トゥレンブラの書-The Book of Trumbrela- 作:式塚あきのり
「おや、貴方がタカオ・ナカムラさんですか? 教授から話は聞いておりますよ。僕の名前はケビン・スターリング。この研究室の助手です」
彼は人の良さそうな笑みを浮かべ、そう言った。その笑みはあまりにも輝いていて、眩しかった。
「あ、ど、どう……どうも。です」
折角、ウェンディに対しては喋るのがそこそこに上手になったと言うのに、初対面の彼。ケビン・スターリングに対しては、言葉が詰まってしまう。
「僕の事は気軽にケビンと呼んでください。タカオさん」
「は、はぃい……」
僕の声は分かり易く揺らいだ。
視界が泳ぎ、今になって彼が今まで何と向き合っていたのか明らかになった。彼が向き合っていたのは、古いパソコン。少なくとも2000年代初頭の分厚いパソコンだった。
パソコンの近くを見れば自家発電機が置いてあり、その発電機で電力を供給しているようだった。
「え、えぇっと……その、助手さん。ですか?」
僕は相変わらず上手く声を出せなかった。
「えぇ。まぁ雑務係のようなものですよ。教授が研究に没頭してしまうと、周囲の現実的な作業は全部僕の仕事になるので」
ケビンは肩を竦め、苦笑を浮かべた。その笑みは柔らかく、どこか諦めを含んでいた。ウェンディの方を見れば、苦笑いを浮かべていた。
ウェンディの後ろ、部屋の中央には球体の装置が据え付けられている。金属と水晶が組み合わされた地球儀のような、奇妙な機械のように見えた。それはあまりにも神話的で超常的だった。
その球体中心には淡い蒼光が浮かび、ゆらゆらと呼吸するように明滅していた。
「その……これは?」
「これが、内視的錬金術の基礎装置──内視炉ですよ」
全く聞き覚えの無い言葉が耳に滑り込んできた。そもそも、内視的錬金術とはなんだ?
「ご、ごめんなさい。聞き覚えの無い言葉だらけに混乱してしまいますよね。……内視的錬金術。それは、物質を観測する事です。えぇっと……その、錬金術の結果だけではなく錬金術の経過も観測しよう。と言う話なのです」
驚いた。単純に驚いた。
元来、錬金術師は結果を各々が目指す結果を追い求める生物だった。結果さえ得られれば、過程に興味を持たない者だっている。第一に自分自身がそうだった。
「錬金術とは、確かにその行為によって生じる結果にこそ価値が宿るものです。けれども、結果だけでは、錬金は未だ死体のままです。偶然という名の腐臭を帯びた成功は、論理の衣を纏った虚構に過ぎません。その真理を、初めて私に教えてくださったのが、エドモンド・ローレンス先生でした。先生は、私に"錬金術師が歩むべき正しい道"を示してくださったのです。それは確かに存在しておりました。けれど、そこには火が灯っていなかった。暗く、冷たく、人々は恐れ誰も足を踏み入れぬ原初の闇。人の眼には到底映らぬその場所を、先生だけが見通しておられたのです。私はその時、悟りました。ああ、先生こそは太陽なのだ。我々の魂を溶かし、蒸留し、再結晶させる永遠の太陽。私の知覚は先生の光によって焼かれ、内側から再び形を変えました。それは死無き、生まれ変わり。この世界の摂理を飛び越えた出来事だと実感しております。何よりもローレンス先生は──「コホン!」
ウェンディの崇拝じみた言葉が紡がれ続ける事を阻止したのは、ケビンだった。
「教授。お客人が困惑なされていますよ。全く、貴女はすぐに人を置いて、長ったらしく話始めるのですから……」
「あ、いやぁ~。ごめんなさいね。タカオさん。ちょっと、話し込んでしまう性分で……てへへ」
そう言ってウェンディは苦笑いを浮かべ、ケビンはため息を吐いた。どこか、ケビンの不憫さには身に覚えがあった。僕もまた、苦笑いをする。
「さ、タカオさん。私はタカオさんに是非この研究室の一員になった欲しい。その意図でここに連れて来たのです。どうぞ、内視炉をご覧ください」
ウェンディはニッコリと笑顔を浮かべる。その笑顔は"内視炉"の仄暗く灯る蒼い光に照らされて、少し不気味に感じられた。
「この炉は、物質の“内側”を覗くためのもの。分子でも、構造でもない。観測の外にある“概念の裏側”を視るためのものなんです」
続けて僕の背中を優しく押した。その手に少しの恐怖を覚えた。
「恐れなくてよいですよ。タカオさん。教授の言葉を半分だけ信じてください。もう半分は……夢の話だと思っておけばいいですから」次はケビンの優しい声が後ろから聞こえて来た。
「夢……ですか?」
「えぇ。だけど、夢の中で真実を見る──それが教授の研究理念なんです」
奇妙な研究理念だと思った。夢については、未だ"人間"達の中でも確固たる情報を得られていない。そして、魔術界でも詳しい事は分かっていない。とても幻想的な現象である。若しくはとても現実的な現象である。どちらでもあってどちらでもない。
ウェンディはどう思っているのだろうか?
「夢は、世界の裏側への門なんです。誰しも眠りの中で一度は“月の裏側”を通る。それを意識的に覗こうとしたのが、この研究です」
彼女の声は今までに無く近く、彼女の声が耳の中、脳へと直接染み渡るように感じられる。
僕は内視炉に備わっていた除き窓から炉内を見る。
――――――
『お前は一体、いつまでそんなに愚図なんだ! 少しは成長せんか!』
聞き飽きた怒声。それは、確かに自分の父親である事が瞬時に分かった。
どうしてだろう? 親父は遠い昔に勝手に死んだ。それなのにどうして、親父の声が聞こえるのだろう?
『覚えが酷く悪い。俺が取って来た弟子よりも酷い。そんなのが俺の倅か!』
聞き飽きた怒声。親父はいつもそんな事を言っていた。それは怒りでもあり嘆きでもあった。
――――――
『ったく、何故そんな結果しか出せぬのか!? お前はそれでも中邑家の倅か!』
『僕は、望んでお前の元に生まれてきたわけじゃない!』
暗転
赤。赤。赤。
あの日は、僕が初めて親父に歯向かった日だった。言葉を発した直後は気分が良かった。しかし、すぐに親父の棍棒のような拳が僕の顔に飛び込んできた。
『親に! ましては父親に生意気な口を効くな! こっちはな、お前が大層大事にしている"妹"を殺す事だって簡単に出来るんだ! 二度と口答えをするな。二度とだ!』
僕は、恐怖の権現たる親父から決して逃げられなかった。愛している妹が居たから。生まれた時から体が弱い可哀想な妹が居たから……。
――――――
風に靡く白くカーテン。──向こう側には"色"がある。彼女はその"色"に触れる事が出来ない。
『ねぇ、■■? どうして、僕達ってこんなにも不幸なんだろう。どうして、これまでに不条理を被らなくちゃいけないんだろう?』
凛と咲く白い百合の花。──それは造花。本物の花は置けない。
『僕達より不幸な人はきっと居るよね。僕達は地球上では随分と幸福な方だよね。』
整頓され清潔な白いベット。──病的なまでに生活な部屋。彼女はそこで過ごす他ない。
『大丈夫だよ。■■。僕は
骨と皮になってしまった可哀想な白い妹。──彼女の震える手を握りしめたい。その願いは叶わない。僕は妹に触れられない。哀れな、可哀想な妹に触れる事は許されない。
――――――
『どうして、神様はいつだって不条理なんだろう。僕も■■も何もしてないじゃないか!』
僕が僕の目の前に立っている。不幸な目をして立っている。
『神のような崇高な存在は、僕らのような凡人には眼差しさえ向けないんだ。』
僕が僕の目の前に立っている。その目は嗤っている? 僕を嘲笑っている?
『だったら、僕自身が解決しなければならない。僕自身が……僕が!』
僕が僕の目の前に立っている。僕に何かを渡してくる。それは、それは、それは……それは、何?
それは、月光を受けて銀色に煌めいた。
――――――
──僕だ。そうだ、僕だ。僕が、僕が親父を殺したんだ。親父は勝手に死んだんじゃない。僕が、この手で。この手に握られたナイフで親父と言う1人の人間を滅多刺しにして殺したんだ。
二度と鼓動を刻めぬように心臓にナイフを突き刺したんだ。
二度と僕を蔑みの眼差しを向けぬように眼球を抉り出した。
二度と息が入らないように肺にナイフを突き刺した。
二度と僕を殴れないように指を切り刻んだ。
二度と動けないように四肢を切り分けた。
二度と口を効けぬように首を斬った。
――――――
僕は2001年の冬の日に、親父と言う1人の人間を肉塊に変えること成功してしまったが、その日のうちに妹が入院してる病院に妹を殺す為に行って、妹も絞め殺してしまったような記憶がこびり付いて消えないけど、それは多分嘘の記憶であって僕はきっと狂気に侵されているだけで、記憶を汚染されていて、きっと親父と妹を殺したのは多分イスラム教徒で、アメリカで同時多発テロが起きた余波でしかなくて、僕の親父と愛すべき妹はそんなテロの延長線で殺されたってやつで、だからこそ僕はイスラム教徒にと言うより、タリバン政権に憎悪を抱かなくてはいけないんだけど、そんな感情を一度も抱いた事が無いようなあるような、気がするけどもしかしたら日本国内に居た新興宗教のテロかもしれないけど、実際問題、僕自身の記憶は誰よりも僕が信じる事が出来ないわけだから、きっと過去の僕はそんな特定宗教に対する憎悪を抱いていたのかも知れないけど、今の僕には分からないんじゃなくて、本当は僕が親父を殺した。愛すべき妹は最初から……存在していなかった。
親父を殺したのは僕自身。
妹は最初から存在していなかった。
親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。
妹は最初から存在していなかった。
親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。
妹は最初から存在していなかった。
親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。
妹は最初から存在していなかった。
親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。
妹は最初から存在していなかった。
親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。
妹は最初から存在していなかった。
親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身。親父を殺したのは僕自身
妹は最初から存在していなかった。
親父を殺したのは僕自身。
嘘だ。嘘だ。僕はそんな事を信じたくない。
僕の心の中にある確固たる何かが崩れ始めたように思えた。その様子は矢鱈と美しく蒼い光を灯していた。
何故見えるのだろう?
それは、とても僕には知り得ないことだ。きっと、ウェンディならば何か知っているのかも知れない。
――――――
僕は今、蒼い海を縦横無尽に泳ぐ自由な魚だった。蒼い光は確かに僕の身体を、髪を、顔を、黒い瞳を照らし僕は輝いていた。
そうだ、生命は水の中より生まれた。水こそ、生命が帰還せし場所。僕が帰る場所なんだ。
生命はいつの日か、水に帰りその存在を水に希釈させる。溶けて行く。そうして、生命は本当の終わりを告げる。
きっとそうだ。
苦しい事は無い。悲しい事は無い。憎らしい事は無い。恨めしい事は無い。
僕は自由だ。自由の生命だ。
――――――
寄せては返す。寄せては返す。
波の音が聞こえるだけの静かな砂浜に僕は座っていた。磯の匂いが心地よく僕の鼻腔を通り抜け、肺を埋め尽くす。
僕の隣には、少女が座っていた。月光を溶かしたかのような髪、白磁のような肌、琥珀の瞳。その微笑みは、あまりに無垢でありながら、どこか造り物じみていた。
「君はさ、僕は何処に帰るべきだと思う?」
僕は隣に座る名前すら知らない少女にそう問いかけた。いつもだったら、酷い吃りを披露していただろう。けれども、今回ばかりはスラスラと言葉を発する事が出来た。まるで、妹と話している時のようだった。
『貴方が"家"と決めた場所だよ』
少女の優しい声は、妹の声にも聞こえた。
「僕の……"家"」
『貴方の生まれた場所はどんな場所だったの?』
「そりゃあ、もう、本当に最悪な場所だったんだ。お袋は僕が自我を持つ前には死んでるし、親父は僕の事を殴る事しか考えてない! 本当に最悪だった。」
名も知らぬ、事情も知らない少女に親の愚痴を言って何をしてるんだろう。と一瞬考えが過った。しかし、すぐに思考は霧散し消え去った。
「けど、いいんだ。僕はもうあんな家に帰らなくていいから。僕は自由の生命だから、自由にあちらこちらに行く事が叶う」
『それだと、安心する"家"は無いの? 地球は悲しさだけが、不条理だけが滞在する荒野だよ。その荒野を彷徨う事は寂しくない?』少女の声は悲しみに満ちていた。
「……そうかも知れない。僕は"家"が欲しい。けど、僕は"家"を壊したんだ。」
『ううん。大丈夫。大丈夫なの。例え、貴方が自分の"家"に自分の産まれた国に居られなくなったとしても。貴方が、この地球上の全ての場所から拒絶され、追放されたとしても、トゥレンブラは貴方を受け入れる! トゥレンブラはこの地球上にある唯一にして至高の街なの!』
少女の声はそう続けた。その少女の声は優しく、慈愛に満ちた聖女のような声に思えた。
『トゥレンブラは全てを受け入れる! 皆が幸せになれる楽園だもの!』
「嗚呼、僕が追い求めていたものは……ここに、あったのか? 安息の地。誰にも殴られず、不条理なく、幸せに暮らせる場所。僕の楽園は遠い異国の地にあったのか……」
――――――
意識が浮上していく、僕の身体が海面に、空中に浮かび上がる。
「だ、大丈夫ですか!? タカオさん、大丈夫ですか!?」飛び込んできたのは、ウェンディとケビンの声だった。
その声の主を理解した時、僕は自分の様子を理解した。
硬い研究室の地面に倒れ込み、天井を虚ろな目で見ている。そして、そんな僕を2人が揺さぶっている。
「す、すみません。ちょっと、ちょっとだけ……悪い夢を見ただけです」
ケビンの手を借りて立ち上がる。2人は心配そうに僕を見つめて、ウェンディが思いついたように奥の部屋に駆け込んで行った。そして、ティーカップを持ってきて僕に差し出した。
「お紅茶です。これでどうにか落ち着いてください」
「あ、ありがとうございます」
別に皮肉を言いたい訳では無いが、イギリス人は本当に紅茶が好きすぎると思う。どんな場面であったとしても出てくるものは、必ず紅茶だ。
「無理に思い出さなくてもいいんですけど……もし、思い出してくれるとしたらでいいんですけど……。どんな風景を見たんですか?」
ウェンディは静かに聞いて来た。ケビンはそんなことを聞くだなんて正気か。と言う顔をしていた。
「……ごめんなさい。何も覚えて居ないんです。……あの中には何が入っていた──「失礼します!」
若い男の声が聞こえた。ケビンが驚いた様子で部屋のドアに駆け寄り、ドアを開けた。
「お、おや。ハースト君、一体なんだい?」
「クラーク学院長がタカオ・ナカムラさんをお呼びです!」