あれは手のひらに収まる大きさだったろうか。手のひらを見つめながら白くて丸いあれを思い出していた。思ったよりも大きかったあれはとても柔らかそうで、食み心地も悪くないだろう。世間では女盛りはとうに過ぎたと言われるだろうが、張りを失い始めの熟し具合が美味いとよく言われるだろうと反論したくなる。
いや、そんなことを考えている時ではない。と、土方は顔を上げた。最初に視線を合わせたのは近藤だ。本来なら視線が合う位置ではないはずだと訝しがる。
「どうした、具合でも悪いか?」
おかしいのは自分の方だと気付いて視線を巡らすと、隊士たちの視線が自分へと向けられていた。その一番奥からはあれの持ち主の女も視線を向けていたようだが、絡みつくとすぐさま逸らされてしまう。
「悪い。考え事をしていた」
「そうか。もう少し集中してもらえると助かる」
「申し訳ない」
近藤は視線を隊士に戻し、話を再開した。
「上の空になるほどの物思いとは珍しいな」
土方の斜め前を歩く近藤の言葉に怒りはない。どちらかといえば驚きであった。存在しているだけで殺気を放つ男とまで言われる土方をそれほどまでに考え込ませる事柄に逆に興味を抱く。
「悪かった。気を付けるよ」
「考えることに疲れたら体を動かすと良いぞ。頭が冴える」
「そうだな。そうさせてもらう」
「近頃、梵が塞ぎ込んでいる理由を知っているか?」
「もしかしたら先日のあれかもしれ……」
近藤の足がピタリと止まる。釣られて止まった土方にじっと視線が向けられている。
「やっぱり土方さんが原因だったですね」
近藤の向こう側から聞こえてきたのは沖田の声だった。すでにじっとりと軽蔑するような視線を向けている。
「やっぱりとは何だ」
「先日のアレ、とは」
「なんだそれは」
「いましがた自分で言ったじゃないですか。先日のアレかもしれないって」
そういえば言ったかもしれない。わずかばかり前の会話すらあやふやな記憶になるほどの状態に思わず頭を掻いた。
「何があったか問い詰める気はないが、問題があったならばちゃんと解決してくれ。彼女が塞ぎ込む姿は見たくなくてな」
近藤が心配する女は名を持たぬ隠し刀であった。女に梵と名付けたのも近藤で、梵天を由来とし彼女が追っている片割れのことは帝釈天と呼んだ。理由を聞いても明確な答えはなかったので、土方もそれ以上は尋ねていない。
「わかった」
土方はそれきり黙ってしまった。
先日のあれ、について土方は記憶を辿る。今更辿る必要もないほど反芻して頭から離れない記憶でもあった。
あの日は宿所で湯浴みに行く時間が遅くなってしまった。逆にこんな時間であれば誰も居なくて良いだろう、と思っていたが先客がいる。気配からして一人のようなので遠慮せずに入った土方は思わず足を止めることになった。そこで身を屈めて湯浴みをしていたのは梵だったのだ。
この宿所で彼女が湯浴みをしていたと聞いたことはない。なぜここで、と抱いた疑問には昼間の熱が入った稽古の果てに宴にまで連れてこられたからだと思い至った。
「ここで何をしている」
土方の疑問に梵は首を傾げる。湯浴みをするために決まっているのだ。
「昼間の稽古で気持ち悪くてな。近藤が勧めてくれた」
近藤に悪意があるはずがない。純粋に好意で昼間の汗を流せと勧めたのだ。だが誰が入るかわからぬ宿所で全裸の女が目の前にいる状況になるのである。すでに年増と言われる梵を女として見ることに抵抗がある者は良い。まして体に残る刀傷の跡は女が身にまとうものではないのだ。
「いや……」
そんなことではない、と思わず口元を押さえた土方の視線は一点にのみ向けられている。目の前にある白い二つの膨らみは娘盛りの勢いを失い大年増も間近の気配をまとう。何がそこまで惹きつけられるのか、それはすぐに理解した。得物を持てば敵はなく、新撰組の中では沖田に及ぶかと言われる腕っぷしの女も一人前の女体を持ち合わせていた驚きだ。日頃さらしでキツく巻かれた内に隠された女体に年甲斐もなく動揺しているのだ。
「とにかく、すぐにそれをしまえ。俺に見せるな」
土方の言葉に梵は表情を曇らせた。腕で乳房を隠そうとする姿は艶かしくかえって劣情を誘う。それを瞬時に自覚した土方は背を向けていた。これ以上この場に居てはいけない。突き動かされそうになった衝動を悟られてはならない。そうして土方はその場を立ち去ったのである。
「まるでガキだな」
あれ以来、記憶の中から白い乳房が消えることはなかった。日中に上の空になるほどの執心に少年に戻ったような気さえする。だが、梵が塞ぎ込んだことには覚えがなかった。全裸で鉢合わせたことを気に病む女には到底見えないのだ。わからないなら直接聞いてみるしかない。なのでこうして廊下に立って一刻近く庭を眺めていた。
「こんなところにいたのか」
やがて姿を見せた声の主は無邪気に問いかける。腕っぷしだけではなく酒も強い梵の頬には僅かに朱がさしている。この女がここまでになったのであれば、飲み比べで負けた者がそれなりにいるはずだ。今宵も死屍累々とした宴会になったと想像する。
「土方の姿が見えないから代わりに勝負しておいたぞ」
「何人潰した」
「んー、そうだな……」
梵は何かを思い出すように天を仰ぎながら指折り数え始める。そろそろ片手では足りなくなりそうな頃合いで土方が止めた。委細を知れば後始末をせねばならなくなってしまう。
「そろそろ涼みたいだろ。ついでに話したいこともある。少し付き合え」
酒が気分良くさせているのだろう。柔らかくほころんだ顔で梵が頷いた。
屋敷の端にある納屋の裏手に二人の姿はあった。夏の匂いが濃くなる季節だからか、雑草が立派に茂っている。もうしばらくすればキレイに草刈りされるのだろう。そんな人目の届かない場所に連れ出された梵は土方の話を待つ。しかし一向に口を開く気配がなかった。
「どうした? 最近おかしいぞ?」
「俺は何かしたか?」
唐突に放たれた言葉に梵は首を傾げる。土方の言葉の意味が理解できないのだ。
「おまえが塞ぎ込んでいると聞いた。俺が思い当たるのはあの時のことしかない。俺は何かしてしまったのか?」
何もしないようにあの場を去ったのだ。それでも裸を見てしまったことが彼女を苦しめているなら謝らねばならない。梵の白い乳房が瞼の裏から消えずにいるのだから尚更である。
「俺に見せるなと言われた」
「それは……」
「やはり土方も醜いと思うんだろ」
「醜い……? 何がだ」
無言のまま、梵の細く長い指は白い胸元に添えられた。
「それが、醜い……?」
「隠し刀であるわたしにはこのようなものは必要がない。任務に邪魔などころか、命を奪う種になるかもしれない、と」
「片割れが言ったのか?」
「そうだ。醜いものを隠して人目にさらしすな、と。だがこれは『武器』だと言った人もいる」
「そうだろうな」
「それがわからないんだ。土方はわかるか? わたしのこれが『武器』と言う意味が」
誰が言ったのか知らないが、そんなことは十分過ぎるほど理解している。
「わからないわけが……」
あるわけないだろう、と言いかけて土方は言葉を濁した。人目につかない場所に連れ込んだのは土方だが、話題を振ったのも土方だが、男と二人きりの状況で話すようなことではない。珍しく酔うほどの深酒であったのか。いや、多少酔った程度で男を誘う女になど見えない。
そもそもこの女は男を誘うのか?
一度抱いた疑問は次々に思考を掻き乱し、忘れようとしたあの時の衝動すら思い出させようと耳元で囁くのだ。この女とまぐわいたいのだろう、と。
「おまえは男とまぐわったことはあるか」
「まぐわう……? なんだそれは」
「そう、だよな。おまえにとって男は得物で打ち負かす相手だからな」
「ここは楽しいところだ。皆が稽古の相手になってくれる」
そう言って無邪気に笑う梵は本当に楽しそうであった。陰では女沖田などと揶揄されるほどに腕は立つが人当たりの良くない梵だったが、近藤には子犬のように懐き、稽古を重ねるごとに周囲とも打ち解けた。そうしているうちに、気付けば楽しそうに笑う女になっていたのだ。
「あぁ、バカみたいだ」
腹の奥底から込み上げてくるような衝動を無理矢理飲み込み続ける自分が滑稽に思える。思わず漏らした言葉を耳ざとく拾った梵は訝しげに顔を寄せて土方を覗き込もうとしていた。
夏の匂いが濃くなる季節である。外で過ごせばじんわりと汗ばむような風の吹かない夜だ。鼻腔を刺激する女の汗の匂いに頭の芯まで痺れた。
頭の中が真っ白になったような衝動に突き動かされて土方は腕を伸ばす。突然のことに身を引くしか出来ない梵の口に手を当てるとそのまま勢いに任せて納屋の壁に押し付けていた。梵の両足の間に膝頭を押し込み自由を奪う。
「暴れるなよ。下手に動けば落ちるからな」
男が体重を乗せた腕に頭部を取られた上に壁に押し付けられていた。普通であれば意識を失ってもおかしくないほどのダメージを頸部に受けるのだが、それを回避したのはさすが隠し刀であった。しかし、少しでもバランスが崩れたら土方が押さえつける力を受け止めるのは梵の首だ。この状態では反撃するのではなく様子を見るしかない。
「おまえ、男を誘ってる自覚があるのか? ないだろうな。あったらもう少しマシな文句でも言うだろ」
身動きの取れない梵の胸元に土方の手が伸びた。指先を上衣の襟にかけるとグッと握る。
「俺が賊なら、おまえを犯すだけ犯してから殺やる。こうやってな!」
力任せに上衣を剥かれて肩口から腹部までが露わになった。さらしに守られた胸にチラリと視線を走らせた土方は浴衣の襟元に手を入れる。腹の辺りを弄った後に取り出した手には何かが握られているように見えた。土方が手をさらしに当てる。ゾクリと背筋を駆け上がった悪寒に梵は身をこわばらせた。
「大人しくしてろよ。傷物になるぞ」
隠しきれない高揚感に舌先で唇を舐めた土方は手をグッと後ろに引いた。胸を守るさらしは裂かれて、いなかった。何も起きていない。何が起きたのかわからない梵の瞳を土方はじっとりとしたまなざしで見つめているだけだ。そして握っていた手をぱっと開く。そこには何もなかった。驚きと遅れて込み上げてきた恐怖で梵は目を見開く。
「本気にしたのか」
すぐに口元の手も離されて自由を奪われていた下半身も解放された。背を向けた土方に文句の一つでも言わねばと思えども梵は声が出なかった。それどころか足が震えて力が入らない。
「軽々しく男を誘うような事を言うな。襲われでもしたらどうする。もっとも、おまえ相手じゃ男の方が斬られると思うが……、どうした?」
振り返った先には座り込んだ梵がいた。土方を見上げて浮かべる笑みは弱々しく見える。
「腰が抜けた」
「……は?」
「さすがに土方相手じゃやられるだろ」
驚きでしばし見下ろしていた土方だったが、ぺたりと座り込んだ梵の前にしゃがみ込んだ。
「本当におまえは一言多いな」
「何が言いたい」
「人がこらえてやろうとしているのに、煽りやがって」
「煽る? 何をだ?」
「面倒だから直接確かめろ」
梵の手を握った土方がそのまま自身の股間に押し当てた。布越しに手のひらで感じた硬い物体に梵の顔がこわばる。褌の奥の塊はやたらと熱を持っているようで手のひらもじんわりと体温が上がる。
「なんだこれは……」
「男の得物だ。知らんのか」
「知らない。こんなもの、知らん」
「こんなもの……。じゃあ見るか? おまえの『武器』も使えるぞ」
そう言うと土方の指先は梵の白い肌とさらしの間にぐいっと押し込まれたのであった。