良くできたと思う!
目当てのものを手に入れた俺達は、帰路へ着こうという頃だった。阿慈谷さんは、せっかく念願のものを手に入れたというのにも関わらず、浮かない顔をしている。…きっと、俺を心配してのことだろう。ああ、自分が嫌になる。苦しみをまき散らす害へと、俺は舞い戻ったのだ。
ちらりと見ると、空はもう、落ちてきそうな空だった。まるで終末の烈火のように赤く染まり、烏もかあかあと鳴いている。
なんと、俺はそれを悲鳴と勘違いして、思わず怯えきってしまった。残された者たちの、悲痛な声。そんな気がした。
なんでお前だけ。なんで私達は。そんな呪言が俺を殴り、吹き飛ばしていく。もともと陰のようだった俺は、もはや闇となり、底の底へ溶けていった。
「…本当、どうしたんですか?ハジメさん」
沈黙に感傷していると、阿慈谷さんが口を開いた。言葉を選んでいて、おどおどとしている。
「いや…なんでもない」
「…そうはいっても、何でも無くなんかないですよ!!お願いですから、話してみてください!」
「だから!何でもない!!」
思わず会話がヒートアップしてしまう。抱え込みたかった激情が、次々に溢れ出す。
なんだって、こんなにこいつは俺に構うんだ?ただの他人に、こんなに思いをぶつけることもないだろうに。
「黙れよ…本当に、話しかけないでくれよ……頼むから……」
俺はそう言うと、フードを深くかぶり、闇へと意識を落とした。…やはり、闇というのは心地の良いものだと思う。ここは、ここだけは、俺を受け入れてくれるものだ。
ぎゅうっと、フードの紐を固く締める。もう、何も聞こえないし、見えない。そう、それがベストだ。俺は、この世の中にはいちゃいけないと、理解したではないか。
「…もう!こっちむいて……ください!!」
くぐもった声が、さんさんと聞こえる。扉を叩かれているような感覚だ。俺は狸寝入りをすることに、ただひたすらに集中した。
ビリッ
しかし、それは意外な方法で破られた。そう、扉は開かれるでもなく、ただ壊されたのだ。乱雑に、そして優しく。
フードが悲痛な音を立てて破られる。そのせいで、俺は渋々、光の下へ放り出される事となった。
眩しい光に、俺は薄ら目を開けていると、そこにはぷるぷると目を小刻みに揺らしながら、じんわりとそれを潤ませている人がいた。
なんて優しいのだろうと思う。この人は、何でもない他人のために、あろうことか自身に対して殺意を向けていたものに対して涙しているのだ。
俺はそれを直視する義務があった。俺はあの一件から知ったのだ。向き合うことの大切さを。そして、羞明に対抗することの意義を。
たとえ俺がどれだけ闇のものであろうと、闇と光は地と天であり、また、紙一重なのである。俺はそのことを思い出した。…こんなことで思い出すなんて、少しこそばゆいが。
「ほら…なんでも、言ってみてくださいよ」
彼女は俺に微笑みながらそう言った。その姿は、やはり太陽だった。
その姿にいたく感動した俺は…話してみることにした。
「……あそこにな…俺の同郷の奴がいたんだ」
俺は腰を落とし、静かにそう語り始めた。烏ももう、鳴いていない。
「たぶん、ブラックマーケットに普段より人がいたのも…俺の同郷の奴らが、たくさん集まったからだと思う」
思えば、なぜすぐにも気づかなかったのだろうか。あの人達の目は、まさしくアリウスの生徒達特有の目であった。あの、空虚に染まった、その眼たち。
いや、気づけさせなかった。それが大きい。そんな事はありえない、ここにいるはずがないと、心の中の期待のような慢心が、そうさせていたのだろう。
「…だったら、すぐにでも話しかければよかったじゃないですか?」
阿慈谷さんはそう言った。
「いや、ちょうど、阿慈谷さんにも手を引かれたところだったし、いろいろあったから…」
「それは…すみません」
謝罪をさせてしまった。なにも悪いことはしていないのに。本当に、なんでこんなやつが世界にいるのだろうか。人というのは必ずしも、弱い面を持っているものだと、どこかで習ったはずだが。
「いや、謝る必要はない。本当に悪いのは、向き合う勇気がなかった俺が問題だ」
「…というと?」
彼女は首を傾げ傾げて、不思議そうにそう尋ねた。
「俺は、逃げた立場なんだ。そして、忘れた立場なんだ。アリウスのこと、すべてについて」
「サオリ達スクワッドらはまだ良い、あいつらは忘れてなんかいない。根拠はないが、そう確信できる。…でも、俺は違う」
思わず拳に力が入って、自傷するように握りしめてしまう。非力であるので、拳から血などはでないが、それがさらに、自分の弱さを象徴しているようで、腹立たしくあった。
ああ、言いたくない。向き合いたくない、逃げたい。そんな想いが、熱のようにぶり返して、唇の動きをピタリと止める。けれでも、俺はそんな想いに薬をつけ、言の葉を飛ばした。
「……俺は忘れてた。俺は気にしてなんかいなかった。普通を愛することができた。でも、その喜びで、大切なことを忘れてた」
情けなくて、みっともなく涙がこぼれだす。とめろ、と念じるが、それはとめどなく主張してくる、波のような嗚咽によって遮られた。
「あいつらも…俺が話し合わなきゃ……金魚すくいみたいに、闇の底から、掬い上げなくちゃいけなかったのに…そう、だったのに…」
言葉を繰り出すのもやっとになる。呼吸すらもう、ままならない。
そんな俺に優しくぽんと手を置いてくれたのは、阿慈谷ヒフミだった。
「大丈夫です…ゆっくりでいいですから、話しちゃいましょう…」
その言葉は、さらに俺の涙を誘うものなはずのに、言葉をするりと、溶かしたように発しやすくした。まったく、不可思議なものだ。先生といい、この人といい。
「俺のせいだ…マイアがあんな傷ついて……今にも倒れそうになったのは…俺のせいだ……そして、俺は今、こんなに…こんなに幸せなのは……一体、一体なんなんだ!!」
自分への怒りがあふれる。血涙のようなものさえ溢れる。アリウスでさえよく見なかったあの怪我、それを防げたはずであるのに、防げなかったのは俺のせいだ。そんな事実が、気に食わないのに、でも、自分が起こしたことだと理解しているので、どうにもしがたいような、そんな気持ちになった。
頭を抱える。再び、闇が俺の目線へ形成される。ポタポタと、その闇へ、影へ、汚い涙が堕ちていくのを感じた。
「ハジメさん…」
激情の波の中で漂流している最中な故に、聞き取るのもやっとな声だったが、阿慈谷さんは俺の名前を呟いた。それと同時に、両頬のあたりにふわりとした感触が触れるのを感じた。
ぐいっと、顔面が上方向へ引かれ、闇から光へと、一気に上がる。涙でぼんやりとした光の中には、こちらを見据えた阿慈谷さんがそこにいた。
「そしてな…俺はまた、こう思ったんだ。『それはそれで、これはこれ』ってな…はは、なんて屑野郎なんだろうな?自分でも軽蔑する」
分離的なその言葉。常世と現世を分けるような、そんな言葉。それがすうっと出てくる自分にも、吐き気が出るし。どんな人類も同じだと思う。
しかし、阿慈谷さんは顔をふるふると振るった。そして、俺の頬をさらに締め付け、涙を少し乱暴に拭って、こう言った。
「そうですね。確かに、この場ではそれはいけない考えかもしれないです。でも、その考え方ができる人なら、きっとこういう考え方もできるはずです」
「…それは一体、どういう?」
もう滲んでいない視界の、はっきりとした光に、俺は絶大な信頼と、期待を寄せた。もはや、信仰へと至る所であった。
「『それもこれで、これもそれ』…そんな考え方も、できる気がしませんか?」
俺はそれに、雷鳴のような感銘を受けた。もはや、感動すら感じる。幽玄とした感情が、辺りを染めていた。
彼女は俺に、優しい手を差し出した。
「それもこれで、これもそれ。かあ…ああ、きっと、それも一つの光なんだろうなあ」
俺はその光を握ることにした。その光は、ザイルのように、固く、確かなものだった。
黄昏の赤は消え失せ、一番星を出没させた藍色の空が、羊のような僅かな雲を従わせて、新しい場所へと遊牧民のように歩むその姿は、とてもとても、穏やかだった。
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「ふう…」
仕事終わり、もらった封筒から少しお金を出し、ペラペラと数えているのは私、錠前サオリだ。
辺りはまだ明るい赤色だ。ああ、早く帰れる日。心が湧き踊るのを感じる。今日は仕事も上手くいったし、いい日だ。
でも、朝にはハジメに強く当たってしまった。それを思い出すとぞわりとするのを感じる。何故、あそこまで強く怒鳴ってしまったのだろうか。
いや、理由はわかる。きっと私は、必要以上に過保護なのであろう。その異常性は、自分でもわかるほどだ。
事実として、ハジメを一人で外へ出したことは一度もないし、一緒に行ったとしても、遠く、長く一緒にいたことは一度たりともない。
そのことに関しては、随分と前から意見をされているが、いつだって私はそれを拒否してきた。まるで幼子のように、わがままに。
なぜかと問われれば、私は怖いのだ。またハジメが私の知らないところで、防げたのに傷ついてしまうことは、拭いきれないほどのトラウマとなって私に深く染み付いていた。
最近は料理をしてくれるが、実のところそれさえもしてほしくない。あいつが包丁を持つ度に、心臓が早鐘を打つのを感じ、異様な冷や汗が出てくるのだ。
もしあいつが少しでも血を出してしまえば、私はもう、どうなるかわからない。もしかしたら、拘束して、動けないようにしてしまうかもしれない。
でも、私だってそれがいけないことだと理解はしている。そんなのもう監禁に等しい。自由なんてへったくれもない。でも、どうやったって不安という感情は消しきれなかった。
だから、私はこんな穢らわしい行動を、思考停止で、欲望のままにとるしかできなかったのだ。なんて私な弱いのだろう。そうとも思った。
「ん…?」
ふと目に入ったのは、古びた本屋であった。ここはブラックマーケット。ありとあらゆる物が売っている。そこで売られている本だ、まともなものではないだろう。
でも、私はどうしても気になって、その本屋へと足を運んだ。その本棚で、何か真珠のように光っている本を見つけた。
「これは…!」
そう、それは大昔に読んだ、アリウスの恋愛小説だ。こんなところにもあったのか。懐かしい気分に高揚し、本を手に取り、ペラペラとページをめくる。
この小説はかなり熟読玩味したので、ほぼほぼ知っている内容ばかりだったが、あまりに面白くて、つい深く読んでしまっていた。
「お嬢ちゃん。立ち読みもいいが、買ってくれるとさらにありがたいねえ」
そう言う古びた機械音が私をぴくんと驚かせた。空想の没頭から現実へと帰ってくるのは、眠から戻ってくるようだった。
「ああ…すまない」
手にした小説を本棚へと戻した、戻る準備をしたところ、がしりと肩をつかまれた。
「おや、どうした。浮かない顔で。……分かった、男だね。そんな顔と、読んでる小説見れば、猿でも分かるよ」
ズバリ、と言い当てたような顔で、指を差しながら目の前のロボットはそう言った。私は、ぎくり、としたような気分になった。
「…そうとも、言えるな」
「歯切れがないねえ。…かーっ!今の女ってやつは。あたしらの頃はねえ、もっとガツガツいったもんだよ」
呆れたような表情で彼女はそう言った。そして、本棚へと顔を向け、何かを手に取り、私に手渡した。私はそれをすこしぽかんとしながら受け取った。その本の題名は、『必読!男を落とす方法30選』という題名だった。
「はい、これ。きっと役立つとはずだよ」
その表情は優しく、応援するような暖かさがあった。
「ああ!ありがとう。えーと、お金は…」
そう言ってさっきもらった給料袋を探していると、その手を止められた。
「いいんだ。サービスだよ。早く彼さんのところに行ってやりな。まってるんだろ?」
なんて優しいんだ。こんなブラックマーケットに、こんな善人がいるなんて初めて知ったぞ。私は新しい神秘を知ったような気分になって、なにかうれしく感じた。
「ああ!恩に着る!!それじゃあ、またいつの日か!」
私はそう言うと、手をできるだけ大きく振って駆け出した。
「感謝されることでもないさね。私はただ、あんたの青春のお手伝いがしたいだけだ」
本屋をあとにしたあと、私はところどころで貰った本を読みながら、できるだけ早く帰れるように、帰路についていた。
「ふむふむ…『束縛し過ぎは嫌われる』かあ…」
やはりそうか、自分でもわかっていることだが、突きつけられるとやはり悲しくなる。他人のためにやっていることなのに、否定されるような気がして。
「『しかし、他の女はとられるな、油断するとすぐ持っていかれる』……まあ、これは大丈夫だろう」
あいつの交友関係は幸いにもスクワッドだけだ。別にスクワッドの奴らとどうなろうと私は嬉しい。複雑な気持ちにはなるかもしれないが、心の底から祝福できる自信がある。
いや、むしろ私以外のほうがふさわしいのかもしれない。こんなハジメを拘束している私よりも、他のメンバーの方が…。
「『自分の気持ちに正直に!』…ねえ」
そうだ、その理論で行くなら…やはり、私がハジメと…。私は、私に正直でありたいんだ。
勿論、その時が来たら皆と話し合う。でも、そんな時でも、私は私の気持ちをぶつけられるような、そんな人でありたいし、スクワッドらも、そんな関係でありたい。
この本はいい本だ。私はいい意味で変わらせてくれた。あのおばあちゃんには、本当に感謝だな。
「…ん?なんだ、あれは?」
なにか、二人の男女がともに丸まっている様子がちらりと見えた。私はそれに興味をもち、近づいてみた。
それが、最大の自傷行為だと気づかずに。
「阿慈谷ヒフミ…と…」
彼女が誰かの背中を擦っている。まるで、聖母のように。そして、安心しきったように体を任せている、その人物は……。
「………ハジメ…?」
空は藍色。一番星が、嘲るかのように私を照らしていた。
To be continued
ドロドロしてきたな…
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