あくまで、時間軸の調整だけで、物語の大きな変更はありません。
乙骨憂太が留年していたなんて、知らなかったんだ…。
僕は、ひきこもった。
せめて、僕の手の届く範囲の人だけでも守れたら――そう思っていたのに。
僕は、一番近くにいた憐花ちゃんのことを、傷つけてしまった。
彼女の悲鳴が、僕の中を焼いた。
あの瞬間、僕は彼女の痛みを受け止めきれなかった。
守るどころか、壊した。
僕は何のために生まれたんだろう。
彼女の代わりに生まれたはずなのに。
彼女が壊れないように、彼女の痛みを引き受けるために。
なのに、僕が彼女を追い詰めた。
もう、何もしたくない。
動くたびに、誰かの傷に触れてしまう。
言葉をかけるたびに、誰かの心を揺らしてしまう。
僕が静かにしていれば、憐花ちゃんは壊れなかったかもしれない。
僕がいなければ、彼女はもっと穏やかに生きられたかもしれない。
夢の中で笑ってくれた彼女の顔が、今は遠い。
僕の声は、もう届かない。
触れようとすれば、彼女は奥へ奥へと沈んでいく。
ごめん。
憐花ちゃん、ごめん。
僕は、君を守りたかったはずなのに。
***
部屋の中は、静かだった。
カーテンは閉め切られ、時計の針の音だけが、時間の流れを知らせていた。
僕は、毛布にくるまったまま、動かない。
誰とも話さず、誰にも触れず、ただ息をしているだけの毎日。
そんな沈黙を、突然――
「ピンポーン」
インターフォンの音が、部屋の空気を裂いた。
反応しない。
けれど、玄関のモニターには、袈裟を着た男が映っていた。
長い髪を後ろで束ね、穏やかな笑みを浮かべている。
夏油傑だった。
「こんにちは。乙骨憐花さん、いらっしゃいますか?」
柔らかな声で、囁くように響く。
「近くを寄りましたので、ご挨拶だけでもと思いまして。ああ、もちろん、無理に出てこなくても構いませんよ。ただ、少しだけ――お話がしたくて」
モニター越しの声は、かすかにではあるが、まるで部屋の中に直接届いているかのように鮮明だった。
僕は、毛布の奥へとさらに身を沈める。
もう何もしたくない。
その日は、母が対応した。
「また来ます」と言い残して帰っていったらしいが、それ以降、彼がこの家を訪れることはなかった。
***
ひきこもっていると、時間は驚くほど速く過ぎていくようで、気がつけば、もう正月になっていた。
外の世界の喧騒も、季節の移ろいも、毛布の中では遠い夢のようだった。
そんなある日、一通の手紙が乙骨家に届いた。
差出人は――お兄ちゃん。
宛名は、妹である僕だった。
はじめは、ただ机の上に置いておいた。
封を切る気にもなれず、視界の端にあるだけで、触れることはなかった。
けれど、日が経つにつれて、少しずつ中身が気になり始めた。
読んでみようと思ったのは、手紙が届いてから、しばらく時間が経った頃だったと思う。
手紙の冒頭には、謝罪の言葉が綴られていた。
そして、里香ちゃんが成仏したこと。
高専での近況など。
今のお兄ちゃんが、どんな日々を過ごしているのか――そんなことが、丁寧な筆致で書かれていた。
そして最後に、こう書かれていた。
「あんなことがあったから、直接会うのは難しいかもしれないけど……せめて、手紙での交流ができたら嬉しい。もし、許してくれるなら、返信を待っています」
僕は、それを読んでも、もう何も感じなかった。
心が動くことはなかった。
けれど――憐花ちゃんが、少しだけ表に出てきてくれたような気がした。
何を思っているのかは、わからない。
でも、彼女が少しでも前を向いてくれるなら。
そう思って、僕は、お兄ちゃんとの文通を始めることにした。
文通を始めると言っても、何を書けばいいのか、最初はまったくわからなかった。
だから、手紙の冒頭にはこう書いた。
「僕は、お兄ちゃんのことを恨んでもいないし、怒ってもいないよ」
恨む。怒る。
その感情が自分の中にあるかどうかも、よくわからなかった。
僕は、あの出来事のすべてを知っているわけじゃない。
だから、許すとか許さないとか、そういう立場にいる気がしなかった。
憐花ちゃんが、今お兄ちゃんをどう思っているのかも、僕にはわからない。
それでも、手紙の冒頭にその言葉を置いたのは、たぶん――そうするしかなかったからだと思う。
始めてしまえば、あとは少しだけ楽だった。
そのあとは、かつて分身たちに全国を旅させたときに見た、きれいな景色のことを書いた。
海の青さや、山の静けさ。
夜の風の匂いや、朝焼けの色。
誰とも言葉を交わさずに見た風景たちを、ひとつずつ思い出しながら、ゆっくりと綴っていった。
それが、僕にできる精一杯の「こんにちは」だった。
***
それから、何度か手紙を交わした。
季節のことや、見た風景のこと。
お兄ちゃんの近況や、学校での出来事。
そんなやりとりが、ぽつぽつと続いていた。
でも、僕の手紙には、僕自身の近況がほとんど書かれていなかった。
何をしているかとか、どう過ごしているかとか――そういうことは、意識して避けていたわけじゃないけれど、自然と書かなくなっていた。
それに気づいたのか、お兄ちゃんが「なんか様子がおかしいんじゃないか」と怪しみ始めて。
そして、ついに――様子を見に来ることになってしまった。
僕は、別にお兄ちゃんのことを嫌っているわけじゃない。
むしろ、手紙をくれるのは嬉しかったし、返事を書く時間も、どこか落ち着くものだった。
でも――憐花ちゃんが、どう反応するのかが、怖かった。
彼女が何を思っているのか、僕にはわからない。
だから、ずっとその話はぼかしてきた。
「元気だよ」とか、「こっちは変わりないよ」とか、そんな言葉でごまかして。
けれど、最近届いた手紙に、こう書かれていた。
「そっちの様子を、少し見に行こうと思う」
……僕は、僕は、どうすればいいんだろう。
***
side : 憂太
最初の手紙を出すとき、僕はすごく緊張していた。
何を書けばいいのか、どこから始めればいいのか、何度も下書きを書き直して、ようやく投函した。
返事が来るかどうかもわからなかったから、ポストに届いた封筒を見たときは、思わず声が出そうになった。
嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
でも、何通かやりとりを重ねるうちに、少しずつ違和感が出てきた。
手紙の文面は丁寧で、言葉もやわらかい。けれど、そこに“今”がなかった。
季節のことや、昔見た風景の話は書いてあるのに、学校のこととか、日常のこととか、そういう近況がまるで触れられていなかった。
最初は、そういう性格なのかなと思っていたけど――なんとなく、違う気がした。
だから、ある日、思い切って真希さんに相談してみた。
「それって、何か隠してるんじゃないか?」と、彼女はあっさり言った。
パンダ君も、「うーん、ちょっと気になるな」と首をかしげていた。
それでも、僕は迷っていた。
踏み込んでいいのか、わからなかったから。
けれど、どうしても気になって、最後には、連絡したくなかった両親にまで話を聞いてみた。
そしたら――彼女が、今、ほとんど家から出ていないことを知った。
僕は、しばらく何も言えなかった。
手紙の中の、あのやわらかい言葉たちが、急に遠く感じた。
それでも、僕は、彼女のことを信じたいと思った。
だから、決めた。
様子を見に行こう。
直接会って、話せるかどうかはわからないけど――それでも、行かなきゃいけない気がした。
彼女が、僕に手紙を返してくれたように。
今度は、僕が、ちゃんと向き合わなきゃいけない。
久しぶりに、妹と会話をした。
部屋の扉を挟んでだったけれど、それでも声が聞こえたことが、僕には嬉しかった。
直接話したいと思っていた。
でも、扉の前でそう言った僕に、彼女はこう返した。
「憐花ちゃんがどうなるかわからないから、だめ」
その言葉に、僕は少しだけ違和感を覚えた。
“憐花ちゃんがどうなるかわからない”――それは、彼女自身のことなのに、まるで他人の話みたいだった。
けれど、問い詰めることはできなかった。
扉の向こうの声は、少しだけ震えていたから。
「……そっか。ごめん」
僕はそう言って、少しだけ間を置いた。
「手紙、読んでくれてありがとう。返事も、嬉しかった」
扉の向こうから、かすかに「うん」と返ってきた。
それから、少したわいのない会話が続いた。
天気のこととか、最近見たテレビの話とか。
短い時間だったけど、今日はそれだけで十分だった。
でも、やっぱり――あの言葉の違和感は、胸の奥に残ったままだった。
廊下に立ったまま、ふと周囲を見渡す。
壁の色も、床のきしみも、昔と変わっていない。
僕が家を出てから、どれくらい経ったんだろう。
懐かしいような、遠いような。
そんな気持ちが、静かに胸の中に広がっていった。
それから、何回か高専から実家に通った。
妹の様子を見に行く日々が、静かに続いていた。
扉越しの会話は、少しずつ増えていった。
短い言葉でも、返ってくるだけで嬉しかった。
でも――違和感は、日に日に大きくなっていった。
話しているのは、たしかに妹の声なのに、そこに“憐花ちゃん”がいるのかどうか、わからなくなる瞬間があった。
言葉の選び方。間の取り方。
何かが、少しずつずれているような気がしていた。
僕は、何度も自分の気のせいだと思おうとした。
でも、どうしても拭えなかった。
だから、家入さんに相談することにした。
医者としてだけじゃなく、呪術師としても信頼できる人。
本当は、誰かに頼るのはまだ早いんじゃないかと思っていた。
でも、僕ひとりでは、もう見極められない気がした。
***
高専の医務室にて――
「……解離性同一性障害?」
僕は、思わず聞き返していた。
家入さんは、カルテのようなメモを見ながら、淡々と答える。
「ああ。要は“多重人格”って呼ばれてるやつだな」
僕は言葉を失っていた。
でも、家入さんは続ける。
「話を聞く限り、離人症の傾向がある。自分自身が自分じゃないように感じるってやつだ。それが進むと、自分の中に“別の誰か”がいるように感じることもある」
「……それって、憐花が……?」
家入さんは、少しだけ目線を僕に向けてから、また視線を落とした。
「お前の妹だとすると、幼少期にかなりのストレスを受けてるはずだ。里香の件もあるし、家族の空気も、あまり健全とは言えない。そういう環境で、心が分かれてしまうことは、珍しくない」
僕は、胸の奥がざわつくのを感じていた。
憐花の声。言葉の選び方。
あの“憐花ちゃんがどうなるかわからない”という言い方。
「……じゃあ、今、話してるのは……憐花じゃない可能性もあるってこと?」
家入さんは、少しだけ息を吐いて、言った。
「可能性はある。けど、断定はできない。ただ、違和感を覚えるなら、それは無視しない方がいい」
僕は、静かにうなずいた。
怖かった。でも、向き合わなきゃいけないと思った。
なんか、オリ主がひきこもっちゃった…。
「なんでこんなことしたのよ!」
「あんた作者でしょ!どうしてこんな展開にしたの!?」
作者「ノリで」
「この物語の結末はどうするの!」
作者「それは作者にもわからん」
……こんな状況。
いやー、めちゃくちゃだな。アハハハ。