ちょいよくわからん単語多いかも
三つの沈黙。それは、ただの沈黙というには、些か言葉が足りなかった。
一つ、燃え盛んばかりの、覚悟の沈黙。その覚悟は不沈艦のように、決して躓くことなく進み続けていた。
二つ、ぎゅうっと抱きしめられているような、暖炉のような暖かみを思わせる、慈愛の沈黙。それは果てしなく深く、天をも表現しているようだった。
三つ、そう、それは曇天であった、それは煉獄であった。罪が意識という森林で永遠とこだまし、誰かによって描かれた線のように、さらに沈黙を強めていた。
それぞれ三つが、それぞれの彩りをもって、パレットの上で奇妙に混ざり合っていた。
混ざり合った色は、黒となっていた。なぜなら、それはあまりにも複雑であった故に。語ることすら、難解であった。
そして、それを美術品のように見つめる者が一人、それは、ベアトリーチェであった。その顔は、ひどくよどんだ歪みに侵されていた。
「なん…ですの…?この…これは」
息を呑みながらの声。それは恐怖をそのまま呑み込んでいたようであった。声は震え、怯えきっている。
「ミカ…あなたは、一体……何なんなのですか?!」
それは、ベアトリーチェには到底理解できなかった。色彩の力も感じられない。自分が何かした覚えもない。もちろん、ゲマトリアの連中も、何もしていないはずである。
しかし、目の前の現実はそれを否定していた。確実に何かが起こっている。自分の駒が、策が、なにも効果をなさない。
チェックメイトが、意味をなしていない。それはすなわち、ルールの崩壊を暗示していた。
ベアトリーチェは、それがとても怖かった。自分の常識が、計画が、崩れる音は大嫌いであった。それを直ぐ側で聴かされているのだから、言葉に表さなくても分かるほどであった。
皮肉なものだ。未知を研究するゲマトリアの一員であるにも関わらず、ただの平凡な一般人のように、やはり未知は怖いものなのだ。
「まさか…佐藤、ハジメ?」
心当たりは、もうそれしかない。さんざん否定してきた、あしらってきた存在。そして、それが現実なのだと、本能で理解していた。
あの謎の異形、ミカの変異、それら全てがハジメの仕業であるとすると、全ての辻褄があった。しかし、ベアトリーチェは理解しがたかった。
大人というのは、これまた難しいもので、失敗を理解するものと、できないものがいる。
でも、それはいたって当然のことだ。理解できる者は、これでの長い経験すべてを否定するということだ。なまじたくさん生きている大人は、それはやはり、しがたいものなのであろう。
「…レヴィアタン…嫉妬の悪魔」
黒服からの研究結果を呟く。今まで話半分に聞いていたが、ベアトリーチェは優秀であったので、信じられなくとも、それをしっかりと覚えていた。
「別の世界の…
黒服の研究データに再び目をやろうと、椅子にへばりついたかのように重い腰をゆっくりと上げ、すみに被れた本棚へ向かった。
「持ち込まれた原罪による異形化…まさか、実現するとは…」
どうやら、7つもの感情の高ぶりによって、ハジメと近しいものは異形化してしまうらしい。そんなことを思えば、自分自身にも心当たりが嫌でも見つかった。彼女はぞわりと鳥肌を立たせた。そんな彼女は、包むような恐怖から逃げるようと、目の前の文字へと集中した。
「林檎…海蛇…神の創作物…最後の審判…」
その伝承は信じられないようなものばかりであった。ところどころに矛盾点が生じているし、科学的な根拠は一つもなく、すべて人伝で伝わっているものであった。
しかし、どこか惹かれる部分もあった。伝承がもつ力強さ、神々しさは、他のどのものにもなかった。
ふう、とベアトリーチェはため息を付いた。それは自分を落ち着かせるための、鎮静剤のようなもので、定期的に摂取しなければ、ついには発狂に至りそうであった。
「まあ…それもこれも、全部私が崇高に至れれば問題はない…佐藤ハジメは、私には一つも関係ないのです」
彼女は、自分の驕りを呪うすんでのところで踏みとどまった。それのおかげで、自己嫌悪という奈落に落ちることなく、賛美という崖で踏みとどまることが可能であった。
自己嫌悪へ陥る。それは、自分がやるべきことではない。彼女はそう感じていたのだ。自分は大人であると、自分に失敗は存在しないと。
だから、彼女は耐えることができたのだ。大人だから、その理由で。
「秤アツコ…ロイヤルブラッド…期待していますよ…」
ちらりと目を移らせる。そこにいたのは、十字につながられている儚げな少女であった。透き通った髪、折れてしまいそうな、細く、薄い体。しかし、その空気は違っていた。
無気力とも捉えられる、絶望とも捉えられる。負の感情を血液とともに垂れ流しにしていた。それに蓋をするのが普通なのだが、アツコはそれができなかった。
Vanitas vanitatum,et omnia vanitas…これしか、彼女には残っていなかった。ビリビリに破られた虚無しか、彼女は持ち得なかった。
ほんの僅かの希望さえなかった。しかし、苦痛もなかった。あるのは、虚無だけである。
「…渇いた、な」
アツコは呟いた。それが肉体からの言葉であるのか、それとも心からであるのか、それは、本人ですらよくわからない。なぜ、渇きという単語が出たのかも、誰にも分からなかった。
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「…………」
私は確かにこの場に立っている。ミカの目の前に立っている。そして、銃を放とうと、脳から身体に信号を送っている。そのはずなのに、ちっとも言うことを聞かない。
ミカの銃を眺める。紅蓮の焔が、轟々と燃え盛っていた。それは脈動するように、どんどんと熱を放出していた。
熱のせいか、緊張か、それとも恐怖か、そのおかげで、汗が浮き出て、しょっぱいものを感じさせる。
つう、つうと汗が落下していく。さながら、鳩が地上へ降りていくようであった。
ぽたっ
そして、鳩は地に落ちた。鳩は言われた。鳩は、それの合図をした。
銃を取り出す。もう、金縛りはなかった。それどころか、いつもより体が軽かった気がした。
"サオリ!!"
声に合わせる。まずは2発。彼女の首元へと発射する。
しかし、それらは急激に広がった焔によって焼き尽くされた。これは比喩ではない。これは平叙*1であった。
「なにっ!?」
私は思わず声を上げた。予想外のことが起こってしまった。失敗が起きたことを自覚し、体がこわばる。
「…死んで」
とびきり低い声で、痛みで支配されたかのような声で、ミカは言った。その声は、ネグローニ*2のように、複雑に混ぜ合わさって、ミカを酩酊へいざなっていた。
燃えている銃を構えている。今にもパンクしそうに、膨らみ続けている。
"ミカ!危ない!"
その瞬間、先生が割り込んできた。私は必死に止めようとしたが、それを止めるだけの時間は存在しなかった。
瞬間、目に広がったのは、恐怖でもなければ、痛みでもない、それは、感動であった。
私は、それに圧倒されていた。何か、未知の発見をした気がした。科学や理屈では決して説明できない。そんな神秘的なものがそこにあった。
だが、すぐに熱はやってきた。そんな芸術に包まれ、私の皮膚と臓器はビーっと危険信号を発する。しかし、私の脳はそれさえ拒み、芸術を楽しむに勤しんだ。
掃いて捨てるほどの焔。手に握ってみる。それは、空気よりもねちっこい、確かな感触があった。それに続くように、吹き上げる暖かさ。いささか熱すぎる気もするが、それもまた、一興であった。
そして、味を感じようと唇を緩めた瞬間、焔よりも暖かで、確かな熱に抱きしめられた。
"サオリ!!"
視界が規則正しい黒色へと染まる。自然と機械の調和を表す匂い。その正体は衣服であった。先生は、なぜかこの火に焼けてはいなかった。
それに驚愕していると、焔は去った。残ったのは服であった。
「姉さん!!」
「リーダー!」
スクワッドらの声が聞こえる。応えようと手を動かすが、体中に雷撃が襲う。
"サオリ!無理はしないで…ひどい火傷だ…"
自身の腕を見つめる。それは目にするにもおぞましいほどであった。焼きただれた皮膚。いまだに消えない火炎。それが痛みをさらに明確にしていた。
あたりに目をやる。そこら中は溶けた氷のようにドロドロとしており、壁に映っていたはずの壮麗な模様は意味を成していなかった。
「道は空いたけど…聖園ミカ…お前は!」
横目でミサキが構えるのが見える。しかし、それはいけない。
「…ミサキ。抑えろ」
「っ!だけど!」
悲痛に汚れた声。…ハジメが来てからかな、そんな感情をこもった声をするようになったのは。それは進歩でもあるが、後退でもあるのだろう。
「お前達は…やるべきことが、あるだろう?」
「…サオリさん。その前に、その怪我…無理をするべきではないと思います…」
私に肩を貸しながら、ヒヨリが耳元でそういう。無理、か…確かに、もう立つことも厳しい。銃を持つほどの握力もなく、引き金を引けるかは怪しい。
「…それでも、ここで無理をしなかったら、いつするんだ?」
しかし、これが答えであった。私の答えはこれだ、私は、私を信じてやりたい。
"サオリ、大丈夫。私に任せて。だから…"
先生もそう言った。やはり、暖かい声。それは
「Vanitas vanitatum,et omnia vanitas…虚しい、全ては…だが、だからこそ。だろ?」
最後の力を振り絞って、両の足で立ち、両の手で銃を持つ。体ががたがた震える。強がりをするだけの余裕もなかった。
だが、それは必要である。ここで、犠牲にならないと、先には進むことは、光をつかむことはきっと、できないから。
「…目的を、果たすんだ…。他でもない、私ために、だ」
「…行くよ、先生」
良かった、わかってくれたようだ。流石に10年余りの付き合いではあるな。
"そんな!サオリを、置いていくなんて…そんなことは!"
しかし、先生はそういう。それは、責任という面で見れば、確かに正しい。それが最適解だ。1+1=2の方程式のような、そんなものだ。
しかし、この世は数学ではない。解というのは、いくらでもある。1+1=99でも、何もおかしくはないような世界で、私達は生きているんだ。そんな世界を、私は愛していたいし、理解もしたい。
「先生…生徒を、サオリを、信じていないの?」
咎めるような、刺すような声で、ミサキはそう言った。先生は、はっとしたような、悟ったような、そんな表情を見せた。
"…そうだね…生徒を信じることが…先生、か"
天を仰ぐ。その行為が、永劫の時のように感じた。
"行くよ、ミサキ、ヒヨリ……そして、信じてるよ、サオリ"
私は、その声に背を向けたまま、手を挙げて応じる。今は、火を見たい気分だった。
「ああ…任せろ、先生」
足音がだんだんと遠ざかる。それに比例するように、ごうごうと火が強まる。聖園ミカは、じっとこちらを観察していた。
「さあ、ミカ…第二ラウンドだ」
ハジメの銃を、強く、強く握りしめる。その銃には、他の誰でもない、ハジメの血が滲んでいた。
ミカも焔を握る。銃から、弓矢のような形となって、辺りを支配している。
ハジメの血が巡った。刻印された『Joy to the world』がそれに埋められる。そして、確かに、星の様に煌めいた。
それはまるで、祝福のようであった。さらにそれは、贖罪の合図、そのものであった。
To be continued
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