雷鳴のような騒音がけたたましく響くのは、ここ、ブラックマーケットであった。周囲はかき消すような喧騒で包まれ、悪意、物欲、好奇心、殺気、それらがここを表すのにちょうどよい言葉であることを、明瞭と示していた。
その感情達は、そういった人間から俺達を隠す、カーテンのような役割を果たしていた。
「……こ、こんにち、は?」
「ひえっ……こ、こここ、こんにちは……?」
双方、言い淀みながら挨拶を交わす。まるで、化け物でも見るような目が、面白いぐらいに似通っていた。
それはそれとして、まずい。こいつはまずい。この、可愛らしい小動物のように震えている女は、俺の過去を知っている。俺の、内にいた悪魔のことを。
あれは少し前だが、はっきりと、鮮明に記憶に残っている。…俺が嫉妬に支配されて、いろいろな人を襲ってしまったことだ。あの時は…こう言っちゃ悪いかもしれないが、確かに楽しかった。認めよう。
しかし、今は反省している。自分の欲望のために人を傷つけるのは、俺の信条としてはあまり適していない。
で、あるのだ。だから、その思考を言葉に変えて表現をすれば良いのだが、それだけの勇気が、俺という凡人には残っていなかった。
複雑なパターンが脳を駆け巡る。この場でボロ雑巾のように撃ち殺されるか、ヴァルキューレかなんかに通報されて終わるか、それとも、なにか取引を持ちかけられるか。
いずれにしよ、明るい未来は俺を出迎えてくれないことが、明確に、数字のように立ち塞がる。
俺にはもう、対応できる策は存在しないと、無いなりの頭で理解した。悲しいなあ、俺の野望は、こんな薄暗い路地で終わるのか。
ほんの少し差し込む日の光が、余計に悲壮感を突く。
「(すまない…サオリ………)」
どこかにいる相棒に、少しの祈りと懺悔を捧げて、俺は決意と共に、目を瞑った。
「え……え〜っと……ま、まず!ありがとうございました!!」
しかし、意外にも決意は意味をなさなかった。やってくるはずの苦痛は、ただの黄色の波であった。
薄ら目を開けてみると、そこにはその、蒸栗色の頭をこちらへ真っ直ぐ差し出しているだけの少女がいた。
「………え?」
こちらがそんな声をだして、呆気にとられていると、その少女は面をあげて、こちらへと近づいてきた。
「貴方は確か…アズサちゃんのすき……げふん!お友達でしたよね?」
ふんふんと荒い鼻息を出しながら、赤ら顔で興奮していた。その目は水の反射のようにギラついており、捕食者の面影すら感じさせた。
ぐいぐいと迫る少女に、俺はたじろぐ。なんだってこの世界の女性たちは、こんなにも距離感が近いのだろうか?よく先生は理性を保っているな、と、俺は尊敬した。
「そ…そう、だが……」
「そうですよね?……そう、そのペンダント!アズサちゃんも持ってて、その時に写真を見せてもらったんです!」
俺の胸元に指を差しながらそう言った。…物凄いな、太陽、光、そんな言葉がよく似合う、そんなエネルギッシュな女の子だ。…あの時も思ったが、どこが普通だ。普通の度合いで言うなら、サオリ達アリウススクワッドらのほうがまだ普通な気がするが…。
「おお……ていうか、俺が怖くないのか?」
俺はそう尋ねた。『普通』は怖いだろう。自分に明確な殺意を向けてきて、あろうことか目の前でいろいろな人を傷つけ、そして人外へと姿を変えたものなど、そうとうな変態や奇人でなければ恐怖しかわかないだろう。
しかし、目の前の普通を自称する少女は、きょとんとした目で、こちらを眺めている。…やはり、こいつは壊れている。そう思った。どこが平凡だ。
「うーんと…怖い、という気持ちは、ほんの少しあります。でも、気になる。という気持ちのほうが、とっても、とーっても、大きいんです!」
…そりゃあ、アズサも必死になって守るはずだ。薄々分かっていたが、想像以上だ。
まるで天使のような笑顔。甘すぎる、とも捉えられるその理想論的な考え方。それは尊く、作り物よりも仮想的だった。
俺は信じられない経験を味わったばかりであるが、今日、それはまた起こってしまった。この少女と会うことが、なにか俺を変えてくれる気がしてならなかった。
「そうか…それはよかった。うん、よかった」
俺はそう言って、少女に踵を返し、場を離れようとした。確かに俺はこれから再起の時であり、この阿慈谷ヒフミというのは物凄い刺激となるだろうが、いかんせん、俺にはあまりにも勿体ない経験だと思った。俺なんかと関わるよりも、この少女は他にするべきことがあるだろう。そう思ったので、俺はその場から消えることを決めたのだ。
「ちょ…待ってください!」
そうすると、少女に袖を掴まれて阻まれてしまった。…華奢な身体からは考えられないほどの力だ。本気で抵抗しているのだが、少女は力みもせずに耐えている。これは敵わないな、俺はそう堪忍して、わざとらしくため息をついた。
「…わかった、わかった………それで、何をすればいいんだ?」
俺は少女に向き直りそう言った。少女はそれを聞くとぱあっと顔を花のように開かせ、緩ませた。それから人形を俺に突き出し、こう言った。
「私と一緒に探し物をしてください!」
「……はあ?」
漏れ出た疑問の感嘆は、流れる風とともに舞い散った。ほんの少し、ぬるい気もした。
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「……つまりお前は、俺に目の代わりになってほしいと?」
あの後、少女は俺に説明をしてくれた。…俺でもわかるほどに、少し強引な説明だった。何の狙いがあるかはわからないが、とにかく俺と一緒に行動をしたいという意は見えた。
まあ、それに疑問を持つのは野暮だろう。別に俺も嫌な訳では無い。…だって、こんなに可愛らしい女の子と、肩を並べて歩けるのだ。こんなこと、普通は考えられない。
そう思うと、ふとサオリのことを思い出す。しかし、あれはそういう感じではない。家族同然なのであるから、……デート、という感じには決してならないのだ。たとえ、二人きりで歩いたり、なにか物を食べたりしても。だ。
そのことに俺は、少しうんざりしていた気持ちもある。向こうはやはり、俺の事を家族としか見ていないのだな、と理解してしまったからだ。
男として生まれたからには、どのような異性からでもいいから、とにかく好かれたいという欲求が出るものだと、俺は思う。なので、俺はとにかくうんざりしたのだ。
しかし、その関係を崩したいかと言われれば決してそうではない。この関係が、ほどよい温みが、俺をゆんわりと優しく包んでいるのだ。
俺がそのような葛藤に心を苛まれている間、目の前少女…阿慈谷ヒフミは、背中にちょこんとある小さい羽を、パタパタと揺らしながらこう言った。
「はい!そうです。ハジメさんは背が高いので!」
…まあ、それもキヴォトス基準で見れば、だが。でも、頼られるという感覚も悪くはない。鼻が高くなる気分だ。
「ていうか、その人形、アズサも好きなんだな」
曰く、アズサのためにこのブラックマーケットに侵入し、探していたらしい。しかし、どうしてか今日は人が多く、彼女の目線からではどこに何があるかもよく分からなかったらしい。
この…ペロロ、だっけ?何とも言い難い……鳥?河馬?のような人形…。可愛いとは、お世辞にも言い難いな。
それでいても、彼女はもはやそれを崇拝するに至っている。俺目線からするとまったくもって理解ができないが、原初の宗教もおそらくそんな感じだったのだろう。なので、否定はできない。
「そうです!アズサちゃんとは、モモフレンズ同盟を結成しているんです!!」
俺はぴかりとした声を、味わうように聞いた…ああ、アズサ。良い友を持ったな。きっと、このままアリウスで俺と過ごすよりも、ずっといい選択を、お前はしたんだろうな。
でも、また話したいな。完全な俺の我儘だけど、とにかく話したい。
アズサの、空のように混じり気がなく、純粋なあの言葉。変わることのない、不変の意思。それをもう一回拝みたいというのは、一種の芸術反応であった。
でも、それはあいつのためにはならない。だから、アズサ、綺麗な何処かで、ぜひ、元気に過ごしてくれ。
そんな、諦めとなった、それでも願いたいという想いを、まだらに渡る雲々に捧げて、俺は空を見上げた。
「どうしたんですか…?」
「ああ、すまない。何でもない。じゃ、することも決まったんだから、とっとと行くか、阿慈谷さん」
俺はそう言うと、今度こそ路地を出んと踵を返した。差し込む光は、もう黄金色になろうかという頃であった。
それを彼女は小さい歩幅で小鴨のようにぴょこぴょことついてきた。いちいち、動作が可愛らしいな…。またしても、葛藤。それがあった。
俺達は、日の下へと出た。反射的にフードを被る。やはり、俺にはこの日はまだ早い。いや、似合わない。
「じゃあ、こっち側に行きましょう!」
阿慈谷さんはそう言うと、今度は俺の前に立ち、手を引いて足早に歩いて行った。小躍りでもしてしまいそうな、そんなステップを踏みながら。
転げてしまいそうになりながら、俺は阿慈谷さんの手の感触をまじまじと味わった。硝子のように繊細で、それでいて、鋼鉄のように硬いその拳は、俺を感動させるのには十分な美しさだった。
かあっと顔が火照るのを感じる。フードを被っていてよかったと思う。こんな姿、あまりにも格好悪くて、見せられないから。
キヴォトスに来てから、女子にはもう慣れたと思っていたが、以外とそうではなかったらしい。やはり、生まれ持った性はそう簡単には変わらないのだろう。
「う〜ん…本当に人が多いですねぇ。なんででしょう?」
そうこうして歩いていると、阿慈谷さんがそう言った。俺はこのブラックマーケットに来たのは初めてであるので、集団率の偏差はわからないが、どうやら異常な多さらしい。
道行く人を観察してみる。分かったことは、生徒が多いということだ。俺と同じくフードや、マスクなどで顔を隠しているので良くわからないが、その初々しい肌は若い少女を表していた。
「なんかイベントでもあるのか?阿慈谷さん」
俺がそう言うと、話しかけられると思っていなかったのか、彼女はぴくっとコミカルに飛び上がり、その後に体勢を立て直し、こう言った。
「な、なにかイベントとかは無いはずですけど…特に、今までと変わったところは…」
うーんと考えて、その結論をだした。と、いうか。今までとは。彼女は常習的にここに出入りしているということなのか。そりゃあ、放っておけないな、アズサ。
その話の後、俺達は無言で通路を進んだ。ありとあらゆる商店を見てみたが、あの人形…ペロロは見当たらない。なんだってそんな貴重な人形をあげようとするんだ。普通の店で売っているものにすればいいのに。
足のだるさを懸命に堪えながら、俺は辺りの捜索を続ける。しかし、こうして見てみるのも面白いものだ。銃や本、異様な機械など、目新しいものが次々と目に入る。
あれ?
そうしていると、一際光っているような生徒がいた。なにか、見覚えのある生徒が。
顔こそよく見えないが、その、長く三編みされた銀の頭髪、おぼつかない足取り、そして何より、無気力な雰囲気。それはそう、第二の故郷、アリウスでよく見たものだ。
その生徒はひどく青い痣がてんてんと出ており、時々する咳は、そのものの健康が恐ろしいほどに侵されていることを示していた。
風が吹く。それがその生徒の顔の向きを変えさせ、俺の方へ向かせた。それは、運命の悪戯ような風だった。同時に、フードがはらりと、枯れ葉のように脱げる。そして、疑念はついに、確信へと変わった。
目と目が合う、その瞬間に、俺の心に鋭い電流が走り、思わず声も、反射的に飛び出して行った。
「マイ……ア……?」
「あ!ありましたよ!ハジメさん!!」
しかし、それを深くすることは叶わず、阿慈谷さんにぐい、と手を引かれてしまった。俺には、それに抵抗する力も、そして気持ちさえも沸かなかった。
ああ、俺は忘れていたのか。いや、違う。おそらく本能的に、忘れさせられたのだろう。残されたもののことを。
罪悪感がやってくる。泣きたくなる気持ちに浸るようにして、俺は思考へと頭を泳がせた。
その水の中には、忘れていた澱があった。かけがえのない、そんなものが。
長く架かった幻想の虹が、ぽちゃんと空に溶け落ちた。風は、それをすくって、どこかへ持っていった。
To be continued
オラトリオ組を絡ませる予定です…!
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