短め。手直しするかも
黒いのの提言を聞き終える。ああ、なんて理論的で、理性的だろうか。それは正論だった。それは私達をがつんとうった。
波打つ蛸たち。それらは畏怖である。だが、それに立ち向かうのは、なんてことない。であれば、私はやはり、失う事を恐れているのだろう。あの、照り輝いていた日々を。
走馬灯のように押し寄せる、確かな青春。ハジメを見つけた日。共にシチューを食べた日。共に桜の下で写真を撮った日。そのどれもが、かけがえのない、大切な宝物だ。
首元にあるペンダントを開ける。そこには、どこか恥ずかしそうに、しかし、幸せそうな、そんなハジメが不器用に笑っていた。それは、私が、私達が一番好きだった表情だった。そのためなら、何でもできる自信があった。
だが、今はどうだ。私達は私達自身でそれを壊そうとしている。なんてこと。選択できるという事が、さらに痛みを増やす。
沈黙。沈痛。そうだ、私達は苦しんだ。なぜ、これ以上傷つかなくてはならないのか。私は憤怒した。しかし、その感情の行先は虚無であったが故に、ただただ、海に息を吹き込むような、虚しい行為となって果てた。
「だからって…そんな、殺すなんて……」
ヒヨリが震えながら言った。吐息交じりの声だった。
「『殺すなんて』と、言いましたね?槌永ヒヨリさん。しかし、それでしかもはや、キヴォトスは滅びるのですよ」
ぴしゃりと黒いのはそう言った。それはそうだ。ヒヨリも分かっていたのだろう。特に驚く様子は無かった。でも、ヒヨリは沈黙に戻り、ただただ地を見つめるのみとなった。
各々、思考する。思案する。それは二択だった。愛を、記憶を消すか。正義を、幸福を守るか。それは、解がない二択だった。
ミサキはずっとペンダントを握っている。それは依存のように、離さんとする力強さがあった。
ヒヨリは俯いている。船上の木目をじっと見ていた。いや、見ていたともいえないかもしれない。ただ、そこに存在していただけだった。
先生は顎に手をかけ、石のように固まっている。その目には悩みが泥中のように濁り、葛藤を示していた。
そして私、錠前サオリは、舟の壁に寄りかかっていた。木の冷たさを感じる。それは私たちが置かれている現実のようだった。
その間も、水位は上がり続ける。それは時間がないことを示していた。ああ、なんて残酷なのだろう。恐らく、人生大一番の選択であるというのに、時間すら与えてくれないとは。やはり、神はいないのであろうか。いたとしたら、なんていやらしいのだろうか。
私は決めなくてはならなかった。なぜなら、私はリーダーで、生徒である。先生は、生徒を助ける存在。故に、私が結論を出す義務が生じた。
沈黙を破る。そのことは、とても重くて、苦しかった。唇が分厚い辞書のように重く感じた。しかし、私は意を決して、選択をした。
「………ハジメを………………『殺そう』」
何度、言葉を変えようとしたことか。何度、訂正しようと、唇を揺り動かしたか。しかし、それはもうとてつもない使命感が、私の本能を静止し、後戻りをもはや不可能にさせた。
その瞬間、辺りにひび割れがはいる。それは空間を砕き、混沌を作り出した。
ある者は反応を見せず、ある者は拍手し、ある者は顔を上げ、ある者は全身を震わせている。一帯に響く沈痛が、饒痛へと変わった。
「サオリ!!何馬鹿げたことを言ってるの!?」
ミサキがずいずいと私に近づき、胸ぐらを掴む。ああ、こうなるのも当然だ。もし私がミサキだったら、恐らく私もそうしただろう。
「まだ!まだ方法はあるかもしれない!!あの黒いのの言うことを、信用するの!?…頭、おかしいんじゃないの?!」
私をぶんぶんと振り回して、ミサキはそういった。その後に、ぱちんと、湿った空気に乾いた音が鳴った。
痛みを頬に感じる。しかし、それは表面上だけだった。ただ、脳が解析し、発しただけ。そう思えるほどに、もう、私は痛みに侵されていた。
「先生も…ヒヨリも!サオリに何か言ってやってよ!!ただ突っ立ってるだけじゃなくてさ!」
沈黙、それは迷いである。ピリピリと、張り詰めた糸を、ゆっくりほどくように、言の葉は吹かれて、曲を奏でた。
"…私は、ただ、皆の意見を尊重するだけだよ"
それは無責任であるのか。いや、それは使命である。先生という存在が、進む道を決めてはならない。ただ、道から落ちないように見守るだけだ。
「……私は、私は…」
ヒヨリがつっかえる。しゃくり上げるような声で、それは苦痛に満ちていた。でも、必死に、必死に自分を探していた。そして、はっきりと声を上げた。
「…ハジメさんは、愛を知ってほしいって…言ってたんです」
ぽつり
「それは…きっと、憶測でしかないですが……皆、広い人に、知ってほしいんだと、私は解釈しました」
ヒヨリは泣いた。しかし、光は取り戻した。ヒヨリは、芯があり、それでいて、図太かった。
「…死んでしまったら、知れるものも、知れません。ですから…それを、防ぐために……ハジメさんの思いを投げ出さないために……私は、ハジメさんを、………『殺す』のに……賛成、です」
そう言い終わると、ヒヨリは崩れ落ちた。まるで、氷が一瞬で水になったみたいに、ぺたんと、重力に従って落ちた。
ミサキは黙っている。そして、震えて、震えて、ついには止まって、ほんのちょっぴり、言葉を漏らした。
「なんで……なんで、皆、そんな選択ができるの……?想い人を殺すのが……嫌じゃないの…?」
顔を両の手で押さえ、ミサキはそう言った。静かな絶叫をしていた。ミサキのその姿は、年齢相応の、ただの、現実に打ちひしがられる少女であった。
「嫌だよ…殺したくなんか、ない」
私はそう言う。私は、こいつらの『姉さん』だ。だから、強がってでも、頼りがいを見せる必要があった。たとえ、心の内側どれだけ壊れていたとしても。
はっと、ミサキがこちらを向いた。向き合う。それは、今まで何回もしてることで、だけど、少なかったと思う。
「でも…でも、ミサキ。私達は、向かうしか、進むしかないんだ……全ては虚しい。だからこそ、必死に生きる。だろ?」
自分でもわかる。声が、震えていたと思う。だけど、それでも、手を差し出すしかなかった。
「……Vanitas vanitatum, et omnia vanitas…」
ミサキは、教えを口にした。ああ、この響き。日常を思い出す。もう、手に入らない、私達が今から壊す、砂の城のような、そんな日常が。
痛みに悶えて、苦しんだ。それでも、家族がいるから、私はすんでのところで耐えることができた。
「……良いのですか?先生?仮にも『生徒』を殺すという選択をとっても?」
黒いのは笑みを浮かべながら、先生を舐めるように覗き込んでそう言った。
"……黙れ、黒服。……私が一番、分かってる。これが不平等だということは"
先生の、私達には決して向けない声がまた聞こえる。でも、それに集中する余裕はなかった。
"私の命で救えるなら…絶対に、何があっても、救ってみせる……だけど、これはそうはいかない"
「ほう?ええ、続けてください」
メモを取り出す。ああ、本当に悪趣味だ。あの黒いのは。虫酸が走る。
"…表だけでも、ハッピーエンドにできる。それが、答えだよ"
先生はそう言うと、口をつぐんだ。おそらく、もうしばらくは、黒いのにむかって口をきくことはないだろう。そんな気がした。
「ふ〜む…もう少し喋ってほしいのですが……まあ、良いでしょう。では、助言を始めましょうか」
黒いのはメモを不貞腐れたように懐にしまうと、気を取り直して、平坦な声に戻ってそう言った。
蛇を指さしながら、説明を始めた。蛇を見てみる。遥か向こうで、うっすらと見える蛇もまた、赤い目でこちらを見ていた。その目は、寿命を迎えんとするカゲロウを見つめるかのようだった。
「まず、どうにかしてハジメさんの前に昇っていってください。そうしなければ、何も始まりません」
簡単そうに言うが、ヤツの高さは雲に届いている。その高さまで、道具を使わず、生身で、迅速に昇ることは、ほぼほぼ不可能であった。
「…いえ、無茶振りをふっかけていることはよく分かってます。大丈夫です。こちらにもプランがあります」
やけに自信満々に、胸を張ってそう言った。ほんの少し、苛立ちを感じた自分を、どうか許してほしい。
「蛇が高いというのなら、降ろしてくれば良いのです。よって、下を攻撃するのです」
たしかに、理にかなっている。下を猛烈に攻撃すれば、自ずとこちらにも顔をやってこさせるであろう。
「だが…黒いのよ。私達の攻撃は、もはやアイツにはほぼ効かないぞ……」
そう、それが唯一の問題。ヤツはもう、神秘への『適応』を完了させてしまった。恐らくだが、アツコから神秘を吸い取っているのだろう。よって、もはや光は、意味をなさなくなっている。
「おや、そうなのですか?それは…困りましたね」
黒いのはすんと考え込む。どうやら、予想外だったようだ。あんな余裕そうだったのに、こんな事も予想できないのか?私は少し嘲笑するようだった。
だが、それをしても、対処法がないことに変わりはない。せめて、火力さえあれば…。
その瞬間、どこからか響く、金管の音。弾かれる、細く、可憐な音。それは、キリエであった。
どこかみずみずしい印象を抱かせるそれは、下から昇ってきていた。まるで、祈りのように。
その音に身を任せてみる。ああ、苦悩が嘘のように晴れる。ゆったりとした時間が、私を優しく流して、包み込む。
その音は近づいてきた。海溝の奥底から、だんだんと、表面へ、光へ、向かってきていることがわかる。
細い音は、より熱烈に。可憐な音は、より激盪(げきとう)に。それはとうとう、私たちへと至った。
ざぱん。と
桃の頭髪、純白で、燃えるような翼。それは六対あり、それぞれがこれでもかとまたたく。なぜか、翼は動いていないのに、目の前のものは浮遊していた。
その目は開眼しており、宵の明星のような、紫雲と星が奏でる
「……ミカ?」
そう、そのとおりだ。それはまさしく、聖園ミカそのものだった。本来の輝きを完璧に取り戻し、気品、はつらつを感じさせる、お転婆娘であった。
足音を鳴らさずに、船へと着地する。奏でられたキリエは、波の音と溶け合ったように、優美に消えた。
"…おかえり、ミカ"
「……うん、ただいま。先生…皆」
それは奇跡だろう。魔女は、裁判にかけられることなく、堕天は、生贄なく、天使へと戻った。それはきっと、神秘では、説明がつかないほどだった。
雨空を介して、瞳とも言えない瞳が、私達を照らしている気がした。それは、祈りを超えた、光である気もした。
To be continued
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