アリウスと原罪   作:パエリアさん

54 / 65

!注!
この小説には先生喫煙概念が含まれます!不快な方は流して読んでくれて構いません!




第54話 大人の匂い

あれから、いろいろなことがあった。と、私、先生は、この晴れ晴れとした青空の下で、爽やかな風に吹かれながらそう思う。

 

シャーレの屋上。ここで私は柵に寄りかかりながら、眼下に広がるビル群を眺めて、これまでの過程を風とともに振り返る。

 

ミカはあの後、私とともにティーパーティのもとへ向かい、ナギサ、セイアと会って、その後に、きちんと向き合った。

 

逃げずに対話をし、本音を言い合い、そして理解し合った。それは、前のミカからは到底考えられない光景であった。

 

久方ぶりに、私はミカの、本当の笑顔を見た。威嚇のためでもなく、抑制のためでもない、心から喜ぶ気持ち。その笑顔を見た。

 

ミカは、六対の翼と、眩しい明るさのヘイローから、元の姿へとすっかりと戻った。原因は不明だが、いつでも出したり引っ込めたりできるとのことだ。もともとでもかなりの力を持っていたが、ここまで来るともはや怖いくらいの力を持っている。どんどん頼っていこうと、私は思う。

 

今現在、ミカは聴聞会のために待機している。その様子は、とても落ち着いていて、上品で、まさしくティーパーティの一人として、ふさわしい振る舞いをしていた。

 

一方、アリウススクワッドらは、あの感動の再会のあとに、ハジメを担ぎながら何処かへ消えていった。文字通り、神輿のように担がれている彼には思わず、くすりと笑ってしまった。

 

あの目は素晴らしかった。あれこそ、もはや模範と言うべき目かもしれない。自身で光を見出し、自身の手で掘り出し、これから守っていこうという決意。それがひしひしと感じられた。

 

しかし…ハジメ。彼は複雑な顔をしていた。何か迷いがあるような、悩みを孕んだような。でも、きっとサオリ達が何とかしてくれるだろう。あの子達は強い、おそらく、私よりも。

 

そうだ、あの事件の全体の結果として、私は自覚したのだ。自分が思ったよりも弱いということを。

 

あまりにも力不足だった私。そのせいで、多くの人が傷ついた。あまつさえ、生徒を死に至らしめるところまで、私は来ていたのだ。

 

それを考えると、自分に反吐が出る。この陽光で、溶けて消えてしまいたいとすら思う。もはや爽やかなはずの風すら、私を叱責しているようだ。

 

"はあ………"

 

思わずにため息が出る。ここに生徒がいなくてよかった。こんな姿、とてもじゃないが見せられない。先生はいつも強く、慎ましくないといけない。決して、自分の弱さに潰されそうになっているところなんか、見せてはならない。

 

ちらりと、胸ポケットに入っているライターを見る。これは、大学生の時に購入したもの…若気の至りだ。教育者になろうというのに、煙草を意味もなく、ひたすらに吸っていたな。

 

ブラックマーケットで購入した煙草を取り出す。今は、今だけは、これで、泥のように沈酔していたかった。

 

酒を飲んでは、やるべき仕事に影響が出てしまう。だったらせめて、これだけでもやらせてもらいたい。

 

決して、今の姿は理想とはいえないだろう。生徒に隠れて煙草を吸う。別に、悪いとはいえないが、とにかく理想的ではない。だから、今日限りでそれとはおさらばだ。

 

ギザギザとした、懐かしのヤスリへと指をかける。冷たく錆びていて、つくのか不安だったが、私は思い切り、指へと力を込めた。

 

 

カチリ、と聞き慣れた駆動音がする。極めて機械的で、無機質なその音に、私は幾分かの安心感を抱いた。

 

 

その後、一寸の時が経ち、シュボッと、摩擦熱を顕現させた音色が、シンバルのように乾空へ広がった。

 

 

ゆらゆらと揺らめく小さい炎は、日の光と対照的に、人間的な温度を示していた。それは愚かな私を表しているようで、励まされているような気がした。

 

その暖かな焔を、俗っぽい、茶色に渋っている葉にゆっくりと近づける。背徳感で脳が快感に支配される。…まあ、こんな経験も、少しは必要だろう。私は私を許し、たぎるメンソールの爽やかな匂いに意識を落とした。

 

"ふー……"

 

吸って、吐く。たったそれだけの行為であるはずなのに、泣きそうになるほどの安堵がじんわりと、優しく体を包む。いやあ、これだから煙草は辞められそうにない。そう、二口めに移ろうとした瞬間。

 

 

 

「…すいません、先生」

 

 

 

"…ぎゃっ!?"

 

その安堵は、誰かの声で切り裂かれた。反射的に、煙草をポケットへと押し付ける。駄目になろうが、今はどうでもいい。

 

背後からやってくる、この男の子の声…青臭く、雑草のような声……そう、この声は。

 

 

"ハジメ…かい?"

 

 

「はい…そうですが、先生」

 

それは、私が憂いていた生徒そのものだった。あちらから来てくれたのだから、お茶でも出して歓迎するべきなのだが、いかんせん今はタイミングが悪い。自身が冷や汗をかいているのが、嫌でも分かる。

 

"と…とりあえず、椅子にでも座って話そうか。先に、執務室に向かっておいて、あとで私も向かうから…"

 

顔だけハジメの方を向いてそう言った。ここで煙草は処理して行かねば。

 

「…先生、煙草吸うんですね……」

 

"ふぐっ?!"

 

バレていた。必死に誤魔化そうと努力したが、徒労に終わった。焦燥感とともに、これからどうしようと虚空を見つめていると、ハジメが近くへと寄ってきた。

 

「先生…いや、別に煙草を吸うのが悪いとは思ってないですよ?俺は構わないので、別に吸ってもらっても…」

 

"いやいや…そうはとんやが…"

 

「いや、なんか我慢されてる方が気分悪いんで、吸ってください」

 

ぴしゃりと言われた。諦めて再び煙草を吸う。私は紫煙を、ハジメにかからないよう、少し慎重に吐き出した。

 

紫煙は空に溶けて、うやむやになって消える。昔は想像していたな、煙は雲になるのかな、なんて。

 

もしそうだったら、世界は終わりへと向かうだろう。この紫煙というものは、人の醜い部分を吐き出しているものだ。そんなものが雲になったら、太陽すらも闇にしてしまう。そんな事を考えていると、ハジメは気まずそうに、でも言葉を選んで口を開いた。

 

「…まあ、たまにはこういうのも大事だと思いますよ?」

 

なんて優しいんだ。…スクワッドらが惚れるのも、致し方ない部分がある。

 

"それで…何でハジメはここに来たんだい?"

 

「ああ、それはですね」

 

そう、なぜここに来たのか。それが疑問だ。ハジメは私と同じく柵に寄りかかって、話を始めた。煙に濡れることも厭わずに、彼は私に顔を向けた。

 

「人生相談…させてもらおうかと」

 

いと真剣な顔で、私にそう言った。その顔は、私が初めて見る、この世のものとは思えない、それでいて普遍的な、そんな不思議な顔だった。

 

 

 

__________________________________________

 

 

 

 

ぴよぴよと軽やかになく鳥の声。長いこと木陰にあたって、ひんやりとした土の温度。それらが俺達…アリウススクワッド、と一人の凡人を映し出す。

 

五人組は無言で歩く。アズサはあの後に別れ、それぞれの道へと別れた。しかし、そこには確かな暖かみがあった。…少しピリついている気はするがな。まったく、なんて過保護だ。

 

こうやって俺が歩いているのも、俺の交渉の結果だ。なぜだか背負われて移動していたが、誰も見ていないとはいえ、幾分こそばゆい。俺は必死に皆を説得した。

 

およそ三十分に渡る協議の末、俺はついに歩みの許可を得た。久し振りの運動は、やはり気持ちが良いものだった。思えば、俺はずっと、何をしていたのだろうか。

 

ただ、見ているだけだった。何もできなかった。それもいいな、と思ってしまった自分もいた。

 

弱かった。でも、そんな自分を、このスクワッドらは救ってくれた。もう、頭が上がらない。俺はそう思う。

 

「こ…これからどうしましょうか……」

 

ヒヨリがそう言い、沈黙を破る。ほんの少しだけ、歩みが遅くなった。

 

「居場所も…やることも無いよ…加えて、追われる身だし…」

 

ミサキが冷たくそういう。確かに、どうしようか。世間から見れば俺らはただのテロリスト。矯正局にぶち込まれるべき存在だ。

 

それは俺達の、黒黒とした未来を暗示していた。先が見えない、そんな未来を。

 

「ふふっ…ミサキ、それだったらさ、見つければいいんだよ」

 

アツコがえっへんと、胸を張るようにそう言った。その姿はとてもキラキラしていて、お姫様のようだった。

 

「アツコ…それはどういう?」

 

「追われながら、試練に打ちのめされながら、アリウスの外のことを知って、そして考えるの。その道がどれだけ辛いものでも…全ては虚しいんだから、きっと、耐えられるはずだよ」

 

もはや俺はへりくだってしまいそうだ。昔のアツコとは違う…いや、違わない。ただ、自分を咲かせただけ…か。でも、とにかく変わったことは確かだった。

 

ふとサオリを見る。彼女は俯いて、なにかを考えているようだ。ぽつりと独り言を言いながら、何か、思考の海へと飛び込んでいる。

 

「サオリ、どうした?」

 

俺はサオリへそう言ってみる。すると、意を決したように息を吸い込んで、彼女はこう言った。

 

「私は少しの間、何かを見つける旅にでてくることにした」

 

サオリが選択したその道は、何か薄暗くもあるが、それ以上に楽しそうな道だった。俺は尊敬した、自分自身で道を決めることができる強さを。

 

…俺も、自分で決めなければ……いつまでも流されてはいけない。俺は知った、普通であることの尊さを。しかし、それが今日、選択を諦めるという理由にはならない。

 

より自分が納得できる方へ、より満足できる方へ、そんな選択をするというのは、かなり難しいものがあった。いくら考えても、考えても、結論は決して出てこない。

 

しかし、それだから人生というのは面白いと言えるのだろう。最善というのは存在しないというのが、さらに欲をかき立てる。それが人間だと、俺は思った。

 

「…私は、サっちゃんが選んだ道なら、それを尊敬するよ」

 

「……私も」

 

「ちょ、ちょっとの間、離れるだけですよね?!う、うう…ちょっと、いやだいぶ寂しいですけど…大丈夫です!サオリさん!」

 

「ああ…いってらっしゃい、サオリ」

 

俺はそう送り出した。きっと大丈夫。サオリは強い。それは身体で覚えさせられた。心も、体も、俺の比にならないくらいに強い。

 

すると、サオリはぽかんと首を傾げた。…なぜだ?今更なにかあったのか?

 

「…ハジメは、付いてきてくれないのか?」

 

「………は?」

 

彼女は、今にも掠れてしまいそうな声で、そう言った。

 

木の葉の上に佇んでいる、真珠のような朝露は、ほんの少しばかり震えて、ぷるんと静かに、土へと落ちた。

 

_________________________________________

 

「…っていうことがあって」

 

"ああ、そうだね"

 

要約すると…『なんか二人で過ごそうと同級生の女の子に提案された』といったところか。おそらくは羨望の目を一身に向けられることだろう。しかし、今はそうともいかないらしい。

 

「どうしましょう…先生」

 

震える小動物のような目で、彼はそう言った。…こうしてみると、彼とまともに話をするのは初めてだ。今までは、ずっと黒い感情が乗った言葉しか投げられてこなかったから。

 

こうしてみると、可愛いものだ。…こんなあどけない少年を、あんなふうにしたのは…いったい何なんだ?疑問が頭で反芻する。しかし、私はそれを奥に隠して、顔を私ではなく、『先生』の顔にした。

 

"そうだね…ハジメはどうしたいの?"

 

煙草の灰をとん、とんと、銀に輝く灰皿のもとへ落としながら、私はそう尋ねる。すると、彼はうんうんと唸らせ、時には左に、時には右に、頭を傾かせながら、熟考していた。

 

そして、ぱっと思いついたようにこう言った。

 

「俺は…見てみたいです……この世の全てを…そして、あいつらのこれからを」

 

その声も、あの時からは別人のよう…いや、同一人物ではあった。ただ、奥底にあった種子が、開花しただけだ。

 

"私にできることだったら、なんでもするよ。だから、ハジメ、いっておいで"

 

私がそう言うと、ハジメはぴくりと震え、同時にこう言った。

 

「ありがとうございます、先生!」

 

その顔は、私にとっての太陽だった。自然的に降り注ぐ太陽よりも、ずっと優しく、身近な太陽だった気がする。その光は、私のそばに座り続けた。

 

ハジメは駆け出した。おそらく、サオリの元へ向かっているのだろう。その道は、もしかしたら試練なりうるかもしれない。ただ…彼と彼女らだったら、きっと乗り越えられるはずだ。

 

煙草に口をつける。私は大人なんだな、と感じる。忘れかけていた青春の香りが、ほのかに感じる。

 

私は、それを守らなくてはならない。この煙草の、脂の匂いで穢してはならない。でも、今日だけはこの、大人の匂いを、どうか許してくれ。

 

すっかり辛くなった煙草。それであるのに、私はしがみつくように口元からそれを離せなかった。

 

幻想のように透き通った世界に、独唱するような煙が、もくもくと立ち上った。しかし、もはや独唱は、斉唱へと、溶けるように入れ替わった。

 

To be continued






閲覧いただきありがとうございました!
年明けに向けて少し忙しくなるので、投稿を少しの間お休みします!
それでは皆様、良いお年を!!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。