インフルからよみがえった男、スパイダーマッ!
青白磁のような髪をなびかせ、目の前のものは佇んでいた。彼女の名はバルバラ。ただの偽者である。
そして、彼女の目の前に立つもの、それこそ、私、先生である。私は、大きな責任があるのだ。使命もある。
彼女は、借り物の偉大を身に纏わせ、周りに誇示している。聖なる神秘が、偽りの苦痛となって、放射線のように照りつける。
しかし、彼女もまた、被害者であるのだろう。『大人』という存在に惑わされた、ただの一介の生徒である。
私は別にいる、そのような呪縛に犠牲となった者を知っていた。そのものの名は、秤アツコである。
その点で行くと、やはりこの世は性悪なのであろう。孟子*1には申し訳ないが。
「…強い」
ミサキがそう言う。言葉の通りだ。とんでもない強さで、私達をいとも容易く蹂躙している。
撃っても、撃っても、止まることのない体。聞こえるはずのない呼吸音。そのどれもが、私達の大きな山であった。
しかし、どんなに大きな山であっても、決して登れない山は存在しない。そこには危険が確かに存在する。そうであっても、そこに山があれば、登り切るというのは、確かに可能なのだ。
私達は人間だ。人間というのは、不思議なものだ。強いけど、弱い。頑丈だけど、脆い。恐らく、個人差が一番大きい生物だと思う。なんて残酷なんだろう、人間というものは。
しかし、それが人間の良さで、面白さだ。だから、どんな子でも、決して救いがないなんて、あり得ない。いや、私が赦しておけない。
だから、救うんだ。私が、バルバラを。解放し、何処かへ送りだす。それが、私の…先生の、仕事だ。
"サオリ、大丈夫かい?"
「先生…いや、心配には及ばない…」
サオリは両の足で立ち、心配が杞憂であることを示すが、それは些か滑稽であった。
"…足が震えてるよ、サオリ"
足は生まれたての子鹿のようにガクガク震え、針の上に立っているかのように、不安定な立ち方だ。
それは、よほど万全とは言えない。しかし、それも当然だ。あんな大火傷を負ってしまったら、どんな生徒もこうなってしまうだろう。
「サオリさん…無理は、しないでください…」
ヒヨリが心配の声を掛ける。自分も限界であるはずなのに…見上げた精神力だ。
それと同時に、生徒に重すぎる役割を与えている自分に苛立つ。これは、この子たちがやろうとしていること。やりたい事だ。私が手伝うのは、決して悪ではないはず。
だが、これは大人の仕事のはずだ。それを、子供がやるのはおかしいことだと思わないか?このキヴォトスでは、そんな考えそのものが異端なのかもしれないが。
ああ、もっと私に力があれば…全てを包めるような、そんな大きくて頑丈な布のような力が、私にあれば…。
まあ、ないものねだりをしてもしょうがない。…それはそれで、これはこれだ。
サオリを担ぐ。…軽い。栄養失調もみられる。…ベアトリーチェ。
怒りが、憤怒が湧く。頭が熱く沸騰する。大人でありながら…いや、大人だからこそなのかもしれないが、子どもをこんなふうに扱うなんて…。身体から血管がふつふつと浮き出る。
私は、そんな存在が一番嫌いだ。自分の利益のために、全てがどうでもいいと思っているような存在が。
さらに言うと、それは大人なんだ。子供の模範となるべき大人が、そんな事をしている。それは、紛れもない闇だ。
私はほんの少しの蝋燭をもっている…だから…たとえ全て消えようとも、光を一人でも多くに分け与える…それが使命だ。
そんな事を思っていると、バルバラの射撃の体制が整っていた。無機質で、機械的な殺意に肝を冷やす。
"っ!皆!下がって"
幸い、充電を犠牲にすれば私には銃弾は効かない。それであれば、私が盾となればいい。
私は生徒たちの前に立とうとした。しかし、それは止められてしまった。
「…先生、やめて」
ミカの剛力に、体を動かせないでいる。いや、剛力もあるが、もっとあるのは歓喜の恐怖だ。
歓喜、と表現したのには理由がある。それは聖園ミカの成長を表していたからだ。
もともと、ミカは優しい子だった。でも、それを表にひけらかすほど、ミカは一枚岩ではない。それは、自信を持って言える。
でも、ミカは岩を破ったんだ。自分の思いを、ちゃんとぶつけられるようになった。
暖かな涙が、喉の奥から込み上げるのを感じる。私は、心配させまいとそれを呑み込んだ。喉越しは、ミルクのようであった。
ととととととと
ミシンのような音が響く。それは酷く無造作に、命を刈り取る形をしていた。
「来るぞ!皆」
全員が避けの姿勢をとる。…私はサオリを守らなくては。
私は決意とともに身を固まらせた。やはり、銃弾というのは慣れないものだ。怪我なぞないとわかっていても、恐怖からは逃れられない。
私は、恐怖から目を瞑って、その時をじっと待った。それはまばたきすら間に合わなかったが、ずっと遅く感じた。だから、私ははっきり見えたんだ。
太陽のような、星空のような、そんな光が、はっきりと見えた。それは、プラネタリウムのように、星座すら見えるほど、闇と光が共存していた。
その光は瞬刻であった。だけど、永遠でもある。それは、空なのだから。私はそう思う。
「…スクワッドの皆、先に行って」
銃弾を弾ききった後に聞こえたのは他でもない、ミカの声。その声は、どこか大人びていて、キリエのように美しかった。
「…いいの?聖園ミカ」
ミサキが疑問を口にする。その割には、もう走る準備をしている。…いつの間にか、こんな信頼関係が…。感動だ。先生として、これほどに泣かせるものはない。
アリウスと、トリニティが、手を取り合っている。ああ、なんて素敵なことだろう。過去に縛られることも、忘却することも無く、ただただ、共存しているんだ。
それは光だ。比喩のような光ではない。作り物ではなく、勝手に生じた、一般現象なのだ。
「うん☆こう見えても、私って強いんだよ?」
力こぶを出すポーズをとって、ミカは元気いっぱいにそう言った。愛らしい。私が守るべきはこういうものである。
「…嫌と言うほど思い知らされたよ」
低い声でそうは言うが、もう引きずってはいなかった。ミサキの瞳は、しっかりと正面を向いていた。
他の皆も、もう引きずらない。振り返ることはあったとしても、足を止めることはあったとしても、手を差し伸べるために、戻ることはあったとしても。
知っているだろうか?その光景は、青春というのだ。友と、先生と、その他いろいろなもの…それが絶妙に組み合わさって、芸術とも、趣とも、何とも言えない美しさと儚さを醸し出すのだ。
私は、そのパーツの一部となっている。ああ、なんて素敵な事だ。私は心の底から満たされていくのを感じた。
"ミカ…よろしくね"
だから、私は生徒に託す。私は信用をしているのだ。心配というのは、疑いの類義語とも言われる。だから、心配はない。ミカなら、きっと大丈夫。
…でも、完全に心配してないと言われると嘘になる。言い訳させてほしい。いや、ミカに不信を抱いてるわけでは決してない。断言できる。だけど、生徒を心配するっていうのが、先生の仕事なのだ。
私はハードワーカーだ。だから、『先生』という存在のあり方から、逃げることはできない。だから、私が先生という職業である限り、心配は尽きることはないのだ。
「先生…うん!そっちも、よろしくね!」
そう言うと、私達は駆け出した。ミカの姿がどんどんと小さくなる。しかし、そこには確かな、光がある。赤のような、黄色のような。そんな光が。
酷く崩れた聖堂の奥で、足音が響く。何も知らないものから見ると、それは寂しかった。しかし、あるものから見ると、それは蛙の合唱のように楽しげでもあった。
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「ちっ。先生…」
アリウスのバシリカ。そこで、真っ赤な異形、ベアトリーチェは舌打ちとため息の二重奏を奏でていた。
「いやはや…まさか突破してくるとは」
その言葉は、字面だけでは感嘆すら感じ取れるだろう。しかし、音を付けたら別だ。
憎悪が、拒否感が、ひしひしと感じられるような、ヒステリックな声でベアトリーチェはそう呟く。
その華奢な腕には血管が滲んでいて、数十になろうかという目はバタバタと意味もなく踊っている。その踊りは決して楽しげではなく、本能的な踊りだった。
「…聖園ミカ。槌永ヒヨリ。戒野ミサキ…錠前サオリ…」
彼女は名を呟く。光によって救われた名前を。自分が闇で支配するはずだった名前を。
客観的に見れば、それは自分の敗北だ。ベアトリーチェは決して馬鹿ではない。だから、そのことがしっかりと伝わっていた。
そのため、彼女は感じていた。屈辱を、憤怒を、嫌悪を。全ての光に対して。
「…まだ、まだです。問題はない。わたしの計画に、問題は一つもない…」
ぐしゃっと、自分自身から慰めの薬を取り出し、飲んだ。しかし、その薬は阿片のようなものであった。
偽りの安堵ともに、傲慢という中毒に侵される。しかし、彼女は辞めようとも思っていなかった。
『崇高』のためには、健全な道を通ってはいられない。彼女も、はるか昔は倫理は持っていた。なぜなら、人間であったから。
しかし、それに至る過程で、彼女は限界を悟った。倫理の限界…言い換えれば、人間としての限界を。
彼女は捨てた。人間としての自分を。背負うべき罪から、彼女は逃げた。
それは戒律から逸していた。それであっても、彼女は、それすら厭わなかった。元々、彼女は才能があったのだろう。人外としての才能が。
「ふふふ…ロイヤルブラッド…私の可愛い道具よ…」
彼女は愛おしそうに、十字にかけられている秤アツコの顔を触る。その顔は、赤く、青く、白く染まり、極端な無気力であった。
その無気力を、彼女は望んでいる。道具は、無気力で、機械的だからこそ道具として成立するのだ。彼女は、余計な感情などというものは求めなかった。
それは、大人としてはどうなのだろうか?いや、彼女は正確に言うと大人ではない。彼女は人ではないのだから、大人、子供と区別できないからだ。
そうであったとしても、彼女は曲がり何にも生徒を導く者。それは、大人でなければならないから、大人の面もあると言わないと、論理がおかしくなってしまう。
とにかく、彼女の大人としての評価は…まあ、低い方であろう。先にも言ったように、生徒を『導く』のが、先生であり、大人の役目であるのだから。
彼女はそれを放棄している。ただただ、とどまらせて、彼女が持っているだけだ。
彼女は生徒という石を転がすことはなかった。そのかわり、石を投げたり、折ったり、加工したりすることはあった。しかし、それは大人の仕事ではない。
だからこそ、怒れるものがいた。摩擦がない日の球のように、絶対に止まることはない。そんな怒りが。
それは若々しく、女々しかった。我儘でもあった。そう、道理も、何も、通っていない怒りであった。
ドス、ドス
「っ!!何者!!」
重みを感じさせる、鈍い足音。それは、かんらん石のように、多くのものが複雑に高密度で絡み合っていた。
嫉妬、怒り、苦痛、自己嫌悪、悲しみ、それらのみが絡み合い、彼を作り出していた。つまるところ、今の彼はそれのみであったのだ。
ベアトリーチェは戦慄した。神は、どこまでも私の敵をするのか、とも思った。
厄災が、悪魔が、蛇が、そこに佇んでいた。黒色の蒼を粗雑にばら撒きながら。
「佐藤……ハジメ…………?!」
それは鱗で覆われていた。蒼い鱗によって。
それは蛇となっていた。尻尾は生え、蛇の顔が三又となって嫉妬を象徴していた。
なぜベアトリーチェがそれをハジメとわかったのか。それはひとえに、眼である。
痛みにまみれた眼。それは残酷にも、彼を象徴する大きな特徴だった。その眼は赤く染まり、蛇眼のようであったが、確かに『佐藤ハジメ』を表現していた。
「……ぐあ、あ」
その声は苦痛であるのか、それとも歓喜なのか。それは誰にも分かるはずはなかった。
それは、未来に溶け込んだ。偽りか、本物か、どちらかはわからないが、とにかく光へと。先生か、ハジメがつくりだす光へと。
主は私の光、私の救い。私は誰を恐れよう。主は私の命の砦、私は何を恐れることがあるか。
To be continued
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