「待って!まって!」
私、錠前サオリは今、最愛の人を追いかけていた。字面だけだとロマンチックだが、現実はまったく違っていた。
一方は叫び声を上げ、一方はあらゆる水で顔をぬらしている。それは、ロマンチックというより悲劇的であった。
「違う…違う違う!!」
苦しそうな声。痛々しい。ハジメ、そんな声を出さないで。どうしてもなら、私が一緒に苦しむから。
私達は駆けた。水が滴る洞窟を。私達は踏みしめた。お互いの罪を。
じめっとした空気が、凍えて私の肺を裂く。それでも、痛みに耐えながら、私は足を必死に動かした。
今なら話し合える気がした。きっと、私を止めたのはハジメの本心だったから。これは、確信であった。
「サオリ!ハジメ!」
聞き覚えがある声。汚らわしい希望がつまった声。いつもなら嫌悪の対象だが、今となっては全く何もなかった。それは、私の心の余裕を表していた。
「アズサ…」
アズサが目の前に現れた。ハジメも足を止めた。苦しそうに頭を抱えている。今にも駆けつけたい衝動が出る。
「良いだろう…全てをかけて、最後の戦いにしよう」
それでも、決着は私の使命だから。私は、アズサと戦わなくちゃいけないから。
「思い知るんだな…私の力を、私達の覚悟を!!」
先生もいる。しかし、それでも私の覚悟は変わらない。
「その大人諸共思い知らせてやる…人生は無意味だと、な!」
"アズサ、行こう"
「ああ…先生」
私達は剣を取った。剣を取るものは、剣で滅びるというが、それでも本望だ。
それはどちらも変わらないだろう。どちらも、愛する者のために死ぬのだから。だから、私は剣を取った。
手始めに無造作に銃を発砲する。いつものはハジメに壊されたが、予備があった。…ハジメの銃だ。ハンドガン。私が心配で、ハジメから取り上げた。
その銃には、『Joy to the world』と刻印されている。どうやら、世界の幸せを願っている言葉らしい。なんて素敵なんだ。私はそう感じた。同時に、なんて残酷なんだ。とも思った。ハジメはそれを願うような、優しいやつなのに、こんな、血に塗れて、傷付いて…。ああ、ハジメ。だけど、もう大丈夫だ。私が救うから。
「っ!サオリ!その銃は!」
アズサも気づいたらしい。ずっと一緒にいたから、当然か。
「ああ!そうだアズサ!これが私達の覚悟だ!」
一発命中。しかしまだ本格的にダメージは無い。
アズサは先生からの支援を受けながら銃を乱射する。四方八方に飛びながら闇の中射撃してくるその様は、まるで花火のようにきれいだった。
その姿に見惚れながら私も立体的に対応する。…嫌でも分かる。先生の力というのは、どうやらとても強力なようだ。
あまりにも的確な指示に、私は冷や汗をかいた。何をするにも、誤差すらない。それは人間業ではなかった。機械よりも精密で、芸術家よりも多様な、それが先生の業だった。
「サオリ!もうやめるんだ!こんな事、誰も望んじゃいない!」
アズサが戯言を言う。あまりに的外れだ。
「望んでない?面白いことを言う!他でもない、私が望んでいる。理由はそれで十分だ」
攻撃のギアを上げる。心拍数が急上昇する。血流が巡る。アドレナリンを過剰に放出しながら、アズサに接近戦を挑んだ。
「くあっ!」
頭にヒット。リロードの時間が惜しい。アリウスで受けた教え通り、銃で頭を殴りつける。
「どうだ!アズサ!これが!覚悟だ!!」
殴りつけながらそう叫んだ。自分に言い聞かせるように、ハジメに言い聞かせるように。
しかし、その手は掴まれた。一瞬の隙を伺って、アズサが攻撃した。
「くらえっ!」
お腹に鈍い衝撃が走る。胃の内容物が逆流する。反射的に口を押さえたくなるが、我慢した。
「…アズサ!」
アズサの手を銃の柄で殴る。3発でやっと外れた。
「ぐあっ…」
私は離れて、リロードの時間を作り出した。アズサも同じく、ぼろぼろになりながらリロードをする。
これがおそらく最後のマガジンだろう。私はマガジンに決意を込め、殺意を入れた。
静寂が私達を重く包む。あるのは滴る水滴と、カタカタと、怯えるように震える岩たちのみだ。
リロードが終わる。静寂が続くなか、緊張に耐えきれないかのように、戦いの合図を出すかのように、ぽちゃんと、岩が水たまりに飛び込んだ。
「アズサッ!」
「サオリッ!」
2つの名が木霊する。一方は希望を、もう一方は悲観を表す。
引き金に万感の想いを乗せて力を加える。しかし、その弾が撃たれることはなかった。
「やめろ!!」
ハジメが頭を押さえながら間に入ってきた。
私達は驚愕した。その声は、元のハジメそのものだったから。
私は泣きそうになった。懐かしい暖かさ。それは私を感激に震わせた。
「やめて…やめてくれ…もう、もうこれ以上は…」
掌で顔を押さえていた。指の間からは、涙が見えた。
"ハジメ…だよね?"
「ッ先生!」
"大丈夫だよ、アズサ"
ハジメに近づく先生をアズサが止めるが、先生がそれを止める。その顔は余裕が書いて貼ってあるようだった。
「先生…?く、来るな!また心が、感情が…」
先生が近づくと、またハジメが暴れ出す。同時に、体が変形する。
より棘棘しく、より巨大に、より悍ましく、悪魔にでもなるのかと思うほどの姿になる。
"大丈夫だよ、ハジメ。私は、先生だから"
慈愛を込めた声でそう言った。私には出せないだろう。それを自覚すると、胸がキュッと締まる感覚に襲われる。
きっとハジメに必要だったのはこれなのだろう。それは、私が持っていないものだ。
ハジメが盗られる気がした。私のものでもないのに。
「先…生」
ハジメは遂に見つけたのだろう。頼れるものを、必要なものを。それは、私ではなかった。私達ではなかった。
どうやらアズサも同じ感情に苛まれているらしい。嬉しいような、悲しいような、複雑な表情でそれを見つめていた。悲しみが勝っている気がした。
"ハジメ。聞きたいことがあるんだ"
諭すように言った。落ち着く声だ。
"何が目的で、ハジメは行動したのかな?"
責める感情もない。自分が殺されかけたというのに、慈悲深いにもほどがあった。
「俺は…俺は、自分の気持ちを整理したくて…自分の存在意義を否定された気がして…むしゃくしゃして…」
「俺はただ…『特別』になりたくて…」
その言葉は懺悔であった。涙を流しながら、自分の本心を告白している様は、神々しいものがあった。
"…ハジメはもう、『特別』だよ"
嘘のような言葉に、嘘は見つけられなかった。
「誰が言う…お前に何がわかる!!俺の劣等感を、俺の悲しみを!俺の苦痛を!!」
体の鱗がさらに大きくなり、黒ずむ。激情の匂いがする。
"確かに、私にハジメの気持ちは分からない。私は君ではないから。それでも、ハジメが特別だって言うことはわかる"
「…どういう…ことだ?」
"ハジメ。周りを見てみて。サオリ、アズサを見てみて"
ハジメがこちらを見つめる。こちらをのぞき込んでくる。
ハジメの目を見つめる。ハジメの目に映っている私は、顔を少し赤らめていた。
"分かった?ハジメ。君は、皆から『特別』に思われているんだよ"
"だから…そんな悲しい目をしないで"
その瞬間、ハジメの身体から鱗が落ちる。目からも、ポタポタと落ちる。
「そうか…俺は、ずっとその言葉が欲しかったんだな……」
その姿は、ひどく衰弱してたが、どこか清々しいようでもあった。
そんなハジメに、先生は優しく、手を差し出した。
ビリッ
瞬間、脳に雷のような衝撃が走る。まただ。でも、あの時よりさらに強い。
『本当に…それを望んでいるのですか?ハジメ』
声が聞こえる。脳が拒否反応を起こす。もう、やめてくれ。ハジメに試練を与えないでくれ。もう、ハジメは十分頑張った。だから、やめろ。
『本当にそれで、あなたの欲望は満たされるのですか?』
「それは…それは…」
再び鱗が生える。嫉妬が漏れ出ている。
『なぜそのような者を信じるのですか?今会ったばかりなのに』
「ぐあああああ!!」
鱗で覆われる。それは、さっきよりも大きく、さっきよりも酷かった。
『私は貴方の神である…他に、神は居ない』
鱗が顔を包む。もう表情は見えない。あの、ハジメとの記憶も、汚された気がした。
「ハジメ…ハジメ!ハジメ!!」
名を呼ぶが、もう帰ってこない。もう、おかえりも言えない。憤怒とも言えない無力感が、私に入り込む。
『行くのです…欲望に忠実に、貴方の赴くままに…』
『私は、あなたのすべてを認めましょう』
見えない。怖い。悲しい。虚しい。
膝から崩れ落ちた。反射的だった。
やはり全ては虚しいのだろうか。全てに意味なぞ、ないのだろうか。
「ぐああああ!」
ハジメから発せられる、ハジメではない声がする。それはまさしく絶叫であり、まさしく絶望であった。
音波が洞窟を響かせる。耳鳴りがする。そのまま何も聞きたくないと感じた。
「Vanitas vanitatum ……et omnia vanitas……」
教えをつぶやく。これは呪いの言葉であろうか?
「だからこそ…だからこそ…」
違う。これは祝福である。これは愛であり、真の言葉である。
「精一杯…生き続けるんだ!」
私は再び剣を取った。愛する者のために、私のために、私達のために。
アズサも立った。さっきまで殺し合っていたのに、そこには確かに信頼が芽生えていた。
私達は違う。顔、身体、考え方、人間関係、信じるものの違い。
だけど、私達の愛だけは同じだった。負けるつもりはないが、同じ程度あるのはそうだった。
「…行くぞ、アズサ!!」
「言われなくても!」
始めの一歩、それを、私達は踏み出した。
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「クックック…これは凄い…凄いですね」
凄い以外の言葉が見つからなかったのだろう。言い直すこともせず、モニターを眺める。
独白。完全な独白を黒服はしていた。
「悪魔…神秘とは真逆の反応を示している…」
目の前の信じられない光景に打ちひしがられる。研究者としての本質がきらめく。
「あれほど研究しましたが…本質はわかずじまいでしたか…」
黒服は考える。普段使わない脳のリソースも引き出す。
「失うのは惜しい…しかし、ここで破棄しておかないと…これからの研究に影響が出る…」
それは、キヴォトスの滅亡を表していた。
「しかし…先生なら、先生の力ならば…」
黒服の知識をもってしても、奇跡に頼ることしかできなかった。先生に頼る他なかった。
「あなたはどういう選択をするのでしょうね。先生。あなたに、生徒を殺すことはできるのでしょうか」
置いてある紅茶に手を運ぶ。脳を覚醒させる以外に、楽しみの目的もある。
しかし、今は楽しみはなかった。味すら感じることができないほど、思考に脳を費やす必要があった。
「佐藤ハジメ…あなたは一体何者なのか…とても、興味がありますね」
一旦モニターを消す。懐からスマホを取り出す。
「もしもし。マエストロさん?」
「…ええ、ええ、見ていますよ。…これからですか?」
「先生の力も見えそうですね。とても楽しみです」
「あの少年ですか?…そうですね、あなたからは何か?」
「…そうです。私もほぼ同じ意見です。やはりアレはキヴォトスのモノではない…私達の助けになる可能性は低いでしょう」
「ええ、ええ…お願いします。佐藤ハジメを…殺してください」
淡々とした声が響いた。会話の内容からは考えられないほど、その言葉に感情はなかった。
復讐は我にすることである。私自身が報復するのである。
To be continued
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