トゥレンブラの書-The Book of Trumbrela- 作:式塚あきのり
「こんにちは。わたしはアリス・ローレンス。ここでずっと、ずっとまっていたの。あなたたちが、このトゥレンブラにきてくれるのを。」
「ここはね、ほんとうにすばらしいところなんだよ。おはなはいつもさいていて、かぜはやさしくて、ことりもたのしそうにうたをうたってるの! そして、つきのひかりはみんなをつつんでくれるの。」
「だから、だれがきてもだいじょうぶ。わたしは、きてくれたひとをぜんいん、ぜんいんあいしてる。すべてをあいしている。」
「あなたたちもだいじなひとなの!」
「トゥレンブラはらくえん。みんながしあわせになるところ。」
「だからね、あなたたちもここにいるといいの。ずっと、ずっと……」
「──それからね、ひみつのおはなし。」
「おつきさまのうらには、やさしいかみさまがすんでいて、わたしたちをみまもってくれているの。」
「だから、あんしんして。ここでは、ゆめみたいに、しずかで、やさしいじかんをすごせるから。」
「<らくえんのまどうし>のなをもって、ほしょうしてあげるの!」
「──月の街:トゥレンブラにようこそ!」
――――
「じゃあ、ウェンディちゃん。お昼に美味しいお店を案内してくれるかしら?」クラリッサが優しく微笑みながら聞く。
「えぇ、勿論です! この街で一番のお店を紹介いたします!」
そうして、ウェンディを先頭に宿から出て行く。ソフィは満面の笑みで三人を送り出した。
三人が再び街を歩み出した時には、太陽が真上に差しかかろうとしていた。先ほどよりも街は幾分か暖かく、石畳に落ちる影も柔らかさを増していた。
「そう言えば、ウェンディちゃんはどんな理由があってこの街に来たのかしら? オフィーリアちゃんに勧められるって事はそれなりの理由があったのでしょう?」
「……私は、先ほども申した通り錬金術師です。私は、錬金術の研究に専念出来る場所を求めていたのです。」
「それなら、≪未明の聖塔≫でもいいんじゃないかしら?」クラリッサは微笑みながらも、単純な疑問としてウェンディに問う。
「えぇ、確かに≪未明の聖塔≫は孤独な魔術師にとって最高の学び舎です。しかし、如何せんシステムが面倒なもので……私はあの場所に馴染めませんでした。」
悲し気に或いは少々呆れ気味にウェンディは語る。
「確かに、あそこは魔法使いのような権威主義が蔓延っているような場所ですもんね……」≪未明の聖塔≫の最大の被害者であるタカオが語り出す。
「えぇ、本当にどうしようも無い場所ですよ。あそこは……それである時、オフィーリアさんは私にトゥレンブラにある学院についての情報を頂きました。どうやら、優秀な錬金術師が創立した学院である。と聞いて……」
クラリッサが学院の詳細について聞こうとした途端、通行人の男がウェンディに話しかけた。男は、"おかしな"恰好をしており、道化師である事が一目で分かるような見た目だった。
「おや、ウェンディ教授。そのニ人は街の外からかい?」
その一言で、クラリッサは男がイタリア出身者である事が分かった。
「ええ。これからお食事処をご案内するところです。初めての方には、やはりウィリアムズさんの≪月見屋≫がいいですよね」
「ああ、あそこの[月見つめのパイ]は格別だ! ……街の外の人、よかったら俺の大道芸も見に来てくれ。不定期に酒場でやってるんだ」
そう言って一枚のカードを差し出す。
「これを持って来てくれたら、何かいいことがあるかもしれねぇ。じゃあ、また会える時まで! 月の光と共に在らんことを」
男はキザに立ち去っていった。
残されたニ人は渡されたカードを眺める。それは逆さまに描かれた図像を持つタロットカードであった。無念ながら、2人にその知識はない。
「彼は一体?」クラリッサが問うと、ウェンディが答える。
「イタリアから来た大道芸人で、ガブリエーレ・オルランドと言う人ですよ。この街では人気者です!」
タカオはそんな解説を聞きながらカードに視線を落とした。そこには天使のような存在が獅子を宥めている図が描かれ、『Strength』の文字が逆さまに添えられていた。それ以上の意味を彼は読み取れなかった。
クラリッサは既にカードをポケットに仕舞い込んでいた為、タカオがその絵柄を覗くことは叶わなかった。
「さぁ、≪月見屋≫へ参りましょう。オルランドさんも言っていた通り、あの店の[月見つめのパイ]は絶品ですから! あぁ、私までお腹が空いてきました。さ、行きましょう!」
ウェンディは弾む声でそう告げ、三人は凹凸のある石畳を進んでいった。
道中、彼女に声をかける人はそれなりに多く、そのたびにクラリッサとタカオも挨拶を交わす羽目になった。そうしたやり取りを繰り返したせいで、≪月見屋≫に辿り着いたのは午後1時の鐘が鳴り響く頃であった。
店の外観は、宿と同じく現代の尺度では到底あり得ぬ意匠を凝らしたもので、中を覗けば、既に多くの客が楽しげに食事をしている姿が見えた。その客は皆、ヴィクトリア朝様式の服を着ている。ニ人は街の何処に居ても悪目立ちするのだ。
「ご、ごめんなさい……ちょっと話しかけられすぎちゃいましたね……タハハ」
「まぁ、これで昼の混雑を避けられたと思えば、悪くないわよ」
肩を落とすウェンディを、クラリッサは軽やかに励ます。
三人が中へ入ると、やはりウェンディの顔の広さは本物らしく、あまり待たされる事無く席へ案内された。
「≪月見屋≫の料理は何を選んでも間違い無く美味しいですよ。さぁ、どうぞご自由に!」
「こ、このメニュー……値段が書いてないですが……い、一体いくらくらいなんですか?」
タカオが怯えたように尋ねると、ウェンディは口元に微笑を浮かべた。
「この街、トゥレンブラには、お金という概念が存在しないのです。言ってしまえば、すべては住民の趣味と奉仕で回っています。そういう街なのですよ」
タカオとクラリッサは思わず顔を見合わせた。ニ人の顔は信じられない。と書かれている。生まれながらに資本主義の揺り籠に揺らされていたニ人にとって、住民の趣味と奉仕だけで回り続けているこの街を信じ切る事が出来なかった。
「ですよね。外から来た人は戸惑うでしょうね。私も最初はそうでした。──んまぁ、取り敢えず気にせずに! 自由に料理を選んでみてください!」
やがて2人は悩みに悩んだ末、ウェンディの勧めに従って[月見つめのパイ]と[月光マフィン]を注文した。程なくして、金髪のホールスタッフの女性によって料理が運ばれてくる。
「……な、なんとなく予想はしていましたが……[月見つめのパイ]って……スターゲイジー・パイだったんですね……」
タカオは皿に盛られた、魚の頭が突き出たパイを前にわなわなと震えた。
「そう言えばタカオくんは、これ苦手だったよね。私は結構好きなんだけどね」
「み、見た目が暴力的すぎませんか? な、なぜこんな姿に……僕には理解できません」
ウェンディは2人のやり取りを微笑ましげに見守っていた。
「あぁ……そう言えば、ウェンディさんが所属している"学院"とはどんな場所なんですか? その、オフィーリアさんから詳しい事を聞くのを……わ、忘れていたので……」タカオが[月見つめのパイ]を一口食べながら気不味そうに聞く。
「オフィーリアさん。結構雑ですもんね……」
ウェンディは同情の言葉を[月光マフィン]を一つ齧りながら言っていた。そして、食べ終えると語り出す。
「学院の名前は≪ローレンス学院≫と言います。エドモンド・ローレンスと言う錬金術師が1811年に創設した学院であり、最初は錬金術を専門的に教えていました。ただ、最終的には歴史、宗教、医学、薬草学、言語学、哲学、文学、理工学を教えることになります。」
まるで、大学の広報担当者のようにウェンディはスラスラと語り出した。タカオは少々困惑しながらも、メモを取りながら話を聞いて居た。
「ローレンス錬金術師は素晴らしい方だと常々聞いて居ます。なんでも、自分の娘を蘇生させる。言う偉業を成し遂げたようです。」
そう言って、一口[月見つめのパイ]を頬張った。
「まぁ……ローレンス錬金術師はとっくの昔に娘と共に隠遁生活を営んでいるようなので、私は結局彼の教えを受ける事は出来ませんでした。……それどころか、ローレンス学院の現学長はローレンス錬金術師の一番弟子で錬金術の学部長もしているのですが、彼は正直言って嫌われています。その所為で、学院での錬金術学の地位は年々下がっていくばかりなのです」ウェンディは非常に残念だ。と言いたげな表情で言う。
「何故、学院長が嫌われているのかしら? 何か無茶な事を強いたりするのかしら?」
タカオがどんな言葉をかけていいか悩んでいる間に、クラリッサが口を開いて問う。
「そうです。安直に言えばその通りなのです。ローレンス学院には、研究に対して様々な考え方を持つ学徒、教授が居ます。学院に所属する者は似た考え方同士に集団を作り、"学派"となったのです。」
「学派は学院の発展に大きな貢献をしました。しかし、学院長はそんな学派を危険思想だと決めつけ、解体しようと毎年企んでいるのです。」
彼女の口調は、本当にうんざりしている様子だった。
「……それで、先ほども言った通り、学院での錬金術学の地位は年々下がっていくばかりなのです。その所為で、私が所属している研究室も遂に私含めてニ人しかいない寂しい研究室になりました。……ナカムラさん! 貴方が頼りなのです。どうか、私の研究室に入ってはくれませんか? 貴方は貴重な錬金術人材なのです!」
タカオはすっかりウェンディの勢いに押されていた。タカオは若干震えていて、目は右往左往にマグロのように動いていた。
「……ウェンディちゃん達が危機に瀕している事は良く分かったわ。タカオくんは確かに優秀な錬金術師だわ。私がその事を保証しましょう。けれども、少しコミュニケーション能力が乏しのよ。……少し彼に悩む時間を与えてあげられないかしら?」
「あぁ……本当に申し訳ないです。私の悪い癖です。……ごめんなさい。」
「い、いいや……いいんだ。自分の能力不足で、こう……不便を強いてしまって……申し訳ないです。……が、学院の見学をさせてはくれませんか?」
「えぇ! そこから始ましょう!」
そうして、三人は忘れかけていた食事に戻った。その後の会話は実に平穏なもので、休日昼下がりの湖のようだった。
三人が食事を終えると午後3時の鐘が丁度鳴った。
「……今日は少し遅くなってしまいましたね。あまり色んな所は案内出来なさそうです」ウェンディは鐘の音を聞きながらそう言った。
「いいのよ。ただ、またお時間がある時にこの街を案内してくださると嬉しいわ」
「えぇ! 勿論。次の休みにはこの街の全てを案内して見せます。ただ、最後に宿で休む前に教会に行きましょう。今回はお昼を食べると言う大事な用事があったので、向かえませんでしたが、この街を訪れた者は大抵最初に行くべき場所なのですよ」
そう言ってウェンディは上層にそびえる尖塔を指さした。
「確かに、神様への挨拶は重要よね」
街は段々畑のようになっていて、幾重にも会談が重なっていた。三人はそんな階段をゆったりと昇って行く。
「この街は大きく分けて三層になっています。一番下が、商業地区や街の人々が住む場所。そして真ん中が学院の土地と≪暁の騎士団≫と言う騎士団の駐屯地。一番上が教会の土地となっています。」
「へぇ……そう、やって……棲み分けを、してい、る訳……なのですね。」
最上層に着くころには、クラリッサの息は完全に上がっていた。
「つまり、この街は山の途中にあると言う形なのですか?」
疲れ切ってしまっているクラリッサに代わり、タカオが質問する。クラリッサは既に地面に倒れ込んでしまっていた。
「そうですね。山間地域を開拓して出来た街だと聞いて居ます。」
「こ、この……この街は………お、年寄りには……辛い、街。です……わ」
クラリッサは暫くの間、倒れ込んだままだったが、タカオの手を取り立ち上がった。
「ク、クラリッサさんは……お、お若く見えますが、い、一体……何歳なのですか?」
「ウェン、ディちゃん、淑女たる……もの。自、分の年齢を明かす……事も、他人の年齢を聞く、事もしては……いけないのよ」
その声はきっと通常時であったならば、ニ人を恐怖の淵へ落とす事は容易かっただろう。しかし、あまりにも息が上がっていてそこまで恐ろしいとは思えなかった。
「さ、さぁ……教会に行きましょう」
そうして、目の前に見えている質素ながら品のある真っ白な教会に入って行く。
中の様子も外と同じく質素ながら品のある造りだった。
「あら? 十字架では無いんですね。あの像は一体?」
住民の一部が礼拝をしていた。
しかし、礼拝対象はイギリス在住のニ人が見覚えのある十字架では無く、真っ白い彫像だった。よく見れば、それは若い女性の像のようだった。
「……おニ人が、キリスト教の熱心な信者事を願いながら言いますが、トゥレンブラの住民が信仰しているのはキリストなどでは御座いません。"月の裏側"に住まうと言う"真実"。アルシバンデールと言う神を信仰しています。あの像の彼女は
タカオは不思議と嫌な予感と言うモノが芽生えて来た。田舎町が信仰する謎の神。怪しい要素が全て詰め込まれたような状況だ。クラリッサを見るとあまり気にしていなさそうな顔をしていた。
「ウェンディちゃん達……この街の人は、"月"に関わる単語をよく使うわよね。この街は月に対して信仰がある。と言う訳なのかしら?」
「早い話そうですね。」
「成程……そう言う事ね。理解したわ」
そう言うとクラリッサは、他の住民と同じように前へ出て真っ白い像に礼拝した。タカオは困惑しながらもクラリッサに倣う。
「私、アルシバンデール様と言う神様について気になるわ。その場合、どうすればいいのかしら?」
「そうですね……学院の図書館に行くか……」
「教会の聖職者に聞くのが一番ですよ。リード教授。それに、街の外から来たおニ人さん」
そう言って現れたのは、白いローブを身に纏った若い金髪の男だった。男は、爽やかで取っつきやすい性格に見えた。
「貴方は、この教会の聖職者様なのかしら?」
クラリッサは気さくに若い男に話しかける。
「えぇ、初めまして。外の街から来たお方。私の名前はリチャード・フォスター。この教会で助祭をさせて頂いております。と言ってもまだまだ新人ですが……」
そう言ってはにかむ。何処か可愛らしい男だった。
「成程、フォスター助祭殿。私達に"アルシバンデール"様については教えてくれないかしら?」
「勿論。構いませんよ。ただ、リード教授。そろそろ日没ですが、学院の方に戻らなくていいのですか?」
その言葉を聞いて、ウェンディは失念したような表情になった。タカオが自分の腕時計を見ると午後4時を回っていた。
「ご、ごめんなさい。私、学院に戻らなくちゃいけなくて……ま、また明日の……午前10時頃に宿の前で会いましょう! この街の案内をしますから!」
そう言って教会を駆け足で出て行った。それは、ニ人に有無謂わせない速さだった。
「学院は日没から始まるのかしら?」
「そうですね……その事に着いては、今から話す話が関係してきます。応接間があります。そこでお話致しましょう」
そう言って教会の奥の方へと連れられて行った。
教会の壁やステンドグラスをよく見て見れば、確かに月を模した意匠が多い事に気が付く。
ニ人が思いつく月の信仰と言えば、ギリシャ神話のアルテミスや中国神話の嫦娥だったりだ。しかし、この街の信仰はそれとはまた別系統にあるものだと推測した。
「この部屋で少々お待ちください。お紅茶をお持ちしますから」
そう言ってフォスター助祭は立ち去った。
Tips
アリス・ローレンス Alice Lawrence:
謎多き少女。
「──月の街:トゥレンブラにようこそ!」
未明の聖塔 The Dawnspire:
システムがめんどい(ウェンディ談)
魔法使いのような権威主義が蔓延っている(タカオ談)
本当にどうしようもない場所(ウェンディ談)
[月見つめのパイ]:
トゥレンブラのレストラン≪月見屋≫の名物料理。スターゲイジー・パイのトゥレンブラ風の言い方。
ローレンス学院 Lawrence Academy:
1811年にエドモンド・ローレンスと言う錬金術師が創立した学院。
最初は錬金術を専門的に教えていたが、最終的には歴史、宗教、医学、薬草学、言語学、哲学、文学、理工学などの幅広い分野を学べるようになっている。
現学院長兼錬金術学部長は学派と呼ばれる似た考え方同士に集団を潰そうとしている為、嫌われている。
エドモンド・ローレンス Edmond Lawrence:
自分の娘を蘇生させた偉大な錬金術師。ローレンス学院を創設した。
今は娘と共に隠遁生活を営んでいる。
トゥレンブラ:
町全体として、段々畑のようになっていて、3層になっている。1番下が、商業地区や街の人々が住む場所。真ん中が学院の土地と≪暁の騎士団≫の駐屯地。1番上が教会の土地となっている。
町全体として月に信仰がある。
アルシバンデール Alcybandale:
月の裏側に住まう真実の存在。
アルシバンデール教会 The Church of Alcybandale:
"月の裏側"に住まうと言う"真実"とも呼ばれるアルシバンデールと言う神を信仰してい教会。
リチャード・フォスター:
白いローブを身に纏った若い金髪の男。アルシバンデール教会の若い助祭。