WEB再録本「繋縛」(全年齢部分)   作:ユウキ テル

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その三 間部詮勝の場合 「冥土の土産」より

 ただいま、と長屋に帰ってきた女の両腕には山盛りの果実が持たれていた。今日も日銭を稼ぐためにと近所の御用聞きに出ていたはずなのだが、二人暮らしでは到底食べきれぬ量の果実を前に初老の男は嘆息をもらす。

「こんなにたくさんの柿をどうした?」

「トメさんちの柿の木を剪定したお礼に貰った。毎年地面に落ちるだけだから困っているらしいんだ」

「我らも食い切れぬぞ」

「大丈夫、渋柿だからみんな干してしまう」

「なるほど」

 と、こう見えて甘党な初老の男は意を得て唸るのであった。

 残暑も駆け足で通り過ぎた年であった。秋の気配を感じるのも早々に初冬が控えているような日々を、一組の男女がある長屋で暮らしていた。男は初老で、黒髪を数える方が早いような白い髪を引っ詰め、立派な口髭と対照的な無精髭を顎に伸ばしている。口数も笑顔も少ない男の左目には一筋の刀傷が走り、かつては荒事に手を染めていたことをうかがわせていた。

 一方、女の方は妻と呼ぶには少々若かった。とは言え、孫娘ほどの娘盛りではない。顔だけは幼い小柄な女は立派な乳房を着物に押し込めて男のように大股で歩く。あれで淑やかさを備えればあの年でも嫁の貰い手もあろうが、と近所に囁かれているのは知っている。二人にとっては余計なお世話でしかなかったが。

 行かず後家の娘と、かろうじておとこやもめを逃れた父親。傍目に奇妙な組み合わせの男女を世間はそうやって評するのである。

 男の名は間部詮勝、幕政に関わりがあった者であれば記憶の片隅に残る名であった。女の名は梵、かつては隠し刀として得物片手に時代の狭間で跋扈していた。凶刃の露とした生命は数知れず。相見えた士も数知れず。間部も例外ではない。血に塗れて生きてきた女は、何の因縁か間部の情人として共に暮らしているのだ。

「干し柿か、悪くないな」

 梵が床に置いた艶々とした柿をひとつ手に取った間部はすでにわくわくしているようだった。固く刻まれた眉根の皺が心なしか緩んで見える。冬の間は存分に堪能出来そうな量の干し柿は甘党である間部の心を掴んでいた。

「たくさん出来たらトメさんにもお裾分けよう。息子さんのいない今では作れないと言っていた」

「息子なんかいたのか」

「士として身を立てると言って家を出て帰ってこないそうだ」

「……そうか」

 共にその先の言葉を避けたのは同じ答えに至ったからである。動乱の時代に士として身を立てる、その言葉を胸に戦いに身を投じた者は数知れず。その結末を二人は嫌というほど知っていたのだ。

「そちらも仕事は進んだのか?」

「あぁ、この程度は造作もない」

 そう言って梵は縁側を見やる。日当たりの良い縁側には工具と農具が広げられていた。間部は手先の器用さを生かして農機具の修理を請け負っているのだ。かつては隠密として様々な道具を扱った間部にすれば農民の取り扱う器具の手入れなど暇つぶしのようなものである。かつて、横浜で機械を修理する仕事に就いていた、と付与した設定も相まって農機具の修理依頼が後をたたなかった。農民相手の仕事は日銭にすれば微々たるものではあるが、折に触れて収穫物が届けられて二人で食うには十分だったのだ。

「こんなものも造ってみた」

 そう言って間部が懐から取り出したのは輪っかの形状をした物だった。それを梵の耳に当てると耳朶に挟み込んだ。

「なんだこれは」

「耳飾だ。おまえは髪を結わないから、簪を作っても使わんと思ってな」

「どんなものか見えないぞ」

「それもそうか。よく似合っている」

 耳朶に感じる違和感の正体を手探りで確認しようとする梵の様子を間部は楽しそうに見つめていた。

「そうか、ありがとう」

「おまえに残してやれるものは多くないからな」

「どうしたんだ、急に」

「私にもいずれ迎えが来る。大老の御許に向かう日を待つだけのはずが、心残りが出来てしまった」

 そう言って指先が梵の頬を柔らかくなぞった。

「おまえを一人残してしまうことが怖い。だが、おまえに残されてしまうのはもっと怖い。だから先に逝かせてもらうぞ」

「……間部」

「一人で今生を旅立つ日を待っていた頃には考えもしなかったことだ」

「仕方ない。わたしも今更死に急ぐような真似はしないからな。ちゃんと見送る」

 互いの年齢差を考えれば至極当然の答えであった。世間では父娘と評される年齢差なのだ。

「だからだ、間部。今生きているこの時間はちゃんと互いを見て、話をして、美味いものを食べよう」

「そうだな」

「そして二人で笑うんだ。わたしは、その記憶と生きていく」

「私は冥土の土産にしよう」

「墓に手を合わせて思い出すよりも、人の温もりのある間部をもっと……」

 求めるように梵が伸ばした手を取り、手のひらにくちづけを落としたのが答えのようだった。

「まずは柿を干してしまおう。干し柿を食べながら春を待つんだ」

「そうするか」

 広げっぱなしの工具を片付けようと縁側に腰を下ろした間部は空を見上げた。夕暮れ時には初冬のように肌寒くなるが、ここには体温を分け合える梵がいる。季節の移り変わりに気づくのも、朝目覚めて誰かがいることも、朝餉を前にして嬉しそうに笑ってくれるのも一人ではないからだ。

「お迎えはもう少し待っていただけるか?」

 しんと冷える夕焼けに小さな願いをかけた。

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