ベアトリーチェかくのすんごい楽しいわ、これ
「……なんですか、佐藤ハジメよ」
私…ベアトリーチェは、心から湧き出る畏怖の根源を、必死に抑えつけながらそう虚勢を張った。
相反する二つの異形。それは、ほんの少しの光が、観察するような、異様なステンドグラスに差す、バシリカで行われていた。
片や真っ赤で、片や真っ青で、片や女で、片や男で。
それは全く違う生物であった。いや、生き物ですらないのかもしれない。しかし、本質は同じだと、いやでも伝わってくる。
色で喩えよう。いや、前述の、外見の話ではない。心の、という意味である。
それは、どちらも黒であった。私は純粋な、混じりっけのない黒。反して、佐藤ハジメは、憤怒と悲しみ、嬉しみ、嫉妬、苦痛。それらが複雑に組み合わさり、結果的に黒を表していた。
その黒は、同じものであり、それでも、全く異なる黒だった。その黒が内蔵する威力には、残念ながら差があり、私は小さい方の立場をとっていた。
「…マ……ダム」
ヒュッとするような、そんな声。…観察してきた限り、一度もそのような傾向は見せなかったはずなのに…。
それには殺意が込められていた。翡翠のように頑丈な、しかし、馬の糞よりも穢らわしいものが。
蒼い鱗の中から、視線が感じる。それは刺さって、私から抜けることはなかった。
「なん…で…アツコ……を?」
掠れた声。抑揚のない声。死人が喋ったかのような声だった。ああ、何たる未知であろう。黒服がいたらどうなったのだろう。空想を伝い、できるだけ、現実から逃げる。
そうしないと、私は、壊れてしまいそうだから。
認めたくない。たかが一介の、烏合の衆にすらなれない、カス溜めの一部のような、汚らしく、神秘すらないただのガキに、この私が恐怖しているということを。
「ふふふふふ…なんで?なんで、ですか…そうですね、教えてあげましょう」
声を必死に一定に保つ。アドレナリンか、火事場の馬鹿力というやつか、震える心とは裏腹に、なぜかそれは完璧にいった気がした。
ああ、やはり私は特別なのだ。この正念場で、私は最適解を導き出すことができたのだ。自尊心で体を満たす。それは雪山のスープのように、とても暖かだった。
「私は『崇高』へと至るのです…そのためには、道具が必要だったのです」
「…道…具?」
視線が私から離された。やっと、針が抜けた。瞬間、どっとした緊張が襲うが、私は大人として、それを外には出さなかった。
「そうです。道具、いや、消耗品。そう、あなた達生徒は、秤アツコは、ただのスコップにしか過ぎません。ただの、使い捨てにもよく似た!」
言い放ってやった。見よ、私は恐怖に完全に打ち勝った!ああ、これはもはや勝利と言えるだろう!!
じんとした万能感と、終曲の際に滲む感動とが、私を私とすることを、強者と、大人とすることに成功した。
金色のラッパの音が聞こえる。私を迎えているのだ。この私を、歓迎しているのだ!
「ふふ…さあ、しっかりと聞きましたか?じゃあ、わかりますよね?あなたの立場が」
佐藤ハジメは俯いたままだ。そして、肉眼ではよく分からないが、ふるふると震えている。それは、空気の振動でやっと分かるほど、小刻みであった。
ああ、どんな感情を抱いているのだろうか。想像してほくそ笑む。悪魔というのはいいものだ。恐怖という風が気持ちよく私を切る。
「…お前の、生徒なのに?」
さっきとは違い、途切れがない声。少し、人間性が戻っていた。それすら、今は滑稽だ。
「そうです」
少し割り込むように言った。
「お前が、創り出したものなのに?」
「創り出した…まあ、そうとも捉えられるでしょう」
彼の震えが肉眼でもよく見えるようになる。同時に、佐藤ハジメの声が少し高くなる…まるで、大人の女性のように…。
「…そう、か」
すっとこちらを見つめた。また視線が刺さる。こんどはさらに鋭く、私を貫き、裂いた。
醜い沈黙が辺りを包む。闇と、闇の沈黙。このキヴォトスからは、忌避されるものであった。
「お前を見ると、随分と思い出すよ」
「っっ!?」
その声は、完全に女性の声となっていた。佐藤ハジメなんか、聖園ミカなんか、…忌々しながら、この私すら、目じゃないほどの闇であった。
少し、『色彩』の面影すら感じさせた。闇が眩しく、目を背けたくなる。
しかし、ここで目を背ければ、私の負である。こんなカスに、大人の私は負けてはならない。私はそれを、じっと見つめた。
「我の父を、我の
そういいながら、彼…いや、彼女か?は右腕をすっと上げた。すると、呼応するように地からなぞの青い蛇が複数匹現れた。
「ああ…本当に…妬ましい、妬ましいよ…」
それは私に向けられたものではなかった。私は憤った。それは、私に向けるべき目だ。私は、羨望の目を向けられなくてはならない。
いやしかし、ここで奴と戦うことは防がなくてはならない。いや、負けることは想像などしていない。楽にねじ伏せれるだろう。こんなちっぽけなヤツくらい。
しかし、そこに先生が入ってきたらどうだ?不意打ちで、あのカードを使われては敵わない。
「…落ち着きなさい。佐藤ハジメよ。ええ、ええ、私は理解できますよ」
「…何が?」
作り物の、仮初の声。それであっても、ここは何とかして凌げなくてはならない。
「私も嫉妬に塗れた時もありました。私も、怒りに震え、もはや月にすら憎しみを抱いたこともありました」
「しかし、それは無意味であるのです。いいですか?『Vanitas vanitatum,et omnia vanitas』…全てはそう、虚しいものなのです。ここでの戦闘も、全て、全てが」
ヤツは固まった。しめた。これは成功だろう。再び万能感が脳を侵す。ああ、私はなんて有能で、美しい存在なのだろうか。
感激か、ヤツは心なしか細やかに震えているように見えた。ああ、なんてことだろう。追い払うどころか、仲間すら得られそうだ。
ふふふ…ふふふふふふ「黙れ」……は?
歓喜の笑いは、突如として、バッサリと断ち切られた。
「…主を、愚弄するな……たかが一つの歯車ごときが」
私の困惑すら消し飛ばすほどの闇。それは波となり、私を溺れさせた。
思わず呼吸を忘れる。いや、私の肺すら、恐怖で凍っている。…いや、いや!私は認めない!
「そう、そうですか…ならば、死んでください」
私は真の姿へと変身した。…出し惜しみはしない。まだ日は沈んでいないが、秤アツコの神秘を吸う…ああ、これは。
「来る!来ます!『色彩』が!『崇高』が!!」
素晴らしい力が私へと染みる。これは、神にでもなったような気分だ。今なら、何でもできる。これは比喩ではない。
ミキミキと体が歓喜に震える。赤は紅となり、白は
「ふふふふ……佐藤ハジメ!死になさい!!」
私は目の前の、はるかに小さくなった者へ手を向けた。それは加速した。それは増大した。キヴォトスごと、粉砕しかねない威力であった。
…そうだ、その筈なのだ…。それなのに…なぜ、なぜ、心配は私から離れないのだ…?
「…捻れろ」
奴が手を振った。瞬間、蛇が私を噛んだ。その蛇は、随分とこじんまりしていた。
「…っ!!?ふぐっ?!ぶぐあっ!?」
焼き付くような痛みが全身を襲う。変な声が溢れる。命の危機が、一転して私を包む。私は、耐えきれず涙してしまった。痛みに、恐怖に。
「……………」
がぶ、がぶ、がぶ。
奴の沈黙とは対照的に、どんどんと蛇が、音を立てながら私を噛み、ちぎって、飲み込む。私は抵抗をしたが、決して離れない。
痛い、痛い、苦しい、苦しい。
「やめっ…やめろ!私を食べるなあ!崇高を、馬鹿にするなあ!!」
必死に声を振り絞る。僅かに残った誇りを捨てないために。
「…まさか、ただの蛙が、蛇に勝てるとでも、本気で思っていたのか?」
無気力で、まっすぐに一定の声が、鮮明に私の耳につき入る。怒りを感じる。愚弄されている気がした。私のことを、ただの道具が、いや、それ以下が。
体が動かない。毒でもあるのか、意識が朦朧としてきた。それでも、必死に筋肉を動かす。
「
青白い、私の道具が、目の前の害獣へと襲いかかる。それは最後の希望だった。
だが、その希望は、儚く、硝子のように粉々に砕け散り、辺りへ散乱した。
ぱくりと、一際巨大な蛇によって、全て呑み込まれてしまった。そして、恐る恐る奴の方に目をやると、姿が大きく変容していた。
小さき者は、私と同じくらいになり、双方につく脚は消え、尻尾となり、見るも完全な蛇となっていた。
その目はへりくだる私を見下している。軽蔑のような、そんな目で。
「…!そんな目で、私を見る権利が、あると思っているのか!!佐藤…ハジメ!!」
もう震えは隠せない。認めよう。怖い、死にたくない。そうだ、私はまだ人間だ。こいつは、人間じゃない。悪魔だ。地の底から召喚された、醜い悪魔なのだ。
いつの間にか、奴の周りにはあの蛸が何匹もうじゃうじゃと囲い、出迎えるように奴を囲んでいた。
「我を迎えよ…恐れることはない、喜べ。罪を背負う全ての者よ」
「我が来た。皆の衆、褒め称えよ。大審判は今、始められる」
それは神秘的で、同じくらい気持ちが悪かった。なにか、贋作のような気がした。
「や…やめろ!神の真似事は!!」
これは捨て台詞なのであろうか。いや、周りから見れば随分と滑稽だろう。もう、死は免れないのか。そう思うと悲しくなる。私が何者かに否定されたようで、吐き気すら催してくる。
「ああ、そうだ。神の真似事。間違ってないし、正解だ」
全てを見透かしたような、達観したような、そんな声。ああ、苛つく、ムカつく。私はそれを、持ち得ないというのに。
認めない、認めない、認めない。私は、決して奴を認めない。
蛇が近づく。蛙を目の前にした、空腹の蛇が。
蛙は私だ。もう、変えられない。絶望と死がそっと私のそばに座る。それは痛くひんやりとしていた。
離れようと走っても、それはベッタリと私についてくる。掻きむしろうと、身を捩らせようと、同じことだった…無意味な、虚無であった。
「どうした?全ては虚しいんじゃないのか?え?」
少しからかう様な口調。全てが鼻につく。そして、それに反抗できない、力不足な私にも苛立つ。
「……このクソガキがあああああ!!!図にのるんじゃあないぞ!!この…私のスコップにすら、杖にすら、満足になれない!…この害虫以下の、犬の糞以下の、クソったれがああああああああああ!!!!」
蛇が私の前へ降る。それでも、祈りはささげない。それは、敗北宣言であるからだ。私は、負けてない。こんなカス以下に、負けてはならない。この、大人である私が、大人の代表である私が!!
「…さよなら。ベアトリーチェ」
私が最期に見た光景は、深淵よりも、宇宙の隅っこよりも、圧倒的に暗く、哀しい闇であった。なんて気色悪いのだろう。そうとも思った。
バクンッ
To be continued
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