった、それだけだ。梵自身が斬った片割れを弔ったぐらいで許されることではない。

「腰も頼めるか?」

「もちろんだ」

 揉む位置に合わせて梵も跨る場所を変えた。勝の臀部を太ももで挟み込んで両手の母指球を使って揉みほぐしていく。疲労の溜まった腰に加わる心地良い刺激と同時に、臀部でも内腿の柔らかさを感じていた。どんなに鍛えようとも内腿は脂肪をまとい柔らかさを失わない。女っぽさを増せば尚更だった。梵はここを舐められると期待に満ちたまなざしを向けて身体をわななかせた。と、脳裏に深く刻まれた痴態が蘇り慌てて下半身に力を入れる。

「すまない、痛かったか?」

「……違う。大丈夫だ、続けてくれ」

 想定外に反応した身体を悟られないように勝は取り繕う。

 隠し刀として利用しただけではない。片割れを斬ったことで心を見失った弱みに付け込んで手を出した上に年甲斐もなく懸想した。そうして男は自分だけだと教え込んで今に至っている。多忙を理由に褥を共にする時間が減ったことで持て余す情欲を向けてくることは何ら不思議なことではない。むしろ健気ですらある。

「こちらも凝っているだろう?」

 そう言った梵の指先が勝の臀部に伸びていた。

「腰が疲れる原因は腰だけじゃないからな。背中と尻をほぐしてやらねば意味がない」

 臀部に触れる指先に邪な意図はない。日頃から多忙を極めてゆっくり休む間もない勝を労わってできる限りのことをしたいと揉んでいるのだ。しかし、情人に臀部を揉まれて交合を想像するなと言う方が無理がある。

 梵の指先は腰との境目辺りから全体を揉みほぐし始める。臀部に指を沈めながら足の付け根まで至り、根深い凝りが残る大きな筋肉を重点的に揉み始めた。一生懸命に揉んでくれているのは手付きで伝わったし、無意識に漏れる吐息からも十分理解できる。梵の吐息にか細く声が混じり始める頃には腰が浮きそうになるのを隠せそうにはなかった。

「もう大丈夫だ。疲れてたから助かっ……」

 半身で振り返り梵を見上げたまま勝は固まってしまう。勝に跨っているために開かれた膝ではだけた寝巻きの奥には白い太ももが覗き、身を屈めて揉みほぐしているので梵の豊かな乳房が重力に任せている様を目の当たりにしたのだ。

「そう、か?」

 突然のことに驚いて身体を起こそうとする梵の手首は掴まれ、そのまま勝に引き寄せられてしまう。仰向けになった勝に抱き止められる形になったのと、両足の間におさまった太ももに当たる硬い感触に再び驚く。

「勝さん……?」

「おまえさんはズルいな」

「そんなつもりじゃ……」

「そんなつもりにならないわけないだろ」

「明日も早いんでしょ?」

「あぁ、だから、少しだけだ」

 言い訳めいた言葉とは裏腹に強く抱きしめた腕と臀部から太ももを弄る手に梵は身を委ねるのだった。

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