寒すぎい!
旧校舎が、文字通り冷たい海の底に沈む、その少し前。それは夜半の、鼠の刻であった。
「はは…はあ、格好つけちゃったけど……やっぱ、こわいなあ」
私、聖園ミカは、アリウスの旧校舎の中で、バルバラと言われる……なんか、謎の存在かな?と相対していた。
寂れた壁、差し込む黒い光、むせ返りそうな、細々とした埃。ああ、ここが死に場所か。私は理解した。理解してしまった。嫌だなあ、こんなところに埋まるなんて。もっと、キラキラとしたところが良かったなあ。傲慢にも、そんな思いが私を駆け巡る。
ドロリと、生温くて、真っ赤な血が流れる。私の感覚器官は、嫌でもそれを感知し、私の脳へと伝えた。それはトリニティでは日常の、薄汚い悪口みたいに、私を傷つけた。
理解。それは残酷なことだ。せめて、私が理解することができなかったら、こんな恐怖を味わうこともなかったのに。
「はぁ……はあ……」
呼吸が乱れる。空気を吸い込むと、肺が裂けるように痛む。鉄の味がよく分かる。自慢だった私の腕にも、もう、力は入らない。
支えを失った、今にも命の灯火を消さんとする老人のように、私は壁を伝いながら、ヨボヨボと歩いていた。
せめて、時間稼ぎはする。ここで死ぬとしても、せめて私は役に立ってから死にたい。そうじゃないと、納得ができないから。罪を償いきれない私を、私は嫌いになりそうだったから。
私は、私を好きでありたかった。全てが私を憎むと言うなら、せめて、私だけでも……。それを思う瞬間、先生の顔が思い浮かばれる。
『ミカは、魔女じゃないよ』
…私を認めてくれて、私を見てくれた、憧れの人。焼き焦がれるような、光の人。高嶺の花のように、それでいて、黄昏色にきらめく、路地の裏に良く生えている
私は、その人を愛していた。それが徒労に終わろうとも、それは信実だった。そう、たったそれだけは、不変の事実だった。
と、そんな人のことを想っていると、歩いた先に、どこか開けた空間があった。
「…聖歌隊室?」
高い天井。淡く、細やかなステンドグラス。辺りには長椅子が規則正しく整列されていて、私はそれを、美しいと感じた。
光源こそないが、さっきまでに比べると、格段に明るかった。それが錯覚であるかは、私では分からない。
地を踏みしめながら歩いてみる。古びた、雪のような埃を積もらせた床を、ぎゅうぎゅうと言わせながら歩く。気分はさながら、探検家のようだった。
「オルガンと……楽譜、か」
そっと、割れやすい水晶に触れるように、優しく楽器へと触れる。なんとも淋しそうなオルガンだった。まるで、忘れ去られた、一つも詩が売れない、歌家みたいで、私と似ているな、と、ふと親近感を感じた。
音は鳴らない。当然だ。もう、それは活力を失っていたから。…やっぱり、私に似ているね。このオルガンは。
愛着が芽生える。このオルガンの生を想像してみる。きっと、昔、うんと昔は、この子も、いろんな生徒に使われて、忙しかったんだと思う。『しょうがないな』って、不器用に笑っていたんだと、私は勝手に想像した。
私に重なる。セイアちゃん、ナギちゃん。順風満帆とは、口が裂けても言えなかったけど、それでも、お互いがお互いを頼って、いい忙しさだった。
でも、それは永久じゃなかった。私は、そしてオルガンは、だんだんと忘れ去られていったように感じた。
セイアちゃん、ナギちゃん。どっちも、あの条約だったり、他のことだったりで、とても忙しそうにしてた。私も、当然ながら手伝おうとした。
だけど、それはできなかった。止められた。ミカには、こういうのは向いてない。って。
仲間外れにされた気分だった。そんな事ないのに、追いやられた気持ちだった。それを忘れるようにしても、痛みは、私に深い亀裂を生ませていた。
だから、私だってできる。ってことを証明しようとして、アリウスに行ったんだ。私だって、皆と同じ事ができるんだよって。
でも、その結果。セイアちゃんを傷つけた。死んではいなかった。でも、それまがいのことを、私はしたんだ。
オルガンを見つめる。さぞかし辛かったろう。この子は、私と違って、隙間を埋める行動すらもできないから。
「…泣き言、言ってられないな」
そうであれば、ここで燻ってる暇はない。私は行動を起こすために、体に喝を入れた。
「一人でも…孤独でも、やるしか無いんだ……私は、『魔女』だから、きっと、この末路がお似合いだ」
魔女ではなく、光であるサオリ達を想う。幸せに、救いに、ただただ愚直に、真っ直ぐに進んでいく者達を。
ずとずとと、
つん。オルガンの鍵盤を押してみる。それは本能的だ。どうしても、一緒にいてあげたかったんだ。そう、最後まで。
その瞬間、心地よい音が響いた。どこか懐かしさを思い出させる、そんな音だった。
「…!……はは、君も、随分と優しいね」
こんな、黒に染まった私のために、ただの、魔女のために、貴方は音を奏でてくれるんだね。私を悪戯に包んでいた孤独が、ついに晴れた。もう、私は一人じゃないんだ。
そのオルガンは、キリエを奏でた。いい選曲だ。別に、特段好きな曲ってわけじゃないけど、でも、楽しそうで、想起のような、踊るようにオルガンは奏でられてて、私も気分がよくなった。
ああ、サオリ達、そして、先生。あなた達が、これからもずっと、その旅路に、いかなる苦痛があったとしても、光のもとへと、蛾のように力強く進んでいくと言うなら……。
「あなた達のために……祈るね」
ここは、私が守るから……あなた達は、ハジメ君を…愛する人を、救ってあげて。それが、多分、唯一の贖罪だと、私は思うから。
足音の下へと、私は自発的に進む。もう、隅で縮こまり、震えるのは終わりだ。魔女は、魔女らしく、いつも堂々としていなければいけないから。
多分、私はもう無理だろう。でも、祈ることはできるはずだ。私は両の手を顔の前で組み、祈った。
「あなたたちのその行く先に幸いが、祝福が、あらんことを」
その祈りはきっと、オルガンの音とともに、雲の上へと突き抜けていくはずだ。そう思えるほどに、私は光で満足していた。
『…ミカ、可愛い可愛い、私のミカ』
成人した男の、でも、先生じゃない声がした。でも、私はそれを良く知っていた。それは、私が生まれたときからあるものだった。と、私はいつの間にか自覚していた。
『よく、祈れました。よく、闇に打ち勝ちました』
慈愛にそまった、光そのもの。それは眩しくとも、優しく、とても美しい、炎のようだった。
『謝るのは、こちらの方です。ええ、私はついに、復天へ至ることができました。これは、貴方と、貴方の友人のおかげです。どうも、ありがとうごさいました』
ああ、どこかで聞いたことがあると思ってたら、あの時の声か。あの、私を闇へと誘う、あの声。
そう聞くと危ないと思うかもしれないが、不思議と私は、あまり警戒心はわかなかった。それどころか、少し安堵が出た。
『しかし…時間はあまりありません。復天は、制限があるのです。すぐに、私は輝きを失い、また堕ちてしまうでしょう』
悲しそうに、もどかしそうに、声はそうあった。なんだ、随分と人間らしい。あの時にあった得体のしれなさは、いったい何だったのか。
『ミカよ、お願いがあります。どうか、私の光を使って、闇を、蛇を、打ち払ってください』
そう言うと、すうっと、私の頭上に光が浮いた。初めて見る。それはまさに光源だ。蛍のような、そんな印象を抱かせる。それは、神秘であった。
ピカピカと光るそれは、芸術品としては超一級と言っても差し支えない。このままワイルドハントに飾っても、もはや規制などかけられないほどに美しい。
吸い込まれそうになる。魅力されそうになる。肯定が全身を薬のように侵す。しかし、私は理性でそれを押し切った。
『ああ、ミカ。なんてこと。貴方は常に、私の理想を超えてくる。まさか、光に支配されることもないとは』
上機嫌そうだった。しかし、焦燥感は隠しきれない。私は光を受け入れた。それは私を本質から変えんとする強い光だった。それは闇をまるごと消し去り、光へと置き換えるようだった。
だが、私は魔女だ。あまり、私の闇を舐めないほうがいい。私は私の闇を保った。
『…ミカ、貴方は、罪さえも赦し、祝福をするのですね…』
「うん、そうだよ。そうじゃなきゃ、かわいそうでしょ?」
私がそう言うと、光は俯いたように見えた。何か、昔を思い出し、仮想をしているようだった。表情は煌めきに遮られ、私には分からないが、儚げな気がした。
『ミカ…愛しいミカ。貴方は今から、宵の明星となって、みんなを、守るべき人たちを、優しく照らしない。それが、この世界の救いとなるでしょう』
沈黙を止め、私に頼みをしてきた。断る理由もない。私はその手を取った。
その手は暖かで、私を溶かしてしまう。私と光は溶け合った。それは、塩と水のように、ゆっくりと絡み合い、溶け合った。
羽が増えた。それは私の白を、さらに白とし、純白にして、星のような輝きを放った。
瞳が変わった。目を開けなくても、何かが見えるような気がした。何もかもが、私には見えている気がした。
万能感が、炎のように私を包む。その炎は痛くはなく、美しさのみであった。
『……ハジメを…蛇を……私の、大切なものを、どうか、よろしくお願いします』
体の内から声が聞こえる。水の中のような声だった。だが、私にはそれを聞く義務があると、どうしても思った。だから、私は話に耳を集中させた。
『死んだ愛を……忘れられた愛を…どうか、蘇らせてください……ここ、キヴォトスという……かけがえのないもの…大切な枝の上で……』
鳥は枝の上で止まった。それは、たまたま、偶然だったことだ。だけど、それが、私達の枝こそが、最善の道だったと、私は鳥へ思い知らせたかった。
『贖罪は、今、ここで。原罪への決着は、今、ここで……』
幾億にも積み重なる年輪が、その幹にはあった。その年輪は、時間が立つごとに、忘れていった。
その年輪に、私はこう説くのだ、愛を、忘れることなかれ。と。
それはエゴか、強要か。たしかに、そうとも言える。しかし、私は信じない。愛が、悪であるということを。そう、私は信じる。愛こそが、世界を救う光であると。
さあ、今こそ、早材*1の刻である。今こそ、救済の時である。
私は、人類の今までの歴史に、そして、他ならない自分自身の闇に、決着をつけるために、私は剣を取る。それは燃えていて、絶えることはなかった。
キリエは鳴いている。迎い入れるように、鳴いている。音は天を貫き、枝を介し、幹へと流れた。
それは伝えた。信じることの強さを。美しさを。
私は思う。それは、私から見た、いや、恐らく全てのものからみても、このキヴォトスで、最大限の光であるということを。
To be continued
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