「…大丈夫です、先生。上がってください!」
その声に導かれ、私は梯子を伝い、上へ登った。薄い光が、狭い穴からぼんやりと差していた。
"………!ここ、は"
昇ると、そこは開けたところだった。石造りの教会のような、神聖さを感じさせる古びた校舎が、そこにたたずんでいる。
しかし、神聖さとは反対に、硝煙の匂い、血の匂い、虚しさの匂いが、アリウスが持つ、悲劇の残響のように充満していた。
「…ここなら警備が薄いはず。正解だね」
ミサキが懐かしいものを見るような目で辺りに目をやる。おそらく匂いも懐かしいのか、すっと深呼吸をしている。
「ぐう…うあ」
…それにしても、サオリが辛そうだ。意識は朦朧として、足元もおぼつかない。早く、何かしてあげないと…。
「…ここは、訓練場でした」
『訓練場』…。キヴォトスではあまり一般的にはない。銃を撃つだけだったら『射撃場』と呼ぶから。それは、アリウスの異端性を顕著に表していた。
「もともとは何かの遺跡だったらしいけど…『内戦』が終わってからは訓練場として使われるようになったの」
"内戦…?"
「…昔、アリウス自治区が二分されて起きた戦争のこと…。あんまり、話したくはない、かな」
嫌悪を感じる顔。どうやら、本当に何かがあったらしい。…推測でしか語れないことに、先生としての力不足を感じる。思わず、拳を握りしめる。
「…私、まだ覚えてます。ここでアズサちゃんに出会ったことを」
突如、ヒヨリが立ち込める風に黄昏れながら言った。その声はひどく軽く、風にすぐにでも消されてしまいそうなほどだった。
「何かの訓練で…『大人』の指示に従わなかった子がひどく殴られていて…」
「でも…その子は何度も立ち上がって、大人を睨みつけていました…」
…アズサのことだろう。確かに、あの子ならそういう行動を取りそうだ。自分が間違ってると思ったことはやらない。そんな芯が通った子だから…。
「そのままだとヘイローが壊されてしまいそうだったのに…それなのに、私は、動くことができなかったんです…」
自己嫌悪の香りがする。よくアリウス生はこんな香りを放つ。灰をかぶった猫のような、そんな香り。それは、寂しく暗い、塞ぐようで、私が滅さなければならない香りの一つであった。
「でも…そんな時に、姉さんが…」
「感傷に浸るのはあとにして、ヒヨリ」
続きを話そうとしたところに、ミサキが横槍を入れる。ヒヨリが少し悲しそうに俯く。…これは、深入りできないな。
「それで?このあとはどうするの?いくら先生がいても、私達だけじゃ…」
それは現実的であった。確かに、このままではかなり厳しい状態ではある。
「………うあっ」
突如、サオリがくらりと体勢を崩す。咄嗟に、ミサキがサオリへと駆け寄る。
「っ!リーダー!!」
"サオリッ!"
質問を投げかけられたサオリが倒れてしまった。まるで、糸が切れた人形のように。
「うわっ…すごい熱だ」
ミサキがサオリの額に手をやる。…そうか、確かに追われていたなら寝る暇なんて…。
「ど…どうすれば」
"…これを"
私は懐から常備薬の『解熱剤』を取り出した。
「も、持ち歩いてるんですか…」
…ちょっと引き気味なのは置いといて、これは急を要する。早くサオリに飲ませよう。
"サオリ。口を開けて"
「ん…ごくっ」
その薬を飲んだサオリは、泥のように眠った…。寝ている時だけは、年相応の子供の顔をしていた。すこし、休憩をしよう。そう提案した。
「…そうだね。じゃあ、先生も休んでて…気づいてないだろうけど、ひどい顔だよ」
"…じゃあ、お言葉に甘えて"
どうやら、私もそろそろ限界のようだ。…この子たちのほうがきっと辛いのに、私だけ休んでいいのか?という考えに陥るが…確かに、もう限界だ。
私は、ゆっくりと瞼を下ろした。しかし、大人らしく、現実は忘れないようにした。
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「…先生、先生」
…この声…セイア?白い空間の中で私は何かを聴いていた。
「聴いてくれているだろうか…頼む、私の言葉に耳を傾けてくれ…」
もちろん。それが先生の仕事だから。
「…ベアトリーチェの計画なんて、預言者なんて、目じゃない事が起きろうとしている…」
「それはトリニティだけでなく…キヴォトス、さらには違う世界も食い破るだろう」
…どういうことだ?
「佐藤ハジメ…彼だ、彼は被害者だ…」
「彼の中にある悪魔が…だれの心にもある悪魔が…今、彼を食い破っている」
ハジメ…悪魔……レヴィアタン?
「アレは強欲だ…きっと、全てに不幸を撒き散らす…」
「アレを何とかしないと…先生も…私たちも…キヴォトスも…全て、全てが消え去る」
声に濁りが混ざってきた。同時に、意識がはっきりとし始めてきた。
「頼む…もう、先生しか…救世主は、いないんだ。ミカに…ごめんと言えないのは、ごめんと言われないのは、絶対にイヤなんだ」
もう声がかすかにしか聞こえない。聞き取るのでやっとだ。
「しかし、気をつけてくれ、先生。それは先生を狙っている…鋭く、確実な死が、先生に襲いかかるだろう」
「頼む…奇跡を…ハッピーエンドを、起こしてくれ」
その言葉を最後に、セイアの声は聞こえなくなった。
純白の闇が、暗い光に変わった。
「……い……先生!」
"!!ああ…ヒヨリか"
「大丈夫?うなされてたみたいだけど…」
よかった、どうやらそんな時間は経っていないらしい。しかし、それにしてもあの夢はなんだ…?ハジメが、何か関係してるのか?
"…私は大丈夫だよ。それより、サオリはどう?"
「姉さんは…大丈夫です。気持ちよさそうに眠っています」
心の中でほっと息をつく。よかった。あのままだと本当にどこかに行ってしまいそうだったから。
"…そっか。よかった。…話の続き、聞いてもいいかな"
残された時間は30分ほどある…暇つぶしには最適だろう。私は話を聞くことにした。これから全身全霊をかけて取り戻す、彼女たちの未来に向けて。
「…楽しいものじゃないよ」
ミサキは本当に嫌そうにそういった。けれど、私に話してくれた。いろいろな話を。
その話は井戸に満ちる暗闇より暗く、深淵より深くあった。とうてい、何も知らない少女たちが経験していいような話ではなかった。
アツコのこと、内戦のこと、アリウスの教育のこと、それを教えてもらった。
ベアトリーチェ…。私は憎しみを抱いた。キヴォトスに来てからは抱かないように注意していたが、それでも限界だった。
…大人が怖い。そんな感情を、私達大人は絶対に思わせてはならないのに、彼女はそれをいとも容易く踏み越えてきた。
赦すことは、できない。そう考えると、燃える業火が私の麓から昇り、吐き出してしまいそうになる。でも、私は大人だ。私は自分を律した。
"…Vanitas vanitatum,et omnia vanitas"
私はさっき教えられた言の葉をつぶやく。…全ては虚しい、かあ。
「どうしたの、いきなり」
変なものを見るような目でこちらを見る。すこし冷ややかだった。
"いや…悲しい言葉だなって思って…全部、全部虚しい…意味がないなんて"
「…いや、悲しい言葉なんかじゃないです…。その言葉は」
"…ヒヨリ?"
ヒヨリが割り込むようにしていった。どうやら、どうしても言いたいことがあるらしい。もにょもにょと口をむずまぜながら、ヒヨリは言った。
「全ては虚しい…どこまでいっても…でも、だからこそ…精一杯生きて、生きて、生き延びる…それが真の意味だと、私達は受け取っています」
"…それ、すごいね"
私は素直に尊敬した。そんな解釈ができるのかと、そんな意味を見いだせるのかと。私は、文字の美しささえも感じ、感銘に震えた。
「いや…受け売りですけどね…。ハジメさんが、私たちに教えてくれたんです」
ヒヨリの声のトーンが上がった。やはり、ハジメのことになると少し感じるものがあるのかもしれない。本当に、彼は何者なのだろうか。
「そうだね…ハジメの話もしようか」
ミサキが珍しく乗り気で話を始めた。遺跡の隙間から見える空に目を向け、懐かしむような口調で告げる。
「初めて会ったのは自治区内の裏路地だった…。訓練終わりだった」
「い、今思うとだいぶ酷かったですよね、私たち…ハ、ハジメさんを撃っちゃったし」
「そうだったね…でも、その後いろいろあって、アリウスに編入されたんだ」
…少し理解が追いつかない。
「ちょっと待ってよ。ハジメは『違う学校』から来たの?アリウス生じゃないの?」
「…そっか、そりゃあ、そう思うよね…。信じられないかもしれないけど、先生。ハジメは異世界の人間…らしい」
異世界…?外の世界ではないのか?ポンポンと弾けるポップコーンのように、頭の中で多くの疑問が誕生する。
「証拠として、ハジメにはヘイローはないでしょ?」
確かにそうだけど…少し納得がいかない。
「まあ、そんなこんなで、私達はハジメと友達…いや、それ以上かな、になったんだ」
随分と小っ恥ずかしいことを言ってるような気がするが、ミサキの顔に変化はなく、どこか誇らしげな気もしていた。珍しい顔だ。
「ハジメは私達の『希望』だった…思考が求められない、それどころか排除されるアリウスで、常に特別であろうと思考を止めていなかった」
「そうです…ハジメさんは、私達に新しいことを教えてくれました、考える大切さを与えてくれました…」
そう言う両名の目は、初めて見る目であった。ペンタブラックのような目は、いつの間にか火炎のような光が取り戻されていた。
しかし、その光は、もう…。
「面白い話をしているな」
サオリだ。万全とは行かないだろうが、少なくともさっきの死人同然の顔とは違い、活力あふれる顔であった。
「目が覚めたんだ…」
「お陰様でな。…ハジメ、か…」
サオリも己の思考の海に自我を飛び込ませたようだった。ほんの少しだが、顔が緩んで、年相応の顔をした気がした。
「ああ…そうだな。…もう、戻ってこないことも覚悟してるし…そのほうがあり得るのも、理解している」
「リ、リーダー!?」
ミサキが焦っている。正気を疑うようにサオリの肩を掴み、ガクガクと揺らした。しかし、サオリの顔は鉄のように動かない。
「落ち着け、ミサキ…。助けられないとは言っていないだろ?」
「…そう、だね。ごめん、リーダー」
再び目を冷たく戻し、サオリから離れた。…本当に、ハジメはみんなに愛されていたんだなぁ。
「ああ…きっと、いや、絶対に救ってみせる…。それが、私達の使命だ」
サオリは銃に弾を込めた。いつの間にか補充を済ませていたようだ。それはもはや、金剛石のような振る舞いであった。
「Vanitas vanitatum,et omnia vanitas…精一杯生きるのが、私達だから…」
いつの間にか他のメンバーも準備が完了していた。その目はいずれも、雷鎚の後の火柱のような、そんな燃え盛る決意でみなぎっていた。
「…待っていろよ、ハジメ。私達はもがき抜いてみせるぞ…一瞬、だけど眩しく…そう、形容するなら……閃光のように」
私は彼女らへ続いた。大人であり、生徒を導くはずの私が、逆に導かれているような気がした。
To be continued
…まあ、最後の台詞は入れたかっただけです。ほんの一部の人には伝わるはず。
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