WEB再録本「繋縛」(全年齢部分)   作:ユウキ テル

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その三 間部詮勝の場合 「それを知らぬは彼女ばかり」より

 今日は出店の多い日だ、と周囲の賑わいをすり抜けながら梵は足早に歩いていた。日頃、通い慣れた目的の場所まで最短ルートである川沿いの道を選んだのが失敗だったようだ。しかし、戻ろうにも人混みを抜けないといけない。諦めて突っ切ることにして身体を人の隙間に滑り込ませた。

「失礼」

 一人二人と無事にすり抜けた先にその男は立っていた。急に目の前に現れた男の背中に梵は顔から突っ込む羽目になり、さして高くもないのに鼻からぶつかったのでさすりながら男を見上げる。白髪の混じる長髪を引っ詰め、口髭と顎髭をたたえる初老の男だった。しかし、梵を見下ろす刀傷の走った左目に宿す眼光は鋭い。

「久しいな、こんなところで何をしている」

 懐かしさを交えた口ぶりで声をかけた男はの名は間部詮勝まなべ あきかつ。梵とは遠からず因縁のある男である。こんな至近距離まで存在に気付けなかった自分を梵は呪うしかなかった。

「あんたこそこんなところで何を?」

「今日は月の市が立つ日でな、飯を食いに来た。おまえは何をしている」

「使いの途中だ」

「どこまで行く?」

 間部の問いに、梵は目的地を簡潔に告げた。

 

 

 その数刻後のことである。二人の姿は再び市の賑わいの中にあった。

「好きな物を選べ。馳走してやる」

「いや、金は持っている」

「年寄りの言うことは素直に聞かんか」

 間部は梵の目的地までの最短ルートを案内してくれた。屋根の上を伝えばもっと早いぞ、などと言い出すので流石に断ったが、もしかしたら間部流の冗談かもしれないとは後から気付いた。相変わらず何を考えているのか掴めない男だが、殺気さえ纏わなければ話の通じない頑固じじいとして生きていけるのだろう。

 結局、頑固じじいならぬ間部に押し負けて梵は焼きイカを頬張っていた。

「若い娘の好む物ではないな」

「あんたにはわたしが若い娘に見えるのか?」

「黒船から幾年か、と言うことか」

 隣で川を見下ろす間部の横顔には郷愁が滲んでいるようであった。藩の命で黒船に潜入して初めて目見え、雪の降る桜田門でも互いに命をかけた。そうして共に片割れを失う身となってようやくこの男の顔を見て、話を聞いて、人として飯も食うのだと当たり前のことを知った。

「あんた、付き合いとかしがらみはあるのか?」

「隠居の身には要らぬものは捨てた」

「じゃあ、あんたには話せるかな」

 間部は視線だけを梵に向けていた。

「本当にくだらない話で、話せる相手もいなくて、でも、わたしには少し重くてな」

「隠居に話しても仕方ないとわかっているならば、好きなだけ話せばいい」

「ありがとう」

 すでに間部の視線は川面に戻っている。それでも梵は笑顔を向けるのだった。

 二人は川原に腰を下ろしていた。水面を抜けた風は涼を運ぶ。辺りには同じように涼を求めた者が腰を下ろして市の余韻を楽しんでいるようだった。

「昔、片割れに言われたことがあるんだ。これは任務には要らぬ邪魔な物だと」

 そう言って梵は胸元に手を当てる。さらしで詰め込んでも収まりきらない乳房に添えられた細い指先が妙に艶かしく見えた。

「こんなに醜いものは人目にさらしすな隠せ、とな」

「あの男なら言いそうな事だな」

「あんたもそう思うか」

 遠い記憶の中に残る片割れを共有できた嬉しさで梵の顔がほころんだ。こんな顔をする女だったのだ、と抱いた驚きを間部はそっと胸に収める。

「わたしもそう思っていた。だが、これは『武器』になると言った人がいるんだ」

「ほぅ、武器、とな」

「何を言っているのかわからなくてな。どんな武器か聞いても一向に教えてくれない」

「そやつは男か? それとも女か?」

「女だが、それがどうした?」

「いや、なんでもない。続けろ」

「こんなものが何の武器になると言うのか、いくら考えてもわからなくてな」

 この女は刀として、武器として育てられたのだと間部は気付く。片割れと呼ぶ男もそうであったように、個を殺し、武器としてのみ研ぎ澄まされたその身は戦いの中でしか存在する事ができない。それでも捨てられなかった相手への執着すらこの女には理解ができない。

「なんと憐れな」

 思わず間部の口をついたのは梵への同情か、あるいは片割れに対してか。向けられた梵の視線に含まれた疑問を汲み取った間部は口元を歪める。

「本当に、おまえは若い娘のようだと思ってな」

 流石に梵にも通じる何かがあったのだろう。不満げな気配を眉根に垣間見せた。その表情がおかしかったのか、急に声をあげて笑った間部が立ち上がる。

「飯を食いに行くぞ。おまえでは一生知らぬような場所に連れて行ってやる」

 頑固じじいは笑ったところで好々爺にはならないのだな、などとても口にはできない感想を抱いた梵は黙って頷いたのだった。

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