アリウスと原罪   作:パエリアさん

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…もうそろそろ決着!




第49話 虚しさ、それは閃光のように

凍える海、燃え尽きたような光、それは絶望を、そして終末を鮮明に表していた。

 

私が着ているスーツが破れた。さらに、もはやアロナの守りも無かった。私は苦痛を、直接的に摂取していたのだ。

 

ざぷんざぷんと唸りを上げる大波は、私の肺を刺すように冷たい液で満たし、耐え難い苦痛を味わらせていた。

 

傷口に染みる塩水に耐えながら、私は周りを見渡す。…ミカ、ミサキ、ヒヨリ、アツコ………サオリ。………いつの間にか、黒服は消えていた。恐らく、見切りをつけたんだろう。

 

極寒の渦に掻き回され、私が守るべき生徒達はおもちゃのように乱暴に扱われていた。いくら手を伸ばしても、いくら声を上げようとも、それはもう届かない。

 

必死に木片にしがみつく。たとえ情けないと言われようと、私は構わない。とにかく、現状の確認が必要だ。

 

…ミサキが、アツコを取り戻すところまでは良かった。少し危なかったが、それでも、いつもみたいに成功したし、解決もできるだろうと考えていた。

 

でも、それはできなかった。サオリが、銃を撃てなかったのだ。

 

しかし、私はサオリを責めることはできない。本来、生徒に人殺しを押しつけるなど、あってはならない。だが、私はそれを認可し、あろうことか生徒に任せてしまった。それが、先生として間違った道であるとも気づかずに。

 

これは、こんな選択をした私に対する、罰なのだろう。後先を考えずに行動した、この愚か者の、悪魔の。

 

ああ、私があの蛇…レヴィアタンを、悪魔と言う資格は、果たしてあるのだろうか?人殺しという業を、子供へと押し付けようとする私のほうが、いくぶんか悪魔らしくないか?私は思った。

 

水面に私の顔が、暗く反射する。その顔は愚かにも、無表情であった。そこには、反省も、何も見られない。

 

私は憤怒した。顔にすらでない、私の感傷の心に。心のどこかで、しょうがないと思っている自分に。…失敗したのだ、私が、先生という存在が。

 

右の拳で水面にしぶきを上げる。私の顔はぐちゃぐちゃになった。八つ当たりのような、そんな怒りで。

 

後悔はもう遅い。懺悔も、もうできない。私の脳は残酷にも、それを冷徹に分析していた。

 

ああ、絶望。私がシャーレに来てからは、一度も味わったことは無い。たとえ、一人きりで砂漠に遭難した時も、大人が企てる闇の策略に巻き込まれようとも、決して絶望はしなかった。

 

それは、なぜだろうか。それは恐らく、私が楽観的であったからだ。根拠の無い自信が、私にはあった。

 

それは、大きな支えとなったと思う。だから、私は今日まで先生であることができたのだ。だが、今回の件だけは違った。

 

先生としての義務、先生としての役割。それらに疑問を持ってしまった。私は、楽観をどこかに落としてしまったのだ。

 

ああ、痛ましい。想い人を撃つなど、到底不可能だ。ましてや、それが二十にもならない少女に任せるなぞ、言語道断。それであるのに、私はそれをしたんだ。

 

ああ、この水面が、私そのものだったらいいのに。そうだったら、私はどれだけ、水面を消せるだろうか。

 

荒れ狂う波に、もはや光は微塵も見られなかった。見えるはずの視界は、闇のように閉じた。

 

「…哀れだな。人の子らよ。ここまで来て、最後の最後で終わるとは」

 

蛇は淡々と言った。内容は同情だが、その割には口角は上がっている。

 

蒼蒼とした、それでいて闇黒とした暗が、ぎらぎらと光る。それは笑うように照りつけた。

 

「大丈夫…アツコ……」

 

ミサキがアツコを抱く。アツコの目は開かれているが、それは虚無であった。

 

各員、木片へとしがみつく。しかし、どれも光はなかった。それは敗北を表していた。…闇は、光に勝たなかった。そんな言葉がある。それであれば、勝者が光ということだ。敗者が闇であるということも、逆説的に決まる。

 

それでいくと、我々は闇だ。いや、私が闇だ。私こそが、全ての責任を負うのだろう。それが、私に最後に残った仕事だ。先生としての、最後の仕事。

 

力なく水面へ浮くサオリ。ぶつぶつと、自責の言葉を呟く。ああ、やめてくれ。それは、私がやるべきことだ。…しかし、それを止めるだけの力も、私にはなかった。

 

「あっけないなあ、ええ?秤アツコ。お前が守ろうとしたのは、こんなものだったのか?」

 

アツコがぴくりと反応する。ただ、目線はずっと虚空を見つめていた。

 

「蝿と同じくらいに力不足で、水みたいに決心が柔くて、そんなやつらが、お前が命をとしてでも守りたかったものなのか?」

 

ぐさり、ぐさりと、私の心に蛇の声が突き刺さる。痛い、痛い。でも、その痛みが、今は心地が良い。なぜならそれは、ほんの少し、贖罪になった気がするから。

 

ああ、そうだ。私は弱かった。未熟だった。だから、こんなことが起こった。それであるのに、傲慢にも先生を全うしようとしたんだ。

 

蛇に貼り付いている、あの、力なくうなだれている少年を見てみる。それは丁重に扱われた高級絵画のように外傷は無く、サラサラとしていた。

 

でも、実はそれは、もう直せないほどに壊されているのではないのか、とも思った。それは、表紙だけが、黄金に、美赤に装飾されているが、中身が空白の、本質が失われた本のようだった。

 

私が、あの子に字の書き方を…インクを、分け与えなければならないのに、それができないのが、さらに私をいたぶる。

 

赦してくれ、とは言わない。でも、せめて、こんな世界でも、笑ってほしい。私は切に、そう願った。

 

 

 

「答えないか…いや、答えられない。か。誰も言い訳も、命乞いも、媚も、しないのだな」

 

 

 

蛇は思い出すように、曇天からほんの少し差し込む光を見た。その赤い目は細められ、どこか優しげだった気がした。

 

「…サオリ。お前のせいだ。お前のせいで、今、今日、この瞬間から、世界は終わる。そして、新しく始まるのだ。我のための世界が」

 

サオリがびくびくと震えだす。出血が痛ましく、海へと流れ出す。それは消え、闇へとなる。

 

サオリの口からは、懺悔の言の葉が、さらに黒く、多くなって、呪うように飛び出す。ごめんなさい。ごめんなさい。と。それは、まるで自刃のようだ。

 

それを聞いた蛇は、満足げに天へと昇った。なんと、残酷に、悪魔らしく、私達をここに放置するらしい。この蛇は、本当に人間らしいな、と私は思った。人の壊し方を、よく知ってる。

 

手がかじかむ。力が入らない。意識が何処か、違うところ……恐らく、地獄にでも行こうかと、血溜まりの中から、歩みを始めた。

 

私は思う。あの、空色の生徒の事を。ああ、まだ、私は何もしていない。それどころか、私は癌だ、害だ。

 

ヘドロのような自己嫌悪に、私は満ちる。後悔とともに。もう、堕ちてしまいたい。どこまでも深くに、罪に、傲慢に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちょっと、待ってよ……蛇」

 

アツコが、口を開いた。振り絞るような声。それに、蛇は反応し、昇りを中断した。

 

「ああ、アツコよ、被害者よ。どうしたというのか」

 

蛇はそう言うと、ずいっと顔を落とし、アツコの視線へと合わせた。下顎が水へと浸かる。私は、遠ざかろうとする意識の足を必死につかみながら、どうにかしてその光景を見ていた。

 

被害者…そうだ。そもそも、生徒達は皆、大人達の被害者だ。ベアトリーチェの、私の。

 

そんな事を思う私を尻目に、アツコはしっかりと、光のように確かな目を向けつつ、こう言った。

 

「蛇ってさ……一体、何年くらい生きるの?」

 

なんと事ないような質問。蛇は少し驚きを見せた。恐らく、命乞いか、何かが、今度こそやってくると予想したのだろう。それであるのに、アツコは微笑みすら浮かべている。

 

「…それを聞いて、何になるというのか」

 

まったく、その通り。いくらこれを聞いたところで、終わりに変わりはない。手に取るように分かる。ここで、終焉は来るということを。

 

 

 

それであるというのに、アツコの目には、まだ、抗いがある気がした。

 

「まあ…答えてよ……うーん…千年?万年?それとも…死なないの?」

 

雨で聞こえにくいはずなのに、アツコの声は乾いたように響く。

 

「私ね…思い出したんだ。貴方と繋がってね…そう、ハジメと、アリウスについて、話したときのことを」

 

その声は、どうしてか、詩のように綺麗だった。追悼のようでもある。

 

ハジメ。という言葉に反応し、サオリがぴくっとこちらを向く。アツコはそれを、愛らしそうに見つめていた。

 

「私ね…嫌いだったんだ。『Vanitas vanitatum,et omniavanitas』っていう言葉が。だって、全部が虚しいなんて、そんな悲劇、私は好きじゃない。私は、お姫様みたいな、キラキラとした、明るいものに、心焦がれていたから」

 

サオリが、髪をかき上げ、言葉は発さないまま、アツコをしっかりと直視した。一方、蛇は眩しそうに、少しアツコと距離を取った。

 

「だけどね、ハジメが来たんだ。私達が辿るべき、苦痛の道中に。まるで、舟みたいに」

 

歌うような声。それは虹のようだ。アツコの周りには、もはや雨上がりのような錯覚さえ感じる。

 

「ハジメはね…本当に、光だったよ。私達の、アリウスの…」

 

その瞬間、ごほっとアツコが咳をした。ミサキが覚めたように、アツコを抱いたが、アツコはそれを制止した。

 

「…それでね、ハジメと、一緒に歩いてるときね……アズサが、ハジメに、こう聞いたんだ」

 

 

『Vanitas vanitatum et omnia vanitas…これについて、ハジメはどんな事を感じて、考えているの?』

 

 

 

「…私は、その答えに、実のところ、あんまり期待してなかったんだ。だって、一つの意味しか、私は知れなかったから。全部は、虚しいっていうだけの意味しか」

 

ヒヨリも、アツコを見る。いつの間にか、俯きは止められ、忘れていた灯りが、ほんの少し、毛ほどだが、宿った気がした。

 

「でもね…でも、ハジメは、こう言ったんだ」

 

 

 

 

『俺は、この言葉はきっと、『生きろ』って意味だと思う』

 

 

 

「…そう、言ったんだ………その瞬間、私は生まれて初めて、確かな光を、そこに見たんだ。それは、優しくて、でも、強くて」

 

体に熱が戻る。虚しいからこそ、だからこそ。…そうだね、確かに、そうだ。

 

全部虚しいから…でも、その虚しさに、意味を見つけ出す…そうか、それが、か。

 

かじかんだ筈の手は、もはや焔のようだ。それは絶望を溶かし、海へと流れた。

 

 

 

 

「…貴方みたいな、雲の上の人と比べたら、私たち、人間の一生なんて、たった一瞬の、刹那なんでしょう?」

 

アツコがそう言うと、サオリが、ぶるぶると震える手で、船の、少し残った甲板に、手をかける。それは、煙のようではなく、宝石のようだった。

 

「だからこそ…結果が見えたって、足掻いて、足掻いて、もがきぬいてみせる…!」

 

ぐいんと、勢いをつけて、孤島のような、でも、光り輝いている甲板へと、サオリは足を乗せた。それはよぼよぼとしていたが、信頼があふれている、リーダーの姿を取り戻していた。

 

「残りの人生が…百年だって、十分だって、同じ事……そう、眩しく燃えて、そして、生きてみせる!守り抜いて見せる!」

 

サオリの震えは止まった。葛藤は、もはや確信へと至っていた。流れる血すら、祝福のようだ。

 

 

 

 

 

 

「一瞬……だけど、閃光のように!!これが私達……人間の、生き方だ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

アツコの、光の言葉が終わった。

 

サオリは、両の足で、甲板の上へと、確かに立った。迷いはない、銃からまたたく光は、彼女を鮮烈に表していた。

 

雨は降っている。それは、事実だ。それは、変えようのない現実だ。でも、私は思い出した。私の役目を、託された魂を。

 

ヒヨリは見た、陽を。ミサキは見た、人を。

 

それは、神秘でも、魔力でもない。それは、酷く美しい人間讃歌の一節だった。

 

 

「…Vanitas vanitatum,et omnia vanitas!!!」

 

 

スクワッドらは言った。希望の言葉を、人間讃歌を。

 

 

私はといえば何処かへ漂う、大人のカードを、見つけ出した。そして、灯りのように掲げた。それが、奇跡を起こすと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

 

To be continued






閃光のように……!


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……アツコのセリフの元ネタわかったらすごい
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