「さあ!!まずは!!どこに行きましょうか!」
大きい濃声が、トリニティの雑踏へと響く。これはいつもの光景だ。周囲の人間も、どうも思わずにただ紅茶を飲んでいる。
私、先生を含む、生徒達はトリニティの広い石畳を闊歩していた。つかつかと、靴底と床とがぶつかる音が心地よい。
ふわり、と太陽の匂いが広がる。…私自身、久し振りにトリニティに来たので、ここの感触は久し振りだ。
他の学園よりも、ここトリニティは太陽をよく感じる。暑さという面ではアビドスには遠く及ばないが、天日の『暖かさ』という点では、頭一つ抜けている気がする。
何かをに見守られているような、そんな感覚がある。それはエデン条約以降、さらに強まった特異性であった。
そんな特異にあてられてか、隣にいる少年、ハジメも火照り、そして呆けたような表情になって、ぼんやりとどこかを見つめている。
「そうですね。ではハジメさん。どこかいきたいところはありますか?」
スズミのその声で、少年はハッとしたようにビクリと肩を揺らした。
…しかし、一体なぜ、スズミとレイサとで彼と出かけることを計画したのか、疑問に思うだろう。だが、これには私なりの考えがあった。
まず、今回の主人公はハジメだ。私は、ハジメに『経験』をしてもらうために、そして、ある種の実験のために、今回連絡をしたのだ。
その『経験』について説明をしよう。
まず初めに、ハジメには機会というものが無かったのだ。そう、新しいもの、という機会が。
アリウスの閉ざされた空間では、どうしても得られる情報には限りがある。これは、サオリやアッコをはじめとするアリウスの生徒達、全てで同じことである。
エデン条約、それは悲劇ともとれるし、事件ともとれる出来事であった。それには、死者はいなかったにしろ、多くの痛みと、苦痛とが舞い上がった。
しかし、それは架け橋ともなったのだ。…サオリからの報告や、他の目撃情報によって、アリウスの生徒達が、ここ、トリニティへやってきているということが判明した。
火のないところに煙は立たない、という。つまり、これが本当であろうが、間違いであろうが、とにかくアリウスが変わろうとしていることは、もはや明らかなことであるということがわかる。
アリウスと最も密接な学園は、歴史的観点から見ても、地理的観点から見ても、トリニティ一択である。
ここで、『経験』という言葉について話を戻す。それは前述の通り、アリウスの子達が持ち得なかったものだ。しかし、今、その子達が、それらを一気に摂取しようとしている。
それは良いこととも取れるかもしれない。しかし、『経験』というのは薬と一緒で、過剰に摂取してしまえば、危険なものである。
そして、その摂取量は置かれた環境によって異なる。しかし、アリウスという場所では、それを知らない子たちが多数だ。
だから、今回私は試験的に、アリウスの生徒である佐藤ハジメに、トリニティの『経験』を摂取させることにしたのだ。
置かれた環境が同じであるならば、摂取量も大まかにはわかるだろう。そう、その摂取量の把握が、今回の目的である。
並びに、なぜハジメを選んだか。それは、私が連絡がつく、アリウスの生徒の中で、堂々としても問題ない、という生徒が、ハジメだけであったのだ。
他の生徒は、しょうがないことだが、指名手配に登録されていて、まともに日の目を見て歩くことはできない。…彼女たちにも経験はしてほしかったが、今回の実験では適していなかったのだ。
「そうですね!気になりますよ。そもそも、ハジメさんってどういう人なんですか!?」
そうキラキラとした目で叫びのはレイサだ…。そう、なぜレイサとスズミを選んだか、についてだ。
それは、私個人の偏見となるが……ハジメは少し、女性に対して緊張感というか、拒否感…までは行き過ぎだが、まあつまり、何かしら感情がある、と思うからだ。
私と会話する時にはそんな事はないのだが、女性…特に露出の激しい服を着ている生徒と、事務的な内容、いや、挨拶でも、話すときに目線があっちこっちに、魚のように揺蕩うのだ。
まあ気持ちは分かる。私も最初キヴォトスに来た時は、あまりの服装に驚いたものだ。今となっては、もう慣れたが。
しかしハジメは違う。全然緊張もするし、女慣れなど、ただ一つもないのだ。
そこでスズミとレイサ達、自警団だ。彼女達はそこまでの服はしていないし、性格だって、ただ優しくて、それでいても、弱いところもあって、人間臭いところだってある、それが今回は良い点なのだ。
"そうだね、皆。一回あのカフェに入ろうか"
「「「わかりました」」」
そうしてカフェへと入り、紅茶を四つほど頼んで、円卓へと座った。窓から差し込む光と、室内との気温差が、どうにも心地よい。
「それでは、アイスブレイク…とでも行きましょうか?」
そうスズミが言った。やはり異性というのは緊張するのか、スズミも固くなっていた。
「守月さん…だっけ?は、俺の事をどこまで知ってるんだ?」
ハジメが、少しだけ語気を強めて言った。確かに、全てを知られていれば、少し面倒なことになる。
「ああ、ハジメさんのことは、先生から聞きました。…少し特殊な事情があって、学校に通えていない生徒…ですよね?」
スズミが言葉を選んでいるのか、少し詰まりながらそう言った。レイサも、うんうんと頷いている。
そう、私はかなり濁して伝えた。流石に、一から十まで、全て伝えては混乱が避けられない。しかし、言っていることはあっているので、よしとしよう。
「…ああ、そんなところだ。……じゃあ、あなた達は、一体どういう人間なんだ?」
少し、私に向けて視線を上げて、その後にハジメがそう聞いた。
「私は!!トリニティの自警団エース!宇沢レイサです!」
再びの自己紹介を、やかましく行ったのはレイサであった。その後に、ここがカフェであると気づいたのか、しゅん、と縮こまっていたが。
「…同じく私も、自警団に所属しています」
そんなレイサをちらりと見ながら、スズミが硬い声でそういった。それを受けたハジメは、少し悩み、そして言った。
「すまないが…自警団…って、一体何なんだ?」
まあ、当然の疑問である。彼はトリニティの出身ではないのだから、仕方がないことだ。
「ああ、すみません。そうです、自警団というのはですね…」
そうやってスズミが説明をし、ハジメが相槌を打ち、レイサが補足…とも言えない、ヤジのような言葉を飛ばす。それは、確かな『会話』を、成立させていた。
少し、気が緩んだ気がした。必要以上に明るく見せようとしていたレイサも、自然体となって話しているし、カチコチになっていたスズミも、今は流暢に喋れている。
ハジメも、もはやあの、私と二人でないとわかった時に見せた、絶望の表情からは一変して、柔らかい表情を見せていた。
「…そうだなあ、そう、俺は、服屋に行きたいな」
話の途中で、光のような言葉がぴかりと光った。ハジメが、自分の欲求を。それは成長であろう。することがない、と喘いでいたハジメは、もういなかった。
「ああ、そうでしたら、ここの近くにある、DN、という服屋はどうでしょうか?」
ティーカップを細やかに触りながら、スズミがそう言った。DN…聞いたこともないが、スズミが言うなら、それはいいのだろう。
"だけどハジメ。どうして服屋に行きたいと思ったの?…もしかして"
サオリ、と続けようと口の形を変形させた瞬間、ハジメにティーカップを口に突っ込まれた。その顔は紅潮しており、目はふるふると、焦点が合っていなかった。
吹き出しそうになるのを抑えて、私は咳払いをした。
「ただ!新しい服が欲しかっただけです。そこになんのこともありません!以上!!」
ハジメはそう言うと、ぐいっと紅茶を一飲みにして、ガツンと音を立てて置いた。ストレートだったので、少しくしゃっと顔を歪めていた。
それが面白かったのか、あたりには微笑みが生まれた。風に揺られるような、そんな笑みが。
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暗く染まった空間の中に、三人の大人が立つ。その大人達は今、慌ただしく、しかし事務的に、何かの作業をしていた。
ある者は本を読み漁り、ある者は何かを書き連ね、ある者は本棚を整理している。それらの自然音のみが、この空間に反響していた。
「おい、黒服。結局佐藤ハジメはどうなったのだ」
そう言うのは木人形の存在。表情はないはずだが、眠気が見て取れた。
その言葉の対象…黒服は、本棚をいじる手を止めて、煩雑に置かれている椅子に座った。
「…分かりません。だからこんな困っているのです」
黒服は真っ黒な頭をガクッと下げて、悔しそうにそういった。他のメンバー達も、作業を一時中断し、椅子へと座った。
「はて、わからないとは一体どういうことですか?」
そう言ったのは、頭が黒い炭のようになったている、もやもやとした存在で、ゴルコンダと呼ばれていた。
黒服は顔を引き上げ、その後に、何もない無機質な天井を見上げた。
「想像を超えてきた…と言っていいでしょう。あの時の神秘…魔力…そのどちらも、予測は不可能でした」
遠い目をして黒服はそういった。珍しい、と面々は思った。ここまでの、研究者としてはある意味敗北宣言とも取れる言葉を発していたからであった。
このような反応をするのは、『先生』と関わった時以外だ。つまり、佐藤ハジメがどれほど重要であるか…それをわからないゲマトリアは、もういなかった。
「暁のホルスにも及ぶ…いや、凌駕する程の神秘…いや魔力……それらが、なんと複数個、あの場所に現れたのです」
「なに?!」
マエストロが椅子を立った。衝撃に耐えきれず、椅子は倒れてしまった。
「そういうこった!?」
ゴルコンダが持つ肖像画…デカルコマニーも、驚きの声を上げていた。
「…そして当然のごとく、その余波はキヴォトス中に広がっています。そして、他の枝達にも…」
ゲマトリアのメンバーは考え込んだ。まさか、の出来事を考えていたのだ。頭の中で、色とりどりの未来を、可能性を、各々思考していた。
「…その汚染された枝が、こちら側へやってくる可能性はあるのでしょうか?」
ゴルコンダの質問に、黒服は無言を貫いた。しかし、ゴルコンダは知っていた、それが肯定の意を含んでいると。
ほんの少しの光すら通らないこの一室。蛍光灯の、黄ばんだ光しかない、この一室に、何とも言えぬ、闇の空気が立ち込んでいた。
「色彩…崇高……私達は一体、これからどうなるのでしょうか?」
じわり
光が染み込んだ、同時に、隠れるようにして業火が潜み、それを焼いた。それは、極めて神秘的で、極めて芸術的であった。
To be continued
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