アリウスと原罪   作:パエリアさん

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後少し!




終節 新天神地
第52話 深淵の福音


「……レヴィアタン」

 

俺、佐藤ハジメは、そこにいた。そこは青水で覆われた深潭だ。光は届かず、闇で覆われる。だが、その闇もまた、この海の中で輝きを見せた。

 

 

…しかし、一体ここはどこだ?さっきまでは…どこだったか、記憶がつぎはぎだが……そうだ、サオリに、撃たれて…。

 

 

そんな記憶を噛み締めて、ふと前を見ると、一匹、蛇が蜷局を巻いて、ぽつんといる。それは上を、空の方向を見つめていた。極めて愛おしそうに、それでいて、悲しそうに。俺はそれに、衝動的に声をかけた。

 

「ああ…なんですか?ハジメ。笑いにでも来たのですか?」

 

不思議と、水の中だと言うのに、息苦しさはなかった。俺は魚ではないというのに、海を歩くことも、できる気がした。

 

蛇の顔を見る。こっちを向いたその顔は、柏の木の肌ように、酷くしわくちゃになっていて、とても虚しかった。それは、今にでも泣き出してしまいそうで。落ちてしまいそうだ。

 

ぱかり、と口がひとりでに動く。俺は何を言おうとしているのだろうか、自分でも疑問に感じた。

 

 

「いいや…俺はただ、『お礼』を言いたくて、ここに来たんだ」

 

 

「『お礼』!?…いったい、何を言ってるのですか?」

 

そう、お礼。俺は、こいつに礼をしなければいけないのだ。俺は、さっと、蛇に対して頭を下げてこう言った。

 

 

 

「…今まで、守ってくれて……ありがとう」

 

 

 

「……って、本当に、何を言っているのですか…?!」

 

蛇は、ぽかんとした、あんぐりとした顔でそう言った。その眼は驚愕に包まれており、今にも飛び出してしまいそうだった。

 

「だって、今まで、俺が死にかけても助けてくれたのは、お前だろ?」

 

「…ただ、利用しようとしただけです」

 

あぶくを上げながら、蛇はそう言う。真っ暗なはずの暗海に、ぴかりと日が差したような気がした。

 

「それでも、だ。…スクワッドを、助けてくれた。この事実はあるだろ?」

 

蛇は少し考えながら、ハッとしたようにつぶやいた。

 

「…ベアトリーチェのことですか?」

 

「そうだとも。もしまだあいつがいたら、きっとスクワッドらは救われなかっただろうしな…。ていうか、そもそも俺自身も、お前のことは利用していたし」

 

蛇との距離が縮まる。俺と蛇は、今までずっと側にいたはずだが、それは背中を向けあった距離だった。だから、こんなことが起きたんだと思う。

 

一蛇は野望を、一人は逃避を、それぞれ望んでいた。お互いは、お互いの野望のために、お互いを利用しあっていたんだ。

 

でも、それは向き合っていなかった。『佐藤ハジメ』という存在は、向き合わずして、調和できなかった。だから、悲劇が起きたんだ。

 

俺は、俺の原罪を見たくなかった。だから、嫉妬に溺れた。蛇は、自分の感情に決着をつけられなかった。だから、支配に至った。

 

しかし、これは人であれば誰でも起こる、そんな摂理だ。どんな超人でも、『原罪』を背負うものには、これはつきものだ。

 

でも、俺はついに向き合えた。その道は、辛く苦しい、茨だった。でも、結果として、俺は試練を乗り越えられた。

 

勿論、それは俺だけの力では、決してない。先生、サオリ、ミサキ、アツコ、ヒヨリ、ミカ…その他にも、沢山の人のおかげで、俺は歩みきったんだ。その道を。

 

そして、その、俺が感謝するべき人の中には、蛇がいた。だから、俺は蛇に対して礼をしたんだ。

 

「…じゃ、私からも質問です、ハジメ」

 

蛇はそう言う。その声は暖かかった。追い詰められたような声ではない。偽物の温度でもない。それは、確かに友情の音がした。俺は嬉しく思った。

 

「一度、地獄の底の底へ堕ちたものは……また、天へと戻って…謝ることは、できるのでしょうか」

 

俺はうんうんと考える。謝る…そうか、そうか、何か、蛇の本質がきりっと見えた気がした。思わず、吹き出してしまう。

 

「お前…本当に優しいんだな」

 

「…!なっなにを!?」

 

その白い流体をぐわっと伸ばしてのけぞり、ほんの少し赤らんだ顔で、そう言った。それは年ごろの少女、それであった。

 

さっき、日が差している。といった。しかし、あれは少し違ったことに、今気づいた。そう、光が上から差しているのではない、俺たち自身が、光となっているんだ。俺たちが、海蛍のように、ここで光を放っているんだ。

 

「ああ、きっとできると思う。だってさ、天は意外と、寛容なきがするから」

 

 

 

 

そう言うと、だんだんと記憶が蘇る。蛇の記憶とも、繋がったようだ。数千、数億もの年数が、経験的に脳へ映される。

 

蛇の記憶を見た。幸せを噛み締めた青春を、理不尽に苦しんだ一幕を、それでも、歯を食いしばりながら、愛に葛藤した一編を。それは非恋劇のような、そんな、生々しい光のようなものさえあった。

 

やはり、と俺は思った。蛇の中に隠れる光は、隠しようがなかったから。

 

「…最後、その…□□□□に、何を言われたんだ?」

 

ノイズが入ったような声が出た。名前はわかるが、声には出せない。それは防衛反応だ。もし、はっきりと口に出したら、どうなってしまうか分からない。その果てを想像して、思わず身震いする。

 

そう、蛇の記憶。それは最後に、虹を見た。七色が綺麗に分かれ、この世のものとは思えないほどの美しさを持った虹を。そして、それには意味があって、それはアレから発されていた。しかし、俺には分からなかった。知らない言語を読み解くかのように、決して分かることはなかった。

 

蛇はそれを見て、暴れた。今更なんだと叫びながら。

 

俺は気になった。あの虹は、いったい何だったのであろうかと。何が、書かれていたのだろうか、と。

 

蛇は悩んだ。そして、さらに蜷局を巻き、頭をそれに入り込ませた。その間、体感的にいえば、およそ二分くらいの時間、俺は立ち尽くして答えを待った。

 

「…いいでしょう、貴方だったら…………。そう、『すまない』と言われたんですよ。…はあ、なんて無責任で…なんてずるいのか…」

 

…『すまない』か。確かに、今更すぎる。もっと言うべきタイミングがあったはず、蛇がこれだけ怒るのも、仕方のないことなのかもしれない。だけど…。

 

「ほら…涙が、隠せてないぞ?」

 

「…!」

 

蛇からは涙があふれた。それは苦痛による、氷のような涙ではなく、感傷からくる、白湯のような涙だった。

 

その涙をすくう。海の中で、それはぷかりと浮いた。蛇は必死に、顔を戻そうと、ぷるぷると震えながら表情筋に力を込めていた。

 

しかし、それは無意味だった。蛇は泣いた。それはもう、万年の思いを込めて、じっくりと。

 

恐らく、蛇は満足したんだろう。想い人のメッセージを受け取れて、そして、正面から向き合うことができて。妄想でしかないが、そんな気がする。…俺とこの蛇は、やはり似ている。そう思った。

 

…俺も、最期はサオリと、そして皆と向き合えた。ずっと、ずっと逃げてきた。でも、最期は俺の思いを、きちんと伝えられた。

 

サオリを見た。きっと、大丈夫だろう。俺を、笑って送り出してくれた、俺を、優しく抱いてくれた。それだけでもう、俺は満足だ。きっと、俺がいなくても上手くいく。

 

それはそれで、少し悲しいものだ。俺がいなくても、世界は変わらず回るということは。でも、それ以上に俺は、あいつらには幸せになってほしい。

 

さらに、先生もいる。あの大人は信用できる。あんな、濁りがない、透き通った目をできるのは、あの人しかいないだろう。…だから、きっと大丈夫だ。これから先、どんな事があったとしても。あいつらは、あいつらの青春の物語を、自分なりに歩んでいくんだろう。

 

そんな事を思うと、ふわり、と、体が浮いてきた。まるで、天に召されるように。…いや、これはもしや、比喩ではないのか?

 

「…ハジメよ、行ってしまうのですね」

 

上昇を続ける俺を見あげながら、蛇はそういった。傲慢になるが、ほんの少し、惜しげがありそうに。改めて彼女を見る。やはり、蛇は美しかった。真珠のように、尊い芸術が、そこに隠れていた。

 

「ああ、どこに行くのかも、まだよく分からないし、ほんのちょっと怖いけど…」

 

 

 

 

 

 

 

 

『とにかく、いってくる』

 

 

 

 

 

 

 

 

「…はあ、あの人を思い出す……スクワッドらは、本当に可哀想ですね、こんな人が、そばにいるなんて」

 

やれやれとでもいいたげに、蛇はそういった。もうそこには、痛みも、悲しみもなかった。そこには新しい希望が、新しい道が、それぞれできていた。

 

「じゃ…またな、蛇」

 

俺は腕を振った。力いっぱいに、大きく。それは蛇に向けてだけではない。この、キヴォトスへ、俺は手を振った。

 

ほんの二年余り、それしかここにいることはなかったが、それでも、地球で過ごした十五年よりも、それはきらりと燃えていた…そう、閃光のように。

 

俺は燃え尽きた。ちっぽけな一生。ある人はそう思うかもしれない。でも、いいんだ。そんなちっぽけな一生で、俺はいいんだ。

 

だってそれは、ほとばしる閃光を、すぐ間近で見られる、花火客のような一生だったから。

 

俺は見た。この世で、二度は見れないような、そんな豪奢な光たちを。

 

水面が近づく。もう、蛇の体は豆粒になっている。でも、それは確かに、自分からきらめく、恒星のようであった。

 

ふと、水面を観る。新しい希望が、新しい体験が、じんじんとそこにあった。俺の心は、太陽のように再び、熱を取り戻していた。

 

これは、別れではない。俺はそう思う。蛇はまだ、俺の中にいる。アリウスの奴らや、先生もまた、俺の中にいる。それを想うと、はち切れんばかりの勇気が出てきた。

 

これは新たな出会いだ。これから始まる、創世記だ。俺はそう思う。でも、心残りはある。伝えきれなかった言葉たち、鑑賞しきれなかった風景たち、未練はやはり、自覚するほどあった。

 

でも、それさえまた、これからの糧となるだろう。楽観できる自分に、俺ははっとした。成長。これは感じざるを得ない。

 

後少し、目と鼻の先には、差し込む光を反射する水面。手を伸ばせば、掴めてしまいそうだ。

 

「さあ…行くぞ!」

 

俺は自分を鼓舞して、自分を信じて、俺は新場へと、体を入れ込んだ。そこで、『普通』であることの尊さも、きっと知れる気がした。

 

残響とともに、変奏して、俺は曲を奏でた。そう、まるで、月のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海、深海、でも暖かい、そんな眩しい深海の底で、蛇は祈るようにそこにいた。

 

「…はあ、まったく、なんだって皆、残されたやつのことを考えないのでしょうか」

 

「自分がいなくても大丈夫、か。確かに大丈夫かもしれませんね。あの者らはとても強いから」

 

蛇は、苦虫を噛み潰したような顔でこう言った。

 

「でも…別れっていうのは、想像以上に辛いものなんですよ、ハジメ」

 

達観したような顔。蛇は、年頃の少女のような面もあった。しかし、長年生きた、霊獣のような一面も、確かにあった。それは、長年の経験からの言葉だった。

 

「私は見たい…あの者らが、幸せに暮らしているところを…何も気にせず、何にも追われずに…」

 

蛇は尻尾を動かした。巻いて、少し複雑にして、自身の顔の前においた。

 

「…主よ、祈ります。私の身はどうなってもかまいません。なので、どうか、かの者たちに、幸せがあらんことを…」

 

初めての祈りは光となり、駆け抜け、突き抜けた。行方は、誰も知らない。

 

 

 

「…amen(エイメン)

 

 

 

しかし、これはわかる。この祈りは、確かに届いた、ということは。

 

 

 

 

 

 

 

 

神は、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない

 

To be continued






ちなみに言っておくと、□□□□はヤ、またはYから始まるアレです。


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