「それで、おめおめ逃げ帰ってきたわけかい。」
老女神はからかい交じりに言った。
「酷い言いようだ。そもそも戦うなと言ったのはラケシスの方じゃないか。」
バベルより東と南西のメインストリートに挟まれた小さな区画に隠れるように建てられた館で、2人と1柱が談話していた。
1柱は神ラケシス。
見透かすような透き通った目以外は、どこにでも居る老婆の姿をしている。
加えて神でありながらその身からは一切の『神威』が感じ取れない。
一部の神々は纏う『神威』を完全に隠蔽することができるというが、常にそうする奇特な神は彼女だけだろう。
そして1人はネフィリス。
ダーク・エルフ特有の褐色の肌に菫色の瞳、黒曜石を思わせる艶やかな黒髪を持ち、エルフにしては短い耳は彼女が混血である事を示していた。
そんな彼女は従者のように青年の後ろに控えている。
その青年こそ最後の1人アトラ。
初雪を思わせる白髪に黒と見紛う深い蒼の瞳、肌は不健康そうなくらいに真っ白だ。
世俗離れした容姿だが何より特筆すべきは、額から突き出るように生えた10(セルチ)程の角。
人種のるつぼたるオラリオにおいて尚異様と言う他ない。
「それでどうだったんだい? 面白いものが見れたんだろう?」
「まぁね。・・・話すのは構わないけど、約束が先さ。」
「約束ぅ?そんなものあったかねぇ?」
「恍けるなよ。『100階層を踏破すれば全て教えてやる。』貴女の言葉だ。」
おどけるように言う主神に珍しく苛立ちをあらわにした。
場が緊張を孕む。
これ以上白を切るなら主神と言えど只では済まさないとその気迫が伝えていた。
「怖いねぇ。分かったよ。ただ、もうすぐ家の暴れん坊が帰ってくる。
話はそれからさ。」
見計らったかのように扉が開かれる。
「兄貴、姐さん、戻られてたんすか」
2M近い巨漢、黄金の鬣を携えた獅子の獣人、覇者の風格さえ漂うその男は全く似合わない口調で2人に声を掛ける。
ラケシス・ファミリア最後の一人、ライオネル=グランシャリオス。
それが彼の名だった。
「お帰り、ライオネル。ラケシスが面白い話をしてくれるというんだ。
君も座って聞きなよ。」
「へいっ!」
断れば明日の日の目を見れなくなる。
そう『直感』したライオネルは力強く返事をした。
ラケシスはカップに注がれた紅茶を優雅に飲み始める。
そんなあまりに悠長な姿に、ライオネルは冷や汗が止まらなかった。
数秒が永遠にも感じられる中、ようやくカップを置いた。
「さて、どっから話始めたものかね」
どうやら本当にただ喉を潤しただけらしく、ラケシスは当時を懐かしむようにぽつぽつと話始めた。
「迷宮の奥には神が眠っているのさ」